4世紀 (original) (raw)

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索?: "4世紀"ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2023年3月)
千年紀: 1千年紀
世紀: 3世紀 - 4世紀 - 5世紀
十年紀: 300年代 310年代 320年代 330年代 340年代 350年代 360年代 370年代 380年代 390年代

皇帝コンスタンティヌス1世ミラノ勅令によりキリスト教を公式に認め新首都コンスタンティノポリスを造営した。画像はローマのカピトリーノ美術館にある皇帝の巨像(コロッスス)。

背教者・皇帝ユリアヌス。ローマ帝国のキリスト教化が進む中で古来の神々の復興を意図するも早すぎる死によりその計画は挫折した。画像はパリのクリュニー中世美術館フランス語版)にある皇帝の像。

最後の統一ローマ皇帝テオドシウス1世。この皇帝の遺詔によりローマ帝国は東西に分裂した。画像は「テオドシウスの銀皿(Missorium Theodosii)」(スペインのメリダ国立ローマ博物館蔵)のレプリカ。

キリスト教修道制の始まり。エジプト大アントニオスらの砂漠の師父により修道生活の基礎が築かれた。画像は大アントニオスを追慕して356年に建てられたエジプトのスエズ県にあるコプト教会の「聖アントニオス修道院」。

アクスム王国の勃興。クシュ王国を滅ぼし現在のエチオピアの地に成立したのがアクスム王国で、最も古くからキリスト教を受容していたことでも知られている。画像はキリスト教に改宗したエザナ王によるオベリスク(石柱)で24mの高さがある。

北アフリカの都市キルタ。現在のアルジェリア北部の都市で帝位争奪戦から荒廃したが、4世紀初頭に再建され皇帝コンスタンティヌス1世の名に因んでコンスタンティーヌとなって現在に至る。画像はキルタ遺跡のモザイクで海神ネプトゥルヌスとアンフィトリテの多神教のモチーフが用いられている。

ゲルマン民族の大移動。ローマ帝国との国境を越えたゲルマン諸族は各地で混乱や衝突を起こした。画像は1920年代に描かれた西ゴート族の王アラリック1世アテナイ入城(395年)の挿絵。

七支刀が所蔵されている石上神宮。ここの七支刀が『日本書紀』神功記に記載のある百済から奉献されたものだと推定されている。この事実は刃に書かれた銘文を介して知ることができる。(泰[和] 四年 十一月十六日 丙午 正陽 造百鍊鐵七支刀 [出]辟百兵 宜 供供侯王□□□□作) 。

朝顔形埴輪円筒埴輪の一種で、基台の上に朝顔のような器がついた形状からその名がある。3世紀の古墳には見られないが4世紀には数多く出現する。画像は布留遺跡出土の朝顔形埴輪と円筒埴輪土師器天理大学附属天理参考館蔵)。

画聖顧愷之。顧愷之は東晋の画家で、画絶・才絶・癡絶の三絶を備えると云われていた人物。画像は代表作「女史箴図」(大英博物館蔵)。

書聖王羲之。王羲之は東晋の書家で「蘭亭序」他の作で知られ、歴代皇帝にも愛好された。画像は宋末元初の文人画家銭選が王羲之を画題として描いた「蘭亭観鵝図」(台湾国立故宮博物院蔵)。

中国最古の仏像。紀元前後に到来した仏教がこの時代に中国の民間にも定着した。画像は五胡十六国の一つ後趙の年号「建武四年(338年)」の記年銘のある金銅仏坐像サンフランシスコ・アジア美術館英語版)蔵)。

チャンドラグプタ2世の金貨。チャンドラグプタ2世はインド・グプタ朝の領土を最大に広げ、繁栄をもたらした。

シャクンタラー』。指輪をめぐるシャクンタラー姫の数奇な運命の物語でチャンドラグプタ2世王時代の宮廷詩人カーリダーサによりまとめられたとされる。画像はラヴィ・ヴァルマによる物語絵。

仏歯招来。歴史書『ダータワンサ』によるとカリンガ国の王女へーママーラとその夫ダンタによって仏歯がこの時代のスリランカに秘密に持ち運ばれたと伝える。画像はコロンボ近郊にあるケラニ・ラジャ・マハ・ヴィハーラ寺院にある仏歯招来の場面の壁画。

4世紀(よんせいき)は、西暦301年から西暦400年までの100年間を指す世紀

できごと

[編集]


300年代

[編集]

詳細は「300年代」を参照

310年代

[編集]

詳細は「310年代」を参照

320年代

[編集]

詳細は「320年代」を参照

330年代

[編集]

詳細は「330年代」を参照

340年代

[編集]

詳細は「340年代」を参照

350年代

[編集]

詳細は「350年代」を参照

360年代

[編集]

詳細は「360年代」を参照

370年代

[編集]

詳細は「370年代」を参照

380年代

[編集]

詳細は「380年代」を参照

390年代

[編集]

詳細は「390年代」を参照

空白の4世紀

[編集]

中国の歴史文献において266年から413年にかけての倭国に関する記述がなく、ヤマト王権の成立過程などが把握できないため、日本において「空白の4世紀」とも呼ばれている[1]

文化

[編集]

[[icon]](/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Wiki%5Fletter%5Fw%5Fcropped.svg) この節の加筆が望まれています。

日本では古墳時代前期にあたる。古墳の副葬品として鉄製の農耕具が発見されていることから、鉄器の利用や農耕が行われていたと推測されている。また中国と交易が行われていた。

人物

[編集]

地中海世界

[編集]

アフリカ

[編集]

ペルシア

[編集]

インド

[編集]

東アジア

[編集]

五胡十六国から北魏

[編集]

西晋・東晋

[編集]

伝説・架空のできごと

[編集]

脚注

[編集]

[脚注の使い方]

注釈

[編集]

出典

[編集]

  1. ^ 日本放送協会 (2023年3月2日). “発見!「空白の4世紀」の古墳から何が? | NHK | WEB特集”. NHKニュース. 2023年6月27日閲覧。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

4世紀の十年紀と各年
《290年代 《300年 2世紀 3世紀 - 4世紀 - 5世紀 6世紀 401年》 410年代》 300年代 301年 302年 303年 304年 305年 306年 307年 308年 309年 310年代 310年 311年 312年 313年 314年 315年 316年 317年 318年 319年 320年代 320年 321年 322年 323年 324年 325年 326年 327年 328年 329年 330年代 330年 331年 332年 333年 334年 335年 336年 337年 338年 339年 340年代 340年 341年 342年 343年 344年 345年 346年 347年 348年 349年 350年代 350年 351年 352年 353年 354年 355年 356年 357年 358年 359年 360年代 360年 361年 362年 363年 364年 365年 366年 367年 368年 369年 370年代 370年 371年 372年 373年 374年 375年 376年 377年 378年 379年 380年代 380年 381年 382年 383年 384年 385年 386年 387年 388年 389年 390年代 390年 391年 392年 393年 394年 395年 396年 397年 398年 399年 400年代 400年
世紀千年紀
千年紀 世紀 紀元前 (BC) BC11千年紀以前 - BC10千年紀 - BC9千年紀 - BC8千年紀 - BC7千年紀 - BC6千年紀 - BC5千年紀 BC4千年紀 BC40世紀 BC39世紀 BC38世紀 BC37世紀 BC36世紀 BC35世紀 BC34世紀 BC33世紀 BC32世紀 BC31世紀 BC3千年紀 BC30世紀 BC29世紀 BC28世紀 BC27世紀 BC26世紀 BC25世紀 BC24世紀 BC23世紀 BC22世紀 BC21世紀 BC2千年紀 BC20世紀 BC19世紀 BC18世紀 BC17世紀 BC16世紀 BC15世紀 BC14世紀 BC13世紀 BC12世紀 BC11世紀 BC1千年紀 BC10世紀 BC9世紀 BC8世紀 BC7世紀 BC6世紀 BC5世紀 BC4世紀 BC3世紀 BC2世紀 BC1世紀 紀元 (AD) 1千年紀 1世紀 2世紀 3世紀 4世紀 5世紀 6世紀 7世紀 8世紀 9世紀 10世紀 2千年紀 11世紀 12世紀 13世紀 14世紀 15世紀 16世紀 17世紀 18世紀 19世紀 20世紀 3千年紀 21世紀 22世紀 23世紀 24世紀 25世紀 4千年紀以降
カテゴリ世紀 千年紀
典拠管理データベース: 国立図書館 ウィキデータを編集 フランス BnF data チェコ