氷河期セミリタイア日記 (original) (raw)

実際に辞めるわけではなく、必要最低限の仕事だけこなしてそれ以上は頑張らず、心の中で職場に対して距離を置く静かな退職。

言葉としては新しい表現ではあるものの、仕事を人生の中心に据える価値観とは一線を画したスタンスを選択する働き手は、近年になって突然現れたわけではなくずっと以前からいました。

ただ、職場は基本的に仕事に対して前向きであることを求めます。後ろ向きな人がいると、職場の士気が下がったり雰囲気が悪化したりしかねません。

「24時間戦えますか」という強烈なキャッチコピーが流行語になった猛烈サラリーマン時代と対極に位置する静かな退職。そんなスタンスの働き手を、職場や同僚たちはどのように受け止めればよいのでしょうか。

静かな退職という言葉から受けとられるイメージは、大きく2つに分かれます。

1つは、ほとんど仕事をせずサボっているというスタンス。それなのに、もらうものはもらう給料ドロボーのような働き手には反感が生じることになりそうです。

もう1つは、自分のやるべきことしかせず、それ以上の仕事はしないという割り切ったスタンス。自分の仕事が終わったら、周囲の人に声をかけて「何か手伝えることはありませんか?」と積極的に仕事に取り組む姿勢が求められる職場では、そんな消極的なスタンスの働き手に対する反感が生じるかもしれません。

静かな退職が本来意味するところは後者の方ですが、仕事をしない給料ドロボーのような前者の意味合いで使われるケースもしばしば目にすることがあります。しかし、後者は必要最低限の仕事はこなしているだけに、給料ドロボーとは言えないはずです。

また、仕事一辺倒にならないというスタンスは、いまの時代に即していると言えるかもしれません。 例えば、過労死の問題。長時間労働といった業務の過重な負荷や強い心理的負荷などが原因で働き手が亡くなるという痛ましい事態を避けるためには、仕事中心の生活に偏りすぎて健康を害さないよう注意することが必要です。

家事や育児、介護、趣味など、生活のために大切な時間とうまく調整しながら仕事するワークライフバランスを重視する傾向も強まっています。24時間戦う企業戦士を求めるハッスル・カルチャーへのアンチテーゼだと捉えると、静かな退職は過去に対する反省によってもたらされたスタンスと言えるかもしれません。

「静かな退職」を4つに分類すると…… 必要最低限の仕事はキッチリしているのに、「必要最低限の仕事しかしていない」と非難されるとしたら変な話です。一方で、必要最低限の仕事さえしていないとなると話は違ってきます。

給料は労働の対価ですから、給料に見合う労働を提供していなければ契約不履行です。

しかしながら、中には必要最低限の仕事を「している」「していない」の認識について職場側と働き手側とでズレが生じていることがあります。そのズレによって静かな退職に対する受け止め方は変わってきますし、職場と働き手の間で生じるトラブルの原因にもなり得ます。

認識のズレが生じるメカニズムを確認するために、必要最低限の仕事をしているか否かの職場側の認識を縦軸、働き手側の認識を横軸にとって整理してみると、静かな退職をめぐる状態は大きく以下の4タイプに分類されます。

職場側も働き手側も必要最低限の仕事をしていると認識しているのは「円満タイプ」。この場合は双方の認識が一致しているので基本的に問題は生じません。

一方、職場の方は最低限の仕事をしていると認識しているものの、働き手側はしていないと認識しているのが「ゆとりタイプ」。

この場合、職場側には特段不満は生じないものの、働き手側には余力があるだけに罪悪感を持ったり、仕事が物足りずに「こんなんでいいのかな」と不完全燃焼になったりしがちです。

それに対し、職場側は最低限の仕事さえしていないと認識しているのに働き手側はしていると認識しているのは「疑似サボりタイプ」。

職場側からするとサボっていると見えるので不満ですし、働き手は自分なりにきちんと仕事はしていると思っているので職場が認めてくれないことに不満を覚えます。

職場側も働き手側も、必要最低限の仕事をしていないと認識しているのは「真正サボりタイプ」。双方にとって望ましいとは言えない状況のはずですが、もしも働き手側が開き直って居座っているとしたら「してやったり」かもしれません。

一方、職場としては戦力にならないのでマイナスでしかなく、労働に見合わない対価を受けとっていればまさしく給料ドロボーです。

以上のように4分類すると円満タイプを除いて望ましい状態とはいえず、何らかの改善が必要です。

「ゆとりタイプ」への処方箋

ゆとりタイプの場合は、全出力でなくともそこそこ仕事ができてしまうほど能力が高い働き手が疲れてしまっていたり、スランプに陥っていたりするような状況かもしれません。それならば、無理はせず自分のペースで働き続けながら時間をおくことで徐々に回復していくことがあります。

しかし、働き手の興味関心が他に移ってしまい、仕事に物足りなさを感じているような状況であれば異動を申し出るか、社内に望ましい仕事が見当たらなければ転職して仕事を替えないとストレスが蓄積していくことになります。職場にとっては戦力になる存在ではあるものの、何も手を打たないままでいると離れていく可能性のある人材です。

「疑似サボりタイプ」への処方箋

疑似サボりタイプの場合は、まず職場側が求める仕事内容を明確に伝えて働き手と目線を合わせる必要があります。「言わなくても分かっているはず」などと曖昧(あいまい)にしておくと、働き手との認識のズレは日に日に大きくなっていきます。

目線合わせがうまくいかない場合は、異動や転職などで職場を替えないと、職場側も働き手側も不幸です。

「真正サボりタイプ」への処方箋

真正サボりタイプは、互いに不幸な状態であることがはっきりしています。求められている仕事をしないのですから、職場側としては解雇も含めた厳しい対処を考えざるを得ません。

長く在籍すればするほど働き手のモラルが崩れ、モラルハザードや負のオーラが同僚たちにも波及して、職場全体に深刻な悪影響を及ぼすこともあり得ます。ここまで見てきたように、静かな退職は円満タイプを除き、職場側にとっても働き手側にとってもさまざまなマイナスがあります。

一方で、職場の中に静かな退職をしている人がいることで、明らかに得する働き手がいます。仕事に対するモチベーションが高い人です。

仕事のモチベーションが高い人が静かな退職をしている人と一緒にいると、日々のちょっとしたやりとりだけでも目立つ存在になります。

能力では後塵を拝したりミスが多めだったりしても、「すみません、頑張ります!」「もう一度やらせてください!」などと、モチベーション高くイキイキと仕事をしている人は、周囲から好感を持たれやすくなります。

「じゃあ、こんな仕事があるけどやってみるか?」と新たなチャンスを獲得し、成長機会を広げていきます。一方、静かな退職をしている人はそんなチャンスに遭遇しにくく、遭遇したとしても断ってしまうため、仕事を通しての成長が止まってしまいがちです。

静かな退職を5年、10年と長く続けていくほど、チャンスを獲得し続けた人との成長機会の差は開いていきます。円満タイプの静かな退職であれば問題なさそうですが、その場合も後輩に先を越されるといったことが起り得ることは認識しておく必要があります。

一方、静かな退職とは異なるものの、家事や育児など家庭の制約によって、必要最低限以上の仕事をするのが難しいケースもあるでしょう。また、男性育休取得者が急上昇していることに象徴されるように、それは女性だけの課題ではなくなってきています。

さらには副業も推進される傾向にある中、仕事と何かとの両立に取り組むことが、誰にとっても当たり前の時代となりつつあります。

時代は誰もが最適な働き方を選択する「ワークスタイル4.0」へと向かっています。しかし、どんな働き方が最適なのかに決められた正解などありません。

それは人によって異なりますし、置かれた環境やライフイベントによっても変わってくるものだからです。また、さまざまな経験をしてたどり着くものでもあります。

そう考えると、働き手にとって静かな退職には、最適な働き方を探す時間を確保したり、心身の状態を整えて自分自身を冷静に見つめるために必要な、クールダウン期間という意味もあるのではないでしょうか。あるいは、文字通り退職するのであれば、新たな職場に移って仕切り直すための助走期間と位置付けられるものなのかもしれません。

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