kihachi* a suivre (original) (raw)

八幡平の黄葉@岩手_e0048530_00574311.jpg10月の初め、八幡平にドライブに行ってきた。この時期、八幡平の紅葉は山頂の見頃が終わり、中腹の御所沼のあたりが見頃に差し掛かっていた。御所沼周辺は、一面の笹の緑色と山吹色のコントラストが美しい。まるで、ミモザか何かの黄色い花畑にいるよう。一口に紅葉といえど、こんな景色もあるのだなあと感慨深い。一つの山に毎週通いたい。紅葉が山頂から裾野へ広がるまで。その変化をゆっくり眺められたら素敵なのに。なーんて思った秋の一日。  国道45号線ドライブ旅6 @岩手・宮古、そして八戸へ_e0048530_16045901.jpgお昼過ぎに宮古に入る。お腹も空いていたので、宮古の魚菜市場で昼食をとることにした。漁港のイメージが強いので、宮古の魚菜市場が意外と内陸にあって驚いた。宮古には親戚が住んでいるので、ここまで来ると少し安心する。市場内の食堂で海鮮ちらし丼とお味噌汁をいただく。具材いっぱいの美味しい丼に舌鼓を打ち、少し一休み。宮古といえば、やっぱり浄土ヶ浜。市場を出たら、早速浄土ヶ浜方面へ向かう。 国道45号線ドライブ旅6 @岩手・宮古、そして八戸へ_e0048530_16095679.jpg浄土ヶ浜には何度も来ているが、実は夏に来たことはなかったと気づく。第一駐車場に駐車し、そこから歩いて向かうのが奥浄土ヶ浜と呼ばれる場所で、一般的に『浄土ヶ浜』として写真で紹介されるのはその奥浄土ヶ浜だ。第一駐車場から奥浄土ヶ浜までは遊歩道を歩いて15分くらい。いつもならこの道を行くのだが、この日は釜石大観音で歩き疲れたこともあって、第一駐車場から出ている無料シャトルバスに乗ってみることにした。バスはゆっくりと奥浄土ヶ浜へ降りていく。景色ならやっぱり遊歩道の方が好きだが、歩き疲れた父にはバスの方が快適だったようでちょうど良かった。 国道45号線ドライブ旅6 @岩手・宮古、そして八戸へ_e0048530_16151782.jpgこの日、奥浄土ヶ浜は抜群の美しさ。透明度の高いクリスタルのような水面の向こうに、真っ白な岩がよく映える。本当に綺麗でため息が出る。夏の奥浄土ヶ浜は海水浴場になっているようで、子供達が海水浴を楽しんでいた。それでも人でごった返しているというわけではなく、とても過ごしやすい。波がなく、浅瀬になっている面積が広いので、まるで天然のプールみたい。いいなあ、こんな海だったら私も怖がらずに泳げたのに、と思ってしまう。東北にもこんな綺麗な海があったんだなあ。浄土ヶ浜に来るのは秋が多く、それも八戸から来ると、いろいろなところに寄った結果、夕方になることが多い。風が強かったり、曇っていたり、陽光の反射が強かったりと、これまで「すばらしい!」と思うような浄土ヶ浜には出会えていなかったのだけれど、この日の浄土ヶ浜は本当にその名の通り"浄土"だった。こんな海なら私も水着に着替えて飛び込みたい!…が、水着は当然持っていないし、そろそろ出ないと夜までに八戸に帰れなくなってしまうので、渋々帰りのバスに乗った。 国道45号線ドライブ旅6 @岩手・宮古、そして八戸へ_e0048530_16215765.jpgここからは一路八戸を目指しての帰路についたような感じだった。もともと田野畑村や宮古には親戚がいるので、よく来ているし、見知った道は安心する。観光スポットも大体行き尽くしている。それでも北山崎や黒崎灯台、鵜の巣断崖などは久しぶりに寄りたかったが、時期的に虫が怖かったので今回は立ち寄らなかった。(吉浜の傷がここでぶり返した…)一箇所だけ寄ったのは、野田村の道の駅。ここに美味しい塩ソフトがあると聞いて立ち寄る。個人的に、最近流行りの塩バニラ味の飴やお菓子の味が好きではなかったので、それ程乗り気ではなかったのだが、おごってくれるというので行く。 国道45号線ドライブ旅6 @岩手・宮古、そして八戸へ_e0048530_16294475.jpgどうせ塩バニラの飴と同じような味なんでしょ、と思って一口食べたら、全然違った!なにこれ!美味しい!塩の味が全くなく、普通のソフトクリーム。…なのだけれども、後に残るまったりとした甘さがなく、すっきりさっぱり口の中が爽やか。しかし、決して塩の味はしない。期待していなかったので写真も撮らずに食べ始め、食べ始めたら美味しくて止まらなかったので、写真が食べかけ…。本当に美味しかった!また食べたいなあと思う味。一般的なソフトクリームは甘すぎて好きじゃなかったのだけれども、このスッキリした甘さはとても自分好みだった。道の駅のだ。また行きたいよ…!そうこうしているうちに、45号線は久慈を通り、階上を通り、やがて八戸へ到着。なんだかんだで長かった!だけどやり遂げたことが嬉しいかぎり!仙台を出て北へ向かいながら、多くの景色を見た。三陸の美しさ。たくましさ。賢明さ。優しさ。知らなかった景色や知らなかった出来事、復興の風景。自分の目で見て、自分の足で歩く楽しさに代えられるものはない。ニュースを見て、新聞を読んで、雑誌を見るだけで満足したらもったいないんだなあと思った。子供の頃から「三陸の」という枕詞のつく場所で育ったものの、なんとなくしかわからなかった「三陸」の土地。それが北から南へちゃんと繋がって、自分の中で実感として持つことができた。とても良い経験になったし、こんな過酷な旅に一緒に付き合ってくれた父に感謝。楽しかった! 吉浜で思わぬトラブルに見舞われ、2時間近くロスした私たち一行は、アブ襲撃事件の恐怖を引っ張りながら釜石に到着。釜石といえば、海辺に立つ真っ白な大観音で有名なので、そこへ行ってみることに。国道45号線ドライブ旅5 @岩手・釜石 _e0048530_15005240.jpg看板に従って車を走らせると、そう遠くない場所にお寺があった。"釜石大観音"という呼び名の方が有名だが、観音様を擁するのは石応禅寺という曹洞宗のお寺なのだそうだ。行ってみるとその大きさにびっくりする。高さは48.5メートルの魚籃観音。真っ白で美しく、まるで古さを感じさせないので、最近のものかと思ったら、1970年に落慶したとのこと。意外と古いのでびっくりした。観音像の中は胎内めぐりできるようになっており、中は13階に分かれていた。最初の方の階では三十三観音が祀られており、じっくり拝見する。一人一人の観音様の顔を拝んでいたら、心なしかアブ襲撃事件で波立っていた心が落ち着いた気がした。その後はひたすら螺旋階段を登っていく。結構疲れたが、それ以上に、同じ方向に登り続けるため目が回った。国道45号線ドライブ旅5 @岩手・釜石 _e0048530_15111304.jpg上まで登って目にしたのは太平洋の大パノラマ。高台に立つ大観音の最上階は海抜120メートルに達する。それが海すれすれに立っているので、釜石湾をそれはそれは綺麗に見渡すことができた。風の音以外に音はほとんどない。まるで時が止まっているみたいに静か。だけど、遠くでは船が沖合へ向かい、世界が動いていることが感じられた。雲ひとつない青空と濃紺の海が溶け合うまっすぐな水平線。観音様の最上階にはそのとき自分一人しかおらず、こんな高い場所に、それも吹きっさらしで、自分がたった一人で立っているということが不思議な感覚だった。国道45号線ドライブ旅5 @岩手・釜石 _e0048530_15163183.jpg振り返ると釜石の街並みや港が見える。こうやってみると、岩手の三陸沿岸部というのは、本当に海すれすれまで険しい山々が広がっているんだなあとわかる。起伏が激しく変化に富んだこの地形こそ、リアス式海岸の魅力なんだろうなあ。東日本大震災の時、『釜石の奇跡』と呼ばれる出来事があったのもこの町だ。小学生と中学生ら、そして教職員が、自らの判断で、避難方針を変えていき、最終的に安全な高台に行き着いて、監督下の全員が生き残った出来事。当時、私もニュースで読んで、すごいなと思った。学校の防災訓練では大抵、校庭に整列させられる。私もそう習った。ところがこの中学校では、校庭に並ぼうとした学生らを教職員らが高台へ誘導し、隣の小学校の教職員らも同様に、校内の避難から高台への避難に方針を転換させたとのこと。そして、一定の高台へ行き着いた後も、中学生らがもっと高い場所へ避難した方が良いと判断し、小学生らを連れて移動したのだという。いくつかの臨機応変な判断が多くの命を救ったという話は、胸に詰まるものがあった。津波に敏感な土地柄ゆえの判断もあったのかもしれない。それでもそこに住む子供や若者の多くは、津波を知らなかった世代だったはずで、語り継がれたり防災訓練で意識付けはされていても、実際に行動に移せるというのはやっぱりすごいことだと思う。そんな釜石の町を見守る観音様。多くの命を抱いて、今日も静かに太平洋の海を見渡している。大観音の大きさも去ることながら、観音様の立つ高台からの景色が本当に素晴らしいので、釜石を訪れる方には是非立ち寄って欲しい場所だなあと思う。観音様の最上階から見る景色も素晴らしいし、観音様の足元から見る景色もとても美しい。天気の良い日は三陸の美を一望できる場所だと思う。 翌朝、バルコニーから差し込む朝日の眩しさに目が覚める。今日も良いお天気。宿泊した大船渡プラザホテルのお部屋は本当に快適で、37平米のデラックスツインはゆったり広々で過ごしやすかった。最初、温泉や大浴場がないのを残念に思ったのだが、その分、お部屋に広い独立したバスルームがついているので、十分満足。大船渡湾を見渡す好立地で、バルコニーに出ると、左手に飛定地山、そして湾の向こうに八ヶ森まで見渡せて、とても気持ち良い。バルコニーには椅子とテーブルが置いてあるので、そちらでゆったり過ごすこともできた。国道45号線ドライブ旅4 @岩手・大船渡_e0048530_14165782.jpg朝食バイキングでたっぷりお腹を満たして、ホテルを出発。再び45号線に乗って、北へ向かう。釜石まで一直線に行くのもつまらないので、途中、吉浜のところで寄り道をしていくことにした。持参していた雑誌の地図に、好景観道路と書かれていたので、吉浜から県道250号線に入り、半島をドライブしてみることに。ところがこれが結果的に思わぬ時間ロス&精神的ロスになってしまうことになった。国道45号線ドライブ旅4 @岩手・大船渡_e0048530_14210229.jpg吉浜に曲がると、そこはとても静かで気持ちの良い漁村といった感じで、とてものんびりとした空気が流れていた。商店とかコンビニとかはまず見当たらず、虫と鳥の声ばかりが響く。それはもう本当に、海辺の集落を舞台にした映画の世界に飛び込んでしまったんじゃないかと思うくらい、絵になる風景。夏休みの小学生が一人、道を歩いて行くのを見かけたが、なんだか私まで胸がわくわくした。集落の片隅に車を止めて、吉浜湾を見渡す。本当に静かで、平和な景色だ。ここでの暮らしはどんななんだろうと思いを馳せる。そんな気持ちの良い集落を走ること30分。GPSつきのナビを見ると、「あれ、思ったより進んでない」。半島の折り返し地点までそろそろ着くかなあくらいに思っていたけれども、まだ、全体の6分の1くらいしか走っていなかった。「このペースじゃ遅くなっちゃうね」といいながら、とはいえ、集落の道路でスピードを上げるわけにもいかないので、ゆっくり走る。…が、その後が大変だった。集落の中を走っているうちは整備された綺麗な道路だったのだが、やがて好景観道路はどこへやら。林道かと思うような細い道になり、周りは林だらけ。家も人も見えなくなり、鍬台山と物見山と書いてあるあたりに入ると思った以上に道が細く、木が高い。かろうじて舗装はされているものの、とてもとてもスピードを出せるような状況ではなく、20〜30kmくらいでとろとろ走る。最初の集落のところを過ぎると、全く好景観を見ることなく半島の先っちょへ。ところが、半島の先っちょといっても、物見山の影に位置するため、さっぱり景色は良くなかった。とりあえず、早く半島を脱したい一心で車を走らせる。道路が細いので対向車が来ないことが救いだったが、他に人がいないというのもそれはそれで不安になってくる。折り返し地点を過ぎてしばらく車を走らせると、唐丹湾という湾が見えてきた。青くて綺麗な湾だ。そしてその向こうには集落が見える。ああ、よかった。でも結構遠い。今すぐあそこに行きたい。国道45号線ドライブ旅4 @岩手・大船渡_e0048530_14381739.jpg景観が良かったので何の気なしに車を止めて外へ出てみた。が、思えばこれが過ちだった。ふと車を振り返ると…ぎゃーっ!!車の周りに黒い虫が何匹もたかっている。しかも結構でかい。車の周りにたかりすぎてて、ドアを開けられない。怖い怖い怖い怖い怖い。む、無理…。父に車を前に出してもらって、すぐさま車へ乗り込む。ところが、虫が2,3匹飛び込んできた。車の中は大パニック。車を止めてとにかく虫を外へ出し、窓を閉める。が、1匹でかいやつがバックシートに佇んでいるのが目に入ってしまった。どうしよう!あれって、どう見てもアブじゃん!!(薄々そう思ってたけど…)硬直する私を余所に、父がタオルでガシッと捕縛し、外へ出す。父もアブとわかって結構焦ったみたいだが、そこはさすがというかなんというか、あっさり倒してくれた。恐ろしいアブから命を守ってくれた我が父に心の底から尊敬の念を抱く。その後、車内に虫が完全にいなくなったことを念入りにチェックし、車を発進。車内にはいなくなったが、車の周りには飛び回っていて、とても恐ろしかった。そんなアブ襲撃事件のせいで、私の心臓はばっくんばっくん。九死に一生を得たような思いがこの先釜石市まで続くことに…。振り返って思えば、時期は8月。思いっきりアブのシーズン。アブは二酸化炭素や車の排気ガスが大好きなので、車に寄ってくる習性があることは知っていたが、数が数なのでとても怖かった。海の近くだったので油断していたけれども、岩手の沿岸部って言ってみれば山がずっと続いているようなものなわけで…。田舎や自然が好きだ思っているけれども、このときばかりは「今すぐ都会に帰りたい!」と思ったのだった。 この旅では、宿を大船渡にとっていた。この日は仙台を出て、松島から東松島、石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田、そして大船渡へ。これらの土地は、いずれも、5年前のあの日からテレビで何度も流れた場所。国道45号線は、東日本大震災の被災地を通る主要道路でもある。ここからはどうしても震災や津波の爪痕を感じずにはいられない景色が続いた。思うところはたくさんあるけれども、あまりしんみりしないように書いていきたいと思う。石巻を過ぎると、国道45号線は沿岸ではなく、かなり内陸を走るので、津波の爪痕と思われるような風景は少なかった。だから、自分がそれを最初に目にしたのは、国道45号線が再び海にぶつかる町、南三陸町だった。国道45号線ドライブ旅3 @宮城・南三陸から岩手・大船渡へ_e0048530_00023271.jpg南三陸町に入ると、国道45号線は大きく沿岸部に曲がり、海すれすれを走るようになる。内陸部から山を下って、やがて海が見えた時、そこに広がっていたのは、町ではなく大きな空き地だった。町一つ、確かにここにあったんだなと思うような広大な面積が、灰色の砂利に覆われている。こんな内陸まで津波が押し寄せ、建物をさらっていったのだということが信じられない。地面は舗装されておらず、砂利が敷き詰められていて、本当に広大な埋め立て地のよう。建物はほとんどなく、クレーンや工事トラックがあちこちに止まっている。なんというか、言葉もなく、呆然とするような広さ。およそ建物のなさそうな道だったが、石巻から止まらず走ってきたので、そろそろトイレ休憩&コーヒー休憩したい心持ち。休憩できる場所がないか、探しながら車を走らせていくと、プレハブの建物群を発見。駐車場に車を止めて出てみると、そこには『南三陸さんさん商店街』の文字。テレビで見たことのある場所だなとすぐにわかった。南三陸町の被災地に仮設で営業している商店街。公共トイレがあったのでお借りした後、コーヒーが飲めるようなカフェを探してみるも、見つからない。地元の方に「コーヒーを飲める場所はありませんか?」と聞いてみると、近くの商店でコーヒーが飲める場所があると教えてもらった。ヤマウチという酒屋さんで、入ると完全に商店街の酒屋の雰囲気。しかし、お店の一角に素敵なカウンターがあり、その向こうにはエスプレッソマシンやコーヒー豆が見える。酒屋のスタッフさんは、地元に住むお母さん方といった雰囲気で、三人の女性。「コーヒーを飲めるって聞いたんですけど…」と言ってみると、「はい、飲めますよー!何にしますか?」と元気に聞いてくださる。メニューを見て、とにかく暑い日だったこともあり、アイスコーヒーをオーダー。しばらくして、お母さん方の一人がアイスコーヒーを手渡してくれる。飲んでみると、おいしい!!体に染み渡る香ばしさ、冷たさ!!香りが良くて、鼻に抜けるようなコーヒーの味。うまーい!!「おいしいです!」というと、お母さん方がにっこり笑ってくれる。椅子を進められたので、カウンターの前に座り、お母さん方と少しお喋りをした。「仙台から来たんですが、大船渡まであとどのくらいかかりますか?」「大船渡までなら、もうすぐ夕方だから二時間半くらいはかかるんじゃないかねえ」「道路混むもんねえ」「わたしたち、八戸に帰る途中なんです。今日は大船渡に泊まるんです」「まあ、八戸。私、叔父が八戸にいましてねえ」そんな感じで、お母さん方の身内のお話を聞いたりする。やがて、話は震災のことにも及んでいく。お母さん方は、世間話をするように、震災のことを話してくれた。私たち旅行者に気を遣わせないように、あまり感情的にならずに、話してくれた。防災庁舎のアナウンスのこと、この仮設商店街のことなど、ニュースで知っている話もあったが、お母さん方の口から聞くと、ぐっと現実味を帯びたものになった。震災後、天皇陛下がいらっしゃって、すぐ目の前に来て感激したことも聞いた。こういう話を、これまでも多くの旅行者にしてきているんだろう。私もあまりしんみりしないように、相槌を打つ。コーヒーを飲み終わって、体もたっぷり休められて、そろそろ行きますと席を立つ。「良い旅を」を言ってくださったので、「がんばってください」と返す。とっさに出たのは、やっぱり月並みな言葉だった。今は今という日常があり、それは5年前のものとは違う。神奈川に住む私は、5年経って、復興がどのくらい進んでいるのか正直よく知らなかった。東京周辺はすっかり震災前と同じような生活だし、5年も経てば復興もだいぶ進んだだろうというイメージを持っている人も少なくないと思う。でも違う。瓦礫だらけだった町は、瓦礫こそ撤去されたが、やっと更地に帰っただけの状態。元あった建物も人も、戻ってはいないし、生活だって不便なまま。生活が元に戻ったわけじゃなく、そこに住む人々が、むしろその生活に慣れただけなんじゃないかとすら思う。復興ってなんだろう。元に戻すこと?それとも、別の形で前に進むこと?よくわからないけれど、この場所が、まだ復興のほんの道半ばにあることは、私にもよくわかった。それでも、お母さん方の眩しい笑顔と、とびきり美味しいコーヒーに、南三陸町の気概と、人間の強さを見た気がしました。16時頃、商店街を出る。酒屋のお母さん方は「この時間だと、大船渡までなら二時間半くらいはかかる」と言っていたが、うちのナビさんは「大船渡なら一時間半で着く」と予測。実際に車を走らせてみると、やはり正しいのはお母さん方のほうだとわかった。途中の気仙沼あたりで、平日の帰宅ラッシュの時間になり、国道45号線は大渋滞。亀のようにノロノロ運転で市街地を走ること一時間弱。国道45号線は気仙沼でも沿岸部を走るため、震災の爪痕を多く目にした。しかし、それ以上に大渋滞を起こすほど多くの人々が、この町で暮らしているんだということが、さすがは大きな市だけあって頼もしくも感じた。山の稜線に日が落ち始める頃、車は岩手県に突入。陸前高田へ。ここでは、45号線から遠くに奇跡の一本松が見えた。「あれが、あの有名な松か!」と少し興奮。陸前高田のあたりは、南三陸町に似たような雰囲気で、建物もほとんどなく、砂利の更地が広がっている風景だった。そこにポツンと松が一本。希望の象徴として、あるいは、生き残った強さの象徴として、心情を重ねてしまうのも無理ない風景。私も、思わず手を合わせる。国道45号線ドライブ旅3 @宮城・南三陸から岩手・大船渡へ_e0048530_01042887.jpg暮れなずむ国道45号線を走り、すっかり暗くなった頃、なんとか大船渡市に到着。19時前くらいに、宿泊予定の大船渡プラザホテルにチェックイン。疲れたー!!外に食べに行く元気もなく、ホテルの1階で夕食。リーズナブルで、かつ、とても美味しかった。ボンゴレビアンコをいただいた。大きなアサリがこれ見よがしにたっぷり入っていて、濃厚なアサリエキスがパスタに絡みつく。素直に満足。国道45号線ドライブ旅3 @宮城・南三陸から岩手・大船渡へ_e0048530_01165621.jpgこちらのホテルは各部屋についた浴室が広くて綺麗で、湯船に浸かってゆっくり休めた。明日はいよいよ大船渡から八戸までの行程。早めに就寝して、英気を養う。 S M T W T F S 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
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