[3]世界の借屋大将 ~井原西鶴『日本永代蔵』巻二の一~ (original) (raw)
【原文】 繰綿《くりわた》、塩《しほ》、酒《さけ》ハ、江戸棚《ゑどだな》の状日《じやうび》を見合《みあ》はせ、毎日《まいにち》、万事を記《しる》し置《を》けバ、紛《まぎ》れし事ハ爰《ここ》に尋《たづ》ね、洛中《らくちゆう》の重寶《てうほう》になりける。
不断《ふだん》の身持《みもち》、肌《はだ》に単襦袢《ひとへじゆばん》、大布子《おほぬのこ》綿三百目入れて、一つより外《ほか》に着《き》る事無し。
袖覆輪《そでふくりん》と言ふ事、此の人 取《と》り始めて、當世《たうセい》の風俗《ふうぞく》、見よげに始末《しまつ》になりぬ。
革足袋《かハたび》に雪踏《セつた》を履きて、終《つゐ》に大道《だいだう》を走り歩《あり》きし事無し。
一生の内に絹物《きぬもの》とてハ、紬《つむぎ》の花色《はないろ》、一つハ海松茶染《みるちやぞめ》にせし事、若ひ時の無分別《むふんべつ》と廿年《にじふねん》も是を悔しく思ひぬ。
紋所《もんどころ》を定《さだ》めず、丸《まる》の内に三つ引き、又ハ壱寸八分《いつすんはちぶ》の巴《ともへ》を付《つ》けて、土用干《どようぼ》しにも畳《たゝみ》の上《うへ》に直《ぢき》にハ置《を》かず、麻袴《あさばかま》に鬼縑《おにもぢ》の肩衣《かたぎぬ》、幾年《いくねん》か折目正《をりめたゞ》しく取《と》り置《を》かれける。
町並《まちな》ミに出る葬礼《そうれい》にハ、是非《ぜひ》無く鳥部山《とりべやま》に送りて、人より跡《あと》に帰《かへ》り様《ざま》に、六波羅《ろくはら》の野道《のミち》にて、奴僕《でつち》諸共《もろとも》、苦参《たうやく》を引いて、
「是を陰干《かげぼ》しにして、腹薬《ハらぐすり》なるぞ」
と、只《たゞ》は通らず、
【現代語訳】 繰綿《くりわた》[未精製の綿]、塩、酒の価格変動は、江戸の出店からの書状が届くとすぐに確認しました。
このように、毎日、様々な事をメモっているので、分からなくなったことがあったら、誰もが藤市に尋ね、京都中の人から重宝がられていました。
普段の服装は、肌着は単《ひとえ》の襦袢《じゅばん》[裏地の無い下着]、**上着は大布子《おおぬのこ》[大きく仕立てた木綿の綿入れ]に綿を三百匁《さんびゃくもんめ》[1.125キログラム]入れたものだけしか着ませんでした。
袖覆輪《そでふくりん》[袖が痛まないように別の布でくるんで縫ったもの]というのは、この藤市が始めたもので、おかげで今のファッションは、見ためも良く経済的になりました。
丈夫な革足袋《かわたび》に丈夫な雪踏《せった》を履いて、大通りを走り歩くなど、履物が痛むようなことは、決してしませんでした。
一生の内で着た絹物は二枚の紬《つむぎ》の着物だけで、一枚は染め直しができる縹色《はなだいろ》でしたが、もう一枚を染め直しができない海松茶染《みるちゃぞめ》にしてしまったことを、「若気の至り」と、二十年も悔やんでいました。
家紋は決めず、ありふれた丸の内に三つ引きか、一寸八分[約5.5センチ]の巴を付けて、土用干し[虫干し]の時も、痛まないように、畳の上に直接置きませんでした。
礼服の麻袴と鬼綟《おにもじ》[目の粗い布]の肩衣《かたぎぬ》は、何年もの間、折り目をしっかりつけて、しまって**いました。
町内の付き合いで、葬式にはさすがに出なければならず、仕方なく埋葬地の鳥部山《とりべやま》まで見送りには行きます。
が、人より後に帰って、その途中の**六波羅《ろくはら》の野道で、使用人と一緒に薬草のセンブリ[または薬草のクララ]を摘んで、
「これを陰干しにすれば、腹の薬になるぞ」
と、道もただでは通り**ません。
【解説】 リサーチを怠らず、あらゆることをメモして、経営者としてはしっかりしているのですが、節約っぷりが、ちょっと行き過ぎているような気が。。。
僕は、何年も同じ着物を着てるよ ヾ(๑╹◡╹)ノ"
同じ着物をずっと着るのは勝手だが、お願いだから洗濯だけはしてくれ ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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