2010年の「1979年」と2024年の「1979年」:普通の日記 (original) (raw)

というわけで私は、最近またしても時間の「ずれ」というものの認識のあいまいさについてほとほとこまりはてている。
短く書く。ほんとうに短く書く。つまり僕がさいきん、とても悲しがっていること、それは、「過去の僕よりも、僕は“過去”という概念を楽しめていない」という、悲しみについてなんである。

短く書く。

今からさかのぼること十余年、僕はいわゆる「サブカル漬け」の日々を送っていた。
寺山修司とか。渋沢竜彦とか(澁澤はじぶんのおなまえの表記が「竜彦」になるのを嫌っていた。なんでも、「竜」の字が、亀みたいに見えるからだそうである。ハハハ)、鈴木いづみとか、植草甚一とか、なんかそういう周辺のものが「通例通り」にとても好きで、色々と読んでいた。
しかし、悲しいかな貧乏人のせがれである僕には、資金と時間と好奇心いうものが昔も今も、乏しく、それらの作家の書いたものすべてを網羅的に読んだということはなかった。そして、網羅するまえに、僕はそれらの作家像から徐々に離れていき、最近ではほとんど手に取らないようになり、興味は他の場所へと移って行った。
しかし、人の趣味趣向というものは根本的にはあまり変わらない。で、あるからして、僕はそれらの人物像が展開してくれる世界観が今でもずっと好きだし、寺山修司の『田園に死す』なんか、今でも大好きだ。そして今年の夏ごろになって、その昔手に取っていた類の書物が展開してくれた世界をどうも懐かしくおもうようになった。ために、過去、愛読していたいくつかの本を手に取って、眺めた。そして眺めた結果、僕はとてもかなしくなった。
おもしろくない。
過去、僕はたしかに鈴木いづみの文章が好きだったし、露悪的なものをふくんだ渋沢や、『血と薔薇』の世界が好きだった。
でも、今読むと、違うのである。それらの書きぶりを、「若い!」とおもったり、してしまうんである。
実際のところ、私は“彼ら”と出会ってから十年以上を経て当時よりも老人に近づいているし、昔好きだったものを今でも愛読できるということになれば、十年分の成長というものが皆無ということになるのだから、十年経って、昔愛読していたものを、「これが若さか」と、サボテンが花をつけていることに感動して涙をきらきら流したって、別に構わないことなのかもしれないが、そうではなくて、私が悲しいのはこういうことだ。1979年に出版された本を楽しんでいた2010年の私と、1979年に出版された本を楽しめない2024年の私は、「1979年」という年号からすれば、同じように「未来人である」ということ。これが、私には、たまらなく悲しい。

説明します。
いや、単純な話なんです。2010年よりもだいぶ年を取ってしまったこの僕は、外見上はただ老けたというだけで、別になんの人間的成長もみられないが、それでも価値観の変化や、それまでは「分かっていなかったこと」が、目に、耳につきやすくなってしまった。そのおかげで、昔は平気で看過していた露悪的表現や、作者の特権意識、本人からしてみればホンのジョーダン、照れ隠し、仲間内でのなあなあ的表現であるものも、ぜんぶノイズのようになってしまって、どうしても「冷めて」しまうのである。
今よりも若い頃は、僕はそんな表現に行き当たるたびに、いちいち傷ついていた。そして、「この本、実は僕のような人物に向けて書かれているものではなくて、結婚して、お嫁さんが居て、サラリーマンをしている人向けに書かれているものだから、僕のことなんかお呼びじゃないんだな」と、おもって、一人で勝手に落ち込んだりしていたのである。

でも、いまは違う。
僕は、たとえ「そういう人向け」に書かれている本であっても、「もしも僕が“そういう人だったら”」と、自分を他人化して、平気で読んでしまう。しかし根本的にいってみれば、そこまでして「自分に合わないもの」を読むことぁないんじゃないかという話であって、ネクラのくせにネアカ連中の居る場所にわざわざ出て行って恥を搔きに行くようなものではあるが、体力がある場合は、それが出来るのである。
体力気力ともになんとか「変身」して読む場合もあれば、読まない場合もある。つまり、「付き合いきれない」とおもえば、本を閉じて、古本屋に売るなり、図書館に返すなり、読むのを止めるなりすればいい話であって、むりに「合わない作家のスタンス」に合わせる義理なんて、こっちにはさらさらないのであり…………

しかし若い頃の僕は、それでも「サラリーマン向け」のエッセイや小説なんかにかじりついて、おのれをサラリーマン化すべく躍起になっていた。そして、自己サラリーマン化に成功したり、しなかったりして、開高健や、吉行淳之介や、遠藤周作だの山口瞳だのを読んでいたのだった。

しかしやっぱりある日、それが全く読めなくなった。
ひとことで言って、「キモチワルイ」のである。
ある種の価値観の元に描かれたものを肯定的に読むために、私のなかで一生懸命いびつに構築してきたもの、想像上のサラリーマン、薄いミソジニーを内包した何か、黴の根っこのような男権意識は、結局私の中に、幸か不幸か根付かず、徐々に薄れていった。そして、山口瞳が、エッセイや対談集で女を腐したり、「今日は5000円の靴下を履いてきた…………」的な発言をしているところで、「はあ?」とおもって、とうとう本を閉じてしまった。別に、誰がどんな靴下を履いていたってカラスの勝手なんではあるが、そして山口ファンのみなさまには申し訳ないが、私はもう、これ以上「こういう世界」には付き合えないとおもって、読むのを止めてしまった。

でも僕は、昔の僕は、確実に、“そういう世界”に、あこがれていたのだ。
いつの間に、こんなことになってしまったんだろう? これはごかいをまねく発言かもしれないが、山口的世界観を十分に堪能し、その世界観を決して疑うことなく、そのうちにいつか生命のすべてを全うし得た人物像があるとすれば、僕は、そういうものを、心底羨ましいとおもう。そしてこうもおもう、「そういう世界観を、「楽しめる」うちに、そういった類の物を、一生懸命食い尽くすように読んでおくべきだった」と。
誰かが「きもちわるい」と外から眺めてしまう世界というものは、それは「中に居る人」にとっては、とてつもなく心地よい世界であるからだ…………

そして、そういう世界、島宇宙のようなものは、この世にはいくつもいくつもいくつも存在していて、人々は、その島から、出たり、入ったりを繰り返しているに過ぎない。だから、僕が「気持ち良い」とおもう世界も、かならず、ある第三者からすれば「気持ち悪い」ものに、必ず、成り得る。そしてまた、自分自身が「気持ち良い」とおもっていたその世界を、自分自身が「気持ち悪い」と思う日も、いつかは訪れる(かもしれない)ものなのだ。
だから僕は、1979年を、1979年が楽しめるうちに、(まあこれは、この年号に限定した話ではないんだけど、一つの例として)もっと楽しんでおくべきだった。あの頃の僕にとって、山口瞳は、吉行淳之介は、僕に美学を教えてくれる、とても素敵な、たいせつなものだったからだ…………

たとえば僕は、いま、昔読み逃していた田中小実昌なんかを、一生懸命拾って読んでいるが、どうも好奇心のチャンネルが彼と合わない。だがしかし、十何年前の僕のまえに、ぽっと、今、読みさしている田中小実昌の本なんかを、置いておけば、過去の僕はねずみとりに引っかかるあわれなくまねずみのように、喜んで、ねずみのねどこに持って行って、したなめずりしながらそれを読むだろう。

だから今、僕は、過去の自分が羨ましい。そして、過去の僕に、“あの頃の風景”を、もっと見せてあげておけばよかったとおもう。

おそまつ。