とある教師のegg、無事に孵化できるのか (original) (raw)
今日も今日とてデータの整理。
意外と何時間も向き合えるのだけれど、体は嘘をつきません。頭や目、お尻痛くなってくる…。
また、パソコンは熱くなってくる笑
週末も含めてやるべきこともやりたいこともかなり力を入れてできました。流れはいい!
この調子で平日も変わらずやり続けます。
先の自分が「くそっ!あの時やっておけば…」とならないよう、「今やることで未来の自分がちょっと楽になる」精神を大切にしたいところです。
卒論のデータを整理しています。
ある方の回答を読んで、とても胸に来ました。
今の教員の働き方にかなりの不安がある様子。もちろん、まだまだ勉強してないことがあったり、実習に行ったことがなかったり(年下の方です)と想像するしかない部分があるからだとも思います。
教師になりたいという思いと、なっても大丈夫かな?という両方の気持ちがあることが伝わってきます。
教員という職業のポジティブな面にも目を向けてほしいし、楽しく教員をやる道は必ずある(私も現場に出ていないから、今は理想論を語ることしかできない。きっと、そうであってほしいと言い聞かせている部分だってある)と思ってほしい。
研究はなにかを一気に解決するものではなく、ほんのちょっと今までより前に進ませる営みだと捉えています。
論文初心者の私の卒論が、劇的にすごいことを明らかにするとは思っていません。でも、たくさんの方にご協力いただいていること、この結果を待っている人がわずかでもいることが背中を押してくれます。
最近は「卒業しなくちゃいけない、そのためにはやらなきゃ」という思いで取り組んでしまっていました。
回答を見て、私のほんのちょっとの一歩が誰かのほんのちょっとのヒントになれば…。という思いになりました。
自分だけじゃなく、たとえ微力でも誰かのためにもなるというだけでなんだか力が湧いてきます。
1年生の頃に 読んでいた本を久しぶりに 読み返しました。
1年生の頃はほとんど「そうだよな〜」と思って読んでいましたが、今は 同意できるところもあれば「ここは今の自分的に違うな」と思うところもありました。
たくさんの本を読んだり、いろんな人と話したりすることで、自分の中の考え方や価値観が肉付けされて変化しているのを感じます。
情報が少なければ、その数少ない情報を信じるしかありません。しかし、 色んな情報が入ってくることで自分の考え方も変化し、自分に合うもの合わないものも出てきます。
過去の自分から変化しているというのは、情報や経験からきていることだと思うし、それらがごちゃ混ぜになることで今の自分に成長できたと思います。
やるべきこと、やりたいことに取り組んだ1日。
悩むこともあるけど、何かにどっぷり時間を使った後はとても充実感があります。疲れもどこか心地いい😆
調子をそのままに、週末も休むというよりは楽しくタスクに集中したい。
自分に言い訳して、やるべきこととできることを怠っている。自覚がある。
自分が嫌いな自分でいるのはカッコ悪いし、キツイ。
解決するためには行動しなければ。行動あるのみ。
大学入学以前の私は
「ぶっちゃけボランティアとかしても、得られるもの割に合わないな。わざわざ数時間かけてまでやることかな?」
と思っていました。
今は違います。何のためにやるのかを考えながら取り組むと充実感が上がります。それが自分にもたらしてくれる「得」を理解できれば「むしろ一緒にやらせてください!」という気持ちになります。
そこで得られる経験はもちろん、特に私の場合は今ある人間関係、新しい人間関係をとても大切にしています。
計算高いやつだと思われることもあるでしょう。でも、「得」が分かれば分かるほど心を込めて取り組めるし、人と向き合えます。
「俺もこうなりたい!」という人がそばにいるとついつい比べて、「自分はまだまだだな…」と落ち込むことがあります。
自分が取り組んでいることは間違っていないし、それらが無駄なんてことは決してないんだけど、なんだか否定的になってしまう。
自分を認めながらも、憧れに追いつくために行動し続けることが大切。
自分なりに取り組んでいることがあって、周りに憧れるような人がいるってとても恵まれているなと思います。
一緒に「やろう!」とか「頑張ろう!」と声を掛け合える仲間もいて、本当にありがたい。
一度できた繋がりは簡単には切れません。しかし、「ゼミ生」という箔、「まだ学生」という箔はもうすぐなくなります。「若さ」という箔もいずれなくなります。
箔がなくなってからが本当の自分の価値が問われる時だと思います。
「今の自分を認めながらも、貪欲に学んでいかないとな」と同期と話していて思いました。