独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ) (original) (raw)
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独眼竜政宗 | |
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ジャンル | ドラマ |
原作 | 山岡荘八『伊達政宗』 |
脚本 | ジェームス三木 |
演出 | 樋口昌弘 他 |
出演者 | 渡辺謙(以下五十音順)秋吉久美子いかりや長介池部良石橋蓮司イッセー尾形岩下志麻榎木孝明音無美紀子大滝秀治岡本健一奥田瑛二大和田伸也勝新太郎勝野洋角野卓造金田明夫金田龍之介神山繁北大路欣也後藤久美子西郷輝彦桜田淳子真田広之佐野史郎沢口靖子塩見三省陣内孝則宅麻伸竹下景子谷啓津川雅彦寺田農長塚京三野村宏伸萩原流行林与一原田芳雄樋口可南子平田満三浦友和村田雄浩八千草薫山形勲竜雷太若林豪 |
ナレーター | 葛西聖司 |
オープニング | 池辺晋一郎 |
製作 | |
製作総指揮 | 中村克史 |
制作 | 日本放送協会 |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1987年(昭和62年)1月4日-12月13日 |
放送時間 | 日曜20:00-20:45 |
放送枠 | 大河ドラマ |
放送分 | 45分 |
回数 | 全50 |
番組年表 | |
前作 | いのち |
次作 | 武田信玄 |
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『独眼竜政宗』(どくがんりゅうまさむね)は、1987年1月4日から12月13日まで放送されたNHK大河ドラマ第25作。主演は渡辺謙。
原作は山岡荘八の小説『伊達政宗』。仙台藩62万石の礎を一代で築いた奥州の戦国武将・伊達政宗の生涯が描かれた。伊達家を題材にした大河ドラマは江戸時代の伊達騒動を描いた『樅ノ木は残った』(1970年)以来、17年ぶりとなった。
大河ドラマは『山河燃ゆ』(1984年)、『春の波涛』(1985年)、『いのち』(1986年)と、3箇年連続で“近代路線シリーズ”が続いていた[1]。一方、大河ドラマから時代劇が消えることを損失と捉え、「NHK新大型時代劇」の枠が水曜夜に設けられた[2]。“近代路線シリーズ”の視聴率は、『山河燃ゆ』21.1%、『春の波涛』18.2%、『いのち』29.3%[3]で、特に『いのち』は視聴率的には“近代路線シリーズ”中で最も高かったが「大河ドラマではなく連続テレビ小説の延長線だ」という声もあり、一方で『山河燃ゆ』と『春の波涛』の視聴率が『徳川家康』(1983年)と比較して今一つ、また両作品ともトラブルが相次いだことで「時代劇ものの方に視聴者の需要がある」「違う切り口が必要」という理由のほかに、元来実験的要素が高かった“近代路線シリーズ”は予定通り3作で終了とし、『徳川家康』以来4年ぶりに時代劇の大河ドラマが復活した[4][5][6]。
プロデューサーを務めた中村克史(以降「中村」)によれば、時代劇の大河ドラマの復活話を切り出された時、かつて中村がNHK札幌放送局に赴任していたころに「札幌が中心では」という新しい位置関係を感じたことに加えて、友人の家で見た南極が上で北極が下になるいわゆる「逆さ地図」を目にしたことで「地方の武将を題材にしたドラマ」の構想を描いており、また当時の大河ドラマでは東北地方の人物をメインで扱った作品が『樅ノ木は残った』以外なかったことに着目し、伊達政宗を題材として選んだ[7]。企画に入ると、中村は『ゴッドファーザー』シリーズをイメージしてドラマを組み立て、その構想を具現化するために連続テレビ小説『澪つくし』で組んだジェームス三木に脚本を依頼した[7]。山岡荘八の小説『伊達政宗』を原作とするが、山岡の原作は政宗の青年時代がメインの内容のため政宗の生涯を網羅するには不足であり、伊達成実が著した『成実記』や伊達氏の公式記録である『伊達治家記録』を現代語訳にして参照し、それをジェームス三木の脚本に適宜提供する形がとられた[8]。
オープニング前に史実の解説などをする構成は、本作を機として以降の大河ドラマの通例となった。もともとこれは、前作『いのち』で獲得した女性視聴者層を引き付け、時代劇の大河ドラマにも引き続き興味を持ってもらおうとする一策で、大河ドラマ第3作『太閤記』の第1回に東海道新幹線を登場させた演出がヒントになっている[9]。しかし現在では権利上の問題が絡むため、民放のCS放送などNHK以外での放送ではともにカットされている(なお、DVDなどで販売されている「完全版」にはこの部分もすべて収録されている)。
オープニングタイトルでは、レーザー光線を背景にし「黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用」の兜を着用し騎乗した政宗に扮した渡辺謙が登場して重厚さとは異なる新しい大河ドラマを印象付けたが、これもまたオープニング解説とともに中村による現代の視聴者向けの置き換えやすい入口の一環であった[10]。
本作のキャスティングは、中村によれば『ゴッドファーザー』に準える形で進めていたという[11]。
主演俳優について、当初は西城秀樹を起用する構想があったが、西城サイドのオファー辞退で実現しなかったことが後年明らかにされた[12]。最終的には、新進気鋭の俳優のひとりであった渡辺謙が起用された。渡辺は連続テレビ小説『はね駒』で主演を務め、また1984年の『山河燃ゆ』で大河ドラマ出演歴もあったが知名度の点では今一歩のところ、ドラマ部長の斎藤暁が唐十郎の舞台で主演を務めていた渡辺に好印象を抱き、斎藤の提案で主役への起用が決まった[13]。渡辺の主役への起用は、大河ドラマを一種の成長物語としても捉えて、主演には新人に近い俳優の起用を考えていた中村の方針にも合致しており[14]、中村は2018年にも、渡辺に「左目だけでも演じられる目力と気骨」を感じ、渡辺が演技だけでなく諸事学ぼうとする勉強家であったことも主演起用の理由として振り返っている[15]。
その他のキャストについても、片倉小十郎に西郷輝彦、伊達成実に三浦友和という具合に両名の本来のイメージとは逆に配して結果的に効果をあげたり[16]、『澪つくし』に明石家さんまを起用した先例を取り入れて鬼庭左月斎にいかりや長介を配して刺激を与えるようなことも行ったが[17]、最大の焦点は豊臣秀吉役の勝新太郎であった。秀吉役の勝は過去のトラブルを鑑みれば起用自体が冒険であったが、中村によれば「渡辺に立ちはだかる存在」として秀吉役は勝以外は考えていなかった[11]。配役決定後、渡辺は勝のクランクイン前に「小田原で会おう」の一言だけを交わしただけ[18][19]。これは「小田原で政宗が秀吉と初めて出会うのなら、そのシーンの撮影まで渡辺と会うべきでない」「初めて秀吉と対面する政宗の緊張感がドラマ上でも出てくる」という勝のアイデア[20]。収録は渡辺と勝が会うことがないよう調整して行われた[20][18]。初共演となる小田原参陣でのシーンはリハーサルなしで収録され[18]、楽屋も隔離されており、収録本番で初めて対面[21]。ただし渡辺は勝の収録日にはこっそりやって来ており、モニターを通じて勝には「会って」いた[19]。小田原のシーン以外でも、一揆扇動の密書のかどで秀吉に問い詰められるシーンでも、当初は台本上であらかじめ真贋をはっきりさせていたが、これも勝の提案でわからないようにする演出に変更となった[15]。勝との最後の収録日に渡辺は勝の部屋に呼び出されて主役の極意を教えてもらい、それ以降勝と交流することは二度となかったという[19]。
勝自身には登場回前に暴力団関係者との会合の記事が出る危機もあったが、最終的には「勝自身は知らなかったこと」として乗り切った[22][注 1]。収録に際しても懸念されたトラブルはなく、スタッフサイドは勝の出演に対して上質の衣装などを用意し、勝もまた秀吉役の収録が始まる前からNHKに出入りして慣れようと努力し、収録ではアドリブを入れるなどで好待遇に応え、出番シーンをすべて撮り終えた際には頭を深々下げてスタジオから去ったとのことである[23]。
なお、勝の登場回についてジェームス三木は後年の回想で、「嬉しい悲鳴」と前置きしつつ「勝さんと岩下(志麻)さん(政宗の母・義姫役)のクレジットの優劣をつけられないから、二人が同じ回に登場しないように書き分けた」と語っている[24]。他誌のインタビューでも「トメは秀吉役の勝新太郎。北大路欣也(政宗の父・輝宗役)、岩下志麻をどうするかでモメた。その結果、勝、岩下の2人が(同時に)出る放送回がなくなった」と語っている[25][注 2]。また、幼少・幼年期のエピソードが8話中盤まで描かれたため、それまで本来の主演である渡辺は登場せず(※オープニングは除く)、その間の出演者のトップクレジットは北大路欣也となった[注 3]。
平均視聴率は39.7パーセント、最高視聴率は47.8パーセントを記録した[20][3]。不動明王について教えられた梵天丸(政宗の幼名)が養育係である喜多(演・竹下景子)に語った「梵天丸もかくありたい」という台詞は流行語となった[20]。
2016年2月19日にTBSラジオの番組『荻上チキ・Session-22』で「今夜決定!最高の大河ドラマ」という特集を放送し、同番組リスナーや出演者が1人1票で投票した結果が発表された。この時点までに発表された全ての大河ドラマ(全54作)が対象で、総投票数1,000票以上の大規模なものであったが[注 4]、本作は第2位(88票)。第1位『平清盛』(2012年)が209票で本作とは大きく差がついたが[注 5]、第3位『新選組!』(2004年)第4位『龍馬伝』(2010年)など2000年代以降の作品が上位となる中で、80年代に放送された本作が第2位を獲得した形となった。
『週刊ポスト』2021年合併号の「読者1000人が選んだ好きな大河ドラマ主演俳優」では、第3位の堺雅人『真田丸(2016年)』、第2位の福山雅治『龍馬伝』を抑えて本作の渡辺謙が首位を得た[26][27]。
- 脚本:ジェームス三木
- 原作:山岡荘八『伊達政宗』
- 音楽:池辺晋一郎
- 演奏:東京コンサーツ
- テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
- テーマ音楽指揮:岩城宏之
- オンド・マルトノ演奏:原田節
- 監修:伊達泰宗
- 時代考証:鈴木敬三
- 風俗考証:磯目篤郎
- 衣装考証:小泉清子
- 殺陣:林邦史朗
- タイトル刻字:長揚石
- タイトル協力:日本甲冑武具研究保存会 / 矢崎芳博
- 資料提供:仙台市博物館 / 中央公論社 / 飯田勝彦 / 松田栄吉 / 瑞鳳殿 / 青龍山瑞巌寺 / 高台寺 / 日光東照宮宝物館 / 宝珠山慈徳寺 / 宮城県亘理町 / 大雄寺 / 耕徳寺 / 岩国歴史美術館(現・柏原美術館) / 櫻井成廣 / 三井文庫 / 京都市歴史資料館 / 長興寺 / 韓国MBC / 最上山専称寺 / 毛利博物館 / 大阪歴史博物館 / 松浦史料博物館 / 奥平神社 / 永青文庫 / 片倉重信
- 協力:仙台藩志会 / 仙台市博物館 / 福島県猪苗代町 / 原町市 / 相馬野馬追執行委員会 / 日本甲冑武具研究保存会 / 東工大 平井研究室
- 文書考証:白井孝昌
- 茶道指導:渡辺潤
- 能楽指導:喜多六平太[注 6]
- 振付:藤間康嗣 / 田中泯
- 作調:杵屋正邦 / 福原百之助
- 邦楽作曲:杵屋正邦
- 笛・太鼓指導:福原百之助
- 鼓指導:堅田喜三久
- 琴指導:米川敏子
- 華道指導:杉浦共漱
- 香道指導:三条西堯雲
- 禅指導:細川景一
- 民謡指導:さいとう武若
- 砲術指導:名和弓雄
- 料理指導:永山久夫
- イラストレーション:Mayumi Kagawa
- 語り:葛西聖司
- 制作:中村克史
- 演出:樋口昌弘 / 吉村芳之 / 西村与志木 / 木田幸紀 / 諏訪部章夫
特記がない限りNHKクロニクルのNHK番組表ヒストリーで確認。
第14回放送時、東京都杉並区において20時20分から4分30秒間、電波ジャックが発生した[28]。
- 総合テレビ、BS1[注 7]、衛星第2テレビ[注 8]:毎週日曜 20時00分 - 20時45分
- (再放送)総合テレビ、BS1[注 9]:毎週土曜 13時25分 - 14時10分[注 10]
- 第1回は40分繰り上げかつ23分拡大で放送。
放送回 | 放送日 | 題 | 演出 | 視聴率[29][_要出典_] |
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第1回 | 1987年1月4日 | 誕生 | 樋口昌弘 | 28.7% |
第2回 | 1987年1月11日 | 不動明王 | 36.9% | |
第3回 | 1987年1月18日 | 親ごころ | 吉村芳之 | 40.7% |
第4回 | 1987年1月25日 | 元服 | 37.9% | |
第5回 | 1987年2月1日 | 愛姫 | 樋口昌弘 | 42.0% |
第6回 | 1987年2月8日 | 侍女成敗 | 45.8% | |
第7回 | 1987年2月15日 | 初陣 | 吉村芳之 | 43.0% |
第8回 | 1987年2月22日 | 若武者 | 45.2% | |
第9回 | 1987年3月1日 | 野望 | 樋口昌弘 | 43.4% |
第10回 | 1987年3月8日 | 男の器量 | 43.7% | |
第11回 | 1987年3月15日 | 八百人斬り | 吉村芳之 | 46.9% |
第12回 | 1987年3月22日 | 輝宗無残 | 43.1% | |
第13回 | 1987年3月29日 | 人取橋 | 西村与志木 | 41.2% |
第14回 | 1987年4月5日 | 勝ち名乗り | 樋口昌弘 | 36.5% |
第15回 | 1987年4月12日 | めごとねこ | 吉村芳之 | 35.9% |
第16回 | 1987年4月19日 | 南北の敵 | 35.1% | |
第17回 | 1987年4月26日 | 宮仕え | 木田幸紀 | 40.3% |
第18回 | 1987年5月3日 | お東、居座る | 樋口昌弘 | 36.9% |
第19回 | 1987年5月10日 | 大移動 | 西村与志木 | 35.0% |
第20回 | 1987年5月17日 | 決戦、摺上原 | 吉村芳之 | 44.7% |
第21回 | 1987年5月24日 | 修羅の母 | 36.5% | |
第22回 | 1987年5月31日 | 弟を斬る | 樋口昌弘 | 38.6% |
第23回 | 1987年6月7日 | 小田原へ | 39.9% | |
第24回 | 1987年6月14日 | 天下人 | 吉村芳之 | 39.2% |
第25回 | 1987年6月21日 | 人質、めご | 37.2% | |
第26回 | 1987年6月28日 | 絶体絶命 | 西村与志木 | 39.7% |
第27回 | 1987年7月5日 | 黄金の十字架 | 37.1% | |
第28回 | 1987年7月12日 | 知恵くらべ | 樋口昌弘 | 45.5% |
第29回 | 1987年7月19日 | 左遷 | 41.0% | |
第30回 | 1987年7月26日 | 伊達者 | 吉村芳之 | 35.1% |
第31回 | 1987年8月2日 | 子宝 | 36.3% | |
第32回 | 1987年8月9日 | 秀次失脚 | 西村与志木 | 35.2% |
第33回 | 1987年8月16日 | 濡れ衣 | 樋口昌弘 | 37.5% |
第34回 | 1987年8月23日 | 太閤の死 | 吉村芳之 | 36.8% |
第35回 | 1987年8月30日 | 成実失踪 | 36.6% | |
第36回 | 1987年9月6日 | 天下分け目 | 西村与志木 | 36.9% |
第37回 | 1987年9月13日 | 幻の百万石 | 諏訪部章夫 | 43.0% |
第38回 | 1987年9月20日 | 仙台築城 | 木田幸紀 | 39.7% |
第39回 | 1987年9月27日 | 五郎八、嫁ぐ | 吉村芳之 | 38.8% |
第40回 | 1987年10月4日 | 大船造り | 32.9% | |
第41回 | 1987年10月11日 | 海外雄飛 | 樋口昌弘 | 41.3% |
第42回 | 1987年10月18日 | 大坂攻め | 42.3% | |
第43回 | 1987年10月25日 | ねこ、宇和島へ | 木田幸紀 | 43.7% |
第44回 | 1987年11月1日 | 大坂夏の陣 | 吉村芳之 | 40.8% |
第45回 | 1987年11月8日 | ふたりの父 | 諏訪部章夫 | 44.1% |
第46回 | 1987年11月15日 | 離縁状 | 樋口昌弘 | 41.5% |
第47回 | 1987年11月22日 | 天下の副将軍 | 木田幸紀 | 38.9% |
第48回 | 1987年11月29日 | 伊達流へそ曲がり | 吉村芳之 | 40.7% |
第49回 | 1987年12月6日 | 母恋い | 44.2% | |
最終回 | 1987年12月13日 | 大往生 | 樋口昌弘 | 47.8% |
平均視聴率 39.7%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ)[3] |
- 「梵天丸もかくありたい」 1987年12月27日、19:20-20:35
- 「男は一生、父とたたかう」 1987年12月28日、 19:30-20:45
- 「母の愛は海より深く」 1987年12月29日、19:20-20:35
- 「難波のことも夢のまた夢」 1987年12月30日、19:20-20:35
- 「楽しまずんばこれいかん」 1987年12月31日、19:20-20:35
- 独眼竜政宗 奥州の覇者 (VHS、30分のハイライト集、発売日:1987年10月21日、販売元:ポニーキャニオン)
- 総集編: 全5巻 (VHS)、3枚組 (DVD)
- 完全版: DVD-BOX全2集、13枚、50話 (DVD)
- 独眼竜の野望 伊達政宗……本作と同じ原作小説による1993年のテレビ朝日のテレビドラマ。
^ 前年1986年の第37回紅白歌合戦の選考の際に、北島三郎らが暴力団の新年会に顔出ししたかどで出演を辞退したことが念頭にあった[22]。
^ 実際のクレジットでは、勝は全出演回で(助演出演陣の中で最高位とされる)トメに配置され、勝と同じ回に出演した時の岩下はトメのひとつ手前の配置(トメ前)であり、明白に勝が優位に立つ配置となった。出演がない回は岩下がトメとなる。
^ このように本作以降の作品でも、本来の主演が登場しない回では主役の幼年期やそれに準ずる登場人物を演じる俳優がトップクレジットになるケースもある(例:『毛利元就』の第3話 - 第5話、『おんな城主 直虎』の第2話・第3話)。また、反対にトメを務める俳優が主人公役の役者が出るまであるいは出演しない回ではトップクレジットを務めた例もある(例:『赤穂浪士』の尾上梅幸、『新・平家物語』の中村勘三郎、『春日局』の佐久間良子、『琉球の風』の萩原健一)。
^ 作品ごとの投票数は、放送時にアシスタント・南部宏美によって口頭で発表されたのみ。番組ホームページなどには記載なし。
^ 第1回時は喜多長世名義。また本編にも出演した。
^ 第26回まで
^ 第27回から
^ 第25回まで
^ 一部放送日時の変更あり
^ “「ヤングマン」製造工場のミカン箱で歌った 秘話”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2018年5月18日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201805180000094.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=nikkansports_ogp 2018年5月18日閲覧。
^ a b “【大河のころ 渡辺謙(2)】勝新太郎さんから聞いた「主役の極意」”. サンスポ 芸能. サンケイスポーツ (2018年3月4日). 2023年7月8日閲覧。
^ a b c “渡辺謙が語る、独眼竜政宗での秘話とは……!? 感動のエピソードで綴る天才・勝新太郎の真実”. 吉本浩二「カツシン」. デイリー新潮. 2016年6月13日閲覧。
^ a b c “【大河のころ 渡辺謙(2)】勝新太郎さんから聞いた「主役の極意」”. サンスポ 芸能. サンケイスポーツ (2018年3月4日). 2023年7月8日閲覧。
^ “渡辺謙が語る、独眼竜政宗での秘話とは……!? 感動のエピソードで綴る天才・勝新太郎の真実”. 吉本浩二「カツシン」. デイリー新潮. 2016年6月13日閲覧。
^ 『週刊現代』2012年10月13日号166頁 「『独眼竜政宗』を語ろう」のジェームス三木、北大路欣也、吉村芳之の対談
^ 『週刊ポスト』2021年合併号
^ “渡辺謙が語る『独眼竜政宗』 命懸けだった勝新太郎との緊迫シーン”. NEWSポストセブン - 芸能. 小学館 (2021年2月19日). 2023年7月1日閲覧。
^ 「NHK TVジャック」『中日新聞』1987年4月6日付
^ 「テレビ視聴率季報(関東地区)」ビデオリサーチ。
- 『独眼竜政宗』(第1刷)日本放送出版協会〈NHK大河ドラマ・ストーリー〉、1987年1月4日。
- 『独眼竜政宗《完結編》』(第1刷)日本放送出版協会〈NHK大河ドラマ・ストーリー〉、1987年7月1日。 NCID BB18499696。
- 春日太一『大河ドラマの黄金時代』NHK出版〈NHK出版新書〉、2021年2月10日。ISBN 978-4-14-088647-2。
- 大河ドラマ 独眼竜政宗 - NHK放送史
- 番組エピソード 大河ドラマ「独眼竜政宗」 - NHKアーカイブス
NHK 大河ドラマ | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
いのち | 独眼竜政宗 | 武田信玄 |