第1136回 涼宮ハルヒの憂鬱、Twitter説 (original) (raw)

常日頃からお世話になっております。

ケンロクエンです。

おかげさまで第1136回です。

ライトノベル界の金字塔、もはや教科書に載る古典や伝統文学レベルにまで昇華されてるんじゃないかと思われる超有名作品涼宮ハルヒの憂鬱シリーズ。

ラノベとしての本作が流行った時期が自分のアンテナと少しズレていたことと、アニメが爆発的なヒットをした時にまだ自分がアニメ文化に触れてなかったこともあって、めちゃくちゃ有名でなんとなくストーリーを知ってるけど読んだことがない作品の筆頭になっていました。

いや、触れようと思ってアニメの2期だったかを見ようとしたことはあったのですが、よりにもよって俺が見たのがエンドレスエイト

何度見ても同じ話の繰り返しで、2〜3回くらいで心が折れてギブアップ。

以降触れることなく幾星霜もの年月を重ねてきたわけですが、そんな本作の数年越しの新刊が出るとのことでラノベ界隈が話題沸騰。

今日日アニメやネットの動画に押されて斜陽気味な文字媒体が盛り上がるのは嬉しいところ。

しかもエンドレスエイトにちなんで既刊がラノベも漫画もなんでも88円セール。

かつてエンドレスエイトに心折られたこの俺が、エンドレスエイトによって再び門扉をくぐるのも面白かろうということで、この度手に取り読ませていただきました。

進学先の高校で出会った女生徒、涼宮ハルヒの奇妙奇天烈な行動に振り回される一般やれやれ系主人公のキョンが彼女に辟易しながらも彼女の思い通りに宇宙人の長門有希、未来人の朝比奈みくる、超能力者の古泉一樹が揃ってしまう。

なんとハルヒには願望を実現して現実を改変する能力があり、そのせいで色々おかしなことが……というあらすじはもはや説明不要なレベルですね。

ドタバタヒロインとやれやれ系主人公という構図は数々の模倣作を生み出し、テンプレートとを作ったあるいはより強固な物にしたという意味では古典と言って然るべきかもしれません。

主人公のキョンが「特別じゃない、だから特別」という扱いなのも特別な存在に憧れながらも成長や成熟によって自分が特別じゃないかもしれないと考え始めた年頃にはストライクでしょうね。

特別な存在になれなくても、俺のクラスにハルヒがいたら……なんて考えた思春期の人たちも多かったのではないでしょうか?

今作で最も斬新なのはヒロインであるハルヒが自身の現実改変・願望実現能力に無自覚であることとハルヒ自身が不思議なことを求めつつもそんなものは存在しない、あったとしても見つかりっこないという極めて常識的な精神性を持つが故に手の届くところに不思議の極みみたいな存在が集まりつつも彼女自身はそれに気付かず蚊帳の外という話の作りにあります。

不思議なことが見つからずにストレスを溜めるハルヒとそのハルヒを巡って宇宙人・未来人・超能力者それぞれの都合に巻き込まれるキョンの対比はコメディ的かつスペシャルな空気感があります。

自分の能力を知らないから、そして不思議から遠ざかる理由が自分の忌み嫌う「普通」な精神から来ており、足掻けば足掻くほどに奇人扱いされて孤独になるハルヒのことは全てを知っている読者という神の視点から見ると悲しさもありますね。

そもそも彼女が不思議を求めたきっかけが、特別だと思っていた自分の幸せが世界からしたら取るに足らない普通のことだったから、というこれまた普通で常識的なきっかけとなっています。

特別を求めて普通を嫌う彼女を特別から遠ざけるものの正体が彼女自身が普通だからというのは実に皮肉です。

そんな中で彼女に選ばれたキョンという特別でない特別が、今後彼女とどういう繋がりを持つのか令和のこの世の中で楽しみにしています。

しかしながら今作をサクッと1冊スムーズに読むことができたのは、内容の面白さももちろんですが、その異常な読みやすさにありました。

ライトノベルなんだから読みやすくて当たり前、そうでないとウケないというのは当然なんですが、ことこの作品については読みやすさが「異常」の領域にありました。

特に冒頭部の読みやすさはその異常性が顕著で、あまりにもスイスイ読めるので止め時がわからなくなるほどでした。

なんでこんなに読みやすいんだろう?と読んだら途中で気になって、古泉が登場したあたりでもう一度最初から読み直してみたのですが、ページごとの構成が大体3〜4ブロックで構成されてるんですね。

具体的に言えばキョンのセリフ+キョンの独白や地の文2〜3行、それに対するハルヒのセリフ+地の文で2〜3行と言った感じ。

もっと具体的にいうなら「ポニテは宇宙人対策か?」と聞くキョンと「いつから気づいてたの?」と返すハルヒのやり取りなんかが特にそれ。

このブロック分けされたような細かい塊の集合体、なんだかとても読みやすいし見覚えもある。

何よりとても自分自身と親和性が高い……これは一体……?

あーー!コレTwitterだーーー!!

そう、この多過ぎない文章の積み重ねという構成が実にTwitter的なのです!

そりゃ頭にスッと入ってくるわけだぜ!!

何万文字も読め!本を読め!と言われても本を読めない人でも暇つぶしにダラダラTwitterを何時間も見てしまう人は少なくありません。

結果として何万文字も読んでいたとして、それをストレスに感じる人はいないというか、ストレスを感じないからやめなきゃいけないのにやめられないのですが。

ハルヒはそれが引き起こされるんです。

1ページ3〜4ツイートくらいのブロック分けになっており、スッスッスッと読んだらはい次のページという感じで止め時がない。

むしろTwitterの、ネットの毒に脳髄まで冒された俺のような人間にこそスーッと染み込んでいき……毒が……毒が……

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なんということ!

知らず知らずのうちに俺の脳はハルヒを受け入れるための受け皿になっていた……?

もちろん全てがTwitterチックなブロック分けになっているわけではなく、物語がシリアスになると説明もあって少し1ブロックの文字数が増えるのですが、かえってそれが日常との乖離というガチ感を生み出すエッセンスになっています。

特にハルヒが特別を求めるきっかけのシーンはページをギッチリハルヒのセリフが埋め尽くし、地の文でも彼女が息もつかずに捲し立てたことが書いてあって重要なシーンだと文章ではなくページを一目見ただけでわかるようになっています。

ちなみにハルヒの刊行が2003年、Twitterのリリースが2006年なのでこの奇妙な一致(偏見)は偶然なのですが、当時をして最先端だった本作が先端どころか時代を先取りしていたというのは恐るべきこと。

なんならTwitterにどっぷり浸かった人も多い今こそハマる人が多いのではないか?

そう考えると時代に合わせて進化する作品とも言えるでしょう。

読んだら途中は早く読んでおけばよかったと思いましたが、読み終わってみれば今読んでよかったー!となった不思議な作品涼宮ハルヒの憂鬱、是非みなさんもご一読を!

え?もう読んだ?

……それはそう。

ではまた。

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