ことりの啓示 (original) (raw)
2014年7月26日 もなみは自宅のマンションに友達を呼び寄せ、後頭部をハンマーで何度も殴りつけ、首をタオルでしめて殺害。同級生の財布から金を盗み、遺体の一部を切り刻んだ
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f44c978959725734dc1c6b18b2e07f7f2ba08d6
父親は早稲田大学卒業した地元では高名な弁護士
母親は東大卒の才媛
絵画教室に通うが、教室ではもなみを嫌がる親子が複数いた
小学5年生の時に猫の死体をみつけて以来、死に興味を持ち、猫を殺しはじめた
給食に異物を混入
13年10月 母親に膵臓癌で死去
何が善で、何が悪なのかは自分で決める
父親はすぐに再婚して若い妻を娶る
14年3月 父親を金属バットで殴打して殺害しようとしたが、父親は頭蓋骨陥没の全治二週間の怪我を負わせただけで失敗
16歳を超えた殺人事件は刑事罰を受けるから16歳直前に同級生を殺害
中学生の頃から人を殺してみたかった
10月5日 父親自殺
自閉症スペクトラム障害で、他者との共感性が欠如した
環境的要因
他者に攻撃的な傾向がある素行障害
2024年に出所予定
もなみはあなたのとなりにいるかも知れません
酒鬼薔薇聖斗 14歳で二人の児童を殺害。1人重傷を負わせた凶悪少年犯罪者。彼の狂気は祖母の死からはじまる
祖母の死
小学4の時、同居していた祖母が体調不良を催し亡くなる。酒鬼薔薇にとってはそれがトリガーとなった。酒鬼薔薇は祖母を「碇」に喩えた。碇を失った酒鬼薔薇は狂気の海を漂う
罪悪とはマトリョーシカ人形のようなもの、どんな大きな罪も、その下にはひとまわり小さな罪が隠され、その下にはもうひとまわり小さな罪が隠され、それが幾重にも重なった「入れ子構造」になっている
祖母がなくなると酒鬼薔薇は祖母の部屋に行き、祖母の愛用した電気按摩で自慰行為に耽って射精した。それが背徳であると理解しながらも気持ちがよく度々祖母の部屋に行き祖母の遺影に線香をあげて祖母愛用電気按摩で自慰行為を行なった。「生」と「性」と「死」と「精子」の狂気
…その快楽のドラッグはあまりにも中毒性が強く、もうそれなしでは生きていけなくなるほど僕の心と身体を蝕んだ
酒鬼薔薇はナメクジを解体しはじめる
僕はその、えもいわれね“実体験”に身震いした…命に触れる喜びを感じた。殺したかったのではない。自分を引きつけてやまない「命」に、ただ触れてみたかった
その後ペットの犬「サスケ」がなくなる
「眠っているように穏やかできれいな死に顔」というものを、僕は認めることができない。僕は誰より間近で死の匂いを嗅いできた。死の舌触りを知っている。“死”が「穏やか」で「きれい」なはずない。だからこそ死は愛おしい
酒鬼薔薇の母親はサスケが死んだ後「もったいない」という理由で近所の野良猫にサスケの餌を与えていた。酒鬼薔薇は「サスケの餌はサスケのものだ」と不満を感じた
ある日酒鬼薔薇はサスケの皿でサスケの餌を貪っている野良猫をみて「殺そう」と思いコンクリートブロックで背後から忍び寄り猫に投げつけ瀕死の猫を自室からカッターを取り出して切りつけた
美しい猫が、自分の手で醜く破壊されていく
酒鬼薔薇は勃起していた
猫はそのまま放置しても間違いなく死んだだろう。だがそれは許されない。自分で傷つけた命は、自分が最後まで責任をもって破壊しなくてはならない(グロすぎて省略)
とどめをさした酒鬼薔薇は射精した
祖母やサスケ、愛する者たちを次々に奪っていった死。自分には手も足も出せない領域にあった死を、自分の力でこちら側に引き寄せた。死をこの手で作り出せた…自分を振りまわし、弄んだ死を完璧にコントロールした。この潰れた猫の顔は、死に対する自分の“勝利”だった
生きているということは、痛みを感じること
痛みを感じるということは、命に触れるということ
命に触れること
死を手懐け褸こと
酒鬼薔薇にとっては猫殺しは命のコントロールである。酒鬼薔薇は命のコントロールに性的欲情を感じ射精した。この時酒鬼薔薇脳内では麻薬のようにドーパミンが大量放出された。彼は猫殺しが「中毒」になった。酒鬼薔薇は次々に野良猫を殺し始めた。殺し方はエスカレートし頻度のピッチの上がる
自分と同じ“人間”を壊してみたい
酒鬼薔薇は次第に「人間の命をコントロール(支配)したい」と寝ても覚めても考え続けた
僕は野球選手の名前も、テレビタレントの名前もほとんど知らなかった。当時の僕にとってのスターは、ジェフリー・ダーマー、テッド・バンディ、アンドレイ・チカチーロ、エドモンド・エミル・ケンパー、ジョン・ウェイン・ゲイシー…世界にその名を轟かせる連続殺人犯たちだった…
90年代「羊たちの沈黙」が大ヒットし連続殺人鬼ブームが起きた。Aは友達の家に揃っていた。「週刊マダーケースブック」や、本屋にずらりと並んだロバート・K・レスラー、コリン・ウィルソンの異常犯罪心理関係の本を読み耽った
クラスの男子が好きなアイドルのプロフィールを覚えるように、僕はキャラの立った殺人鬼一人の一人の少年期のトラウマ、犯行の手口、死体の処理方法、逮捕されたきっかけ、裁判の経過などを片っ端から頭に詰め込んだ。クラスの女子たちがジャニーズとのデートコースを何パターンも考えている間、僕は人を殺す方法を何パターンも考えた。同級生たちが芸能人やスポーツ選手になるのを夢見るように、僕は“殺人鬼のトリックスター”になることを夢見た。僕も彼らのように人々から恐れられたかった。怪物と呼ばれたかった。「怪物」と呼ばれ、一人でも多くの人に憎まれ、否定され、拒絶されることだけが、僕の望みであり、生きるよすがだ
酒鬼薔薇は通りすがりの小学女子を包丁で刺し、立て続けに別の女子を頭をハンマーで砕き殺害した
酒鬼薔薇は「カメを見に行こう」と長谷淳くんを呼び出し絞殺した。淳の首を締め上げ射精した
首を切り落とし自宅に持って帰り綺麗に洗い自分の通う中学校の校門に飾ることにした
月桂樹の葉の中に「中」の文字のあしらわれた校章が取り付けられている。僕はその紋章はルドンの描く、あの一つ目巨人の目玉のように映った。校章から視線を下へ這わせると、正面玄関のガラス扉が見えた。そう、この巨大な一つ目の化け物の口は、幾度となく僕を弄ぶように飲み込んでは吐き出し、呑み込んではまた吐き出したのだ。この建物は、僕の憎悪の結晶であり、自分を排除し続けた世界の象徴だったのだ
だがそういった激しい怒りや憎しみは、今や僕の支配するこの夜の闇に融け出し、きれいに消化された。今僕を包むこの夜の闇は、思いどうりに世界を描くことのできる僕だけの真っ黒いキャンパスだった
淳くんの首を校門に飾ると酒鬼薔薇は達成感に満ち溢れた
呪詛と祝福は一つに溶け合い、僕の足元の、僕が愛してやまない淳君のその頭部に集約された。自分がもっとも憎んだものと、自分が最も愛したものが、一つになった。僕の設えた舞台の上で、はちきれんばかりに膨れ上がったこの世界への僕の憎悪と愛情が、今まさに交尾したのだ
告白しよう。僕はこの光景を「美しい」と思った…
もういつ死んでもいい。そう思えた。自分はこの映像を作るために、この映像を視るために生まれてきたのだ。すべてが報われた気がした
酒鬼薔薇は逮捕された。酒鬼薔薇は死刑を望んだが未成年であるために矯正施設に送られた
2005年 保護観察処分を終了して酒鬼薔薇は少年院を退院した。里親と生活をして、しばらくすると里親の近くに住み溶接工の仕事をはじめた。保護観察終了後も弁護士たちなどのサポートチーム支援を受ける
ブレス工を辞めカプセルホテル、ネットカフェ、健康ランドなどを泊まり歩いた末寮付きの建築会社で働きはじめた
2008年 リーマンショック後解雇され日雇いなど職を転々とする
2009年 再び溶接工の仕事をはじめる
溶接工の仕事も順調にこなしカタコト日本語の中国人の後輩もでき酒鬼薔薇は慕われた。ある日中国人後輩が「Aさん。Aさん私と一緒に写真を撮りましう」と声をかけた。中国の家族に仲良しの先輩と一緒に映っている写真を送るためだという。酒鬼薔薇は全身がこばわり「写真が苦手だから」と断ったが、後輩は聞こえなかったのか勝手にシャッターを押してしまう。酒鬼薔薇はそのカメラを取り上げて壊してしまう。怯た後輩に対し酒鬼薔薇は財布から千円を取り出し渡した
🥵足りねーよ!
2012年 酒鬼薔薇は会社を退職した。退職後はアルバイトを掛け持ちしながら、ほとんど誰とも会話をせずに他人を関わることを避けて過ごした
酒鬼薔薇は彩花さんと淳くんの命日に遺族に謝罪の手紙を送っていた。贖罪の手紙を書くのに事件について3ヶ月は考えるという
年を追うごとに、手紙を出すことへの重圧が増した。命日が近づくたび、今年まちゃんとした手紙が書けるだろうかと、不安や恐怖に襲われ、限界を感じ、何も手につかなくなり、プレッシャーに押しつぶされそうになる
落ち込むことは他にもある。自分と同年代の者や動機不可解な犯罪を起こすと、専門家が僕の事件を取り上げて、さも僕が悪の種をばら撒いたようなニュアンスの物言いをする。言われても仕方ないことだと思う。僕に反論する資格はない
居場所
居場所を求めて彷徨い続けた…長い彷徨の果てに僕が最期にたどり着いた居場所、自分が自分でいられる安息の地は、自分の中にしかなかった。自分をかっさばき、自分の内側に、自分の居場所を、自分の居場所を、自分の言葉で築きあげるい以外に、もう僕は生きる術がなかった
2015年 遺族に断りもなく自分の半生を書いた「絶歌」を出版
週刊文春の突撃取材に対し「殺される覚悟で来ているんだろうな」と凄み、ポケットに手を突っ込むボーズで追いかけ回す。背は160センチ程ボロいアパート、ボロボロの自転車に乗って質素な生活をしていたそうだ
公式SNSでは筋肉隆々の自分の裸とサソリとかナメクジなど合成した写真をいくつも掲載した
いいえ わ た し はサソリ座の男
僕はカタツムリになり損ねた。自分を守る殻を持たないナメクジだった。だから自分を守る殻を、自分の中に作るしかなかった。危険を察知すると、自分の内側に作り上げた分厚い殻の中に逃げ込むのだ
どんなに遠回りしても、どんなに歪で曲がりくねっても、いつかこの生命を終える日に後ろを振り返った時、自分の遺した足跡が、一本の道になるように
😵💫ほんとに反省してる?
なぜ人を殺してはいけないのか?
どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください、もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身がくるしむことになるから
未成年殺人者の贖罪の難しさ
法治国家では未成年に刑罰はない。どんなに残酷に人を殺しても彼らは政府が自治体が税金を使い専門家チームがつくられ手厚い更生を施される。養子縁組をされ、新しい人生をおくる。彼らには人権があり、だから彼らは幸せに生きる権利がある
生涯をかけ遺族に対して贖罪をするようにと言われても贖罪に仕方に正解はない
遺族との約束、毎年命日に遺族に謝罪の手紙を送ることをを破棄して絶歌の出版を反対してもなお強行するならば、遺族を深く傷つけることになるので、それは贖罪にはならない
「絶歌」は贖罪ではなく自己陶酔で自分だけの救済である
どんな理由であろうと、ひとたび他人の生命を奪えば、その記憶は自分の心と身体の一番奥深くに烙印のように刻み込まれ、決して消えることのない。表面的にいくら普通の生活を送っていても、一生ひきづり続ける。何よりも辛いのは、他人の優しさ、温かさに触れても、それを他の人たちと同じように、あるがままに「喜び」や「幸せ」として感受できないことだ。他人の真心が、時にするどい刃となって全身を切り苛む。そうなって初めて気がつく。自分がかつて己の存在を賭して唾棄したこの世界は、残酷なくらいに美しかったのだと。一度捨て去った「人間の心」を再び取り戻すことが、これほど長く苦しいとは思わなかった。まっとうに生きようとすればするほど、人間らしくあろうと努力するほど、計り知れない激痛を伴う。かといって、そういったことを何も感じず、人間であることをきれいさっぱり放棄することには、この世界は余りにも優しく、温かく、美しいものであふれている
これにより酒鬼薔薇は印税生活をおくる余生を過ごす。もう自分が酒鬼薔薇とバレないように怯ながら職を転々としながら暮らす必要がないのだ
何度願ったかわからない。時間を巻き戻せたらと、まだ罪を犯す前の子供の記憶が、たまらなく愛おしい。あの頃に戻ってもう一度やり直したい。今度こそまともな人生を歩みたい。でもどんなに願っても、もう遅い。二度とそこへ戻ることはできない。だからせめて、もう二度人を傷つけたりせず、人の痛みをまっすぐ受け止め、被害者や、これまでに傷つけた人の分まで、今日自分の目の周囲にいる人を大事にしながら、自分のしたことに死ぬまで目一杯、がらむしゃに「苦悩」し、それを自分の言葉で伝えることで、「なぜ人を殺してはいけないのですか」というその問いに、僕は一生答え続けていこうと思う
一部の人間にとって彼は「殺人鬼のトリックスター」である。酒鬼薔薇は自分のなりたいものになれたのである
絶歌は絶望の歌
彼なりの贖罪らしいのだが、悔恨風手記を書くことにより酒鬼薔薇は再犯しないように自分に洗脳をかけているのだろう。こうでもしなければ自分の中のモンスターを制御できないのだろう。初めて猫を殺した描写、淳くんの首を芸術品のように学校の校門に置いた自己陶酔的村上春樹風表現みてると「こいつ反省してねーな」と思うほど不気味である
遺族は絶句
「絶歌」は図書館で借りました。新刊でもないのに予約してから4ヶ月以上かかりました。やはり皆「絶歌」を購入することで酒鬼薔薇に印税を払いたくないようです
酒鬼薔薇はまた本を出版するだろう。日本の法律おかしすぎ、殺人犯が殺人で印税生活なんてあってはならない。殺人犯の出版を法的に禁じるか もしくは出版した印税を強制的に取り上げ遺族にわたすべきである。印税が入らないならやらないだろう
胸糞悪い本です。普通の人はトラウマになる内容。殺人を犯した少年がどうなるのか、またはシリアルキラーの心理を理解したい人にはおすすめです
キリスト教
異端審問、魔女がり、戦争、布教を理由に植民地を増やした
キリスト教はなぜ悪いことをするのか
旧約聖書の神は、おそらく間違いなく、あらゆるフィクションの中で最も不愉快な登場人物である
嫉妬深くて、そのことを自慢している。けち臭く、不当で、容赦のない支配魔
執念深く、血に飢え、民族浄化を行い、
女嫌い、同姓愛者嫌い、人種差別主義者、幼児殺し、大虐殺者、実子殺し、悪疫をひきおこし、誇大妄想で、サドマゾ趣味で気まぐれに悪さをするいじめっ子だ
私たちのうちで、子供の時から彼のやり口を教え込まれた者は、その恐ろしさに鈍感になって、その恐ろしさに鈍感になってしまうことがある
サイコパスを人格神としてみなし、崇拝して追随するなら その追随者もサイコパス化します
これを「洗脳」といいます
そのため信者は原理主義に近ければ近しいほど、カルト化し過激化するのです
https://www.asahi.com/sp/articles/ASS960GP6S96UHBI00KM.html
カルト信者がみな人間性に問題ある人だけしかいないのはサイコパスもしくは悪性ナルシストを崇拝しているからです
統合失調症遺伝率 82%
双極性障害遺伝率 80%
遺伝率80%というのは8割の子供が精神病にかかるわけではないが
身長の遺伝率66%
体重の遺伝率74%であることを考えればかなり高い確率です
反社会性パーソナリティ障害は遺伝するのか?
イギリス
イギリスで1994年から3年間に生まれた5000組の双子の子供たちを対象に反社会的な傾向の遺伝率調査が行われた。
それによると「冷淡で無感情」といった性格を持つ子供の遺伝率は30%で、残りの70%は環境の影響だとされた
次いで研究者は、教師などから「矯正不可能」と評された、極めて高い反社会性を持つ子供だけを抽出してみた
その結果は、衝撃的なものだった
犯罪心理学でサイコパスに分類されるような子供の場合、その遺伝率は81%で、環境の影響は2割弱しかなかった。しかもその環境は、子育てではなく友だち関係のような「非共有環境」の影響とされた
アメリカ
米国の神経犯罪者エイドリアン・レインがカリフォルニアの小学校に通う9歳の双子605組を調査したところ、教師が問題ありと評価した場合の遺伝率は40%、親による評価では47%、本人の評価では50%で大きな違いがなかった。これは「子供の問題行動の半分は遺伝、半分は環境の影響」
次にレインは、背中でもとりわけ顕著に「反社会的」とみなされた子供だけを抽出してみた。顕著に「反社会的」な子供の反社会的行動は、遺伝率96%であった
デンマークでは養子に出された双子(男の子)で追跡調査したところ
実の親、養親にも犯罪歴がない場合、有罪判決を受けた息子の割合は13.5%
養親に犯罪歴、実の親に犯罪歴のない場合。息子が犯罪を犯す確率14.7%
養親に犯罪歴がなく、実親に犯罪歴がある場合 息子が犯罪を犯す確率20%
しかも息子世代が犯罪件は親世代の犯罪件数と比べて高くなっている
反社会的遺伝は世界恐慌から現代まで様々な国で調査されたが、双子、兄弟姉妹、養子いずれも犯罪、暴力に対して遺伝的影響は顕著だった
環境より遺伝のほうが影響があるのだ
この結果が正しいとすれば、子供の極端な異常行動に対して親ができることはほとんどない。親の責任とはその遺伝子を持っており、それを子供に伝えたということだ
https://www.sankei.com/article/20240614-4BN6UT6ARBAVDFZWIBLT2ANR7Q/
皮膚コンダクタンス反応
モーリシャスの大規模実験では、3歳児が不快な刺激にどのように反応するか皮膚コンダクタンス(微弱な電流を流した時の発汗量)を計測した
ヘッドホンを通してまず低音が与えられてから10秒後に不快な騒音が流される。これを数回繰り返しただけで、パブロフの犬同様、3歳児は低音が流されると発汗するようになる
20年後、被験者たちが23歳になった時、研究者たちは島内の全ての裁判記録から、どの子供が成人後に犯罪者になったかを調査した。1795人の被験者のうち137人が有罪判決を受けていた
不愉快な低音を聞いても発汗せず無反応な子供たちが犯罪者になった
自律神経の恐怖条件づけの機能の障害が犯罪行動を引き起こす要因となっている
サイコパスは必ずしも犯罪者になるわけではない。むしろ犯罪を犯さずに「普通」に生活している
犯罪者になるサイコパスと
犯罪者にならないサイコパスの違い
神経犯罪者のレインは、刑務所に収監されていない「賢いサイコパス」の心拍数と皮膚コンダクタンス反応を測ろうとした。問題が生じる。「愚かなサイコパス」は刑務所にいけば沢山いるが「賢いサイコパス」は刑務所にはいないのだ。「賢いサイコパス」のサンプルを得なくてはならない
レインは「賢いサイコパス」が集まっている場所を考えた
賢いサイコパスが集まる場所とは?
臨時職業紹介所
サイコパスは刺激を求めたり、飽きっぽく、トラブルをおこしがちなので転職を繰り返すことになり、その間、職業紹介所に一時的に滞留するのだ
レインは、職業紹介所で心理学実験の協力を募り、集まった被験者に「どんな罪を犯したのか?」と質問してみた。彼らが賢いサイコパスなら「自分の犯罪歴」を正直に話さないだろう。だが多くの被験者たちは喜々として自分の犯罪体験を話しだしたのだ
レインたちの研究はアメリカ厚生省長官から機密保持の認証を受けていたため、被験者たちは、どんな秘密を打ち明けていても不利益にならないと説明されていた。だがそれ以上に決定的なのは、彼らが自分の「体験」を誰かに話したがっていたことだ。「賢いサイコパス」たちはレイブや不正、殺人を含め、自分の犯した悪事について生まれてはじめて思う存分に語る機会を得た
一般男性のサイコパス率は3%だが、職業紹介所で募集した被験者ではサイコパス率24.1%という驚異的な数字が得られた
彼らのうち43%はレイプ、53%は障害の経験があり、29%は武装強盗、38%は他人への発砲、そして29%は殺人未遂、殺人を冒していた。それなのに彼らは警察のお世話になったことがないという
皮膚コンダクタンス反応
「愚かなサイコパス」では発汗のない低い数値がでたが「賢いサイコパス」では定期型人と同じように、ストレスによって発汗率が上昇した
実行機能
レインは企業経営者として成功するための能力、計画、注意、認知の柔軟性など実行機能を測定した
愚かなサイコパスは平均値より、著しく低い数値をだした
賢いサイコパス群は、平均値を上回る企業経営者クラスの実行能力を持っていた
違い
環境
賢いサイコパスは、養子にだされたり、施設育ちが多く、実の両親との結びつきが弱かった
心拍数
賢いサイコパスは普段、心拍数が低いがストレスを与えられると平均的な人並みに心拍数が上昇する
「賢いサイコパス」は捕まりそうになるのでは?と思うと心拍数が上昇するため、逮捕されるのを回避するから捕まりにくいとのことだ
あくまでも仮説の領域である
刑事事件を犯さないからといって彼らが「安全」なわけではない。バレないように凶悪犯罪をおかしているのもいるし
カスタマーハラスメント。パワーハラスメントなどハラスメントをする人間はサイコパス傾向が強い
神経学者エイドリアン・レインはイギリスの大学で研究した時、反社会的な学生の安静時心拍数が低いことに興味を抱いた
エイドリアンはこれが本当かどうか知るために(被験者の子供5868人)を調べた
心拍数の性差
男子の心拍数は女子より一分間に6.1回少ない
犯罪者は女性よりも男性のほうが多いことは心拍数の遅さと関連があるということだ
しかし、心拍数の遅い子供の全てが犯罪者になるわけではない
そこでレインは
15歳の時に反社会的で29歳までに犯罪者になったグループと
15歳で反社会的だったが大人になったら反社会的でもなく犯罪も犯さなかったグループを比較した
その結果、犯罪者にならなかったグループは、犯罪者になったグループと比べて安静時心拍数がかなり高いことが判明した
安静時に心拍数の高い不良少年は大人になれば更正するのだ
ウサギでも心拍数の低い個体は、攻撃的である。力関係の序列が上がるにつれ心拍数が少ない。同じことはボノボ、マカク(チンパンジー属)ツバイ(リス科)マウスなどでも心拍数の早い個体は大人しく従順で心拍数の遅い個体ほど攻撃的で支配的で序列が上がるほど心拍数はおそくなる
心拍数と反社会性
不安を感じやすい人間は緊張しやすく心拍数が速くなる
心拍数の低い人は心拍数の高い人より共感力が低い
共感力を欠けた人は他人の気持ち、立場、感情に身を置くことができず、いじめたり殴られたりすると相手がどんな気持ちになるか想像できません
心拍数のはやさは反社会性と相関するのだ
心拍数が遅いからといって犯罪者になるわけではありません
心拍数の遅い人間は常に自信に満ち溢れ堂々としている。ビジネスを立ち上げたり、警察官とか消防隊、自衛隊みたいな危険と隣り合わせの仕事につくなら自分の祭のを開花させるだろう
銃弾で耳を撃たれても力強く拳を挙げるこの人も心拍数ゆっくりなんだろうな
画像 毎日新聞
頭の良さは何で決まるのか?
数学は87%、IQは66%、収入は59%が遺伝の影響! 驚きの最新研究結果とは | AERA dot. (アエラドット)
知能指数とは何か
遺伝なのか環境なのか
https://nazology.net/archives/156902
1964年アメリカ。黒人差別を禁じた公民権運動が成立すると、ジョンソン大統領の民主党政権は「偉大なる社会」を揚げて貧困との戦いに乗り出した
ヘッドスタートプログラム
その中心として据えられたのが「ヘッドスタート」と呼ばれる貧困家庭の子供の教育支援プログラムだ。経済的事情で幼児教育を受けられない3.4歳児に様々な就学支援をするもので、連邦予算としては宇宙計画に次ぐ巨費が投じられた
「全ての子供が親の所得にかかわらず、平等に人生のスタートをきるべきだ」この理念に異議を唱えるものはいない
しかし、幼児教育は、子供の学力を上昇させるが、その効果は1年で消失してしまうのだ
また中学受験で勝ち抜いた子供がその後伸び悩み
対して小中学校に普通くらいの子供が中学後半から成績が躍進して、中学受験の一部ののびなやんだ子たちよりも名門大学に合格してしまうというという現象
お受験とは親が作り出す環境の影響が大きい。年齢が上がるにつれ環境より「遺伝」のほうが強くなるのだ
人種、国で知能指数は異なる
白人の知能が100
黒人は知能指数 75
ただし知能が全てを決めるわけではないし、必ずしも親に100%似るわけでもない。そもそも世界一知能の高い日本はデフレ、円安であり、GDPはこれからも下がり続け経済では先進国一人負け状態である
自己肯定感
社会を生き抜くには自己肯定感が必用です。自己肯定感があることにより人間は自分が何者かを知り、自分がどう生きるから、他者との関係、適切な距離を調整できます。自己肯定感とは「生きる力」であり困難を乗り越える力です
自己肯定感は自動的に生まれるものではありません
自己肯定感育成に失敗することは珍しくありません
次女に「機械体操やりたかった」と怨みがましく言われました
私「体操したじゃない」
次女「違う!もっと早くからしたかった。全国大会とか出たかった」
私「ピアノや書道で入賞たくさんしたじゃない」
長女「そうじゃないよ。自分が一番になれるところがいいんだよ」
長女にとってはピアノ教室で「1番手」であったことで自己肯定感が育ちましたが、次女には「1番手」がありません。「これだけは誰にも負けない」というものがなければ自己肯定感は生まれません
次女については、次女はじめてのピアノ発表会の時
娘たちのピアノ教室の発表会では「全員暗譜」です。次女は曲のフレーズが変わるとどこを弾いたらわからなくなる人で最後の最後まで暗譜ができず、結局次女一人だけ譜面を見ながら演奏しました
つまり次女はピアノ教室でピアノが一番弾けない子だったのです
全員が暗譜して演奏している中、自分だけできない
これは小学1年生の子供の自尊心を深く傷つけたでしょう
長女がピアノを弾き続けたのは教室でぶっちぎりの「一番手」だったからであり
次女にとってはピアノは「屈辱」だったのです
その後は粘り強く地道に練習を重ねコンクール組に入り、全国大会に出場できるまでになったのですが、一番手にはなれません
「自分はこれだけは負けない」と思える特性があること それが自己肯定感の萌芽です
次女には体操の才能があリました
体操の才能とは
身体が柔らかいこと
次女 二歳の時、身体をおしたらこんにゃくのように柔らかいので体操の才能があるとは思った。家から自転車で五分くらいの近場に毎年全国大会に出場している体操クラブもあった
次女を体操クラブに入れたのは小学3年の時、確かに次女を4歳から体操クラブに入れれば全国大会に出れたと思います
次女は体操クラブに入った時、身体が柔らかいことと進歩が早くコーチから褒められたことで自分が体操の才能ありと思ったのだ
「もっと小さい時から体操をしたかった」ということです。4歳から体操クラブに通えば体操クラブで同い年で一番になった可能性があります
私「体操全国大会の子たち背が低いよね。体操を本格的にすると身体に筋肉がついて背が伸びないの。全国大会出場まで体操したら今より背が低くなっちゃうよ」
次女「それでいいの!」
親は常に正しいことはできません
次女に良かれと思ってピアノを習わせましたが子供には親の押しつけにしか感じません
機械体操とピアノは「技術」ですから遅くても4歳くらいから始めなければ「全国大会」は難しい
人間にはそれぞれ「特性」があり得手不得手があります
親は子供を観察して本人の適正を見極めなければなりません
佐藤亮子ママは「子供を観察」したといいます。子供にとって何が適正かを「観察」して子供一人一人に対して別々のプログラムをつくるわけです
辻井伸之母は全盲の息子を観察し続けました。伸之ベイビーが音に反応することに気づいた母は 2歳の息子をピアノ教室にいれさせました
押し付けるのではなく観察して子供の好きを見極める子供の好きを成長させる環境を整えること それが「正しい自己肯定感」を成長させることなのです
私のした事は「押しつけ」でした。これでは子供を宗教の勧誘活動に振り回し子供の人生を台無しにする親とさして変わりません
私の場合は母親が「選民思想」宗教エホバの証人であり、子供である私をエホバの証人にすることで自己肯定感を与えようとしたのですが インチキ宗教でありペテンでした。選民思想宗教信者は偽りの自己肯定感です。「私よりマシじゃん!」という言い訳は通じません
自己肯定感育成に失敗すると生涯に渡り恨まれるのです
毒親は子供の批判をそらしますが子供は恨みがなくなるわけではありません。批判をそらせばそらすほど子供の恨みは増幅します
なんか増えてきた…
学校の授業で、誰も答えられない問題を手を挙げてこたえてしまうとか、体育の授業で誰もできないバク転してしまうとか、運動会のリレーでごぼう抜きするとか。クラスで皆ができないことをやってのけ「すげえ」と驚かれリスペクトされること
アイデンティティや自己肯定感というのは最初、クラスメートたちの賞賛による「気持ち良さ」によって芽生えます
子供の頃というのは、他の多くの人に先だって練習することで、比較的容易く「すげえ」という言われるスキルやちしきを身につけることができます
カルト宗教のように 虎の威を借るようような生き方は「依存」であり「偽りの自己肯定感」である。カルトの自己肯定感は虚構である。客観的にみれば「愚か」にしかみえない
人生において誰を目指すかにおいてロールモデルが必要です。私は小中学校でクラスに必ずいる。毎年学級委員を務め、生徒会役員を務める「優等生」たちをロールモデルに定めました。「優等生」たちは全教科まんべんなくできていて更には精神的成熟の早い人格者であります
私は勉学を積めば「優等生」たちに近づけると考え
全教科できる「優等生」を目指しました。長女が生まれた時に都が都立高校の一部を「特別進学校」として塾なしでも名門大学に進学ができる。都立進学指定高校制度を導入しました。塾に行かずに名門大学に進学できるということです
私は「全ての都立に入学」できる子、さらに国立大学を目指し 退院後、絵本を時間の許す限り読み聞かせをしました
絵本読み聞かせにより早く言葉や文字を習得するためです。早く言葉、文字を理解できれば、1日でも早く勉強ができアドバンテージがつきます
長女は生後半年で単語を話し、七ヶ月で動物を指差しで識別、一歳になったばかりで主語、述語で話し、一歳半で引き算ができ、二歳で平仮名、カタカナを書けるようになったので二歳から「くもんドリル」「七田ドリル」を始めました。4歳の時には四則計算、小数点、分数の計算もできた。小ニ程度の学力を有した。四歳でピアノを始めた
最初にテキストを三冊頂いたのですが長女は、次のレッスンで「みんな弾けるの」と豪語し弾きはじめたため先生は驚いたそうです
一ヶ月で譜読み完了した時、先生から「御宅のお子さんは天才です」と絶賛されました
ピアノ教室で四歳で最年少の長女はピアノ教室の「一番手」になりました
三ヶ月で初見演奏ができ、五歳で10声の和音を識別。六歳になる頃には一度聴いた曲は何でも弾けるようになりました
ピアノ講師たち、ピアノ審査員たちの「賞賛」。ピアノ教室の生徒さんとママたちの「凄い!」「〇〇ちゃんを目指してます」という みんなの憧れ
小学校に入学すると、一歳半から引き算をしていただけあり計算は学年で一番早くできまし「すげえ!はえー」とクラスメートたちからの賞賛により自己肯定感を確立することができました
勉強ができることは頭の良さとは関係ありませんが「学校」という世界では「学校の成績」こそが「最強のカード」になります。計算が学年で一番早くできるだけで認められるならば、こんなに低コスパで容易いものは在りません
一度皆から「すげえ」と言われると、放っておいても自分で勝手にどんどん練習するようになり、更にスキルアップを図るという好循環を生み出します
長女はトロフィーキッズであり、ピアノ、そろばん、書道でトロフィーをたくさんもらうかたわら、学年トップを取り続け当初の目標どおり塾無しで都立特別進学高校に入学し、計画どうり国立理系に進学しました
ピアノコンクールには多くの時間を取られ苦戦しました。コンクールで入賞するためには、全ての音符の打鍵の腕のおとし方、離し方、指の力加減全てが違います。入賞するためには相当な時間を費やさなければなりません。スケジュールは分刻み状態でした。5歳から18歳までコンクール漬けになるとは思わず、コンクール併用しながらの国立大学受験はハードなスケジュールでした
今、ストリートピアノがいたるところにあるのでよく弾かせます。大勢に演奏を聴いて頂くのが上達への近道です
長女がピアノを弾くと人々は足を止め、演奏を聴いてくれます。スマホで撮影される方もいらっしゃり 長女は演奏を終えると拍手が湧き起こり
必ず誰かが近づいて「音大生ですか?」と質問され「違います。普通の大学生です」と答えます。すると意外という感じの反応がきます。これは4歳から地道に積み重ねた成果です
最年少四歳の一番手は、20年間にわたりピアノ教室一番手であり、一番弟子であり、今は最年長の「長老」です
次女ちゃんは優秀賞
ピアノ教室の生徒さんたちは皆「お姉さんみたいに上手になりたい」とみんなのロールモデルになっています
ピアノ発表会には、初代コンクールメンバーが三人、受付と司会で参加してくれて久しぶりの「再会」。みんな大人になって嬉しい再会でした
ピアノコンクールに出場することにより、違う学年、違う学校の子とも知り合い「仲間」になれるという経験。長女は色んな人たちとピアノでつながっているのです
長女が大学生になって塾講師のバイトをはじめた時、ピアノ教室の4歳年上の先輩Kちゃんがいた。Kちゃんは東京理科大で塾講師のバイトをしていた。理系女の先輩として色々アドバイスして頂きました
先月はピアノステップに一緒に参加し続けたTさんが初リサイタルを開催されたので聴きにいきました。Tさんは医科歯科大学、同大学院卒業後、音楽大学院に入学され、医者の仕事の傍らピアニストもされているバイタリティあふれる人です
このようにピアノコンクールに出場する子はピアノが音大生並みに弾け教養があり、皆明るく、気立てもよく名門大学にみな通っている
私はエホバの証人にさせられ「自称エリート」のエホバ二世の仲間に囲まれたが、みんな高卒、中退、プータローの精神疾患ばかり、洗脳された人間は志がない。こんなものと関わってはいけない。「洗脳」がアイデンティティになってはならない
志のある人とともに切磋琢磨して成長するために学ぶのです
徳を積むために学び続けるのです
生きるとは学びなのです
ピアノコンクール全国大会目指す志。そういった子はピアノも上手い。成績はオール5でなんでもこなす。彼らはストイックで賢く、お互いにインスパイアされます。志の高いメンバーと切磋琢磨すること、コンクール入賞を目指し達成する体験も自己肯定感につながります
ピアノを20年に渡り続けるとは思わなかった。生涯弾き続けるような感じ
ピアノは長女にとって習い事ではなくピアノ講師の伯母から受け継いだ血であり 長女は生まれながらのピアノ弾きでありピアノは「宿命」でありであると私は考えています
ピアノも「宗教」かもしれません
ピアノはすでに長女にとってはアイデンティティではなく空気みたいなもので「宗教」になっているのかもしれません
人は皆 何かの奴隷なのです