きりちにの日記、きりちにっき (original) (raw)
心にちいさなペシミズムを飼っている人、甘い孤独を育てたことのある人なら、一度はきっと「終わりゆく世界」への憧憬を浮かべたことがあるだろう。退廃しゆく都市、あるいは廃墟となって森林と同化したビル群。人が死に絶え、朽ち行くばかりとなった静かな地を、ぷらぷらと足を宙に揺らしながら眺めたい。そのまま何をするでもなく、ただそこにいるだけでいい。そんな、終末世界への願望を。
もちろん、今夜目を閉じて再び目を覚ましたときに、眼前にそんな平穏な世界が広がっているということはきっと無い。だからせめて、精巧にシミュレートされた世界に浸ってみるくらいはしたいと思う。つまりはゲームだ。世の中には未知の廃墟や巨大な遺物を描くことに憑りつかれているイラストレーターもいて、彼らが「こんな世界を旅するゲームがあったらいいのに」と投稿する美麗な風景画には、何千何万もの共感が届く。多くの人が同じことを夢見ているのだ。
しかし、滅びゆく/滅んだ後の世界をリアルに表現したゲームは、全くないというわけではない。Cyberpunk 2077のナイトシティに赴けば、倫理の腐敗に満ちた未来の科学都市のバーで、サイボーグの店主がなみなみとウイスキーを注いでくれる。ニーアオートマタの地球に降り立てば、ツタが生い茂り野生動物が草を食んでいる廃墟都市や、砂漠と化した巨大なアパート群の成れの果てを前に佇むことができる。コンセプトアート集を開いてみると良いだろう。ほの暗い世界観を初めに描いた作家が、我々と同じ憧憬を抱いていることが分かる。そして憧憬はオープンワールドの中で精緻に再現されている。
ところが……往々にして、我々はその世界を「ただ見ている」ことを許されない。心を甘い喪失感で満たしたまま何もせずに朽ちるときを待つという祈りは、ゲームの設計の前提にある「行動を起こして、何かを得て先へ進む」というモチベーションと根本的に食い違う。ナイトシティを牛耳る巨大企業のビルをライフル片手に荒らし回るとき、あるいは宇宙から遣わされたアンドロイドとして地上の新支配種を殺戮するとき、そこには確かに名作ゲームらしい手応えと充実感がある……しかし、壮大な全てを終えてスタッフロールを見ているときにふと、自分が本当に抱いていた切ないもの、すなわち消失願望のようなものを、いつの間にか追いやって踏みつけていたことに気がつく。
非常に残念なことに、たとえ妄想の中では遥かなる安寧を望んでいたとしても、実際にそれが可能な状況に身を置いた我々の脳は生意気にも「手持無沙汰」を覚え、早々と次なる刺激を探してしまうようだ。何も終末世界に限ったことではなく、例えば休暇を取って旅に出て、まるで別世界のような大海原や山村の景色へ身を置きにいったとき、あなたは「このままずっと世界の日が暮れるまでここにいよう」と思うよりも先に一定の満足感を覚え、夜は何を食べよう、宿には何時に着くだろう、恋人への土産は何がいいだろう、なんて現実的な未来のことを次々に考え始めるだろう。
いや……私だけなのか?
あーっ
なんか、ちょっと貯金できてから心の余裕が出て来たな……
心の余裕はお金の使い方の余裕だな。ちょっとくらい使いすぎてもいいだろ
あーっ
ん?
あれ……待てよ?
なんでだ?? 何に使った……?
それでは私たちと一緒に思い出してみましょう!
【ここ最近の支出】
・ほぼ毎日コンビニ飯やテイクアウト
いやまあ、自炊したってそんなに安くならないし……
・飲み会が2回
いいじゃないたまには、何なら人より少ない方よ
・ネコ耳ヘッドホンを買った
あ~まあ高かったな、でも毎日活用してるからOK
・ユニクロでダウンを買った
えと……まあこれから寒くなるかもしれんし
・今日Skeb依頼を2つ投げた
なんで?
なんで? Skeb依頼を?
2つも!?
あーっ
まあ、絵師さんの食卓が潤えば、ね
楽しみだな~ まだ承認されてないけど
あーっ
以前の対談↓↓
〈登場人物〉
以前勝手に他人の性癖を晒したので、今回晒される人。
以前勝手に性癖を晒されたので、今回反撃する人。ロリコン。
~某日~
かくかくしかじかまるまるうまうまってなわけでさ、Skebを依頼するのって楽しいんだけど、でもせっかく自分がお金を払うからには、いつも描かれてるような版権キャラを指定するのもアレじゃん?
まあ「自分のために描いてもらった!!」って嬉しくなるようなお金の使い方したいよね。
そう。だから自分で設定とか練ってさ、言うたらオリキャラを「この子をお願いします!」って提出する方が満足感あるわけ。
そうだよな~。でもいざキャラを作るとなるとむずいよな。それにシチュエ―ションとかもな~、どんな依頼をしたら一番サイコーなのかって、まず自分の中で決めるのが大変そう。
確かにね。俺も一回、ふわっとした指定で向こうに委ねたら、合致してはいるけどかなり「思てたんと違う!」なのが届いて正直萎えたことあったわ。やっぱりちょっと細かいくらいに言語化をしといた方がいいよ。
その口ぶりだとあれか? 今はもう自分のヘキを把握できてるって感じ?
まあ~そうかな! これが好きだってのはハッキリしてるわ。何ならクイズみたいに正解・不正解も出せるぞ? 当ててみるか?
そうだなあ。……そういえば、たまにきりちにのリツイートを見て思ってたんだけどさ、
おうよ。
きみ、乳首を責められてる絵が好きじゃない?
初っ端から何てこと言うんだてめぇ。
めちゃくちゃ合ってるよ。
だよな~(笑)。いや、そんな気はしたんだよな。大体「なんか流れてきたなあ」と思って見てみたら、必ず竿役の指が女の子の胸元に伸びてるから。
なんかこう、究極、下より上の方がスイッチが入るとか、そういうパターンが少なくない気がすんだよな。いやしかし、一発目からめちゃ精度高くてテンション上がって来たわ。
あったり前よ、いつから見てると思ってんだ。(※誰もがそうであるように、きりちにもイラストをいいね・リツイートする専用のアカウントを持っており、昔からのリア友に監視されている)
そう言われりゃそうか。それじゃ俺がケモ耳が好きでツリ目が好きでクールよりもキレ気味でケンカっ早い方が好きなのも完全に理解しているってことだな?
なんか早口始まったぞ。
いや、突き詰めればケモ耳もツリ目も怒りっぽいのも出元は全部同じところにあるな。「野性的」「好戦的」あるいは「獣性」というか。いつもぷんぷん突っかかってくる子ってのは見方を変えれば棘のある中身をオープンにすることに躊躇がないということで、ある意味では正直者で奔放、それゆえに信頼できる友達のようでもあって好ましく思えるものなんだ。それに何より、強気な子ほどその強情さを自ら曲げてくれたり、あるいはへし折られるようなパターンに味わいがある。例えば王道ツンデレとまでは行かなくとも、付き合いの長い彼女みたいな顔を見せてくれるのも嬉しい。もしくはケモノ系の本能が発動して、過度に積極的、または従順になったりするシチュも大変よろしい。俺も生まれ変わったらネコ耳かキツネ耳のついた小柄でカルシウムが足りてない女性兵士になって作戦区域に真っ先に突入して地を駆け空を飛び交って暴れ回るポイントマンとして激烈な獣と恐れられた後に後方支援部隊の長身で落ち着いたイケボの男性とワンナイトするなどしたい。
<きりちにの女よ!(口調完全一致)
続き行っていい?
おうよ。
きみ、シチュとしてはさ、
女の子が■■■■ってるシチュが好きだよね。
日記に書けないこと言うなよ!!
めちゃくちゃ合ってるし!
ほらな、手に取るように分かるのよ。小さな胸のふくらみのように。(←こんなことは言っていません)
まあやっぱりな、何というかいろいろ、感情の発露が強いシーンってのは惹かれるものなわけでさ。
ふむ。
そういう意味では、さっき言ったようにピリッと激しめの表情を見せてくれる子がいいのもそうだけど、激しさってのは怒り以外にもいろんな方向性があって、中には場面によってそっちに傾かされるような場面もあるわけで。
続けて。
だからまあ要は、いわゆるシチュのひとつとして、女の子が■■■■■くらいの■■■■で■■するようなのは素敵だと思うし、
うん。
■■■とかも適度に■■じゃない方がむしろいいよね!! すごく。
<はあ!? 何言ってんのよ!
たいへん熱意が伝わりました。
あとこれは余談で、他にも好きなキャラのタイプがいるよってことを一応示しておきたいんですけど、健全な方面だと元気でアホっぽいキャラとかが結構お気に入りになりがちで、かつそういう子を敢えて不健全な方面で起用するなら■■■とか■■■みたいなムーブで来るやつが超・お好みです。
さっきからセルフ開示が多いなこいつ。
隙自語するようなやつだから三年も公開で日記書いてるんじゃろがい。
耳痛くなってきたからラス1行くわ。ビッタビタに当てます。
おう来いよ当てられるもんなら当ててみろやボケ
言うたな? 当たったらどうする?
木の下に埋めてあげても構わないよ!
なんで俺が埋められないといけないんだ
きみさ、実はダウナーお姉さん系にめちゃくちゃ惹かれてたりしない??
あ~~~~~~~~~
違うかも~~~~!!
え~~~~~~~~~!!
どのへんからそう思った……?
だって、よくリツイートしてる気がするんだよな。
こういうのかな……
gaku(@gaku69229487)さんの「家出してお姉さんに拾われる話②」
https://x.com/gaku69229487/status/1839959356445733242
これはね、もちろんお気に入りのイラストなんだけど、たまたまです。
おろ。では何故気に入り?
端的に言えばマオちゃんっぽいからです。
え? ああ~~~~……。
マオちゃん(Skeb)、それからワンズちゃん(Skeb)もそうなんだけど、要は黄色系のショートが好きなのであった。
あまりにもシンプルだ……。「原初の性癖」か?
そんで、さらには薄目とかニヤニヤとか八重歯とかも好きなので「最高~~~100点満点!!」となったわけ。本当にそれだけ。たまたまそれがおっきいお姉さんだったというだけ。
嘘つけこいつ巨乳にも40点くらい加点してるゾ
いやあ、ヒヤヒヤするほど精度が高かったね。恐れ入った。なんかポカポカしてきたわ。
興奮で暖を取るな。
まあそういうわけで、こんな感じで言語化したのを丁寧に依頼文に入れた方が、Skebのホームラン率も高くなるということやね。
あれ? そういえば、わざわざそういう「ヘキ」まですらすら文章に出来るってことは、Skebでそっち方面の依頼も投げたことあるんでしょ? きみのクライアントプロフィールには見当たらないけど……。
あ~それはね、
非公開で投げてます。
この野郎そこも開示しろよ!
イラスト:すねぇくさん(Skeb)
あすけん(栄養管理アプリ)のダイエット効果に心酔し、スムージーとプロテインを愛飲し始めてからしばらく経つ。
スムージーもプロテインも、毎回スーパーやコンビニに行って一本単位で買っている。その日足りていない栄養素をピンポイントで摂るためには野菜生活かトロピカーナか、その中でもどのテイストが最適なのかが変わってくる。
パックの飲料は一本あたり200円弱くらいする。毎日二本買うわけではないが、一週間、一ヶ月と積み重ねれば出費がかさむ。健康にはお金がかかる。
しかし、明日の身体のためにコツコツ続けるこの投資は、明後日の前向きな気持ちへの投資でもあるし、何より今日の美味しさのための投資でもある。
カルチュア知識、経験というか、ざっくりいえば「感性」のようなものを身に着けている友人は、まるで哲学者のように凛としてみえる。
けれども、本質的な部分に目を向けると、大衆一般のメジャーな文化から離れた辺境に屯することそれ自体が良さげな「感性」として表出するのではない。彼の口からそれらが「漏れ出ている」ことが彼を彼たらしめる。
文化知識の種類や質がどうであれ、それらを一刺激として漠然と享受するのではなく、また別種の刺激(趣味のみならず仕事の充実感や人生の危機感など)に気を取られてすっかり忘れるのでもなく、頭の中にいつまでもくよくよとした考えを渦巻かせていて、それらに面と向き合って少々気を病みながら、たまにぽつぽつと口から発信するということに重要な何かがある。
何かを考えていてどこかに書く、ということだけが構成要素なのだと捉えるならば、もっと平易で王道で表層的な知識や趣味しか持たない我々であっても、それなりの哲学者のように振る舞える可能性はあったはずだ。しかし、洪水のような多量の情報を浴びて進行させた情報中毒症と、日に日に少しずつ頭の中を占めていく現実的な社会進出の不安が、くよくよと可塑性を保っていたはずの頭を今や四角四面のパッケージにしている。否、それら情報中毒症と現実不安症は誰しも抱えているものだが、慢性化したこれらを受け入れて、ただ対処療法的な悩み少なき娯楽の摂取を続けていくことをよしとしている、いわば長い長い緩和ケアに同意を示してしまっている故に、我々の多くは「感性」になることができない。
情報への中毒は食材ばかり集めて調理をしないことに似ている。近頃の私は乞食のように両手を差し出して刹那的な情報の刺激を求め続けている。ゲーム、動画、ブログ記事、SNSの投稿、それもできれば活性化エネルギーが小さくて心の準備の必要がない、そのまま食べられる果物のような手軽な刺激をただ欲している。自らの頭の中をくゆらせて試行錯誤の末に生み出す料理に価値を感じない限り、受容の楽しさは創造の楽しさに勝る。
現実への不安。もしくはより単純に、明日のゼミへの不安、論文の〆切への不安、就職後への不安、等々。無論それらは苦しみだが、一方で「形のある」不安は明日の生活のために必要不可欠な苦しみであるから、もっと一見無意味で形のない存在論(机上論)的な不安に比べればそれらに悩んでいる方がまだマシだ、という感覚に陥る。現に、私の不安は学部から大学院への転換に際して「暇な不安」から「忙しい不安」へと幾許か質を変えたが、前を向いているだけ幾分か倦怠感が和らぎ、そのぶん文章にしたためて吐き出したいことも少なくなってしまった(もちろん、実際に前に進んでいるかどうかは含意しない)。
自らの今現在と比較して少々前の自分が何を考えていたのか、思考の跡を見つけて遡るのは容易ではないが、幸いなことに私には日記がある。書き始めたのが三年前の夏で、ちょうど最も沈み込んでいた時期だった。
高校を卒業して地元を離れて、長く憧れていた都会での一人暮らしを始めて、それからひたすらに煮詰めてきたほろ苦く甘い孤独。その舞台となったワンルームから引っ越す最後の夜に、カーテンも机も取り払った空っぽの部屋の真ん中で、月の光に照らされながらキーボードを打って書いた気障ったらしい文章がある(未だにあの情景はよく覚えている)。
このときの私は今より遥かに一人ぼっちで、抱えているものも不定形で掴みどころがなくて、けれどもそのじうじうと焦がしているカラメルのような考えを吟味して文字に起こしてみるくらいの元気は十分にあった。読み返しても、この日自分が大きく口を開けて溢したものは、何やら哲学めいて読み応えがあるように思う。
主題に立ち返ろう。結論のない主題に。
彼は今日は音楽の話をしている。そのジャンルについて私は耳にしたこともないが、何か彼の発信には「彼が言うならきっと何かがあるはずだ」と思わせ、自ら調べさせるに足る不思議な影響力がある。そんな魅力を私は、敢えて「感性」と曖昧に呼ぶ。彼に固有のものだ。
けれども私は、っほォん゛!? ん゛ぉッッ!!♡♡