冬菜かしこの「気ままに たのしく エッセイ」の日々 (original) (raw)

今の家に引っ越したのは、次女がまだ生後8か月の頃だった。

当時アパートに住んでいたが、二人の出産を機に、

庭付きの家に住みたいと思うようになったのだ。

長女は公園に行くと、なかなか帰宅したがらない。

いや、帰宅を拒絶する。

まるで、公園が自分の家の庭のように、

てこでもそこを動こうとしない。

話は通じない。

腕を引っ張っても、ふんばってくる。

どうにもしようがなくて、

大抵は、大きな魚を釣り上げた漁師のごとく、

両手で長女を抱えこんで、

力づくで家に帰るのだ。

そんなことを繰り返す日々に、

ほとほと嫌気がさして、

家を買うことにした。

庭付きの一軒家。

主人はずいぶん「庭は不要」と言っていたが、

私は庭のために家を買いたかったので、

そこはどうにも譲れなかった。

どうにか主人が気に入る家を見つけて購入した。

外の公園には行きたくないので、

大量の砂を購入して、花壇に入れた。

しっかりとした砂場が出来て、

長女は楽しそうに遊んでくれた。

そんな中で、ふと、生垣の一か所が、

気がスカスカなことが気になり始めた。

ほかはびっしりなのに、

そこだけなぜか生垣の木が枯れていて、

ぽっかりと空いていた。

外から丸見えだ。

ちょっと、やだなと思った。

そこで、柿の木を植えることにした。

50㎝ほどの柿の木の苗木。

果たしてちゃんと育つのか、

不安になるほどのヒョロヒョロ具合。

でもまあ、どうしても柿を成長させなければならない義務もないし、

気楽に行こうと思うことにした。

そうして数年が過ぎた。

最初は、それほど気にもしなかったのだが、

一向に成長の兆しが見えない。

幹が大きくなったり、枝葉が茂ったり。

そんなそぶりはない。

「桃栗三年、柿八年」

というではないか。

2年目の苗木を買って植えたのだから、

あと6年は辛抱だよと、

自分に言い聞かせながら、

「あと6年?ほんまかいな」

という自分もいる。

不安しかなかった。

翌年も、翌年も。

変化はなかった。

ちょっとずつ枝が伸びたりはしたが、

ぐんと大きくなることはなかった。

これは、はずれだったかな。

そう思っていた。

柿の木の傍に植えた、

畑スペースの夏野菜に水やりをするついでに、

柿の木にも水をやった。

バラに水やりをするときにも、

ついでに水をやった。

どうせだめかもと思いながら、

でももしかしたらと思いながら、

ついでの水やりをした。

少し大きくはなったが、

少し葉はついてきたが、

実のなる様子はなかった。

「やはり、素人はこんなものか」

と半分あきらめていた。

自体が急変したのは、それから数年後の事。

ちょうど、2年物の苗木を植えてから、7年後くらいたっていた。

小さな緑の実が、葉と同じ緑の実が、

葉の隙間からのぞいていた。

本当に橙色になるのかと思っていたが、

とうとう橙色に色づいた。

もいで、台所に持って行く。

家族4人で食べるには、

小さすぎる実だった。

その年、数個の実がなった。

柿八年、本当だったのだ。

翌年、また数個の実を付けた。

前年より少し多かった。

それでも、5、6個というところ。

柿の収穫と言うには物足りない。

近所のたわわになっている柿の木に比べたら、

本の気持ち程度の柿だった。

そうして、次の年は全く取れなかった。

どうしたのかと心配していたが、

今年はまたしっかりと柿は実を付けていた。

その数、11個。

近所の柿の木には及ばない。

どの家も、食べきれないほどの橙色をつけている。

柿の木とは、こういうたわわななりかたをするんだな。

我が家の柿の木を見ながら、

ちょっと違うなと思った。

年数が違うのだから仕方がない。

残念だが、どうしようもない。

果物の木とは、個体差があるものなのだ。

柿の木の横には、八朔、温州ミカン、モモ、すもも、さくらんぼと、

色々植えている。

いまのところ柿以外は、全く動く気配はない。

モモに至ってはもう葉すらない。

それでもひっこぬかずにそのままにしている。

いつか、また、数年前のように、

ちょっと桃の花が咲かないかなと思っているのだ。

そうして、果物を植えて、何年も経つが、

そのころの気持ちは今は薄れている。

もう気づいてしまったのだ。

果物の木を植えると、

実がなるまでに年数がかかるのだと。

頭では分かっていたが、

実際には長い長い道のりだった。

これからそれをするのかと思うと、

二の足を踏んでしまい、

「数年で実がなる木なら」

と条件をつけてしまいたくなる。

いつか、どこかできいたのだ。

林業は、昔の人が植えてくれたものをいただいて、

材木にしているのだ。

そして、自分たちが植えたものは、

子供たちが切り出していくのだ。

自分たちが植えたものは、

自分たちで使うことは出来ない。

それでも、木を植えていくんだ」

その時はよくぴんと来なかったが、

今なら分かる。

人間の命に寿命があることが、

肌感覚で分かってきたからこそ、

今ならば分かるのだ。

自分の事ばかり考えていると、

木なんて植えられない。

いつか私がこの地を離れても、

柿の木は残るだろう。

それでもその柿の木を植えたのは、

間違いなく私なのだ。

庭にスコップで大きな穴を、

えっちらおっちら掘って、

牛糞を入れて、苗を植えたのだ。

おかげで今は11個もの柿の実をつけてくれている。

この柿の木は、私の柿の木なのだ。

そう思うだけでなんだか、うれしくなってくる。

柿の木を持ち歩くことは出来ない。

引っ越しても、よほどでなければ、

持って行けない。

それでも、私が柿の木を植えたことに間違いはないのだ。

二人娘が、「柿、たべなーい」と言っても、

主人が、「あんまり、たくさんは無理かな」と言っても、

そんなのは、小さなこと。

私は柿の木を植えた。

そして立派に柿の実がなった。

それでいいのだ。

こうして書くと、それはまるで、子育てのようだな。

まあ、いいや。

これからも、おおきくなあれ。

水道水と愛情と、太陽をいっぱい浴びて。

どこまでも、大きくなあれ。

ああ。

柿の木を植えて、良かった。

本当に。

良かったな。

半年ほど前のGWに、家族で遊園地に行き、

アトラクションに乗った時、

「もう、ジェットコースターは乗れないな」

と実感した。

左右にぶらぶら揺れるバイキングだの、

壁のない円柱型の、360度くるくる回るものだの、

色々乗った結果、三半規管が悲鳴を上げたのだ。

「もう、無理ですー」

私の三半規管が泣いて懇願しているのを感じて、

「分かりました。

いい年して、アトラクションに乗るのは、もうやめにします」

と心に誓ったのである。

ところが、である。

この半年の間に、私は週3日ほどバイトに行き始めた。

内容は、小売店の品出しやレジ打ちなど。

基本的に立ち仕事なので、4、5時間は店内を走り回っている。

そういう生活をかれこれ8か月程続けてきて、

どうやら私の体は、鍛えられたようだ。

「アトラクション、大丈夫そうだ」

と、私の三半規管がそう言った気がした。

さてさて。

では少し試してみようか。

二人娘と一緒に、バイキングに乗ってみた。

二人が一番端の、一番揺れが大きいところに乗ったものだから、

私も調子に乗って、そのひとつ前の、揺れの大きいところを確保した。

そうして、揺れて、揺れーて、揺れーーて、揺れーーーーーた。

「ん?んん?んんん?んんんんん?」

大丈夫そう。

というか、超楽しい。

もちろん、揺れが下がる時は、

胸が、ふわっとして、

うへえーーーとはなる。

しかし、それは、みんな一緒。

みんな口々に、

「気持ち悪ー」とか、

「わあー、きたー」とか、

叫んでいる。

前回のように、三半規管の悲鳴はない。

なんなら、もう一回乗ってもいいくらいの楽しさ。

幼少期からずっと、こういうアトラクションで、

気分が悪くなったことは、ほとんどない。

ジェットコースターもバイキングも、

思いっきり楽しんでいた私である。

そうして今日は思い切り、

その楽しさを味わった。

バイキング、超たのしーい!

あの頃のわくわくが、いつの間にか戻ってきていた。

あんなに、「立ち仕事しんどーい」

と言っていた私が、

今は「バイトのおかげで体が鍛えられたー」

と嬉しくなっている。

現金なものだ。

でも嬉しかったのだ。

若いころの楽しみがまた戻ってきたようで。

なにより、娘たちと一緒に楽しめるのがいい。

うれしい。

私はとても、うれしいのだ。

とはいえ、少々、体にこたえることはこたえた。

若いころのように、平然とバイキングに乗るのは無理だった。

何事もなかったかのような、へっちゃらなふうには、出来なかった。

さすがに、半世紀を超えた私の体は、

若いころのそれとは、少々勝手が違うのである。

そこで今回のバイキングは、私なりに工夫してのりきった。

その方法とは。

ずばり。

「きゃーきゃー、言う」

である。

「なんじゃそりゃ?」

と思われるかもしれないが、

本当なのである。

最高位まで上がり切ったバイキングが下りる時、

「このままでは、いかん」

と私は無意識に感じた。

「このままでは、体へのダメージが大きすぎる。

なにか対策せねば」

ととっさに、瞬時に思ったのだ。

そうして、ほぼ本能的に私が取った行動は、

「叫ぶ」だったのだ。

なにがそうさせたのか、それは分からない。

医学的根拠など、しったこっちゃない。

ただ、ただ。

私の体が

「おもいっきり、叫んでくれ。

きゃーきゃー、叫んでくれ」

と言ったもので、そうしたのだ。

揺れるたびに叫んでいたら、

その内に、ふと、変な感覚におそわれた。

「私の体の空気、入れ替わっている?」と。

どういうことかというと、

キャーキャー叫ぶと、当然、体の中の空気が外へ出ていく。

すると、当然、その後は外から空気を入れていくようになる。

それを繰り返すと、体の中と外の空気が入れ替わり、

中和されていくような気がしたのだ。

本当に中和されるのかは、しらない。

そう感じただけかもしれない。

でもともかく、叫ぶことで、体が楽になり、

「叫ぶと、バイキング、いける!」

と感じたのだ。

根拠など、分からない。

体の本能的な勘である。

私の感じたことなど、

大した情報ではない。

誰にでも当てはまるものではないのかもしれない。

バイトを週3日、一日4、5時間立ち仕事をしたからと言って、

だれもかれもが、三半規管が復活するものではないのかもしれない。

バイキングに乗っている時、キャーキャー叫んだら、

体が楽になるというのも、全員がそうなるのではないかもしれない。

しかし、たとえ個人差があるものだとしても、

私だけが感じるものだったとしても、

どうしても、書いておきたいと思ったのだ。

どこでどう、誰かの役に立つか分からない。

ならば、一度、書いておくのも悪くない、

と思ってしまったのだ。

世の中は広い。

私の小さな発見が、私ではない誰かの役に立つかもしれないなら、

書いておく意味があるような気がしているのだ。

そしてそれこそが、ブログの醍醐味のような気もするのである。

無理なく、でも、長い時間、体を鍛えれば、

週3日ほどでも続けていけば、

半年もすれば三半規管は鍛えられるかもしれない。

これから体を鍛える人の参考になればうれしい。

バイキングも、落ちる時に叫んだら、

しんどさがやわらぐかもしれない。

よろしければ、お試しあれ。

今日はこんなところで。

「悟りを開く」

というのはどういうことか、

未だに良く分からない。

それは、おそらくえらいお坊さんなど、

わかっていらっしゃるのだろうが、

私などが肌感覚で理解するには、

難しすぎて、

とうてい理解できないのだろうなと思っていた。

ところが、である。

ある朝の日に、虫の亡骸を庭に穴を掘ってスコップで埋めた時、

「ああ、虫も土に還るのだな」

と思った。

そしてそのあと、

「私もいつかこうして、土に還るのだな」

と思ったのだ。

嫌な言い方かもしれないが、

生き物はいつか土に還る。

それが虫だろうと、人間だろうと関係ない。

生れ出たものは、いつか命が尽きるのがさだめなのだ。

どんなにあらがおうとも、

命が尽きて、そして次の命にバトンタッチするものなのだ。

貧乏人も金持ちも関係ない。

いつかその時が来て、

人生にサヨナラするのだ。

そう思った時、ふと、

「私は、悟ったな」

と思った。

何を悟ったのかはわからない。

けれど、自分がいつか土に還ると気付いた時に、

人生が有限であると、

本心から分かった時に、

初めて、ようやく、

本当の人生が回り始めた気がするのだ。

「一体、今までの人生は何だったのか。

あれだけの膨大な時間を、

私はどれだけ無駄に過ごしてきたのだろうか。

もっと、もっと、もっと。

色々なことが出来た。

いや。

色々なことをするべきだったのに。

どうしてあんなに、しょうもないことに、

時間も力も心も、使ってしまったのだろうか」

そう思うと、いくらかの後悔もでてきたりした。

一方で、人生が有限だと気付いたからこそ、

今までの時間の使い方が粗末だったと、

気づくことができた。

しかしきっと、

若いころの無駄な時間は必要だったのだ。

人生が有限だと気付いていなかったからこそ、

人生は何でもできると、

何も気にせず、いろいろなことに、

挑戦できたこともまた事実なのである。

これから、どうやって生きていこうか。

これから、なにをして生きていこうか。

誰に、何をしてあげて、

誰に、何をしてもらって、

生きていこうか。

今はまだ見えない未来に、

自らが積極的に向かっていこうとする自分がいる。

「悟りを開いた気になっている、うかれた自分」

なのかもしれない。

「悟りを開いた気になっている、勘違いの人」

なのかもしれない。

それでも。

それもまた悪くないと思っている。

若いころ、人生の有限性に気づいていたら、

もっと、もっと、大きなことを本気でやっていたのかもしれない。

でも、今からはそんなこと、

考えても仕方のない事。

私の人生は、半世紀をとおに越えて、

人生の後半が始まっているのだ。

だから、ここで本気をみせよう。

ここから自分の人生は、

本気モードで行こうと思う。

人生後半戦の、人生設計を、エクセルで作った。

いつブログ飯を達成して、

パリ旅行に行って、

バイトを退職するか。

ブログ飯で、家族で旅行に連れて行ってあげて、

私も、バイト代に縛られない人生を手に入れる。

若いことはできなかった、

「本気モード」で成すべことを成す。

ただ、それだけだ。

どうせ、いつかは尽きる命なら、

一度くらい、何かに本気で取り組んで、

結果を出そうとしたって、

いいではないか。

「本気になって取り組んだけど、駄目だった」

では、駄目である。

「本気になって取り組んだから、成し遂げられた」

でなければ、駄目である。

いつも、大きな夢は語らない私であった。

幼少期の同級生たちの将来の夢を、

ふーん、と少々冷めた目でみていた私である。

本気で何かに取り組むことなど、

あまりなかった私である。

それでも。

土に還るその前に、

本気でブログ飯を達成しようと思っている。

そうなればいいな、ではなく。

そうしなければならない、である。

「悟りを開いた人」

というには、

あまりにも俗世間すぎるけれど、

悟りに近づいたような気が、

少しだけしているのである。

今はまあ、

そんな感じでいいかなと、

そう思っている私なのである。

ある種の才能があれば、

自分はもっと輝けたはずだと、

若いころに思う人は多いだろう。

そういう私だって、

少なからずそう思っていた節がある。

大したことでなくても、

たとえば、勉強やスポーツ以外にも、

歌だの楽器演奏だの、

話し方だの人気者だの、

料理だの手先の器用さだの、

なんだっていいのだ、

何か自分にはもっと才能があればと、

そう思ってしまうものなんだなあと思う。

ところが、50歳も過ぎてみれば、

自分の人生の限りが見え始めてくる。

今からは、無理だろう。

そう思えることが増えてくるのだ。

それは体力的にはもちろん、

精神的にも無理が出てくる。

気合を入れて何かに打ち込んだとて、

とうてい、徹夜などはできない。

徹夜明けの自分の体力がどうなっているか、

次の日が使い物にならないと、

分かってしまうのだ。

それでは、もう何かをしたくなっても、駄目なのかと言うと、

そうではないと思っている。

矛盾しているようだが、

違う戦い方があるように思えてくるのだ。

それはまるで、力のないものが、

てこの原理を利用するようなもの。

体力がないなら、道具を使う。

記憶力が落ちたなら、パソコンを駆使する。

そういうものだ。

しかし、それだけではない。

それが、「才能の、向こう側」

だと思っているのだ。

「才能の、向こう側」

それは、下手に才能がある人は気が付かない領域。

いうなれば、ニッチ産業。

「上手ではないけれど、

ずっと、ずっと、続けていくうちに、

わくわくしながら習慣づけて、続けていくうちに、

気が付くとものごとが上達してしまっていた」

そんな感じ。

それが、才能の、向こう側。

だけど、それこそが、凡人の戦い方なんだと思う。

私はそれに気づかず、

いろいろなことを投げてきた。

才能がないことを言い訳にして、

どうせ、平凡な人生だと、あきらめていた。

きっとそういう、私のような人が、

世の中には多いのだと思う。

だからこそ、いまこそ、言いたい。

才能がすべてではない世界が、

世の中にはいっぱいあるのだと。

28歳の時、外国に短期留学した。

折角だからと、日記を毎日つけだした。

限られた貯金をはたいて、

出来もしない英語を使って、

3週間を過ごした。

英語の能力の向上はなかったが、

日記は付け続けた。

どうしてだか、やめなかった。

きっと習慣になっていたのだろう。

気がつくと、25年の歳月が過ぎていた。

図書館で借りた本に、

「1万時間の法則」

というのがあるのだと書いていた。

なるほど。

腑に落ちた。

急に、文章が書けるようになったのは、

そういうことかと、納得したのだ。

けれど、こうも思った。

「文章を書けるようになったのは、

1万時間の法則かもしれないが、

文章の内容は、

今までの私の人生の全てが詰まっているのだ」と。

つまり。

私達が何かを成し遂げようとするとき、

「1万時間」を費やせば、

おそらく、多くの事は、

それなりに出来るのだろう。

しかしその内容は、

その人の人生が反映されているのだと。

そういう事のような気がするのである。

たとえば。

ずっとスイーツを食べてきた人が、

お菓子作りを1万時間したとする。

その作り方は、1万時間のおかげで、

すばらしいものになったのかもしれないが、

どのような味にするのか、

どのような材料をするのか、

どのような見栄えにするのか、

それを決定するのは、

その人の今までの経験が生きてくるのだろう、

ということなのだ。

才能とは、何なのだろう。

実際のところ、良くは分からない。

けれど、それだけで何かを成し遂げることなど、

きっと出来ないのだろうなと思う。

才能の、向こう側にある、

わくわくする好奇心が、

きっと私たちを、

突き動かしてくれるのだろう。

そしてそれこそが、

私達にとってとても大切な宝物のような気がするのである。

小学校でボランティアをしている。

絵本を読んで、算数を教えて、生け花を生けている。

そうして小学生に接する時、

そのパワーに圧倒されるときがある。

「ああ、これなんだ」

そう思える時がある。

子供は天才。

そして、それを信じることが、

最初の一歩のような気がしている。

隣の人を見て、ひるまなくていい。

自分の信じた道を進んでくれたらいい。

自分の子供がどうとか、

他人の子供だからどうとか、

きっと本当は、大したことではない。

親だから、もうあきらめる?

子供だから、応援する?

そんなこと、ないと思う。

何歳だろうが、関係ない。

やりたいことをしたらいい。

大きな才能がなさそうなら、

才能の向こう側に、行ってしまえばいい。

自分だけは、自分を信じて。

きっとそれはとてつもなく、

わくわくするものだと思う。

一緒に、人生を。

エンジョイしていきましょうよー。

最近のテレビのドラマについて、

どうしても気になることがある。

どうして、「同じテーマ」のドラマが、

2本、3本、違う局同士で放送するのだろうか。

事の発端は、男性同士の恋愛とか、

発達障害とか、そんなドラマが続いた時だった。

「あれ?なんか、同じようなの、多くない?」

最初の違和感だった。

とはいえ、特に気にすることもなく、

いつものように、タイトルに惹かれるものや

曜日枠で気に入っているものを、

最初の一話だけみて、

次にさらに気になるものを二話だけみて、

最終的に8本、9本くらいに絞って、

ドラマをみていった。

「まあ、今回だけかぶったんだろうかな」

そんな感じに軽く思っていた。

しかし、である。

ある時、そのひっかかりが、

はっきりとした違和感に変わったのである。

それは「記憶喪失もの」だった。

明らかに、おかしい。

なにがおかしいって、「普通、そのテーマ、かぶる?」である。

男性同士のドラマは、分かる。

今までも、深夜枠とか、わりと好まれているテーマだ。

それほどメジャーではないものの、

一定の支持層があるのも事実だ。

まだ、分かる。

発達障害物も、まだ、なんとか、分かる。

同時期にかぶるテーマとしては、

「んー?」とはなるものの、

こちらも、まあ、そんなこともあるのかなと、

思わなくもない。

しかし、しかし、である。

「記憶喪失もの」って、、、。

いままでも、そりゃあ、あっただろう。

記憶喪失のドラマ。

珍しいテーマだな、くらいで、

特に印象深いものではなかったものの、

そのテーマも、あるにはあっただろう。

いや、しかし。

同時期に、かぶる?

そのテーマ、かぶるもんなの?

いや、いや、いや、いや。

ないでしょー。

ない、ない、ない、ない。

そのテーマがかぶるなんて、

普通考えにくいでしょー。

そこまで考えて、はた、と気づいた。

記憶喪失ものがかぶっている時、

男性同士の恋愛ものもないし、

発達障害物もない。

明らかに、テーマが決められていて、

順番にテーマに沿って、ドラマが作られている。

そして、私は思った。

なにか、ある。

最初は、局の情報が洩れて、

他局が同じテーマをパクったのかとも思った。

しかし、同じテーマが2本ならともかく、

3本ともなると、話は違う。

これは、そんな単純なものではないのではないか。

そして、男性恋愛もの、発達障害物、記憶喪失もの、

と、順番にテーマに沿ったものが作られているのを考えた時、

ひとつの仮説が頭に浮かんだ。

それは。

「いろいろな局が集まって、作戦会議してんの?」

である。

はじめは、「テレビ局は、お互いにライバルである。

決して、仲間になどならない」

と思っていた。

しかし、もしかしたら、そうではないのかもしれない、

と思い始めたのである。

昔は確かに敵同士であった。

視聴率をめぐって、

熾烈な競争がくり広がられていたのだろう。

しかし、時代は変わった。

テレビ局がライバル視するもの。

それは隣の局ではなく、ユーチューブやゲーム、そういったものなのである。

テレビ離れがはなはだしい今の時代に、

どうにかしてテレビを観てもらうためには、

単独の局が頑張ったところで、

その力は限界がある。

そこで、テレビ局同士が手を組んで、

なんとか、テレビを観てもらおうと、

作戦を練ったのではなかろうか。

そう考えると、すべてのつじつまが合う。

毎シーズンごとに変わるテーマ。

2本、3本と、同時期に同じテーマのドラマが作られること。

それらに意味があるのだと、見えてくるのである。

そうか、そうだったのか。

本当にそうだったのかは、分からない。

しかし、私の中で、そう考えて、納得した。

なぞは解けた!

正解かどうかは問題ではない。

私はそう考える。

もし間違っていても構わない。

一人でそう思う事とする。

だって、そう考えると楽しいんだもん。

テレビが斜陽を迎えていると言われても、

私はテレビを観てしまう。

1話目は、あらかた、全部。

といっても、12、13くらいだが。

どうしても興味を持てない、

残酷だったり、難解すぎたり、苦手ジャンルだったり、

するものを除いて、できるだけ、

先入観なしに見ている。

好きな俳優、嫌いな俳優など、

なるべく考えないで、

「ドラマが良ければいいよ」

とのスタンスでみている。

2話、3話、とどんどん本数は減っていき、

最終的に、8本、9本まで減らして、

最終話までみるようにしている。

もちろん、途中で、

ありゃー、違ったなー、好みじゃないわー、

となれば、途中下車するが、

だいたいは、最後までみるようにしている。

でも時には、「最後だけ見たい」とうものもあり、

それもありにしている。

ゆるいルールなのだ。

そんな気ままなドラマ視聴だが、

私自身は気に入っている。

考え抜かれた脚本に、

その俳優にしか出せない演技、

目に焼き付くカメラワーク、

それらを見た時に思わず、

「プロやなー」

と感動するのである。

ユーチューブもいい。

ゲームもいい。

それでも。

テレビドラマには、そこでしか出せないものが、

確かにあるのである。

だから。

私はこれからもドラマを観るだろう。

そして、あーでもない、こーでもない、

と一人でいろいろ妄想しては、

楽しむのであろう。

それも、また、楽しい。

「こうでなくっちゃ!」

を外した時、なにか面白いことが起こるような気がしている。

わくわくを、ありがとう。

テレビドラマ、ガーンバッ!

家族でお料理教室に入会し、

初めてのレッスンに行ってきた。

本当は4人ともパンのコースの予定が、

次女が「私はケーキがつくりたーい!」

というもので、

3人がパン、1人がケーキに申し込んだので、

2組に分かれてそれぞれがレッスンを受けた。

体験会は料理をしたので、

教室でパンを作るのは初めてである。

少々緊張はするものの、

とにかく先生におまかせしようと、

あまり気を張らずに行った。

しかし、予想以上に、

バタバタしていた。

私のテーブルでは、5人がレッスンを受けるのだが、

うち、3人が我が家の家族。

あとの2人がお友達同士らしいおばあちゃまたち。

そして、パンの種類は3種類。

「好きなパンを作っていいですよ」

というルールなので、遠慮なく、

我が家は3人とも別々のパンにした。

おばあちゃまも、おそらく、分けっこするのだろう、

別々のパンを申し込んでいた。

さて、大変なのは先生である。

パンの種類が違えば、当然、材料も違ってくる。

パンを作る大まかな工程は似ているものの、

微妙に違う工程に、

先生はタイマーを付けては消し、付けては消し、

ピピピッという音に追い立てられ、

ひっきりなしに動き回っている。

「大丈夫かな?先生。目が回らないかな?」

そんな心配をしてしまうほど、

先生は走り回っていた。

おばあちゃまたちはどうやら初心者ではないらしい。

まあ、パンの種類が「基本コース」のパンなので、

ベテランではないにしても、

初めてではないから、まだなんとかなる。

しかし、問題は我が家である。

マイペースの主人に、超不器用な長女、

そしてうっかり八兵衛丸出しの私である。

果たして無事にパンが焼きあがるのだろうか。

不安しかなかった。

果たして。

心配は稀有に終わった。

先生の見事な指導により、

特に大きな間違いもなく、

信じられないくらいに順調に進んでいった。

材料の入れ方のコツ、パンをこねる時の注意点、

てきぱきと指示が飛んできて、

あれよあれよというまに、

パンが丸まって、膨らんで、ふっくら焼きあがっていた。

中に入れる具材も、ちょいちょい、高給なものが入っていて、

いやがおうにもテンションが高まった。

さすが、プロの教室。

一味違うぜ、と嬉しくなった。

さて、どうしてこんなに順調なのかと思案したのだが、

やはり、少人数制が良いのだろうと思った。

目が届くのが、5人までなのだろう。

そして、この教室ならではなのだが、

隣のテーブルの先生が、

助っ人に入ってくれて、

指示を出したり教えてくれたりするのだ。

これは大きなポイントだろうと思った。

やはり、たった一人で教えるのと、

隣に別の先生がいて、

なにかあったら助けてもらえるのは大きい。

実際私は隣の先生の助っ人が、

大変有難かった。

これはいい、と思ったのだ。

そうして、出来上がったパンは。

主人の耳までチーズが入ったピザに、

長女のクリームを入れたら完成するさっくりパン、

私のたまごを入れたら完成するコッペパンである。

次女は隣のテーブルで、ミルクレープを作ってくれた。

思った以上に充実したラインナップ。

帰宅して夕食にいただいたが、

案の定、食べきれず、いくつか残ってしまった。

それでも、それがまた、明日食べられることに、

うれしさも感じた。

たくさんあるって、嬉しいのだ。

家族4人で、15000円の受講料。

ちょっと高級な食材をつかっているとはいえ、

ピザとケーキとパンで、この価格は、

なかなかの価格だと思う。

しかし。

今、私は思うのである。

決して、安くはないが、これ以上安くは出来ないだろうなと。

なぜなら、それほど、いろいろと準備をしてくれて、

それはそれは、丁寧に教えてくれるからだ。

まるで家庭教師のように、

「出来るようになるのを目的にして、教えていきます」

という姿勢が感じられたのだ。

もちろん、材料費だけを考えたら、高いだろう。

しかしこの受講によって、

パン作りの技術が身に付き、

一生ものの料理の腕が磨かれるのなら、

それはけっして損はないような気がしているのである。

長女が言っていた。

「今日は、楽しい。料理って楽しい。来て良かった」

それがすべてを物語っていると思った。

主人も長女も、普段日常的に料理をしない面々が、

楽しく、料理に取り組んでいる。

しかも家族で一緒にわちゃわちゃと。

それは、ひとつのイベントであり、

心が浮き立つものだった。

素晴らしい。

一生この受講料を払い続けるわけではない。

いつか一人で料理できるようになったら、

卒業してもいいのだ。

そう考えると、あまり難しく考えずに、

「料理が出来る自分になろう」

そのためのお勉強代だと思えばいいのだと、

そんな風に思うのである。

これからさき、

美味しいパンをいつでも作れて、

それが一生続いて、

パン屋さんに頼ることも少なくなれば、

食費も少々下がるかもしれない。

そんな風にも思うのである。

楽しんで。

技術を磨いて。

食費も下がる。

いいことばっかり。

受講料はそのための、

自己投資だと思うのだ。

この受講料が高いか、安いか。

それを決めるのは、

これから先、その技術を使うか否か、

自分にかかっているような気がしているのである。

ビバ、料理家族!

やってやるぜっ!

そんな、感じで。

料理教室、おすすめですよ。

最近、断捨離の二回目をしていて、

現在も絶賛、断捨離中である。

一回目は、あまりにも洋服や本など、

物が多かったので、

断捨離し終わった後、

かなりのビフォーアフターになったものである。

さて、今回。

二回目なんだから、

手慣れたもんだろうと高をくくっていたのだが。

どうも、サクサクとはいかない。

物の順位をつけるとすれば、

断捨離の一回目は、四軍、五軍、六軍といった、

いわゆる、捨てやすいものも少なくなかった。

しかし、今回の二回目は、

わりと気に入っているものを残しているのだ。

なかなかに、難しい。

高価だったから、というだけでなく、

そこにちょっとの思い出もプラスされているもの。

捨てにくい。

もうすでにきれいではなく、

思い出だけなんだけど、

数年前に再会した友人からのプレゼント。

捨てにくい。

うーん、こまった。

とりあえず、無難なところから攻めていき、

ぶりがついたところで、次に勧めることにする。

あきらかな、汚れのもの。

捨てようか。

あきらかな、10年以上も経っている洋服。

捨てようか。

そうして、じわじわと捨てていった。

部屋にゴミ袋を置いておいて、毎日一個以上。

どんなに小さな、試供品とか、粗品とか。

そんなんでも、カウントして、

なんとか、一個以上を確保していった。

しかし当然のことながら、スランプは来る。

毎日、毎日、捨ての事ばかり考えて、

ちょっと嫌になり、レシート一枚捨てて、カウントして、

明日からどうしよう?

などと考える日々。

健康的ではないな。

そう思うが、家にはまだまだ、

物がたくさんひしめいている。

あの押し入れだけでも。

あのプラ衣装ケース4個を3個にするだけでも。

そう思うと、手を止めてはいけない気持ちになる。

なんでこんなに物が貯まるんだろう。

決してぜいたくしているわけでも、

衝動買いをしまくっているわけでもなく、

たんたんと日用品を買って、

生活しているだけなのに。

はあー。

ため息も出るってもんだ。

そして、いつものように断捨離しているある日。

私の中に今までとは違う気持ちが芽生えた。

それは、真っ白いジーパンを、

断捨離しようか考えていた時の事。

近所の安価なB級品を扱うお店で買った白いジーパン。

濃紺や黒以外はほとんど履いたことがなかったから、

ちょっとテンションが上がった。

特に、何が欲しいともなく入ったお店で、

試着してみて気に入った。

お値段も、驚くほどお安い。

これは、買いだな。

わたしの買い物センサーがそう反応した。

だがひとつだけ難があった。

エストが少々大きいのだ。

プラス3センチほど。

試着の時は、ベルトを締めようと思った。

実際、購入後はベルトを締めて履いていた。

真っ白いジーパンにこげ茶の細いベルトがアクセントになり、

鏡で確認すると、なかなか様になっていた。

いいねえ。

自分でそう得心した。

しかし、月日は流れた。

数年で、数回。

ほとんど履くことはなかった。

理由は明白。

最初に気がかりだった、ウエストの大きさだ。

ベルトを締めると、大丈夫なのだが、

いかんせん、ベルトが固い。

立っている時はまだしも、

座るとお腹に圧迫感がある。

中年になれば、腰回りがふくよかになるのである。

そうして、白いジーパンの出番は終了した。

数年で数回ほど履いた後、

タンスに眠ることになる。

濃紺と黒いジーパンがどんどん活躍する中で、

どんどん後ろへ追いやられ、

最終的に一番後ろで、

「白いジーパンって、おしゃれだよねー」

という顔をして、

それでも全く出番がなくて、

引き出しで白い姿だけを見せて、

鎮座することになったのである。

その日も、手にしてみては、

「いつか、出番がくるのかもしれない。

だって、おしゃれな白いジーパンだもの」

と引き出しに戻そうとした。

捨てようとして、思いとどまり、

また捨てようとして、思いとどまり、

を繰り替えていている白いジーパン。

その日もそうなる予定だった。

しかし、私は見逃さなかった。

白いジーパンに、うっすらと、

赤茶けたシミが、

ほんとうに、うっすーらと残っているのを。

今まで何年も何年も洗濯していないのに、

今更洗濯して、このシミが落ちる可能性は?

すぐさま私は、NO!を決めた。

今更洗濯などしない。

ここが、覚悟の時なのである。

そのまま手にして、いつもの4つ折りのまま、

白いジーパンをゴミ袋に入れることにした。

今までありがとう。

楽しかったよ。

そんな気持ちすら、生まれていた。

その時、私は気づいた。

「私は、安堵している」と。

あんなにふんぎりがつかなかったものが、

一気に片付いた。

シミを見つけてがっかりするどころか、

ようやくこれで捨てることが出来る、

と安堵したのである。

要は、きっかけがほしかったんだな、私。

そのことに気づいたのである。

どんなものも、きれいなままだと捨てられない。

そういえば、先日、同じようなことがあったことに気が付いた。

若いころに買った、茶色の格好のいいヒールの靴。

本当にきれいで、履くと足の形がきれいで、

それに合うように、ハンドバックも色をそろえて買ったくらいだった。

それはやはりずっと捨てられず、

靴箱に鎮座していたのだが、

ある日、見ると、革製品だけに、黒シミがぽつぽつぽつと、

付いていたのである。

「こりゃ、仕方ないな」

そう思って、ようやく捨てた。

そういえば、その時も、安堵していたっけ。

私、捨てる理由が欲しかったんだな。

何か物を捨てる時、

理由付けをしたいものだが、

本当は、それほどたいそうなことではないのかもしれない。

捨てたいから、捨てる。

それでいいのかもしれない。

もし捨てて後悔しても、

それはそれで、良い教訓だし、

次に生かせばいいのだし。

がんじがらめに考えなくてもいいのかもしれない。

もっと、自由に。

もっと、軽やかに。

断捨離できたらいいなと思う、

最近の私なのである。