ヴェルディ 歌劇「オテロ」@フィレンツェ五月音楽祭2020 人種コンプレックスを利用するえげつない悪と無実のヒロインのシェイクスピアの四大悲劇 (original) (raw)

ヴェルディ 歌劇「オテロ」@フィレンツェ五月音楽祭2020 人種コンプレックスを利用するえげつない悪と無実のヒロインのシェイクスピアの四大悲劇 ヴェルディ 歌劇「オテロ」@フィレンツェ五月音楽祭2020 人種コンプレックスを利用するえげつない悪と無実のヒロインのシェイクスピアの四大悲劇_c0002171_13322839.jpgVerdi: Otello (Karajan, 1974) [Complete / Japanese sub.]今週の土曜歌劇はシェイクスピアの戯曲をヴェルディが作曲した『オテロ』。延期になったフィレンツェ五月音楽祭2020で無観客で、ソリスト以外はマスクをして演じたこの公演、この重苦しい悲劇にさらなる陰欝さを与えていました。シャイクスピアの『オテロ』は勿論題名は知っていたのですが、読んでいなかったので観劇するのもこれが初めて。ヴェネツィア領のキプロスで敵の侵攻から島を守り抜いた英雄、オテロ。彼に副官にしてもらえず悪計を働いたヤーゴのせいで、オテロはその美しい妻であるデズデモーナに副官カッシオとの不倫を疑い、悲劇的な終幕を迎えます。悲劇としては、何しろ無実の罪を愛する夫からかけられるデズデモーナの悲壮感が本当に凄くて、張り裂けるヴォーカルがその悲劇性を高めて。同時に勇将でありながらも心の罠に嵌められ、猜疑心に墜ちていくオテロもその嫉妬、絶望、怒りがテノールの声に良く表れていて音楽的にこの二人が素晴らしくて。そしてキャラとしてはヤーゴが本当にえげつない悪で。”いかに非道い悪役を描けるか”が戯曲の衝撃に大いなる影響を与えますが、ヤーゴは、ムーア人であるオテロが白人の妻に己が有色人種であることからの鬱屈したコンプレックスを持っていることを利用して、ダークサイドに堕としていくのです。人種差別という人間の暗部を利用するシェイクスピアの筆の冴え、本当にヤーゴの憎らしい悪役ぶりは徹底していました。そして、これはリヒャルト・シュトラウス『ばらの騎士』でも感じましたが、歌劇において複数の人物が同時に別々の台詞を歌う場面はまっことオペラの華々しさがあふれていて素晴らしいですね。この舞台でも1、2度そういう場面があって、特に男女4人ほどが一斉に歌う時は圧倒されました。COVID-19のQuarantineで始めた土曜歌劇の習慣、ワクチンが進んできて、一方で変異種の影響がどうなるかというところですが、なかなかいい趣味をみつけることが出来たのは良かったです。 by wavesll | 2021-07-17 13:58 舞台 Comments(0) カモメとは特に関係のない話をする縁側サイト by wavesll
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