書きたかったこと (original) (raw)

定時制高校を舞台にしたNHKの連続ドラマが好きだ。
毎週録画して見ている。

1年生の女子生徒役の俳優さん。
思いつめた表情が印象的。

多分、去年の大河ドラマに出ていた。
お市の方の侍女の役。
織田信長浅井長政に裏切られ、それを徳川家康に知らせるため、家康の陣まで山中を走って知らせに行く。
そして見事にその目的を果たすと、倒れて絶命してしまう。
まるで、古代ギリシャの「マラトンの戦い」のようなエピソード。

このドラマには、イッセー尾形も出演している。
このあいだ、ドラマの録画を見ながら。
「あーーっ。そうだったー。」
と、思わず声を出してしまった。

ブログに書きたかったことがあった。

イッセー尾形
俳優としての地位を確固たるものとして築いているが。
確か。
確か。記憶に間違いがなければ。
子供のころ、イッセー尾形を「お笑いスター誕生」で見た記憶がある。
漫談と一人芝居が混じったようなネタで。
独特だったけど。たまに出てくると、すごくうれしかった。
数年後、一人芝居で人気だと知り、「やっぱりね」と納得したのを覚えている。

お笑いスター誕生」だったかどうか、確信がないが。
確か。
確か。竹中直人も、「笑いながら怒る人」というネタで、お笑い番組で見た記憶がある。
中尾ミエだったと思うんだけれど。司会の女の人が涙を流しながら笑っていて。

ちょっと記憶があいまいです。
でも小学生には「笑いながら怒る人」の面白さがよく分からず。
ああ。これは大人の笑いなのかな。
なんてテレビの前で思ったのだけ、覚えている。

モロ師岡という俳優がいる。
たまにテレビで見かける。
大河ドラマにも出演していたと思う。
有名かどうかは分からないけれど。

モロ師岡が。
確か。
確か。「お笑いスター誕生」に出ていて。
好きだった記憶がある。
漫談と一人芝居で、イッセー尾形と同じような感じなんだけど。
モロ師岡の方が、オドオドしているというか。
自信なさげにしているというか。
面白くないですよね。みたいな感じでびくびく話している。
その感じがすごく面白くて、大好きだった。

だから。何年も後になって。
俳優としてテレビに出演しているのを見た時。
「ひえ~。あの、モロ師岡が。俳優になってる!」。
悲鳴を上げて、ひっくり返ってしまった。

確か。でんでんも。
お笑いスター誕生」で見た記憶がある。
ふてぶてしいような態度(キャラクター)で、漫談をしていた。
山田康雄が、「でんでんだ!」と紹介した声を覚えている。

俳優になる人はお笑いで練習するのかな?
なんて、思ったりもした。

そんな訳で。
小学生のころ、「お笑いスター誕生」が好きだった。
確か、土曜の昼にやっていた気がする。
学校から帰ってきて、見るのが楽しみだった。

いちばん好きだったのが、ミスター梅介。
この人は、斬新だった。
六法全書を片手に登場して、法律漫談というのを繰り広げる。
「これを業界用語でナンパという」。
というオチを何度か聞いた。
他にどんなネタがあったか、よく覚えていない。
ただもう。「法律漫談」という、その設定が。大好きだった。
応援していた。

他にも好きなお笑い芸人がいた。
キーボード漫談の牧田博。そうそう。「突然ではございますが」とか言って漫談を始める。
洗練されていた。

コンビでは、象さんのポットが好きだった。
不思議な、独特の間があった。
キリングセンスは、ちょっと子供にはきわどいネタがあった。

そんな個性豊かなお笑い芸人たちを、すべてなぎ倒していったのが、コント・山口君と竹田君。
竹田君が、舞台の右から左まで汗だくになって走り回って。
何かしゃべろうとしても「あわあわ」してしゃべれなくて。
それで客席は大爆笑だった。

大好きだったお笑い芸人たちが、突然、すい星のごとくあらわれた山口君と竹田君に、毎週敗退していった。
あまりよく覚えていないのだけれど。
90点出ればかなり高得点、という中で、山口君と竹田君は100点を連発していた記憶がある。
汗だくになって走り回って、息が切れて話が出来ない。
ひたすら、パワーとエネルギー。
孤高の「法律漫談」も、しゃれた「キーボード漫談」も、無残に蹴散らされていった。
毎週悔しかった。そんな記憶がある。

ほかに好きだったのが、日曜日の昼間。
ザ・テレビ演芸」という番組があって。
審査員じゃないんだけど、評論家みたいな人が、客席から若い芸人に何かありがたい話をしていた。
高信太郎
この人たちの職業はいったい何なんだろう?
と、いつも思っていた。

日曜の夜の、「花王名人劇場」が好きだった。
でも夜9時からだった(と思う)ので、あまり見られなかった。

コント・レオナルド星セント・ルイス
たまに出てくる、早野凡平も好きだった。
黒いタオルみたいな布を頭にのせて、「ナポレオン」なんて言いながら、次々と形態模写をしていた。

石倉三郎も、すっかり俳優さんだ。

俺が夕焼けたっだころ―。
母さんはしもやけで、父さんは胸やけだった。
姉さんは朝帰りで、父さんは里帰り。
松鶴家千とせには、頭を殴られたような衝撃を受けた。

小学校の高学年のとき。
学校で、竹村健一のマネをした。
パイプをもって。口をゆがめて。
「だいたいやね。いーまーのーにっぽんの、じょうせいは、やね」

クラス中が「ぽかん」とする中、ひとりだけ、大笑いしてくれた。
「もう一回!もう一回やって!」とせがまれて。
「だいたいやね。いーまーのーにっぽんの、じょうせいは、やね」
と繰り返した。
同じ子が再度、爆笑してくれた以外、全員が「ぽかん」としていた。
その状況が、とても快感だった。

そんな小学生だった。

中学生のときだったか。
週末の深夜。眠る直前に、NHKのラジオで寄席の番組をやっていた。
ラジオだから、舞台を駆けずり回っても分からない。
客席の笑い声だけで、ああ、いま変な顔をして笑わせているんだな、と想像したりした。

好きだったのは、夢路いとし・喜味こいし
この2人の掛け合いは、よかった。
聞いていて、本当に心地よかった。

暗いベッドの中でラジオを聞いて。
番組が終わると、ラジオを消して寝た。

そんな中学生だった。