掃き溜めに酒 (original) (raw)
言っていい言葉と、言っていけない言葉が存在する。
初めて人に「死ね」と言ったときのことを覚えている。
言葉を発した自分はマズいことをしたと思った。
言葉を向けられた相手はショックを受けた顔をした。
言葉は凶器になり得る。
言葉の凶器が溢れる時代であることは日々のニュースを見てもわかる。
一人一人が自分の言葉を少し考える。
今必要なのはそんなシンプルなことなのだろうと思う。
荒んだ世の中ではそれすらも難しいことではあるか。
久しぶりに本を読んだ。
ここ数年は家庭の事情や、コロナの影響など、どうにも本を読むということに対しての集中力が欠く状態が続いていた。そんな状態であったので久しぶりに本を読んだ感覚を味わえて少し晴れやかだ。
本を読むことに飢えていた大学生時代は、一日に2、3冊読んだ時もあった。
「むしゃくしゃしてやった、誰でもよかった」
通り魔の言い分のように片っ端から目に入る本を読み漁った。
本を読むほどに自分の嗜好が形成され、本棚はいつしか純文学と呼ばれるような古い作品ばかりになってしまった。漱石、川端、大江、三島、国語の教科書に載ってるような作家たちばかりだ。
そんな古い作品ばかり読んでいると、逆に現代作品が読めなくなったりする。同じ日本語であっても言葉が入ってこない。醤油ラーメンばかり食べてて、塩ラーメン食べるとその良さがわからないといった感じか。
朝井リョウもそんな、塩ラーメンのような作家だった。
正欲
久方ぶりに読んだ氏の作品は、しっかりと読み応えのある円熟味のある作品だった。青基調とした装丁とは裏腹といえばいいのか作品のイメージは赤だ。
学生時代、古い作品を読んで抱いた感想
おもしろい、ただそれを感じた。
朝井くん、以前の君の作品を、僕はどうしても読むことができなかった。それは同い年の君の言葉が、僕と近すぎたからなのかもしれない。
リアルすぎる言葉は、読書として捉えられない君の文章が素晴らしいほどに、目をそらしたくなってしまった。
それでいえば、正欲、この本は言葉がシンプルに入ってきた。さっき円熟という言葉を使ったがもしかすると僕の感性が鈍っただけかもしれない。
朝井くん、僕らも34だ君は円熟味を増し、僕はただ衰えていく
そんな気づきすらうれしい。いい本だったと思うよ。
飛露喜
正月ということもあり、飛露喜を開けた。
大吟醸というとフルーティさだけが際立つのも少なくないが、しっかりとした旨味もあり、まぁ美味かった。一升瓶として異例のペースで空になってしまった。
全国的な知名度のある銘柄なので現状をお伝えしておくと、地元の人間であれば「なんとか」入手できる。
「なんとか」というのは日頃から酒屋に通っていること。
売り出しのタイミングなど情報を掴めるかどうかだ。
販売数が少ないので抽選になることもしばしばだが、体感として1年に3本くらいは入手できるかなという印象である。
会津に行けば買える、というのは完全に間違いである。
酒屋で、飛露喜を求める観光客をしばしば見かけるが購入はできないので、飲食店で楽しむのが無難だ。
飛露喜ほどではないが、似た入手難易度になってきているのが「写楽」、全国的な知名度もうなぎ登りな印象を受ける。こちらも抽選だったり条件付きでの販売が主なので、購入するならば地元用銘柄の「宮泉」を狙うことをおすすめする。
定期的に欲しくなるけど、摂取したあと後悔するあたり似てるよねって話。
大学の時分、村上春樹に批判的な先生がいた。
「あんなの、只のエロ小説だから!!!」
アカデミックな世界に生きる人にとっても、賛否両論分かれる春樹。
でもあの先生は春樹に対する敗北感があるからあんなに批判的だったのだろうと思わずにはいられない。なんてったって春樹だもの。
毎年アカデミー賞の候補になっても、絶対に受賞させたくない層が一定層いるのは間違いない。万人に勧めることはできない。春樹がアカデミー賞を受賞するのは、ラーメン二郎が世界健康食品大賞を取るようなことなのだ、知らんけど。
ハルキストは痩せすぎで、ジロリアンは太りすぎ味が濃すぎて不健康だね。
ほどほどに摂取するのが村上二郎とラーメン春樹の付き合い方よ。知らんけど。