グレンダイザーU ~マジンガーZも活躍する快感! しかしてあまたの要素で渋滞! 超古代文明ネタなどで、続編での挽回を期待したい! (original) (raw)

『グレンダイザーU』 ~マジンガーZも活躍する快感! しかしてあまたの要素で渋滞! 超古代文明ネタなどで、続編での挽回を期待したい!

(文・T.SATO)

もう50年近くも前の作品になってしまう巨大ロボットアニメ『UFO(ユーフォー)ロボ グレンダイザー』のリメイク作品。巨大円盤UFO型のメカの側面から貫通するかたちで、それを巨大ロボット・グレンダイザーが身にまとって大空を飛行し、地上で敵の巨大ロボット怪獣と戦う際にはそこから飛び出す! ……といったバトル・スタイルであった。

その原典たる同作は、本邦初の人間が直接に搭乗して操縦する形式としての巨大ロボットアニメの元祖にして、2年近くもの放映を達成した大ヒット作『マジンガーZ(ゼット)』(72年)とも「世界観」を同じくする作品でもあった。大人気作品の常で、『マジンガーZ』もまた「世界観」を同じくするかたちでシリーズ化がなされていったのだ。主人公青年・主役ロボット・敵の軍団などを刷新するかたちで、『グレートマジンガー』(74年)が1年間、そして本作『UFOロボ グレンダイザー』(75年)がシリーズ第3作として1年半もの長期間で放映されている。

筆者はこれらの作品群を子供時代の原体験とする老害オタクである……読者の過半がドン引きしている姿が目に浮かぶようだ(汗)……。しかし、同時期の昭和の「仮面ライダー」シリーズ(71~75年)にもいえることではあるけれど、子供ながらにシリーズが継続していくと慣れてしまって飽きてくるところもあったものだ。シリーズ初期の作品群には新鮮な気持ちで接して熱狂し、シリーズ後期の作品群にはじょじょにサメてはいった……といった印象が正直あったのだ。本作もまた、

『Z』 > 『グレート』 > 『グレンダイザー』

と時代が降るにつれて、作品の熱気や子供間での熱気もウスれていったようにも実感している……ただし、長じてからの再観賞での印象は異なっている。いずれのシリーズも後期作品の方が工夫を凝らしており、人間ドラマ性やテーマ性も高かったと個人的には考え直してはいる。しかし、それゆえにこそ幼児にとっては……といったところでアンビバレンツ・二律背反ともなるのだ……。

とはいえ、同年1975~77年にかけて放映された巨大ロボットアニメ『鋼鉄ジーグ』・『大空魔竜ガイキング』・『UFO戦士ダイアポロン』・『ゴワッパー5(ファイブ) ゴーダム』・『グロイザーX(エックス)』・『ブロッカー軍団Ⅳ(フォー) マシーンブラスター』・『合身戦隊メカンダーロボ』・『超合体魔術ロボ ギンガイザー』などといった、当時の子供心にもややマイナーに感じられていた作品群と比すれば、原典「グレンダイザー」にはまだまだ圧倒的なメジャー感・ブランド感はあったものだ。同時期に放映されていた合体ロボットアニメの元祖『ゲッターロボ』(74年)の続編『ゲッターロボG』(75年)や『超電磁ロボ コン・バトラーV』(76年)と並んで、1975~76年にかけての同時代におけるトップ3ではあったのだ。
そして、ロボットアニメジャンルにおけるメジャー感を醸している王者は、この『コンバトラーV』とその後番組でもあった『超電磁マシーン ボルテスⅤ(ファイブ)』(77年)にその後番組『闘将ダイモス』(78年)へと移っていくのだ。

しかし、あらためて視聴率を確認してみると、『グレンダイザー』のそれは前々作『マジンガーZ』や前作『グレートマジンガー』ともほぼ同じではあった。どころか、最高視聴率30%超えを達成したのは、世代人的にはもう飽きが来ており、大勢が同作から離脱していった時期であったようにも感じていた、まさに同作シリーズの後半であったりもするのだ!(汗) シリーズが継続するにつれて視聴率が微減どころか半減していった、70年代前中盤における昭和の「仮面ライダー」シリーズや第2期「ウルトラマン」シリーズなどとは随分と状況が異なっていたのだ。
正直、これは意外ではあった。もちろん、世代人としての個人の感慨・実感は必ずしも万能ではない。このデータを個人的に読み解くには、こうである。年々歳々に子供たちは入れ替わっていく。しかし、上の世代が卒業していっても、下の世代が続々と参入してはくるのだ。そして、彼ら下の世代の幼児たちは、前作・前々作との比較もヌキでの新鮮な感覚で同作を観賞していたのだとの解釈もできるのだ。

もちろん、そうはいっても世代人たちはご承知のとおりで、『グレンダイザー』は往時の子供たちにはビミョーな感慨をもたらしていた作品でもあった。『マジンガー』シリーズの後日談世界としての担保として前々作『マジンガーZ』の主人公青年が副主人公としてレギュラー出演を果たしてはいた。しかし、その扱いは決してよいものではなかった(汗)。主人公や主役の新ロボ・グレンダイザーを活躍させるために、彼はその引き立て役・前座役となってしまっていたのだ。往年の英雄でもある彼がどう見ても非力で小型な円盤型のメカで援護射撃はするものの、往々にして撃墜されて不時着してしまう……。

彼に往年の名機・マジンガーZを持たせてさえいれば、宇宙人の先進科学で建造されたグレンダイザーには匹敵せずとも、時に敵のロボット怪獣をも撃破して、その有能性をも見せつけてくれていたであろうに……。そういった、同作の前年に放映されていた、同じく亡国の王子ネタでもあった『ウルトラマンレオ』(74年)における「変身できなくなってしまったウルトラセブン」こと怪獣攻撃隊の隊長に昇格していたモロボシダンもまた、いつの日にか復活してセブンに再変身して壮快なる大活躍を見せてくれるのに違いない! といったような、実際には両作ともに実作においては叶えてもらえなかった感慨を、特にオタク気質ではなくても当時の近所の子供たちや小学校のクラスメイト、あるいは全国の子供たちの100人中100人(笑)が共通して語っていたものなのだ。そして、もしも『グレンダイザー』をリメイクする機会があれば、そのへんの作劇バランス・パワーバランスをもうまく料理をしてほしい! ……といった漠とした想いを、子供の時分から数十年間も持ち越し続けてもいたであろう(爆)。

そして、半世紀近くも経ってからのTVアニメでのまさかのリメイク! 四捨五入をすると、もはや還暦(汗)になってしまったような世代人共通の「願望」の一端はここにて叶えられることになる。ご多分に漏れず本リメイクもまた、放映される前から宣伝戦略の一環として情報が小出しに開示されていった。そして、本作もまたリメイク作品であるからには、『マジンガーZ』の青年主人公が当然ながらに再登場はする。しかし彼に加えて、その愛機・マジンガーZも登場するというのだ!

もちろん、作品の看板が『グレンダイザー』である以上は、グレンダイザー以上にマジンガーZが強かったり活躍するといったことはアリエナイことも常識的には直感される。筆者もまたマジンガーZが主役機のグレンダイザーをも上回るほどのデシャバった活躍をすればイイのに……などといったムチャなことはツユほども思ってはいない。

とはいえ、論理的には最後に主役機・グレンダイザーが勝利して花を持っていく……のだとしても、「100対ゼロ」か? あるいは「100対マイナス100」か? といった話ではないのだ! その強さの比重を「50対50」ではなくても、「60対40」や「70対30」などといった比率にはして拮抗させてほしいのだ。つまり、最後には負けてしまう引き立て役なのだから、その過程の描写へのこだわりなぞは悪アガキでもあって無意味ですらある、よけいなシーンでもあるのだ……といったことにはならないのだ。

たとえ最後には負けてしまうことが、子供にとってさえもバレバレではあったとしても、その過程でいかに粘ったのか? 一応の強さを見せたのか? 善戦してみせたのか? 敵わずとも敵に一矢を報いてみせたのか? そういった、単なるストーリー展開をも超えたところでの、そんなディテールによっても、あるいは撮影現場や絵コンテ段階でのアクション演出の一挙手一投足によっても、そのシーンの意味あいや感慨もまた大きく異なってくるものなのだ。

筆者個人は擁護派ではあるものの、そんな筆者でさえもその欠点を認めざるをえない、昭和の「第2期ウルトラシリーズ」のウルトラ兄弟勢ぞろい編における、先輩ウルトラ兄弟たちの弱さや負けっぷり。そういったものに成り下がってしまってはダメなのだ。仮に脚本上ではそうであっても、せめて映像化の際には殺陣(アクション演出)にもこだわってみせることなのだ……むろん、脚本上にもそこまでアクションが記されていることがホントは望ましいのだ!……。
たとえば「確実に一矢は報いてみせたのだし、先輩ヒーローが弱かったのではなく、敵があまりにも強かったから、仕方なく敗北してしまったのだ!」といった、後年の特撮怪獣映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』(09年)における先輩ウルトラマン10数名vs悪の黒いウルトラマンことウルトラマンベリアル戦のようなアクション演出ができていれば、あるいは敗北するにしてもネチっこく苦戦を描写して負けるのではなく跡には引かないかたちでサラッと敗北してくれれば、第2期ウルトラシリーズにおけるウルトラ兄弟客演編もカナリ印象が異なってきて、後年における評価ももっと高くなっていたではあろうから……

本リメイク『グレンダイザーU』#1の冒頭においても、当然ながらに地球人ではなく宇宙人でもあり亡国の王子、つまりは貴種流離譚の体裁でもあった主人公青年が搭乗する巨大UFO型円盤・スペイザーが、地球の中東の砂漠地帯に不時着してくるシーンを配してはいる。

しかして、ナゼかそこに往年の『マジンガーZ』の宿敵にしてロートル世代には見覚えもある人気「機械獣」こと2つ首のロボット怪獣が襲撃してきてしまう!(笑) そして、そこに颯爽と大空から駆けつけてきてくれるマジンガーZの勇姿!

#1の中盤においても、中東のリヨドの地に建造されていた邸宅風のヒミツ基地に、原典におけるそれを踏襲して、庭園の広大なプールの底が左右に別れて水が滝のように流れ落ちていく底にある格納庫からエレベーターにてマジンガーZの巨体が押し上げられてくる! 小さな両翼内のプロペラで空も飛べるヘリコプター型の操縦ユニットでもある小型飛行メカ・ホバーパイルダーもその頭上に合体! 長大なる両翼を持った紅い大型飛行ユニット・ジェットスクランダーも高層ビルの内部からカタパルトが伸びてきて発進する! そして、マジンガーZの背部に合体して大空へと飛んでいくシークエンスを長々と描いてもいく!

#1の終盤においても、3度目のダメ押し出撃! 今度のお相手は、マジンガーZの宿敵であった「機械獣」ではなく、原典『グレンダイザー』とも同様に敵の小型円盤型の雑魚メカや「円盤獣」なる宇宙人科学の巨大ロボット怪獣だ! 雑魚メカ群には両眼から発する白色の光子力ビームを薙ぎ払って圧勝するも、両胸から発する紅い熱戦・ブレストファイヤーや、ヒジから先をまるごと発射するロケットパンチに、ジェットスクランダーを用いた機敏な空中戦でも敵わない! ついに撃墜されてしまうマジンガーZ! しかして、装着したままでのロケットパンチの火炎推力を援用して高空へとジャンプして、敵の円盤獣へとシガみつき、ゼロ距離でのブレストファイヤーでカラくも敵を撃破する!

そういったところで、従来の敵メカとは異なる新敵メカの強さを見せつつも、それには屈せずに力押しでは負けても臨機応変さでは勝つ! といったかたちで、マジンガーZの強さや機転や勝利も充分に見せつけて、視聴者や往年の世代人諸氏にも爽快感を与えているのだ。

しかして、このテの活劇作品には必須でもある、一進一退のツルベ打ちとしての攻守逆転の連発たるシーソー・バトル! 新たな円盤獣2体が即座に襲来してきて挟み撃ちにしてくる!…… 円盤獣の強固な装甲で、マジンガー渾身のパンチも効かない! どころか、その下腕部まるごと砕け散ってしまった! ついには操縦席がある頭部もまるごとやすやすとモガれしまう!

……といった大ピンチを描いたところで、作品タイトルの看板ともなっているグレンダイザーを召喚せんと、原典とも同様に主人公青年が掛け声とともに例のスマートなヘルメットマスクも着けた操縦服スーツ姿へと瞬時に変身!

このテの作品恒例のイイ意味でのインチキなのだが(笑)、砂漠に隠していたグレンダイザー(の巨大円盤側の操縦席)に主人公青年はすでに搭乗しており(瞬間移動?)、省略技法で次のシーンではマジンガーZの頭部も奪還していて、格闘もせず敵ロボに手もふれずに、両側頭部の巨大な2連ヅノから雷撃必殺ワザ・スペースサンダーにて左右双方の敵ロボを瞬時に爆砕してしまう圧倒的な強さを見せつける! カッチョいい! ヒーロー、あるいはヒーローロボットたるものは、かくあるべしなのだ!

以上は#1の感想であった。この調子でリアルロボットアニメの初作『機動戦士ガンダム』(79年)以前の子供向け勧善懲悪活劇の特徴でもあった、たとえドラマやシリーズのタテ糸はあったとしても、イイ意味での1話完結のルーティン(繰り返し)バトルの魅力! それを、各話においては、あるいは少なくとも1クール・全13話しかないTVアニメシリーズの前半においては見せること!

具体的には、各話で攻めてくる敵のロボット怪獣を、我らがグレンダイザーがそのスペースサンダーなり、両肩の突起を刃の部分とした棍棒型武器・ダブルハーケンなり、その刃の部分だけを投げつけるショルダーブーメランなり、ロケットパンチならぬドリルパンチでもあるスクリュークラッシャーパンチなりでバッタバッタとやっつけて、そこにて撃破された敵ロボたちを様式美的に尺数やタメ(溜め)を相応にも取ったうえでの大爆発を起こしてみせること!

こういったことの繰り返しの念押しが、そういうものでもあった原典作品のリメイクとしてのイイ意味での「既視感」として、そして各話単位でのドラマやテーマをも超えた、作品世界や主役ロボットの単なる「役割」ではないところでの「存在感」「重み」の地固め・重心・土壌の盤石化として、必要なものでもあったのだ。

そして、そういった「活劇としての爽快感」や「ヒーローの超越性」……ただし「絶対性」ではない。むろんシリーズの後半にでも至れば、時に強敵には敗北してもイイ……を、砲丸投げの「支点」として確保していればこそ、「落差」や「対比」として時たまにある「人間ドラマ性」や「社会派テーマ性」などが、遠方に飛ばされても引き立つのである。

逆に云ってしまうと、そういったインフラ・地盤を固めることを軽視して、「人間ドラマ性」や「社会派テーマ性」、もしくは「リアル・シミュレーション性」だけに邁進してしまうと、「物語的な起承転結感」「活劇的なダイナミズム」には欠けてしまった、どことなくメリハリがなく締まりも悪い、往年のヒーローもののリメイク作品などが輩出されてしまうことになるのだ。あるいは、キチンとした王道・中核があってこその「落差」で際立つ「アンチテーゼ編」なども屹立してはこないのでもあった……。

その意味では、ハリウッドのアメコミ洋画なども、一部の取り澄ました批評・感想オタクたちは、それらがいかにポリコレ的にも正しいか、社会問題なり社会の先進化などの反映でもあるのか、といったところでの正当化で論じがちなのだが、個人的には物足りなさを禁じえない。
そうではなくって、各作品における相応の尺数と特撮を駆使したボリュームもある一進一退のラストバトルによって、これらの作品群は「物語的な起承転結感」「活劇的なダイナミズム」をも担保できており、大衆向けエンタメ・娯楽活劇作品としての体裁を確保することにも成功したことによって、観客・大衆もナットクができて、そしてそのうえで、そこに込められていたドラマやテーマもスナオに感受することができているのだ。

この心的なメカニズムを無視して活劇性を軽んじて、ドラマ性やテーマ性にリアリズムだけを重視してはならない。作品に何らかの主張を込めたい御仁こそ、活劇的・物語的な結構・体裁・大ワクがまずありきであって、そこにトッピングをするかたちで、かつ鼻につかないかたちでドラマ性やテーマ性を混入させるべきなのだ。つまりは、そういった物語受容における、人間の心的な機微の意識化・言語化・理論化が大多数の人間にはまだできてはいないといったことでもある。もちろん、アマチュアの二次創作などにもこういったものは多い(汗)。よって、このあたりの機微の啓蒙活動にはますます励みたいとも思うのでもあった……。

とはいえ、それでは本リメイクが、昭和の時代の変身ヒーローものや巨大ロボットアニメのように完全に1話完結もののスタイルで、最後に取って付けたような最終回がある! といった作りであればよかったのか? といえば、そうもいえない。それはさすがにキツすぎる(笑)。

よって、本リメイクにおいても、原典作品にも原型となるゲストキャラはいたものの、各話のゲスト怪獣……ロボット怪獣こと「円盤獣」や、原典のシリーズ後半に登場する「ベガ獣」なる新敵怪獣……などとも異なる、シリーズを通じて登場するライバル的な敵キャラ2名や、彼らが搭乗するグレンダイザーとも同等のスマートなヒト型ロボット・アクアダイザー&ゼオラダイザーなども登場してくる。そのこと自体はそれ単独ではイイと思う。

しかし、ロートル・オタクたちはご承知のとおりで、原典の『グレンダイザー』は1年半もの長丁場におよんだ作品ゆえに、スポンサーとしては新たな玩具を売るために、シリーズ2年目相当のクリスマス商戦向けであったか、グレンダイザーが新たに装着する巨大円盤ならぬ飛行用でもあった大型武装メカこと、(本リメイクでは超古代の宇宙科学製ではあったが)地球科学製のドリルスペイザー・ダブルスペイザー・マリンスペイザーの3機体が増員されていったのだ。
これに伴ない、それらに搭乗する新たなパイロット要員として、かつてはマジンガーZを駆っていた青年が、そしてグレンダイザーを駆る主人公青年の妹でもあるお転婆な年下ヒロインも新たに登場してきて、さらには#1から登場していた清楚な民間人メインヒロインも内心ではホレている主人公青年を助けたいという一心でパイロットに昇格していくのだ。そして、この新飛行メカの登場やどの機体に誰が搭乗するのかについても、当時のロボットアニメとしては珍しく、半クールほどの話数も費やして描いていくのだ。

そう。ナンと! 原典でも正義側の主人公チームの4人中の半分の2人もが女性キャラになってしまったのであった! ……今だとフツーであって男女平等にも配慮した、もとい思春期以降のオタク男子向けのハーレム要素としてもカンゲイされるのであろうが(笑)、70年代当時の小学生男児としての感慨では、男児向けのアニメで紅一点ではなく男女が同数といった編成が、もちろん言語化できてはいなかったものの「隠微な不健全感」(汗)や「テレくささ」といったものを直感してしまって、プチ抵抗感を覚えていたようには思うのだ。筆者と同世代のマニア諸氏にも長じてからはともかくとしても、そういった往時の幼少期におけるビミョーな感慨などは聞くのだ。

とはいえ、後年に知ったことだが、この70年代中後盤には、1960年前後生まれのオタク第1世代がちょうど中高生の年齢に達していた時期でもある。80年代以降の用語ではあるオタク的な気質を持った人種たちの間では、原典『グレンダイザー』における主人公青年の妹・マリアちゃんや清楚で健気なヒロイン・牧葉ひかるは人気があったことが、往時の批評・感想系同人誌『PUFF(パフ)』などには残されていたりもするのだ。
しかして、児童間ではそのような女子キャラ人気は特になかったとは思う。東映動画側の主導ゆえにか牧葉ひかるは、本作の原作者たる永井豪センセイのヒロインらしくはなく、実に地味な印象ですらあった。しかし、後年にオタク化してから観返すと、この好対照なふたりは実に魅力的ではあったけど!(笑)
よって、本作が元祖・美少女アニメ的な受容をされていたこともまた頷けるのではあった。その意味では本作は、本稿で強調してきたようなロボットプロレスアニメにはとどまらない。中高生以上の年長オタクたちでも観賞ができて、ロボット活劇のみならず美少女キャラにも懸想ができるような作りの作品の走りでもある、多重的な作品であったことも事実なのだ。

しかし、ロボットアクションや美少女キャラともまた別に、本リメイクでムズカしいところは、主人公青年デューク・フリードこと宇門大介(うもん・だいすけ)のキャラである。原典における彼は、『マジンガーZ』の未熟で喧嘩っ早い主人公・兜甲児(かぶと・こうじ)……といっても今、顕微鏡的な視点で微差を拡大してみせると、同時期の永井豪アニメ『デビルマン』(72年)の主人公青年・不動明(ふどう・あきら)に比すれば、イイとこのお坊っちゃまでもあって、かの不良っぽいようでも下品ではないウルトラマンゼロのように寸止めで「品」があったりはするのだが……、その兜甲児よりも年長者で戦闘のプロとしても描かれた『グレートマジンガー』の主人公・剣鉄也(つるぎ・てつや)、これらのご両人よりもさらに年長格かつ人格的には完成しており落ち着いてもいる温厚な長髪イケメンの好青年! といった感じではあったのだ。

これはこれでフツーにカッコよくて相応には魅力的ではある。しかし、往時の大多数の子供目線では、一般的には『マジンガーZ』時代のヤンチャで無鉄砲な兜甲児の方が親しみやすくて魅力的であると映っていたとは思うのだ……むろん、アニメ媒体の作品でもあるから、そのヤンチャさ・未熟さが鼻にはつきにくかったこともある。同作が実写特撮ものであった場合には、視聴者側のリアリティの階梯・喫水線が無意識に上がってしまうので、あまりに未熟で自分勝手な無鉄砲キャラであった場合には、たとえ子供視聴者ではあっても、頼りなさや無責任さの方が感じられてきて鼻についてしまったことではあろうけど……。

つまり、原典における主人公青年のキャラは老成していて完成されたものでもあって、それ以上の変化や成長の余地があまり感じられないのだ。彼を原典そのままでリメイクしてしまうとたしかにそのキャラが立ってこないことも事実ではあろう。
そうなると、彼自身を原典よりもやや未熟で悩める発展途上の繊細ナイーブ寄りの青年キャラとしてみせる。そして、シリーズのタテ糸にも成りうる彼自身の因縁ドラマとして、母星には見目麗しき恋人の金髪美女がいた! しかして、自身が搭乗したグレンダイザーが暴走したことで母星を滅ぼしてしまってもいた! ……といった負い目も背負わせることで、ドラマ性を持たせようとしたこともまた、個人的には理解ができるし、文芸面でも一般論としては間違ってはいないとも思うのだ。

グレンダイザー自体もまた彼の母星で建造されたものですらなく、超古代の宇宙文明にも由来するらしきスケールの大きな因縁を持たせたこともまた、主役ロボに神秘性や超越性を増進させる効果もあるので好印象ではあった……もちろん、濃ゆいロボットアニメマニア諸氏はご存じのとおりで、これは往年のTVアニメ版ではなく、後述する当時の幼年誌におけるコミカライズ版での設定を引用したものでもある……。

しかし、この作品は1年間・全4クール・全50話といった作品ではない。1クール・全13話しかないのだ(笑)。

①:各話でのルーティン巨大ロボットバトル
②:敵になってしまった、かつての恋人
③:グレンダイザーとも一応の同等であるヒト型巨大ロボを操る、少々イカれたライバル美少年
④:シリーズ後半から登場する新飛行メカや妹ヒロイン
⑤:さらに加えて、声優・戸松遥が1人2役で見事に演じ分けてもみせていた、かつての恋人の双子の「姉」キャラの方も濃厚にカラんでもくる!
⑥:さらには、#1にて大破したマジンガーZもシリーズ終盤では強化改造・復活を果たして大活躍!

個々の要素・アイデアはそれ単体では大変に魅力的ではあるとは個人的には思うのだ。しかし、全13話しかないシリーズに、これらの要素をすべて集中投下してしまったことは正しかったのか? 正直、渋滞が起きてしまって、個々の要素が引き立ってはいないのだ(笑)。

いや、引き立っていなかろうとも、何らかのテはあったようには思うのだ。とにかく各話で少しでも尺数を取ってロボットバトルを挿入し、勝利のカタルシスを味あわせることによって、各話における「終わった、終わった。メデタシ、めでたし」感を出してしまえば、作品や各話エピソードとしての腰の据わりもよくなったのではなかろうか?……実はかの巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)なども、こういった各話での勝利のカタルシス要素は、少なくともシリーズの前半においては押さえてあって、作品を底の方から下支えてもしているのだ……

とはいえ、戦闘シーン・メカ作画などはカット割りも細かくなることで必然的にカット数も(背景も)、メカの線画作画なども増えてはいく。もちろん、本作の巨大ロボたちはセル画ライクなCGなのだが、CGモデルをカッコよく誇張も加えて動かすのは大変だそうなので、そういった都合論でもロボットバトルがない話も配置して、バトルがある回の方に集中的に投下する……といった舞台ウラも多分あるのであろう(笑)。
そうであれば、原典の「マジンガー」シリーズにはたしかに存在しなかった要素ではあるものの、日本サンライズ系の巨大ロボットアニメ『勇者ライディーン』(75年)や『超電磁ロボ コン・バトラーV』(76年)などに始まる「何度でも観たくなる」ような美麗なバンクフィルムによる必殺ワザシーンを作成しておいて、それを流用していくテもあったのではなかろうか?

その意味では、「作劇論」なり「作劇の手法」なぞではなく、本作の監督も務めていた、年長オタク諸氏には評判が悪い『機動戦士ガンダムSEED(シード)』(02年)や子供向けロボットアニメ『GEAR戦士 電童(ギアファイター でんどう)』(00年)に悪趣味(笑)なロボット深夜アニメ『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(ロンド)』(14年)などを手掛けてきた福田己津央(ふくだ・みつお)カントクを戦犯扱いにするような「属人的」な批判には疑問を覚えてもいる。

別に福田カントクにかぎらずリメイク作品全般で、ディテールアップをする場合によく発生する「主客転倒」現象、結局は何が作品のキモであったのか? といったことを意識化・言語化・理論化ができていないことによる弊害が、一時のリメイク作品ほどヒドいものではなかったにせよ、本リメイクにもまた生じてしまった……といったところが個人的な整理にもなるからだ。
つまり、「愛」の欠如だのといったフワッとしたポエミー(詩的)な話ではないのだ。極端に云えば、「愛」があっても「作劇テクニック」がなければ駄作に堕してしまうのだ。「愛」がなくても活劇の「テクニック」に通じてさえいれば、スカッとする爽快なる活劇作品は作れるハズではあるのだ……もちろん「愛」も「テクニック」も双方ともにあれば、それに越したことはないものの……。

ただまぁ、本リメイクのようなオリジナルなネタを投入していくのだとしても、せめて2クールは費やしてほしかったとは思うのだ。前半の第1クール目においては、敵ロボが攻めてきて撃退を重ねるだけの1話完結のルーティンバトルを主に描いて作品世界や主役ロボのヒロイックさを地固めしていく! 後半の第2クール目からは、妹キャラ・マリアや新飛行支援メカなどを登場させる! そうして第2クールの終盤においては、本リメイクのオリジナル展開たる「双子の敵キャラとのドロドロとした因縁痴話バトル」(笑)も配置する。……といった体裁であれば、ロボットアニメファンや原典ファンの多数派はともかくとしても、筆者個人はもっと肯定したとは思うのだ。

もちろん、2クール分を製作できる予算それ自体がない(汗)。分割2クール想定にしても、2クール目を製作できるのかも分からない。だから、全13話にすべてのネタを投入してしまおう! といった舞台ウラも容易に想像はつくのだ。しかし! 1クール分しか製作できないのだとしても、仮に「こんなの『グレンダイザー』じゃないやい!」と一部の大勢のマニア諸氏(笑)からは批判されようとも、そうであればこそ「オレたた」エンドこと「オレたちの戦いはこれからだ!」的に、第1クールの終盤においては敵軍団の初代中堅幹部(笑)との最終決戦だけを描いて、来ないやもしれない第2クール(爆)に登場するであろう妹キャラや、かつての恋人キャラを顔見せ紹介的に登場させての放映終了! そういったかたちの方が、作品のまとまり的にはよかったのではあるまいか? というか、本リメイクの最終回ラストにおいても、ラスボスであるベガ大王はその存在だけが示唆されて、物語それ自体や大王との決着それ自体は付かずに終わったのだし……。

ご存じのとおりで、原典作品は日本で放映終了後の翌1978年に、フランスとイタリアでも放映されて、いずれも最高視聴率が80%以上(!)を達成している。近年では戦災で荒廃してしまったイラクとシリア、そしてサウジアラビア・エジプト・ヨルダン・クウェートなどでも80年代に超特大ヒットを記録していたことが知られてもいた。しかし、これは原典たる『グレンダイザー』が突出して優れていた作品であったからだ! メイン脚本家・上原正三センセイの文才が優れていたからだ! といったことでもないのだ(汗)。
ハワイでは東映ヒーロー特撮『人造人間キカイダー』(72年)が、ブラジルでも東映ヒーロー特撮『巨獣特捜ジャスピオン』(85年)が超人気であった理由は、『マジンガーZ』よりも先に『グレンダイザー』が、『仮面ライダー』初作(71年)よりも先に『キカイダー』が、『宇宙刑事ギャバン』(82年)よりも先に『ジャスピオン』が先に放映されたから……といった相対的な理由で、絶大なるインパクトをご当地の子供たちにはもたらして、それでもって日本における2番手・3番手やシリーズ中興の祖ではなくって、変身ヒーローものや巨大ロボットアニメとしての始祖やスタンダードの位置をも獲得してしまったから!……といったところでもあっただろう。「作品評価」とは作品の文芸的な内実だけではなくって、外的・歴史的に「始祖」であったか「後続作」であったかといったことにも良くも悪くも規定されてもいるのだ。

その意味では、中東のオイルマネー円谷プロの特撮巨大ヒーロー『恐竜大戦争アイゼンボーグ』(77年)がリメイクされたのとも同じパターンで、潤沢な予算が確保できたのかと思っていたのだが……。永井豪のダイナミック・プロがその高い版権料でガメてしまったのでもあろうか?(笑)
冗談はともかく、本リメイク終盤にはマジンガーZの復活ではなく、シレっと何の伏線もナシで、その看板番組の最終回では重傷を負って一時リタイアしたことにもなってしまった剣鉄也が復活して、グレートマジンガーにて助っ人参戦してもらう! といったサプライズなども個人的には観てみたかったものなのだが……。
ハリウッド版の『ゴジラ』映画にキングギドララドンモスラを登場させた場合には、本家の東宝にも莫大なる版権料が支払されるそうだ。これと同じリクツで、誰でも子供であっても考えそうな燃える展開ではあっても、実現は予算的にも困難であったといったところであろうか?

そういった意味では、本リメイクがマニア世間で酷評されているほどに全否定をされるべき作品だとも思わない。しかし、大傑作に仕上がったとはとてもいえない。賛否はあろうが、ウン十年後の続編映画『劇場版マジンガーZ/INFINITY』(17年)や、「マジンガーZ」のリメイク深夜アニメ『真マジンガー 衝撃! Z編』(09年)の方がトータルでは個人的には面白かったことも事実なのだ。

とはいえ、筆者が指摘してみせたようなことは、作り手側でも百も承知であるだろう。本リメイクにはロボットバトルの存在しない回も多かったが(爆)、ロボットバトルが存在する回のバトル演出それ自体は凝ってはいたのだ。しかして、人間ドラマ部分の作画や背景美術などがダメだったとまでは云わないものの、今どきのTVアニメとしては最上級のものではなくイマイチではあった(汗)。とはいえ、筆者個人は作画至上主義者でもないので、そのあたりは許容はできる。
キャラクターデザインが永井豪的なソレではなく、原典たる往年の東映動画的なソレでもなく、『エヴァンゲリオン』のキャラデザを手掛けた貞本義行による線の細いキャラデザであったこともまた、今どきの若い世代にとっての口当たり・ウケの良さや、原典にも秘められていた若干の繊細ナイーブさ、薔薇や一輪の花が似合いそうな亡国の王子キャラ……といったことをも踏まえれば、個人的にはアリだとは思える……00年前後からの60~70年代名作マンガの絵柄を忠実に再現したリメイクアニメにもそろそろ慣れて飽きてきてしまったことでもあったし……。その意味では、もう少しだけ今の女子オタたちにもウケそうなキャラデザにも寄せてほしかった欲もある。

本リメイクのタイトル末尾の「~U」の英文字は、当然のことながら原典タイトルの『UFOロボ~』の「U」から採ったものではあろう。それならば、『~F』『~O』と続編を製作していき、挽回していってほしいものである……。

筆者がリアルタイムで『マジンガーZ』を観賞していた時分には、敵の「機械獣」たちが仮面ライダークウガウルトラマンティガ平成ガメラのような「超古代文明」の遺物であったことについては、あまりに幼児に過ぎて理解ができてはいなかったものだ(笑)。次作『グレートマジンガー』における敵軍団はその超古代文明の主であるミケーネ人たちそのものであったことも実は理解ができてはいなかった(汗)。
ただし、これは筆者がまだ幼児であったからであって、小学校の中学年以上ともなれば、こういった伝奇的な要素にもロマンを抱くものだとは思うのだ。本リメイクのグレンダイザーもまた宇宙の超古代文明に依拠する存在でもあったのだし、清楚なヒロイン・牧葉ひかるは本リメイクでは南洋の孤島の超古代文明の遺跡を祭る浅黒い巫女にしてカタカナ名義の牧葉ヒカルに改変されている。放映当時からではなく長じてからの彼女のファンに過ぎない筆者としても、少しだけ残念な処置ではあったのだが、1クールしかない作品ではあるのだし、主人公青年の母星にも婚約者がいる以上は、仕方がない処置として許せはするのだ。

そのうえで、原典の前作『グレートマジンガー』最終回ではスタッフに忘れ去られてしまって(笑)、倒されずに終わってしまった超古代ミケーネ帝国のラスボス「闇の帝王」などともカラめてほしい……などと云いつつ、幼少期の筆者は「闇の帝王」忘却の件にも気付けてはいなかったものの……。ヒカルの一族が祭っている遺跡にはグレンダイザーとの合体をも想定した3大・新スペイザーがすでに太古に埋蔵されていた! といった要素を、ミケーネ帝国や宇宙の超古代文明とも積極的にリンクをさせてほしいのだ。
往時は『テレビマガジン』や『てれびくん』とも競合していた今は亡き月刊幼年誌『冒険王』に連載されていた、桜多吾作(おうた・ごさく)版『グレンダイザー』ほかのマンガ家たちによる各誌でのコミカライズにおける、前作や前々作や、宇宙規模での超古代文明との因縁などとも統合してみせていったオリジナル展開のような、そういった伝奇SF的な要素でのスケール雄大感なども醸してほしいのだ。
そして、往年の『グレートマジンガー』終盤や『キカイダー01(ゼロワン)』(73年)終盤に、飛んで東映変身ヒーロー『宇宙刑事シャリバン』(83年)終盤や『ビーファイターカブト』(96年)終盤などにおける、先輩マジンガーZキカイダー宇宙刑事ギャバンや先代ビーファイター客演に伴なうコーフンやスケール雄大感などもほしいのだ! ……対するに、原典『グレンダイザー』終盤や『宇宙刑事シャイダー』(84年)終盤などにおける、ダブルマジンガーやダブル宇宙刑事の客演による3大ヒーロー集結といったイベントが実現しなかったことによる、何ともいえない不完全燃焼感……
こういった機微をも踏まえたうえでの本リメイクの続編は、当然ながらにスタッフたちの脳内では最初から想定されているとは思うのだ。そうしたロマンあふれる続編ではありつつも、もう少しだけ渋滞はしていないスッキリとして見晴らしもよいような爽快なるアフターストーリーが、いつの日にか製作されることを願ってはいるのだ。

(了)

(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.95(24年11月16日発行予定))