僕の人生に深く刻まれた二十年。ある猫との奇跡の絆。 (original) (raw)

先日書いた文章に少し書いたけれど、僕とペット(特に猫)との関りは、結構深い。
幼少期に飼っていた初代ミーコ、そして二代目ミーコ。

この二匹、いや二人の猫は、僕の人生に大きな影響を与えていたと思う。

特に二代目は、ある時期から僕とべったりで、本質的には僕が飼っていたに等しい。
だから、否応なく、心の奥深くでつながった。

二代目ミーコは、子猫時に貰われてきた茶トラ猫で、運動能力の高い子だった。
凄く元気で、普段、良く走り良く跳び回っていた。それが突然、動かなくなった。

僕のベッドの上で微動だにしなくなった彼女は、猫白血病ウィルスに侵されて、一人で戦っていて、獣医に栄養剤を打ってもらうぐらいしか僕にはできなかった。

獣医は言った。回復する可能性は、かなり低く、このまま死ぬかもしれない。
そして今日、回復したとしても、弱い子猫がウイルスに勝つ可能性はわずか数パーセントと稀で、陽性のウィルスが子猫を蝕み成猫になれない可能性が高いと。

僕は、小さい彼女の為に、本気で祈った。
僕の寿命を捧げるから、もっと、生かせてやって欲しいと。

その祈りはこの世の何かに届いた。
彼女は、獣医も驚く程の、奇跡に近い稀な強さをもって、陽性のウイルスを封じた。

それから、愛らしさで僕の家族を魅了し、何年もお姫様のポジションを維持し続ける。

まだ、開発途上の地域で、近隣は山と緑に覆われていた僕の家は、自然も多く、更に敵となる野良猫もさほどいない環境だった。

だから彼女は、自由におおらかに家を出入りして、豊かに生きていた。

だが、生きていれば変化がおこる。
周囲には、新しくできた民家が並ぶようになり、少しずつ放し飼いへの嫌悪が向けられる時代に差し掛かった、あるころ。

幼い子猫を連れた飢えた野良猫が、玄関に訪れる様になり、彼らに食事を与える様になった。

直後に親猫の姿が消え、二匹の子猫たちだけが残る。きっと、母親は病気で倒れたのだろう。

僕は、中途半端な事はやめて、子猫を家で飼ってやろうと言った。

ウチの父は頑なに拒否した。
ただ、毎日、玄関先で食事を与えるだけの日々が続いた。
その頃の父は、今以上に動物を家に居れようとはしなかったが、その割に、飢えた野良猫に食事を与えるような、少し偏った情を持つ人だった。

それから暫くたったある日、僕が家に帰ると、父が弱々しく僕の名を呼んだ。

父の腕の中には、例の子猫が居て、時に、体をビクつかせながら口から泡を出して小さく呼吸をしていた。

話を聞くと、子猫の片割れの悲壮な声に呼ばれると現場に、この子が痙攣しながら泡を吹いていて、それからずっと、どうしていいか分からず抱いて温めていたと言う。

僕は、どうしてすぐ病院に連れて行かないんだと、思わず声を荒げてしまった。

発見してから、もう何時間も経過していた。

それから即病院に連れて行ったが、子猫は毒物を食べていて、それがすでに消化されて、どんな中和剤を投与していいかわからない、治療してみるが、助けられるか分からないと言う。

もっと早く来ていれば、助けられたと言われて、父は意気消沈した。

その子猫は、必死に生きようと足掻き頑張ったけれど、深夜すぎに看病をする僕の目の前で静かに息を引き取った。
片割れの子猫は、もう戻ってこなかった。

それから父は豹変した。
当たり構わず、野良猫に食事を与えるようになり、この地域に野良猫が溢れる事態が起きた。
周囲に批判されると、玄関先でそれを行い、沢山の野良猫が家の周りに居ついた。
そして当然、家の中も猫だらけとなった。

偏った善意の情は、歪みをもたらす。

その流れで、来る野良猫たちを、捕まえて去勢させる慈善行為を行い続けたが、周囲の理解は得られず、どんどんと近所との関係性は悪くなった。
最終的に、家の庭をすべて鉄の壁で覆って、さながら鉄の要塞の体を成すようになる。

僕には、ただのやけっぱちにしか見えなかった。

このあおりで、僕の大好きなミーコは、自由に出入りする沢山の野良猫たちに、家での居場所を奪われ、徐々に僕の部屋から出られなくなって行く。

まるで、それは、発展途上国の子供たちを必死で救おうとするが故に、自分の家族をないがしろにして不幸にするような、人間の悲しい業のように見えた。

話が少し前後するけれど、この間に、ある事件が勃発していた。

まだ、野良猫達に完全に家を占拠される間に、ミーコが家へ戻らなくなった事があった。
これまでは、長くても1日程度しか家を空けた事がなかったので、彼女の身に何かが起こったのは明らかだった。

三日たっても戻らない状況に、居てもたってもいられず、淡い希望をもって、近所を声掛けしながら捜索し続けた。

そして五日目、諦めかけた頃に奇跡が起こった。

一緒に声掛けしていた父の声に、ミーコが反応して、その声が届いた。

ミーコは隣のおじさんが持っている川の上流にある小屋のすき間に閉じ込められ、網で出口を塞がれていた。

この隣のおじさんは、思い当たる事はないかと聞いたときに、すっとぼけたかなりの鬼畜だ。

彼は、僕たちが必死で捜索しているのを横目で見ながら、彼女を飢え死にさせる気でいた。
直後に問い詰めた時に、小屋に侵入したから懲らしめただけで、殺すつもりはなかったと嘘くさい笑みを浮かべながら弁明したが、彼の言葉の裏には邪悪さが見え隠れしていた。

子猫毒殺事件の時も、周囲の人間に、毒団子をバラまいてやったと風潮して喜んでいたのが後で分かっている。
この邪悪なおじさんには、器物破損や嘘の通報や、狂言で僕たち家族を悪党に仕立て上げて孤立させるなど、色々迷惑をこうむり続けた。父の頑固さも相まって、周囲からの孤立に拍車をかけた。

結局、この事件を最後に、死にかけたミーコは完全に引きこもった。
しばらくは、少しの物音で飛び上がってベットの下に隠れる程に、精神的にダメージを追っていた。

だから僕は、彼女を癒し続けた。
徐々に震えは収まり、僕の膝の上では安心して寝られるようになった。

それから、いつも一緒に僕の腕の中で寝て、僕が起きると寂しくなって布団から出てくる。そんな生活をつづけた。

ある時、キーボードに乗りモニターを倒して壊して、僕の仕事を台無しにした事があった。

でも、僕が声を荒げて怒って強めに叩いても、ただキョトンとするだけで、一切恐れないほどまでに、彼女は僕を信頼していて…。

だから、僕は、ちょっと泣いてしまった。

直情的にたたいてしまった自分の愚かさを憎んだ。それ以後、絶対に怒らないと誓った。怒れるわけがない。

世間では、猫を飼うと婚期を逃すと言う。でも、僕はそれは違うと思う。

急速に変化する社会が、人間の婚期を阻害していて、逆に猫が、孤独な僕らを癒している。僕はそう思うのだ。

そして…。

癒されながら数年が過ぎ、ミーコは、晩年を迎えた。

ある朝、トイレでいきむミーコが居た。
それから何度も何度もトイレに入っては、何も出ずを繰り返している姿を確認して、最初は便秘なのかと思った。

でも、よく観察すると尿の痕跡もなくて、疑いの翼を広げた僕は、ネットの情報を駆使して、何らかの症状があって尿閉していた可能性にたどり着いた。

最悪、急性腎不全に至るこの症状を僕は恐れた。

だけども、腎不全を疑う僕に、獣医は、脱水症状だから大丈夫といなすように微笑んだ。
結局、栄養剤だけ打って帰ったミーコは、普通にトイレを済ませて、安らかに眠った。

症状が良く分からず、少し納得がいかなかったが、確かに元気にはなった。

それから徐々に好き嫌いが増えて本当に好きなモノ以外は食べなくなって、僕も頑張って色んな食事を与えて新たな好物を開拓して、
でも、彼女は、徐々に眠りがちになり少しずつ痩せていった。

それから半年がたったある日。

何時もより、元気がないなと、少し心配はしていたけれど、
眠りたいのかな食欲がないのかなと、老猫だからそんなこともあるだろうと、良い風に考えていた。

突然だった。
急激な変化だった。

たった一日で、病気がちの野良猫になったかのように、酷くやつれ毛並みが悪くなり、過敏な反応を示した。

そして、トイレでいきむ、あの症状が出ていた。

また獣医は、脱水症状だと言って同じ処方をした。

でも僕は、そうであって欲しい願望に負けて、それを一旦受け入れて家へ戻った。
逃げる様にコタツに潜ったミーコは、その日、激しい痙攣をおこした。

僕はもう逃げるのをやめて、腎不全の検査をしてくれと、獣医に迫った。
獣医は神妙な顔でそれを受け、結果を見せてくれた。

とても重篤な状態だった。

つまり、以前の僕の予測が正しかった。
最初の症状の時に、一度目の急性腎不全を起こし自力で尿を輩出する事で、何とか打ち勝ちはしたけれども弱った腎臓が故に腎性貧血を慢性化させ、そして今回の症状で腎臓を完全に壊してしまった。

それが分かっていれば、重点的なケアができたのにと悔やんだ。

彼女は、ずっと重度の貧血のまま、頑張って生活していた。
元気がないのは当然だ。

獣医は僕に、すみませんでしたと真摯に謝った。

わだかまりが完全に消えた訳じゃなかったけれど、自分の非を認める言葉を頑張って伝えてくれた彼を、僕は許した。

獣医の彼は、もしかすると、知っていながら言わない事で、飼い主の負担や苦しみを減らそうとしたのかもしれない。

当時、彼女の症状に対する効果的な薬剤はなく、
安月給な僕の貯蓄を使い果たすまで、色んな方法で死までのケアをした。

そしてミーコは、死を覚悟したように好物すら食べなくなり、水も飲まなくなった。
僕は泣きながら、嫌がるミーコに飲ませる様に無理やり食事をさせ、口に水を注ぎこむ日々を過ごし、

最終的に、水を与えるとその刺激で大きく痙攣をおこすようになった時、

僕は、もう動けなくなった。

祈りながら指につけたぬるい水を、ただ生きているだけの彼女の口元にあてた時、最後の痙攣が起こった。
僕は逃げる様に、自分の部屋を出て家族を呼び、そのまま別の部屋で椅子にへたり込んだ。

家族は、彼女の最後を見届け、僕はそれを見る事が出来なかった。

いや――、見れなかった。

僕の体重は10キロ以上減っていた。

それから―、ミーコが死んだ直後から、毎夜、不思議な現象が起きる様になった。

僕が眠ろうとすると、何故か電源の切れたPCが勝手に起動する。

最初は、壊れたかなと思った。

でも、勝手に起動する時間は、夜僕がベッドへ横になったタイミングで、他の時間には起きず、そしてPCは、僕のベッドの枕元側にあり、それは何時もミーコが僕のベッドに向かう通り道にある。

生前、ミーコは僕が眠ろうとすると目を輝かせ、そのPCの上に登りそこからベッドへ飛び込んできていた……。

だから、僕には、その現象が心地よく思えていた。

半年一年とたって、徐々にPCの現象が収まり起きなくなった時、僕の心の傷は薄れていった。

ミーコは20年生きた。
思い返すと、ミーコと僕は淀みのない信頼と愛で結びついていたのだと思う。

ペットを飼うとは、ペットと人生を共にする事で、

愛をもらい愛を与え、そして最後はそれを必ず失うと言う事だ。

今でもたまに、心の片隅が痛むけれど、それを経験させてもらった事は、僕にとって、とても大切な事だったと思う。

こんな長い文章を読んでくれた奇特な方、ありがとう。

感情的なまま勢いで書いたので、少し読みずらい文章だったと思います。

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