ラ ドル知ヱ 美ータ。 (original) (raw)

ラ ドル知ヱ 美ータ。


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by kaioko

ラヴェンナ:ガッラ・プラチディア霊廟

ローマ人の物語 (15)
塩野 七生 / / 新潮社

ちょうど、「ローマ人の物語ⅩⅤ ローマ世界の終焉」に、ラヴェンナやガッラ・プラチディアの記述が出てきたので、興味深く読んでいる。

ラヴェンナは402年から西ローマ帝国の首都になっている。
ホノリウス帝が、ここに宮殿を遷したためで、ミラノよりもラヴェンナのほうが、北方民族の脅威から逃れられると考えてのことらしい。
しかし、北方民族はやすやすとローマに侵入し、ラヴェンナも結局東ローマ帝国の支配下に入ってしまっている。
ホノリウス帝の浅はかな考えから、歴史の舞台に登場してきたラヴェンナにはしかし初期キリスト教時代やビザンチン様式のモザイクに彩られた教会や歴史的建造物で溢れている。

ガッラ・プラチディア霊廟 Mausoleo di Galla Placidia
ラヴェンナ:ガッラ・プラチディア霊廟_b0068541_178777.jpg
ガッラ・プラチディアはホノリウス帝の異母妹で、数奇な運命をたどった女性である。
ローマ帝国最後の皇帝であったテオドシウス帝を父に持ち、ゴート族の長の妻になり、一兵から共同皇帝にまでなったコンスタンティウス将軍の妃になり、皇帝ヴァレンティアヌスの母として七年間に渡って西ローマ帝国を実質的に支配した。

塩野七生によるその行政の評価は、同時期東ローマ帝国を実質的に支配していたプルケリア(テオドシウス二世の姉)に比べて残念ながら低いものとなっている。
でも、やっと権力を握ったラヴェンナの地で、自分や息子の権力を守るために、盲になってしまったのも仕方のない話であるとも思う。
ガッラ・プラチディアはラヴェンナの多くの大建造物の建設に関わったようで、文化の興隆には貢献したといえそうだ。
見逃してしまいそうな小さな十字型の建物に入ると、薄暗い窓から差し込む光が照らすのは、紺碧のモザイク。天井すべてがモザイクに覆われ、金色の星々がちりばめられた中に十字架が描かれている。あまりに小さくて見逃してしまいそうだが、この町で最古のこのモザイクは必見だ。アラバスター(雪花石膏)の窓から差し込む光はほの暗くだからこそ、瞑想的な気分に浸るころができる。どうしても写真は暗くなってしまうので、下は絵葉書の画像。

ラヴェンナ:ガッラ・プラチディア霊廟_b0068541_179034.jpg

ラヴェンナ:ガッラ・プラチディア霊廟_b0068541_1791432.jpg

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