駒下駄のからんころんと薄紅葉(あ) (original) (raw)

黒4ダム研修旅行2日目。

安曇野の水は冷たい。そして、きれい。そこに、ワサビ田が広がる。日除けの黒いシートで覆われた下にワサビが群生しており、その脇を清水が勢いよく流れている。自然そのものではなく、明らかに人の手によって栽培されているんだということがよく判る。伊豆のワサビ田も有名だが、ここは北アルプスの清水をうまく取り入れた大規模なワサビ田である。

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ワサビ田をあとにして、一行は手打ちそばを食おうと奈良井宿を目指す。ここは、中山道の古い宿場家並が濃く残っていて、今にも路地から丁髷のお侍さんが出てきそうな雰囲気がある。

瓦葺き屋根の家が一軒もない。コンビニも一軒もない。往来には車が一台もない。

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いまどき、昔ながらの家の作りを維持しなくてはいけないとはなんとも窮屈な話だ。車社会の中にあって、そこだけ時代に取り残されたという印象を強く持つ。私は手打ち田舎そばを食いたいのを我慢して某甘味処で五平餅を一串いただいた。喫煙者は、煙草を吸える場所を探すのに難儀していた。

【書】『おくのほそ道』56(仙台4)(No.1,913)

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「聖武皇帝の御時に当れり。むかしよりよみ置ける歌枕、おほく語伝ふといへども、山崩、川流て、道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、覉旅の労を忘れて、泪も落るばかり也。」(訳:奈良時代の聖武天皇の御代にあたる。ところで、昔から古歌に詠まれている歌枕の類は、今日までたくさん語り伝えられているが、それらの歌枕を現在訪ねてみると、歌枕だった山は崩れ、川は流れを変え、道は改まり、石は埋れて土中に隠れ、木は老い朽ちて若い木に生え変わっているので、時代が移り変わって、昔の歌枕の跡も確かでないものが大半なのだが、この壺碑だけは、まちがいない千年の昔の記念であって、これを見るといま、眼前に古人の心を確かめみる思いだ。まことに行脚のおかげであり、生き長らえた冥利であると、うれしくてたまらず、旅の疲れを忘れて、涙もあふれ落ちそうであった。)

【昭和の風景】津軽弁(No.613)

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絵手紙。「んだな へば そすがー。」

「そうですか それじゃ そうしましょうか。」の意。

【タイムラプス】令和6年9月29日(日)は、研修旅行2日目で安曇野のホテル滞在中のためタイムラプス撮影は中止。