2024/11/10 (original) (raw)
日々の気苦労に睡眠不足が相まって、精神状態が最悪だったけれど、週末にかけて、丸一日中遊びまくったら、なんだか大丈夫になった。体がくたくたになったかわりにぼんやりとした幸福感というか、なんか生きるなーみたいな感覚(保坂和志のエッセイ本のタイトルのように)を取り戻した。ただただひとと会って他愛もない話をする時間が今週足りなかっただけかもしれない。
水野しずと穂村弘のトークイベントのアーカイブを購入して視聴。
序盤から、水野しずのワードの面白さが炸裂してて、穂村弘のすごくゆっくりした話ぶり(水野さん曰く”雅な”お声で)との間に妙な緊張感(お二人の関係性がわからなくて、初対面だと思って見始めたら、水野さんが結構踏み込んだ面白い事を言った時の穂村さんの反応が薄くて、その発言をどう思われたのかが宙吊りの時間があった)を生み出してて少々ヒヤヒヤしながらも、穂村弘による先行作品を挙げながらのさすがの分析も見られたし、最後に出てきた枡野浩一が話が長すぎて運営側に終了を促されてて笑った。現代短歌への愚痴?憂い?みたいなことを、それなりの位置にいる人が、売れてなくてやさぐれてますみたいなテンションで話していたのが面白かった。
そもそも短歌はよくわからなくて、穂村弘の本とかは読んだことなくて、私が高校一年のときに、野球部なのに何故か合唱部の活動に参加することになってNHKコンクールに出て歌った課題曲の作詞を穂村弘(「メイプルシロップ」という曲です)がしていたというので名前は知ってたけど。当時は訳わかんねーなーとしか思ってなかった。でも、こういうわけわかんない歌詞の言葉を覚えて何度も何度も歌ってっていうのは、すごく良い教育だなって思う。野球部の人が日々触れる言葉って自己啓発本のようなうっすい言葉とそれに影響を受けた指導者やスポーツライターの言葉だもんな。運動部が大人に怒られながらただ体を激しく動かしてる間に、こういう文化的な活動をやってる人たちがいるってのをなんとなく感じられた良い体験だったと後になって思う。
今回のイベントでの穂村弘の明晰な分析を聞いて短歌にちょっと興味を持ったので、近所の本屋で水野しずの歌集と穂村弘の『はじめての短歌』という本を買ってきた。
最近茂木健一郎が吉田豪の配信番組に出ていたのを見て、茂木健一郎への印象がだいぶ変わった。明石家さんまの芸を「他者性がない」と批判していて、言い得て妙だなと思った。
自分はお笑い向上委員会が好きで毎回見ているけれど、茂木健一郎が言っているように、人物をキャラ化して、自分のお笑いの磁場に強制的に招き入れた上でのお笑いしかさんまはしてないと思う。番組内のテロップでも度々出てくる、「定食化」こそがさんまのお笑いの核だと思う。その芸人がやりたい事よりも、さんまのツボが優先されて、その場でその芸人との間のお約束芸を急造して、欲しいときにそれが出るようにパターン化し、過剰なまでに反復させる。陣内智則の「わしやないかい」はそのロングセラー商品である。「定食化」しながら、そして、さんま的ツボに応じた無茶振りを芸人に強いることによって生まれる、芸人にとっては不本意な即興芸の痛烈さと物悲しさこそが、向上委員会の魅力であるとして楽しんで見ているものの、これに批判が出るのもすごくよくわかる。
他の芸人でさんまと似ているのは東野幸治だと思っていて、東野がMCを務めるマルコポロリは西のお笑い向上委員会だと思っている(番組の形式はどちらかというとアメトーク的だけど)。誰か東野幸治論を書いてくれー。
マルコポロリについて書きたいことはたくさんあるけれど、ここは手短にすると、ほんこんや三浦マイルドを面白がれる胆力と技術があるのなら、R-1チャンピオンの田津原理音のバックアップをもっとちゃんとしてあげてほしい。マルコポロリで活躍できると思う。
誰ももう覚えてないと思うけれど、トークがなかなかうまくいかない田津原が、指が長いということで大きなピースサインをするというギャグ?だけでなんとかバラエティを乗り切ろうとしてた勇姿をぼくは忘れない。ずっとずっと覚えておく。R-1のネタは面白いとは思えなかったけれど、めっちゃ応援してる。