■ (original) (raw)

前の人と別れて新しい彼氏と付き合っています。

障害者2級のadhd持ちの生活保護の人です。

わたしは何の気なしにいつものように前の彼氏に内緒で浮気する心持ちでちょっかいかけたんですが、私のことを気に入ってくれたみたいで、彼氏と別れたら付き合ってって言うねって言われて、なんとなく、そのままバレずに2人とのらりくらり付き合っていけばいいものを、その純粋さと熱量になんとなくここを離れるのも面白そうだなと思って、この前東京の荷物を引き払ってしまいました。

高速バスを払ってくれたのでこの前やっと会ってきました。

彼の顔の端正さが手伝ってまったく不潔ではないのですが、ロングTシャツで汗をかいていたからびっくりした。

20代前半の時に貰ったものを今でもコインランドリーで洗って大切に使っているそうです。

さすがに見てるだけで暑いのでドンキでかわいいジャージ風の線が入ったTシャツ2着買ってあげた。

彼氏はもう大阪で同棲する気満々っぽかったので、わたしもその気になってきて、ではわたしの両親に会おうという感じで厚木に帰って両親に会ったりしてきました。

生活保護のままでは一緒に住めないと知って速攻で就職して今日初めて仕事に行ってました。

今はお酒も飲まず寝ている。

最初、ネットで見ていて、なんとなく話が面白い人だな、と思って(インターネットの悪い部分がたのしい、性癖の捻じ曲がった話をする、ウェット、毎日酒を飲んでいる)ネット上で話を聞くようになって、わたしは好感を持って暇なのもあって通話などでアプローチをかけていました。

大阪に行って暮らすために頑張るなんて思ってもみなかったです。

彼氏は時々ひどく暴力的になるので、混乱します。

「俺のこと見下してる」「あまりにもパカにしている」などはよく言う言葉です。

もう謝ってもらったのでいいですが、わたしの両親と会う前日は、彼が混乱してわたしを美人局だと思って恐怖のあまりここにあまり書けないような言葉をぶつけてきたりしました。

わたしも言われてムカついたら口は減らないタイプなんですが、それ以上にインターネット!って感じの力で猛突進してきます。

彼と喧嘩してるといちばんに感じるのは彼の孤独だった人生。

自営業の毒親のもとで何年も働いてたみたいです。毒親エピソードは沢山あるけどここでは割愛します。彼のストレス発散法は、大好きなゲームのcdタイプのソフトたちを4つに鋏で切っていくことだったらしいです。鬱気味になって手伝えなくなったとき、父親に見捨てられたらしいです。

その後、大阪に出て4度転職。26歳の時、自暴自棄になって貯金900万を一日で使い切る。三重県の何も無い土地を買う。生活保護に入る。

私より重度なうつ病だったみたいで、家に入ると動けなくて廊下で寝ていたそうです。

狭くて何も無い廊下だった。

なんで彼氏のことを書こうと思ったかというと、一般的に家庭で教えてもらえることを彼氏は何も知らなくて、それをこれからも教えてあげたいなって気持ちになって、1度まとめておこうと思ったからです。

わたしがここ数日で彼に言ったことは

・わたしが嫌と言っているのにやられ続けることは怖いのでやめてほしい

・社会的評価と家庭的価値はちがう

・傷ついたという言葉は脅迫ではない

と、色々言ったけど覚えてる限りはそんなような感じでした。

ひとつめの・については、性行為のことなので割愛します。ただ、彼は最初ものすごく怒っていました。自分が否定されたと感じて防衛するために怒ったんだと思います。怒っている彼にわたしは素直に接し続けました。彼はわたしの嫌と言ったことはしなくなった。

ふたつめの・。その日わたしはバイトの面接に行く予定でしたが、慣れない土地でよく眠れず立ちくらみが収まらないので後日にしてもらいました。「一緒に暮らす気ないでしょ。めんどくさかっただけでしょ」という言葉に、彼の卑屈と苛立ちが見えました。毒親のもとで自営業をやっていた彼からすれば、「やる」か「やらない」かの2択なんだとわかりました。

「やりたかったけど出来なかった」という言葉は彼の中では認められないそうなので、わたしは、「貴方がもし何かをやれなかったとして、わたしは、貴方がまったくそれをやろうとしなかったとは思わない」と言った上で、「社会的評価を家庭内に持ち込まなくていい」という話をしました。

こんなことを言語化するのは初めてで、自分でも驚きました。

彼がハローワークで私と通話していた時、私に「月収いくらくらいがいい?」と聞いてきて、驚いたことを思い出しました。

わたしは「好きな仕事をすればいい」と言ったらなんか冷たいねと言ったあとで本当に自分が息をしやすそうな職場を選んでくれたので良かったと思います。

夜、もう一度「あなたが何かをやれなかった時、わたしはやろうとしなかったなんて思わない、既に社会的評価は決定しているのにそれを家庭に持ち込む意味が無い」と言ったら、そんなこと言ってくれるのはみーちゃんだけだと言っていました。

みっつめの・。彼の「不眠症っていう割には俺よりもよく寝てる。俺は全然寝れない」という言葉にカチンと来たので、「悩んでる人に対して俺の方が悩んでるって言うのはださいことだよ」とそのまま言いました。「普通に傷ついた」と言いました。すると、ださい、傷ついた等の言葉は脅迫だという返事。傷ついた、と言えなくなったら、傷ついたままなのに、何言ってるんだろうと思って、さすがに何を言うべきか分からなくなった。

途中で、彼はお父さんにこういうふうな扱いを受けてきたのかもしれないと思い当たりました。それで、あなたは今あなたのお父さんと同じ状態にあると指摘しました。

自営業で鬱気味になったとき、どうだった?

傷ついたって言いたかったでしょ?でも抑圧されて言えなかったんだ。本当はお父さんやお母さんに助けて欲しかったのに、たくさんの酷い言葉や力によってなかったことにされてきたんじゃないかと言いました。

再度お昼に、「傷ついた」っていう権利は誰にでもある、傷ついたなら言って、相手に考えてもらえばいい、それがあなたの尊厳を守ることになる、という話をしました。

仕事中、なにか思うところがあったのか、これについても謝ってくれました。

なにが言いたいかというと、毒親というのは想像を絶する認知の歪みを与えてしまうんだなと思いました。

とにかくわたしのことを世界で1番安心できる場所だと認識させなければいけない。

そのためには金である