男の痰壺 (original) (raw)

★★★ 2024年10月5日(土) TOHOシネマズ梅田6

70年代の深夜のTVトークショーで放送当時問題になったというビデオテープが見つかったという体裁であり、その日のテーマはオカルト。「エクソシスト」の公開が72年、同「日本沈没」が73年、ユリ・ゲラーの来日と「ノストラダムスの大予言」の公開が74年、と世界はそういう時代だった。

トークショーが醸す時代の雰囲気が衣装・装置・キャラなど非常に良くできていて、まあ本作の器は上出来。問題は中身である。

【以下ネタバレです】

人心を読む胡散臭いテレパス能力者、逆に超常などまやかしと主張するマジシャン、2人の前振りの後本命の少女が登場する。少女はとある邪教集団が集団自決した際の唯一の生き残りで、どうも悪魔が取り憑いてるらしい。ここまでは良い。

何かを察知し変調を来した能力者がたまらず吐き出す緑のゲロ。マジシャンの暗示にかけららた番組のサブ司会の首から湧き出るミミズ。それぞれ「エクソシスト」「ポルターガイスト」ネタであると思われるし、オマージュだとしたら見知ったネタを上回る何かを用意しないといけない。

悪魔の矛先はメイン司会者に向かう。癌で早逝した彼の妻が心理的な弱みとして使われる。だが、この線で押し切れず、何やらフリーメイソンめいた秘密結社やらが登場してわやくちゃになる。唐突であるし、邪教集団と秘密結社の関係者とか何にも突き詰められていない。あとは済し崩しに「キャリー」のような一大カタストロフとなる。

すごく良い器に盛られた料理が美味しいのか美味しくないのかようわからん、というような出来で惜しいと思いました。

★★★★★ 1978年10月8(日) SABホール

神の在不在に関心が無くとも孤絶された世界と向き合う人々の圧倒的なニヒリズムには深い共感を覚える。ニクヴィスト撮影は余りに厳しい風土を切り取り単調なまでの長廻しを用いてハードボイルドそのもの。対極の『沈黙』の話法と双璧と思う。(cinemascape)

★★★ 2016年1月5日(火) MOVIXあまがさき1

興味のないラップだが理不尽な抑圧に抗する手段であったことは十全に描かれる。そのエモーションが状況を巻き込み爆裂するデトロイトのライブが佳境であるが尻つぼみ。その後は定番通りの乱痴気の日々と内部分裂の展開。互いを罵り合うに呵責なく気持ちいい。(cinemascape)

★★★★ 2024年9月29日(日) プラネットプラス1

✳︎今回プラネットでの上映は「アリゾナの男爵」のタイトルで行われたが、ここでは流通ソフトのタイトルに倣います。

アリゾナ州をまるっぽまんま詐欺ろうとした男の話であり、実話だそうです。まあ、おそらく史上最大の詐欺案件であることは間違いなく、何年間かの周到な準備を経て実行に至るわけだが映画は97分に纏められている。こんなばかデカくエピソード豊富な物語を例えばスコセッシが今映画化すれば3時間は下らないだろう。

当然に色々端折って展開はすっ飛んでいくのだが、アリゾナの土地登記が記された古文書があるスペインの僧院の件は尺が費やされる。登記の改竄のために現実に何年間も僧侶志望者として働いたそうで、大した情熱である。そのあと、イタリアの貴族のところにも古文書の写があろとのことで、そっちも行って婦人をたらし込んで書き換えに成功。気の遠くなるような労力です。

そんなかんだで何年も費やし、どっかの農夫の娘を唯一の相続人に仕立て上げアリゾナに乗り込む。文字通り天地がひっくり返ったような騒ぎになる。まあ、結局、詐欺は失敗するんだけど、それが肝腎要の娘の出自の調査不足によるってのが手落ちもいいとこです。

彼を疑い調査をする検事がいて彼を追い詰めつつ一目置いてるんだが、終盤に負けを認めた主人公に部屋にある自分の犯罪に関する著書を見て「読んだのか」と聞く。間をおいて「私のバイブルだ」映画の締めとして気の利いた素晴らしい台詞であった。

まあ、俺にとっては、これがサミュエル・フラーの監督第2作というのも驚きだった。この大構えな与太話を実に的確な語りで如才なく語り切っている。

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★★★ 2017年8月3日(木) TOHOシネマズ梅田1

自分の殻に閉じこもってる中二病的・オタッキー的男子が、どういうわけだかしらんが明るくて可愛い女子から猛アタックされモテモテになるという点と、その女子が病気になるという点で、これは、内向的女子が陥った一昔前の白馬の王子様願望の極めて現代的裏返しに思える。

こんな話が跋扈すれば、ただでさえ低下している婚姻率がますます低下しちまいそうだ。

はっきり言うが、そんな御伽噺は金輪際おこりませんよ…現実世界では。

待ってたって永久に彼女はできないのである。

映画は、見事に糞詰まり的展開で、彼女の猛アタックで嫌々ながらデートを重ね、挙句に一泊旅行で博多に行って高級ホテルに泊まり手違いだかなんだか知らんが同室になってしまってダブルベッドで一夜を過ごす。

で、…なーんにもしないのであった。彼は。

こんな希薄な関係では、何年後かに思い起こす彼女のメモリーったって薄ーいのだ。

えっ?何?泣けなかったのかって?

そりゃあ、泣きましたよ。手紙の件では思わず嗚咽しそうになりました。

でも、それって、この胡散臭い話を唯1人で背負って真実味を付与した浜辺美波ちゃんのおかげですわ。

ああ…あんな子が息子の嫁にきてほしいわあ。

あと、そもそも、この映画、北川景子ちゃん目当てで見たんですが、こんな損な役、よう受けたなあ思う。

でも、彼女も目いっぱい頑張ってました。

号泣のあと、手のひら返してのドSチックリアクションは彼女ならではです。

一昔前の奥手女子が陥った白馬の王子願望の極めて現代的裏返しで、据膳喰わぬも当たり前では悦に入ってみても内実は妄想に留まる。それでも胡散臭い話を唯1人で背負う美波ちゃんは辛うじて映画の誠。損な役回りに甘んじた景子も又ある意味誠である。(cinemascape)

★★★ 2016年1月9日(土) プラネットスタジオプラス1

男たちの能天気な入浴シーンや何故かの歌曲挿入の何も考えてなさ気の天然の一方、棄てられ男の顛末やラストガンファイトの容赦の無い残虐嗜好。その混在にどうにも性格分裂気味の居心地の悪さがある。40挺の拳銃に出番もなくも否応なしに訪れる常套的団円。(cinemascape)

★★★★★ 2024年10月3日(水) 大阪ステーションシティシネマ

今年の下半期はこれやっていう映画がないよな、あゝこのままでは年間ベストは「悪は存在しない」になってまうやないかい、なんかムカつく、いややー、誰でもえーからバシッとしたもん出したらんかい、とのここ最近の俺の嘆きをこの映画が爽やかに吹き飛ばしてくれました。呉美保さんありがと〜。

とまあ、しょーもないこと書いてますが。

母と息子の話なのだが、終盤で人目を憚りながら嗚咽してしまった。何も悲劇的なことが映画の中で起こるわけでもないし、殊更に扇情的な何かが仕掛けられるわけでもない。ていうか、本作では劇伴は一切使われていないのだ。この選択も清々しいまでに透徹された想いの顕れに思える。

嗚咽してしまったのは、何も俺自身の母親を思ってのことではない。映画の構成が秀でてるのだと思う。親父がくも膜下出血で倒れ、爺さんがあの世に逝った。東京に出ていた息子は帰省した折に母親に言う。「俺、帰ってこようか」母は何言ってんのと取り合わない。そこまで、映画は息子の母親への反撥ばかり描いてきていたから、ちょっとは親思う気持ちもあるんや、とその程度には思わせる。

突然、鮮烈なイメージが現れる。それは、自分が上京するとき駅に見送りに来た母親が帰っていく後ろ姿。列車が去った後のイメージだから息子がその姿を現実に見たわけではない。そのあと幾つかの過去シーンがモンタージュされる。そこでは息子も母も楽しそう。決してリアルタイムでは楽しくも幸せでもなかった記憶は浄化されて心の中に刻印されていくんだろう。それこそ「なんでもないようなことが、幸せだったと思う」である。俺も焼きが回ったのかもしれない。

聾唖の両親に育てられた息子の話である、その大変さ、苦労、或いはそのことがもたらす不利益も含めて十全に描かれているが、にもかかわらず見るものに訴求して来るのは、そういうことを度外視した普遍的な親子のあり方であるところが頭抜けているのだと思う。

両親を演った2人は実際の聾唖の役者だそうで、素晴らしいのだが、特に忍足亜希子には演技賞を獲ってほしい。ポリコレ絡みの授与に懐疑的な俺でもそう思わせる。特に病院での安堵の号泣は彼女にしか演れない演技だと思います。

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