【開催報告】哲学カフェ大分 9.21 (original) (raw)
哲学カフェ大分を開催しました。
今回もたくさんの方に集まっていただきました。
ありがとうございました。
今回のテーマは「便利/不便」についてでした。
最初にアイスブレイクの質問として、〈あなたのベスト・グッズ〉を聞いてみました。
※安斎勇樹さんの『問いのデザイン』によるとアイスブレイクの質問はその日のテーマと強く関連をもたせるべしと書かれています。今回はテーマを意識したアイスブレイクにしてみました。これが後々、具体と抽象を行き交う中で効いてきたように思います。
・アップルウォッチ
・ニトリの冷感マット
・ほぼ日手帳、カバー
・最新式の軽トラ
・ルンバ(自動掃除機)
・水性のように滑らかに書ける油性のボールペン、フローチューン
・100円ショップで買える自動味付け卵機
・メガネ(二人)
・メモパッド
・キンドルホワイトペーパー
・車、バス(交通手段)
・Chromebook(ノートパソコン)
・アイビスペイント(グラフィックソフト)
・入浴剤
・ワンちゃん用の手押し車
こうして列記すると、なにか殺到するモノの力というのか、
資本主義の断面を見る思いがします。
そして以下、みなさんの〈便利/不便〉に関する問いです。
Q 便利、不便とは一体誰が判断するのか?
Q 一体誰(何)のための「便利」なのか?
Q 便とは?
Q 便利/不便、何故それを別のものと考えたくなるのか?
Q 便利と不便の間にあるここちよさとは?
Q 人間の本能・野生を退化させる方向に向かっているのか?
Q 便利と不便は表裏一体?
Q 良い不便はあるのか?
Q 不便を脱するのが便利なのか?便利を失うのが不便なのか?
Q 便利は本当に良いものなのか?よい便利とよくない便利の違いは?
Q 「便利である」ということは本当に幸せなのだろうか?
Q 便利、不便という考えはどこから来るのだろう?
Q 便利と引き換えに何を失っているのか?不便と引き換えに何を得るのか?
Q 今のライフスタイルって、本当に自分で選択したものですか?
Q 不便と不自由のちがいは?
Q 不便の排除=めんどくさい、苦痛の除去→ユートピア?
Q 不便の排除→取り戻せない取り返しのつかないものはあるのか?美化しすぎてない?
Q 便利なモノがたくさん手に入って私は幸せになった?
Q 便利であると人はナマケモノになるのだろうか?
これらの問いだけでお腹いっぱい感がありましたが、ここから哲学対話を始めていきました。
便利/不便の境界線について考えているうちに、それがグラデーションの濃淡であったり、コインの表裏であるようなイメージ、便利不便が意識されない中間的なゾーン(当たり前)が見出されたり、便利も行き過ぎるとストレスになったり、不便の先にある不自由との決定的な差や、視点によっても変わってくるという意見も。
あえて不便に身をさらす、便利さを拒否する(着物を着たり、バイクに乗ったり、車に乗らなかったりする)振る舞いがアイデンティティ(その人らしさ)の確立につながっているという指摘。
ただこれらは各人がばらばらに趣味?のようなかたちでやっているだけで、社会の価値観を変えるほどの力をもたないという意見もありました。スローライフ?アーミッシュ?
大きな枠組みとして、「時間」や「時短」「タイパ」こそが大切という時代の大きな価値観、支配的な考え方(パラダイム)が、この便利/不便という概念を成り立たせているのではという意見は、今回の対話の行く先を明るくさせたような気がしました。
最後、「子育て」こそタイパに見合わない不便(非効率)なのものだが、それを受け入れる(自ら選択する)ことによって、得られるものがあるといった意見やあらかじめ子育ての不便さ(デメリット?)を言い過ぎることで、それが忌避する対象になってしまうといった問題提起がさなれたところでタイムオーバーとなりました。
これからというところでしたが、今回はこれで終了です。
ご参加ありがとうございました。
また対話の場でお会いしましょう♫