千本釈迦堂に国宝「六観音菩薩像」を見に行く (original) (raw)
今春、新しく国宝に指定された 千本釈迦堂 の「 木造六観音菩薩 」を見に行ってきました。
文化庁が京都に移転からの国宝指定第1号だそうです。
「 千本釈迦堂 」として親しまれている 大報恩寺 は、奥州藤原氏第3代秀衡の孫にあたる 義空 によって鎌倉時代に創建されたそうです。
上の 本堂 は、1227年の建立ですが、焼失を免れて、京都で一番古い建造物として国宝に指定されています。
内陣の柱に、応仁の乱の時のものだとされる刀や槍の傷跡が残っていました。
本堂の建立では、大工の棟梁・高次と妻・おかめ の伝説が残されています。
家の上棟式で「おかめ御幣」を飾る起源ですが、この話は千本釈迦堂のHPに詳しく紹介されています。
おかめ像の右側の宝篋印塔がおかめ塚だと思います。
お目当ての 六観音菩薩像 は霊宝殿に安置されている
予想どおり撮影はNG! やっぱりだめかあ。
(「そうだ京都行こう」のHPからお借りします。ごめんなさい。 )
これが「 木造六観音菩薩像 」
鎌倉時代の貞応3年(1224)、仏師・定慶の作。
六観音とは、人間が死後に訪れる6つの世界「六道」で救いをもたらす観音様だそうで、如意輪、准胝、十一面、馬頭、千手、聖観音の6躯が並んでいます。
6躯すべてが揃っている例は他になく、更に、台座から光背まですべて制作当時から失われていないという点から国宝に推挙されたんだそうです。
余りにも保存状態が良くて、もっと新しい時代の作ではないかという見方もあったほどなんだとか。
こちらと像との間にアクリル板が立っていましたが、高さは私の口元辺りまでだったので、視線と像との間にさえぎるものがなくしっかりと見ることができました。
いやあ、すごい! 本当にすごい!
こちらは、六観音と同時に国宝に指定された「 木造地蔵菩薩立像 」
六観音と変わらない像高と台座の表現がよく似ていることから、おそらく同時期に制作された貴重な仏像であると評価されたんだそうです。作者不明。
この 千手観音像(重文)、あの 菅原道真 が雷によって倒れた自宅の梅の木を使って自ら彫ったんだとか。
もう、「へ~ぇ」としか言葉が出ない。
実は、お目当ての「木造六観音菩薩像」よりこちらの「 木造十大弟子立像(重文)」に見入ってしまいました。
制作者は、余りにも有名な大仏師・快慶 。
像高は90cmほどとかで六観音菩薩像より小さいのですが、生きている感じ!
表情が力強く、迫力がすごい。
京都の観光名所である東山や嵐山とは離れているので、ここは静かです。
霊宝殿の中も10人もいなかったですから、お互いに邪魔をせず心行くまで見ることができました。満足です。
前回の千本釈迦堂の記事はこちら ↓
他は、ざーっと
入ったお店はざる蕎麦がなかったぁ。残念。
「御土居」のもみじ苑は、まだまだ。
京都駅。まだそれほど混んでいませんね。
今秋1回目の京都歩き。
朝はポロシャツ・ベスト・ジャケットでいいぐらいだったのに、昼間はポロシャツ1枚で歩いていました。
次は激混みの紅葉を見に行こう。