87式自走高射機関砲 (original) (raw)

かつて計画されたSAM追加改修

87式自走高射機関砲の開発史は、他に委ねるとして、砲塔部は日本製鋼所FCS三菱電機が担当、1986年(昭和61年)に開発完了。

捜索・追尾レーダの配置については、当時ドイツのゲパルトが特許を持っていた為、それを避けるために、あえて非効率な配置にした話が有名となっている。

攻撃能力について、当時から機関砲は射程が短いため、ミサイルからアウトレンジされてしまう事が問題視され、これに対抗する為に、短距離SAMを追加装備、砲とミサイルによる複合運用が模索された。実際、ゲパルトもスティンガーを追加する開発が行われている。

日本においても同様の指摘があり、87式自走高射機関砲は、当時の調達価格が1両15億円という超高額装備にも関わらず、時代遅れだと度々批判されてきた。

しかし、かつて派生型としてSAM追加改修が検討されていた事実はほとんど知られてない。前述した1986年(昭和61年)開発完了した翌年1987年、FCSを担当した三菱電機から複数の関連特許が出願されている。

これはその一例であるが、後のゲパルトとは違い(と推定)、SAMが独立して俯仰(ふぎょう)する機構を持ち、対空機関砲と連動して動作させる事が出来る。

SAMランチャを搭載した87式自走高射機関砲(特開平01-041796:特許庁

基本的な動作として、捜索レーダと追尾レーダを使用して、敵が機関砲の射程外の場合には、SAMを選択、機関砲の射程内に入ると機関砲とSAMを選択使用、近距離で突如発見した場合には機関砲を選択する。

今となっては当たり前ではあるが、1986年には、まさにこれを実現したソビエト製2K22 ツングースカが登場しており、同年に同じコンセプトの特許を出願していた事になる。

ツングースカの存在が西側に広く知られてたのは1989年頃とされているので、三菱電機は、世界で最も早くその優位性に気が付いて特許出願したのかもしれない。

同年には装輪型の特許も申請されており、これが採用されていたら随分と先進的な装備となっていただろう。

装輪型(特開平01-041798:特許庁

イデアは先進的であるが、当時の技術力では機関砲の反動の問題などの解決は極めて困難であり、実現不可能だったとの声もあると思う。

が、しかし、技術的に解決可能な実現性がある限り、それが特許として認められるわけで、量産化するしないは、その次に考える事となる。

実現性を先に考えるあまり、すぐにアイデアを否定するのは日本人の悪い癖だ。過去に数えきれないほど、外国からやられ続けている。

令和6年に誕生した総理大臣は現実的な軍事オタクでもあるので、実現する意味があるならば、このような夢のある計画に予算承認してくれるだろうか。

一方で、実現する意味がない独りよがりな計画に、多額の予算が投入され続けている現実がある。