案下の口留番所と松姫の石碑 - 人物事典 幕末維新 (original) (raw)


京都八王子市恩方の案下付近に「関場」と呼ばれる場所があります。
江戸時代に入り、関所(番所)が設置されました。

口留番所(くちどめばんしょ)と言うのは、正式な関所ではなく、各藩が自分の藩の境界や交通の要所などに設置した番所であったり、江戸幕府が設置した関所でも、裏街道に設置されたものなど、小規模なものを「口留番所」と言います。

この上恩方から西の和田峠(当日は案下峠)は、戦国時代後期になって小仏峠が使われるようになる前は、武蔵から甲斐へ抜ける主要街道でした。
江戸時代になると主に北関東から富士山への富士講で通行する人々が多かったようです。
また、上恩方から市道山を越えるルートも「市の道への山」と言う事で、かつては交易ルートです。

案下の関所跡の碑

このように交通の要所でもあったので、案下道(陣馬街道)にも口留番所が設けられたのですね。

村人36人が交代で勤務し、人の往来や物資の輸送を監視したようですが、明治2年に廃止されました。

案下の関所跡の碑と松姫の碑

上記写真の一番右が、武田信玄の娘・松姫の石碑です。

武田勝頼が自刃した際に、松姫らはこのルートで八王子の恩方に逃れたのです。

関場の口留番所跡(石碑)の場所は、下記の地図ポイント地点です。
駐車場はありませんので、ちょっと手前にある、夕やけ小やけの里の駐車場に止めて、徒歩3分といったところです。

武田信玄の娘・松姫に関してはこちら