「テスカトリポカ」のあらすじと感想 ※ネタバレあり (original) (raw)

テスカトリポカ (角川文庫)

第165回直木賞受賞作。残虐な描写が多い。クライムノベル。

麻薬カルテルに兄を殺された少女ルシアは故郷を離れ、ついには日本へとたどり着く。やがて結婚し、子供を産んでコシモと名付けた。

バルミロは麻薬カルテルのボスだった。

対抗組織にカルテルを壊滅させられたバルミロは、逃れた先のジャカルタで末永という日本人に出会い、日本へやってきた。

末永は外科医の資格を持つ男である。彼らは世界の富裕層を顧客に、新たなビジネスを始めた。臓器売買だ。

ドナーの世話をするために保育士の矢鈴を、殺し屋としてコシモを雇ったバルミロはビジネスを軌道に乗せるが……。

テスカトリポカ (角川文庫)

「テスカトリポカ」の感想

裏社会の人々の生き死にや目を覆うような暴力や、バルミロの祖母リベルタが語るアステカ神話が重なって、物語に独特の雰囲気とリアリティを加えています。

特に印象的なのはアステカ神話でしょう。

リベルタはアステカの戦士の血を引く女性でした。彼女は孫たちにアステカの神話や歴史、暦、儀式を語って聞かせ、バルミロたちはそれを深く心に刻み付けたのでした。

ここが、私が思うこの物語の面白いところです。

つまりバルミロという男性は、現代の麻薬密売人であると同時に、神話の世界を生きる人でもあるわけです。

彼の行為は犯罪であり、それも、人体を凍らせてハンマーで砕くという残虐なふるまいであるにもかかわらず、どこか乾いていて宗教的であるのは、そうした背景があるからではないでしょうか。

バルミロが麻薬密売や臓器売買に手を染めたのは、父の、兄弟の復讐を遂げるためでした。ただ金銭のためではないのです。

バルミロは世俗の犯罪者とは一線を画した人物である。彼の理屈は祖母リベルタに教わったアステカ神話に基づいている。そう描かれている。その点が、本作の一番の魅力かもしれません。

同様に、彼の周囲の人たちも自分なりの目的を持って生きています。

医者の世界から追放された末永は、もう一度メスを握るために。
コカイン中毒者である矢鈴は、己の善性を取り戻すために。
学校に通わず友人もなく、一人の世界で生きてきたコシモは、子供のように純粋に夢中になれるあることに没頭していく……。

それぞれの思惑が交差し、亀裂を生じ、破綻の末にアステカの神テスカトリポカが誕生し、物語は神話の中に終焉となります。

アステカカレンダー

「テスカトリポカ」ラテンアメリカ好きとして思うこと

※ここからは超個人的な感想です。ややネガティブなことも述べるので、お読みになりたくない方は、お手数ですがブラウザバックをお願いします。

まず、アステカ神話について。

本作には祖母リベルタの口を借りて、アステカ神話が語られる場面が多々あります。レビューでは、ここが難解というコメントもいくつかみられました。

わかります。実は私も神話は苦手。アステカに限らず、神話というものには時々つじつまが合わないことがあり(偏見)、なーんか入り込みにくいんですよね……。

神話の場面は、合わなかったら流し読みでもいいんじゃないかと個人的には思います。

重要なのは、**アステカ神話がバルミロの心に深く刻まれたこと、彼の人生を支える思想の核であったこと。これが理解できれば御の字ではないでしょうか。**ダメでしょうか。

そしてもうひとつ。

気になるのは、**ベラクルス生まれのリベルタがなぜそこまでアステカに思い入れを持つのかという点です。**

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫) だったかな、ほかの本だったか忘れましたけど、ベラクルスの辺りに上陸したスペイン人征服者が、先住民から「西にもっと大きな帝国がある」ときいた、という話を読んだことがあるんですよね。

つまり、首都から離れた場所に住んでいる人は、自分をアステカ国民だとは考えていなかったのではないか、と思うわけです。

(またこの『アステカ帝国』という呼称にもいろいろと……気になる方は調べてみてくださいね)

ご存じの通り、アステカは勢力範囲を東海岸の辺りにまで伸ばしていましたが、その関係は支配というよりも交易関係にあったらしく、遠方の先住民はそれぞれの習慣や文化を変わることなく持っていたらしいんですよ。

ただ、ゆるい「支配」であったとはいえ、勢力下におかれた部族にはそれなりに不平不満もあったようで、現にスペイン人到来の折には、彼らと組んでアステカを滅ぼそうとした部族もあったといいます。ですので、先住民=アステカというのはどうなのかなとちょっとだけ考えたのでした。

そもそも被支配下にあった部族の人が、ジャガーの戦士や神官になれたのかな……。

まとめ

リベルタの語るアステカが、田舎の貧しい少女の夢想であったとしたら。

私はそんなことを考えました。

かつてあった帝国の栄華に思いをはせ、リベルタは、もしかしたら独学でアステカの歴史を、神話を学んだのかもしれない。その過程で自らのものと「錯覚」してしまったのかもしれない。

問題は、リベルタが手に取った資料があったとして、それが本当のアステカ神話を伝えるものであったのかという点です。

現在まで残されている資料は、西洋人との接触ののち、アルファベットで書かれたものが大半です。そのためキリスト教の影響を受けるなどして、500年前に語られていたものとは多少の齟齬がある可能性は否めない。

となるとリベルタが学び、孫たちに教えたのは「本当の」アステカ神話ではないのかもしれないということになります。

作られた神話を語るリベルタ。そのリベルタが禁忌の名前を呼んだために、アステカの神は怒り、彼女の愛する孫たちを生贄に選んだのかもしれない。

そしてバルミロの犠牲のもとにテスカトリポカは500年後の現代に蘇った。

ちょっと変化球(?)だけど、そんな解釈もできるかな。できないか、ハハハ。

しかし物語としては、クライマックスのあの対決のシーンがあまりに美しく、それこそ神話のようだった。読んでよかった。面白かったです。