9月のまとめ (original) (raw)

9月に行った展覧会のまとめ

髙島屋史料館 DESIGN MANIA~百貨店・SCのデザイン~
大阪国際交流センター 「人類館事件」を知っていますか?「博覧会と差別」
あべのハルカス美術館 開館10周年記念イベント
狭山池博物館 交差する技術-朝鮮半島系土器の受容と古代工人の技術交流-
大阪府江之子島文化芸術創造センター くりかえしとつみかさね2 大阪府20世紀美術コレクションと現代作家たち
おおさかATCグリーンエコプラザ
ATC 絵師100人展 14 大阪展
大阪府立中央図書館 梶山俊夫原画展「あほろくの川だいこ」
大阪府立中央図書館 東海道・鉄道・新幹線
大阪府立中央図書館 古墳から古代へー激動の柏原ー
堺市博物館 仁徳天皇陵と近代の堺
鉄炮鍛冶屋敷 青龍鉾人形のめざめ―200年の時を超えて―
奈良県立美術館 エドワード・ゴーリーを巡る旅
奈良県立図書情報館 ゴーリーの世界へ飛び込む——ゴーゴーゴーリー
奈良県立図書情報館 永田家文書とその世界

今年3月に開館したが行きそびれていた鉄炮鍛冶屋敷で企画展が開催されることを知り、堺市博物館の企画展とセットで行ってきた。堺市の博物館では、阪田三吉記念室のある舳松人権歴史館や、八尾市にもあるコンペイトウミュージアムに行ったことが無く、旧堺燈台などの名所と合わせてまだまだ堺市に行く機会はありそうだ。

三国ヶ丘駅で降り、仁徳天皇陵の外縁部を歩いて堺市博物館へ。今回の企画展は「仁徳天皇陵と近代の堺」で、明治期以降に宮内省により仁徳天皇陵が整備されていく中で、地元の堺に住む人々と天皇陵がどのように関わってきたかを紹介した展示。初っ端に明治33年(1900)に設置されて大正6年(1911)に廃止されたという英文の制札が展示されていた。禁止事項としてshooting birdsやcatching fishが挙げられており、その後にあった別の制札でも銃猟禁止が大きく掲げられていて、当時の銃の普及具合や猟の状況が気になった。海外向けだからこその内容だったのか、日本語でも同様だったのか。これぐらいの時代になると英文の制札があるのだなあ、では英文の制札は開国からどれぐらいで立てられたのだろう、地方ではどうだったのだろうと、最初の制札一つに色々と考えていた。第1章は「近代における陵墓管理の始まり」として、幕末に公武合体策の一環として実施された文久の修陵の説明から始まり、明治期の実測図や陵墓を描いた絵画資料が展示されていた。明治5年(1872)の仁徳天皇陵の石室調査で製作された副葬品の資料図が、今なお仁徳天皇陵の副葬品を知る唯一の資料となっているという記述に、遺跡調査、まして天皇陵という場の調査の難しさを感じた。第2章は「明治から戦前における仁徳天皇陵」。仁徳天皇陵と周辺住民の関わりが窺える展示で、本展の中でこの章が一番興味深かった。仁徳天皇陵の濠が周辺住民から溜め池としての役割を期待されて出された嘆願書や、豪雨による線路の浸水被害に悩む阪和電鉄が線路の水を仁徳天皇陵の濠に流す注水管の埋設を願い出た資料など、単なる崇敬対象だけでなく、大きな濠を有するが故に地域住民の生活に関わっていたのを初めて知った。かつては周辺部に水田が広がっていたという。第3章は「堺の人びとと仁徳天皇陵」。中百舌鳥村の筒井幸四郎が守長として百舌鳥の陵墓全般を管理していた資料から、地域住民が国の官吏となって仁徳天皇陵を管理をしていたことが紹介されていた。大正13年(1924)に近隣の青年団勤労奉仕で参拝道の整備が行われており、ここからも地元の人々が仁徳天皇陵の整備に関わっていたのが窺える。明治30年代に皇陵巡拝熱が高まった結果生まれた、御朱印帳の皇陵バージョンに当たる陵印軸が展示されてたのが面白かった。第4章は「堺への御幸、行啓と仁徳天皇陵の御参拝」。明治10年(1877)の明治天皇による御幸をはじめ、堺への御幸や行啓に関する資料の展示で、熊野小学校に伝わる額装絵画などが展示されていた。第5章は「写された陵墓—谷村為海が残した古写真を中心にー」で往時の仁徳天皇陵などのガラス乾板のパネル展示で、最後の第6章は「これからの仁徳天皇陵」として近年開催された考古学的調査や三次元点群データによる分析に関するパネルが展示されて終わり。陵墓として政府など上からの管理がメインだと思っていたが、予想以上に地域の人々と仁徳天皇陵の関わりがあったことを知る企画展だった。

バスでうまいこと巡るルートを調べておらず、堺市博物館から40分ほど湊駅まで歩き、南海本線で2駅先の七道駅へ。駅から急ぎ足で数分歩き、入館時間の〆切ぎりぎりに鉄炮鍛冶屋敷に到着した。近隣の2施設と共に町家歴史館として共通入館券が販売されているが、時間が無いので鉄炮鍛冶屋敷のみの券を購入。井上関右衛門という鉄炮鍛冶の邸宅であり、全国で唯一残る江戸時代の鉄炮鍛冶の作業場兼住居が歴史館として公開されている。まず解説ビデオを視聴し、その後に中をぐるっと周った。商いを行っていた場所を再現した「みせの間」のあるメインの建物と、作業場を再現した鍛冶場からなり、展示物がそれほど多くなかったので閉館までの30分でなんとか見終わった。鉄砲作りが銃身などの金属部、手に持つ台木部、所々に施す装飾部、弾丸作りとパーツごとの分業で作られていた話や、鉄砲の銃身を作るには刀剣作りでは使わない銃身内部を整える棒が用いられる話など、町家として建物を楽しむよりは鉄砲に関する展示が気になった。企画展は、屋敷の所在地で行われていた祭りで用いられたという青龍鉾人形という人形を中心に据えた展示。あまり具体的にどのような祭りが開催されたかは不明ながら、人形の修理のためにクラウドファンディングが行われているらしい。展示を見終えて七道駅まで戻った際、河口慧海の像が駅前のロータリーに立っていることに気づく。次に来る時は河口慧海が学んだ清学院にも行きたい。

9月に読んだ本のまとめ

朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』
ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー『フライデー・ブラック』
一色さゆり『ユリイカの宝箱 アートの島と秘密の鍵』
柯宗明『陳澄波を探して 消された台湾画家の謎』
駿馬京『あんたで日常を彩りたい』2巻
並木陽『斜陽の国のルスダン』
fudaraku『竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る』

大坪覚『東京のワクワクする大学博物館めぐり』
金沢百枝キリスト教美術をたのしむ 旧約聖書篇』
佐藤光展『心の病気はどう治す?』
電通PRコンサルティング『企業ミュージアムへようこそ PR資産としての魅力と可能性』下巻

『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』で知って気になっていた『フライデー・ブラック』を読んだ。両親がガーナからの移民であるアフリカ系アメリカ人作家のデビュー作となった短編集。本を開いてすぐに現れる、「「退屈なんてできないはずよ? 本は何冊書いたの?」と言った母へ捧ぐ」という研究者や作家に刺さりそうな献辞に笑い、最初に収められた「フィンケルスティーン5」の衝撃から12編を一気に読んだ。ほとんどの作品で暴力がテーマになっており、変わった舞台設定やSF設定の作品を挟みながら、アフリカ系アメリカ人が肉体的にも精神的にも受ける暴力を想起する作品が並ぶ。1作目の「フィンケルスティーン5」では、黒人の少年少女をチェーンソーで首を切って殺害した白人男性が正当防衛として無罪となった判決を受け、憤った黒人らが起こす暴行事件が多発する中、主人公の男性が報復の欲求に悩む。家の近くで不審な黒人を見かけた際に通報するか自ら射殺するかを選択できるゲームを体験できるテーマパークを描いた「ジマー・ランド」が設定として面白かった。緊急事態の対処に備えるためのテーマパークだったのが、運営利益の問題で子どもに入場が解禁されてしまう。殺され役としてテーマパークに勤める主人公は、仕事として割り切って役目を果たしていたが……。表題作の「フライデー・ブラック」も、押し寄せるゾンビのような客と客を捌く店員の戦場としてショッピングモール商戦を描いていてやはり面白かった。ついていけない人々の死体があちこちに生まれながらも、セールに群がる客と店員の戦いは続き、高い売り上げを叩き出す主人公は売り上げトップに与えられる商品を目指して華麗に客を捌いていく。最後に収められた「閃光を越えて」が、核の光で皆が最期を迎えてリセットする世界を舞台に、好き勝手に生きていく人々を描いた作品で、ループするからこそあらゆる暴力が繰り返されてきたのが描かれており、暴力の印象が強い短編集のラストとして最悪で良かった。

月末に読んだ『陳澄波を探して』は、台湾美術の微妙な立ち位置と歴史が感じられる興味深い長編小説だった。絵画の修復を依頼されたことをきっかけに、画家と記者のコンビが台湾美術で消された画家のことを関係者への取材を重ねて解き明かしていくというあらすじ。1895年という日清戦争の終わった年に生まれ、戦後の白色テロで1947年に亡くなった陳澄波。日本領の台湾に生まれ育ち、文化的な祖国である中国に憧れ、宗主国の日本に複雑な感情を抱きながらも日本で学び、プロレタリア美術の影響を受けつつ、西洋の印象派を咀嚼して独自の画風を確立していく姿に、戦前の台湾の微妙な立ち位置を感じる。印象派の影響を受けた美術をブルジョワ美術と批判し、民衆の苦しみを描く写実美術こそが今描かれる美術だと述べる、序盤に登場した画家・江豊の批判が印象に残る。政治と美術が否応なく分かたれない時代に、重鎮であるが故に政治に関わって最期を迎えてしまった陳澄波の運命が悲しい。