カイト・カフェ (original) (raw)

一般教職員と違って、校長は特殊な人間関係を負わされる。
教委、地区の人々、地域の名士、地方議会議員
学校は彼らのものであって校長や教員の私物ではない。
だからどうやっても、校長の思い通りにはならない。
という話。(写真:フォトAC)

【校長は誰と付き合っているのか】

一般の教職員が職務上で対応しなくてはならない相手はまず児童生徒、その保護者、教材会社や旅行会社といった民間業者、だいたいそのようなところでしょう。
管理職、特に校長の対応する相手はだいぶ異なります。児童生徒・保護者・民間業者はもちろんですが、働きかける対象の中心が教職員となり、あとは外部との折衝が大きな仕事となってきます。その“外部”とは何か――。

教育委員会が大きな比重を持ちそうなことはおおよそ想像がつきます。あれこれ指示を受けて、相談にも乗ってもらったりする組織のようです。
校長会というのもあって、時期によっては何やら忙しそうな様子も見られます。しかしその実態は謎で、何となく訊くのは憚られ、聞いたところでなにかが起こりそうな気もしないので訊ねる人は稀ですが、別に秘密組織ではないので好学の士は校長先生に訊いてみればいいのです。たぶん親切に教えてくれます。
学校評議会のような組織を通じて地域との名士の付き合いもあるみたいです。しかし頻繁に会っている様子も見られません。入学式や卒業式の来賓となる人たち、PTA会長や交番勤務のお巡りさん・消防署長や民生児童委員、そうした人たちとも顔見知りは間違いないのですが、どの程度に深い交際をしているか、それも分かりません。
――と、ここに大切な一群があることを私たちは忘れてしまいます。入学式や卒業式、運動会などに来て、割と良い位置に席を占め、今は昔と違ってふんぞり返ってはいませんが、堂々と我が物顔で振舞っている人たち――そうです。市町村議員です。あの人たちも学校にとって、びっくりするほど重要な個性(キャラクタ)なのです。

【土の人・風の人】

「学校は誰のものか――」という問いかけがあるとして、それに「子どものもの」と答えるのは当然と言えば当然ですがやや情緒的に過ぎます。「(市町村立の場合は)市町村」のものと答えるのも少し観念的に過ぎます。「校長のもの」というのは、制度上は一部正解ですが、それだけだと反発を受けることになります。
では誰のものかというと――少なくとも小学校については「地域のもの」と答えるのが無難です。というのは明治の学制発布の際、地域の小学校は基本的に地域住民の浄財によって建てられ、伝統的に「学校は自分たちのもの」という思いが地域住民の間には根強いからです。自宅が地理的に学校から近ければ近いほど、「オレたちのもの」という思いも強そうです。

小学校なくしては地域も存続できません。
少子化のために小規模校の児童数が極端に減ってもなかなか廃校にできない背景には、地域が小学校を中心に成り立っているという事情があります。小学校がなくなれば、少なくとも新たな若い住民は入ってきませんから、なくなった瞬間から地域消滅のカウントダウンが始まることになります。ですから地域の人々は小学校を大事にしますし、静かに、力強く見守っています。
そうした人たちから見れば、校長も教師も、ただ通り過ぎていく人たちです。彼らはどこかからやって来て数年でまたどこかへ行ってしまう“風の人”です。地域に根づいた“土の人”とは根本から違います。学校を“風の人”たちの勝手にはさることはできません。

その“土の人(地域住民)”を代表するのはだれか?
――これには明確な目印があります。市町村議会の議員バッジです。代議員制度ではそのバッジをつけた人こそ、“地域”の代表なのです。

【地域の代表が学校を動かす】

私は管理職になるまで、“議員”が教育委員会や学校にこれほど深く食い込んでいることに気づきませんでした。入学式や卒業式、運動会などに来賓としてやって来て、しばらく時を過ごして帰るのも、単に顔を売って票を稼ぐためくらいにしか思っていなかったのです。
もちろん今の小学校6年生もわずか6年後は有権者ですから、顔を覚えてもらう必要はありますが、学校を訪れることによってそこで問題や要望を吸い上げ、議会質問につなげたり実績づくりに役立てたりすることがかなり重要な仕事なのです。また、意外に思うかもしれませんが、議員の多くは、かなり真面目に、かなり本気で、地域の学校を愛し、学校のために役立ちたいと考えているのです。

あるとき私の勤務していた学校で面倒くさい「いじめ事件」が起きました。面倒くさいといったのは被害者の6年生が「いじめられた」と言って家に引きこもった上で「いじめ」の実際にいっさい口をつぐんでしまったのです。誰にやられたのか何をされたのかまったく話さない。それなのに「いじめられ学校にいけない」という。他の子たちに聞いても、かなり良心的な子どもも含めて、誰も知らない。これでは調査の糸口さえつかめず、それなのに保護者は期限を定めて、それまでに誰が何をしたのか詳しく調べて文書で返答しろと迫る――ほとほと困り果てるその直前、市会議員がいきなり訪ねて来て、
「この問題、解決しませんよね。転校させましょう」
とか言って、あっという間に教育委員会と話をまとめ、手続きをとってしまったのです。私としては本質的な問題を棚上げにしたままの転校というのはいかがかと思ったのです、半分、拉致にあったようなものですから黙って引き下がるしかありませんでした。その後、児童は新たな学校で気持ちよく登校し始めたのですが、わずか三か月後に再び実体の分からない「いじめ」に遭って学校に行けなくなり、そこで親も初めて本質的な問題に立ち向かわざるを得なくなったのです。結果的に議員の判断は正しかったと言えます。

また別の学校では複数の議員が、いつの間にかなくなっていた小学校の名物、金管マーチングバンドを復活させようと校長に働きかけ、働きかけたくせに予算措置が行えず、結局、校長や職員・PTAがたいへんな苦労をして寄付金を集め、再結成するという大変な場面に立ち会ったことがあります。
学校にとってはとんでもない迷惑、在籍児童の保護者は自分たちが苦労する話なのでこぞって反対だったのですが、地域全体として要望が高く、議員たちはそれを吸い上げて実現したのです。

【地域に大切なものは必ず残る、もしくは復活する】

田舎の運動会では、地域の人たちが手分けをして地区内のお年寄りを連れてきたりします。つい十数年前までは、保護者たちがビール片手に焼き肉を焼きながら子どもたちの応援をしたものです。さらに十数年遡れば、1~2軒ながらも綿あめやフランクフルトの屋台が出ていた時期もあります。小学校の運動会は地域のお祭りなのです。
音楽会もバザーも、それを楽しみにしている地域の人々が大勢いて、それを守ろうとする地域の有力者や議員がいます。

校長は、権限として運動会や文化祭、入学式や卒業式を極端に縮小したり廃止して別のものに置き換えたりすることができます。しかしそれはしていいことなのか。
地域から運動会や音楽会や文化祭を奪ってわずか2~3年後に消えて行く。その先進的な校長の元で働き方改革の恩恵に預かった先生たちもいなくなって、あとには殺伐とした学校が残る――そんなことがあり得るのか。
おそらくそうはなりません。前述のマーチングバンドのように、状況が変われば必ず復活します。だとしたら、教員の働き方改革は別の方法で行うべきなのです。

今日は満月。
1006年前の今夜、藤原道長はあの有名な歌を詠んだ。
その日と今日の間にすばらしい一致があり、
今日と明日の間にも素敵な偶然がある。 という話。(写真:フォトAC)

【今日の満月は1000年前、藤原道長が見上げたものと同じ月】

今夜は満月、しかも特別の満月です。
今から1006年前、西暦2018年の今日(旧暦・寛仁2年10月16日)、藤原道長が三女・威子(いし/たけこ)の立后後一条天皇中宮となった)の祝賀の席で、あの有名な歌を詠んだとされる日です。

その夜、気持ちよく酔った道長は大納言・藤原実資(ふじわら さねすけ:「光る君へ」ではロバートの秋山が演じている)を呼んで、「歌を詠もうと思うが、必ず和してくれ(返歌をしてくれ)」と頼み、その上で「これは自慢に思われるかもしれないが、事前に作っていた歌ではなく、今思いついたものだ」、そう言ってあの歌を詠んだのです。
「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」
(この世は自分のものであると思う、いま見えるこの満月に、一片の欠けたところもないように)
これに対して実資は返歌ができなかったようで、なんとか理由をつけて回避し、公卿たちが合唱のようにいく度か吟じることでその場をやりすごしたようです。上機嫌の道長もそれ以上返歌を求めることはしませんでした。

この話は実資の書いた詳細な日記「小右記」にあるもので、現在では道長の傲慢さを象徴する話のように扱われますが、当時の現場ではそんな雰囲気もなかったらしく、権力者・道長を非難するにためらいのなかった実資も、特に非難めいた表現はしていないようです。
また、実は今夜の満月は「欠けたることもなし」ではなく、左下が薄く欠けた月で、まさに1006年前に道長が愛でた月とそっくりな姿をしているのだそうです。

平塚市博物館では今夜の月を観察し、ハッシュタグ「#道長と同じ月を見上げよう」をつけてSNSで共有しよう、とキャンペーンを行っています。
――と、いつも土日は書かないルールを破ってまで書きたかったのは、そういう特別な話だったからです。内容も多くないので、簡単に終わるつもりでいました。
ところが――。

【あれ? 旧暦10月16日って、毎年来るんじゃないか?】

ふと考えたのですが、今日に重なるかどうかは別としても旧暦10月16日は毎年必ず来るわけじゃないですか。だとしたら道長が見上げた旧暦10月の満月は毎年おなじように昇るわけで、取り立てて今年、大げさに叫ぶことではないはずです。いったい何が同じで何が違うのでしょう?

そこで調べてみるとあるWebマガジン*1にこんな記述がありました。
「これを詠んだ1018年11月26日(当時の暦では10月16日)*2の満月は午前7時過ぎ。そして今年の11月16日の満月は午前6時29分なので、道長がこの歌を詠んだ日の月と、ほぼ状態が合致するのだ」
うん? なんだ? 満月が午前7時で道長と一致するって、さすがに午前7時は明るすぎて月見なんかできないだろう。
*1:Lmaga『「道長と同じ月を見上げよう」呼びかけ、大河ドラマ民は胸熱』
*2:ここでの11月26日は11月16日の、間違い

【生成AIとの空しいやり取り】

そこでMicrosoftの生成AI・Copilotにこんなふうに訊いてみたのです。
道長が「我が世をば~」と詠んだ旧暦10月16日の月。毎年旧暦10月16日の月は同じに見えると思うが、今年は何が違うのか?
すると出て来た答えが、
今年の旧暦10月16日(2024年11月16日)の月は、特別な満月である「スーパームーン」となります。スーパームーンは、月が地球に最も近づいた時に見える満月のことで、通常よりも大きく明るく見えます
ああなるほど、だから道長の見た月と同じなのだ――と納得しようとしたら続きがあって、
藤原道長が詠んだ1018年の旧暦10月16日の月は、スーパームーンではありませんでした。今年の旧暦10月16日の月がスーパームーンであることが、特別な違いとなります。
なんだ? 違うんかい? じゃあ何が同じなんだ?

そこで改めてスーパームーンについて確認するところから始めると――、

Copilotは間違ったときに謝ってくれる、そこがいいところです。そこで改めて、

と問うと、驚くべき答え、

さっきと同じじゃないか!

【結局分かったこととすばらしい偶然】

ヒントは最初の、
今年の11月16日の満月は午前6時29分なので、道長がこの歌を詠んだ日の月と、ほぼ状態が合致するのだ
です。私たちはその気になれば満月だのスーパームーンだのを何時間でも楽しんでいられますが、天文学的な満月は(おそらく)満ちた瞬間から欠けはじめ、近地点に到達したスーパームーンはその瞬間から地球を離れて普通の大きさになっていく、そういうものでしょう。
今日16日の午前6時29分、月は楕円の軌道の一番地球に近いところに来てスーパームーンと呼ばれる満月になるのですが、すでに明るくなりつつある日本からは見えない。見えるのは地球の反対側にある合衆国やブラジルなど。そしてそれらの国では日付はまだ15日です。
Copilotが15日はスーパームーンだと言い、満月は16日だといってウロウロしたのには、おそらくそういった事情があったのです。

道長が有名な和歌を詠んだ旧暦1018年10月16日の満月は、実は午前7時過ぎくらいにすでに満ちていました。けれど道長はその月を見て詠んだわけではありません。すっかり明るい時刻で見えない月です。宴会のあったのはその日の夜で、左下からやや欠け始めた満月の光を浴びながら、「我が世をば~」と歌ったわけです。
今日起こっていることはこれとほぼ同じで、月は今朝6時28分に満月になりますが、おそらく私たちはこれを見ません*3。見るとしたら今夜、左下から少し欠け始めてはいるもののまだまだ十分に丸い晩秋の月で、それは1008年と同じように輝いているはずです。

そしてこの先が今回の最も素晴らしい偶然なのですがNHK大河ドラマ「光る君へ」で、道長が「この世をば~」と歌う場面は、明日8時からの放送の中で見ることができるのです。
*3:今朝、午前3時に目を覚ましたら、西の空に満月が煌々と眩しく、二度と眠れないかと思いました(結局は眠りましたが)。

文科相財務省案を批判して、
「それでは必要な教育指導が行われなくなる」といった。
しかし文科省は「必要な教育指導」を、
すでにずいぶんと削減してきたのじゃないか、
という話。
(写真:フォトAC)

文科相財務省案を批判する】

財務省の「時間外労働を月平均20時間以内に抑えることを条件にとりあえず10%まで教職調整額を引き上げ、その後時間を置いて残業代に変えていく」という案、今週火曜日(12日)阿部文科大臣は「教師の長時間勤務を改善する方策として、教職員定数の改善についてはいっさい示されていない」、その状況で残業時間の縮減ばかりを迫れば、「必要な教育指導が行われなくなる恐れがある」と批判したようです。
「仕事を減らさない人も増やさない、その状況で時間外労働の縮減を強制すれば、仕事はすべて持ち帰りになる」という、私のいつもの言い方の相似形です。

文科大臣との違いは、大臣が「むりやり学校から追い返せば、先生たちは必要なこともしなくなるだろう」と考えるのに対して、私は「すべて持ち帰りにして、仕事はするだろう」と考える点です。私の方が先生たちを信じているという言い方もできますが、やるべきことをしないで被る「しっぺ返し」がどれほど恐ろしいか、理解している教員はやらざるを得ないと思っているからです。信頼を失ってコントロールの効かなくなった教室ほど恐ろしいものはありません。

【「行事の精選」という教育の質の低下】

ただ個々の教員は教育の質を下げなくても、学校としてはレベルが落ちている現状はあるでしょう。いわゆる「行事の精選」です。
例えばこのところ清掃の時間を週三日に減らして、間の二日間は簡単なゴミ拾いだけで済ませる学校が出てきました。これなどは典型的で、かつて「使った場所は、そのつど必ずきれいにしなさい」と言っていた指導を「散らかさないように気を遣えば、必ずしもそのたびにきれいにする必要はない(勉強の方が大事)」という方向に変換してしまったのです。一見たいしたことのない変更ようにも見えますが、「散らかさないように気を遣えば」は個々の情操がものすごく育っている場合は良いのですが、そうでなけれ「俺にとっちゃあ気を遣った結果」という程度問題になってしまいます。「マスクは風邪を引いている人だけがすればいい」と同じで、個人に判断を任せると徹底はできません。
現在の日本の街が極めてゴミの少ないのは、自分の出したゴミを持ち帰る人たちが主流だからで、これが逆転して「正直者がバカを見る時代」になれば、つい40~50年前の日本がそうだったように、街路はすぐにゴミだらけになってしまいます。

【日本人として必要な素養が犠牲にされる】

考えてみれば児童・生徒会も昔に比べるととんでもなく簡略化されました。運動会も半日、文化祭も1日開催となり、企画力・計画力・実行力、あるいは協働と分業、責任と信頼――そうしたことを実地で学び、訓練する機会はぐんと少なくなっています。
万が一大規模災害にあったとき、互いに助け合って何とか生き延びる――2011年の東日本大震災でも今年の能登半島でも見られた姿が、訓練不足の子どもたちが大人になる数十年後でもみられるかどうか、私ははなはだ疑問に思っています。

今年の1月2日、羽田空港で起こった「日航機・海保機衝突事故」では、日本航空516便の乗員乗客379人が衝突から18分、脱出開始からわずか12分で全員避難を完了しています。荷物を持ち出そうとして他の乗客に叱られた人はいたみたいですが、誰一人パニックになることなく、狭い脱出口から順番を守って降りたからできた偉業です。ニュースではだれも取り上げませんでしたが、幼稚園児のころから高校を終えるまで、年に4回も5回もやって来た避難訓練の成果であることは明らかです。
行事の精選といってもさすがにそこまでは話に出てきませんが、「避難訓練も年3回程度でいいだろう」という話が出れば、3回を超えて2回になる日も見えてきます。
(しかしそれにしても衝突から6分間、キャビン・アテンダントたちが安全を確認して脱出口を選択するまでの長い時間を、乗客たちはよく耐えて待ったものです)

コロナ禍以降、
「きちんと育てた道徳観ではなく、同調圧力によってやらされているならすぐにやめた方がいい」といった妙な倫理観を掲げ、私たちに同調圧力を加えてくる人が多くなってとてもやりにくいのですが、他人に親切にしたりやさしく対応できたりするのも、学校での訓練の賜物です。私たちは「人生に必要な知恵はすべて幼稚園と学校の砂場で学んできた」のです。
それを余計な追加教育のために時間と教師のエネルギーを奪い、結局、英語もプログラミングもものにならず、何の役にも立たず、ただ、昔ながらの、そして現在日本を訪れる人々によって賞賛されるような日本人の美質を失わせて終わるようなら、実にもったいない話です。
(この稿、続く)

【予告】

実は今日は昨日の続きで「高校の校長とは違って、義務教育の校長には行事を減らすことが非常に難しい理由がある」という話をするつもりでしたが、阿部文科大臣の談話もあって寄り道したまま時間になってしまいました。続きは月曜日にお話ししたいと思います。
また通常は土日休みなのですが、明日は特別なことがあって残したい内容がありますので、書くことにします。とくに「光る君へ」ファン、もしくは「源氏物語ファン、もしくは紫式部ファン、あるいは歴史ファン方は特に見ていただけるとありがたいです。
(この稿、続く)

さまざまにある学校制度をいっしょくたに語ってはいけない。
残業代が出るようになっても、 仕事自体が減らなければ、 時間外労働の抑制には繋がらない、 ――と思っていたが、 そうない場合もあった、
という話。(写真:フォトAC)

【ネットで検索したら自分のブログがヒットした】

文科省の諮問委員会である中央教育審議会の特別部会が正式に「教職調整額を10%以上に引き上げるべき」という建議をした5月13日、傍聴していた「(給特法のこれからを考える)有志の会」の代表者がすかさず記者会見を開いて「点数を付けるとすれば0点だ。審議を最初からやり直してほしい」と訴えたという話は再三確認しています。
この5月13日に初めて「有志の会」にスポットライトが当たり、「教師たちは調整額の上乗せなんか望んではいない。残業代の創設こそ教員の総意だ」という間違った見方は広がった――そう思っていたのですが、調べたらなんと、その一カ月近くも前の4月19日に、「有志の会」はすでに記者会見を開いて、
「(調整額増額の方向性について)教員や教員志望の学生の声をちゃんと聞いたうえで、撤回していただきたいと強く主張します」
と訴えていたのです。その件については翌日のテレ朝ニュースが扱っており*1、さらに驚いたことに二日後、この件を私自身がブログで扱っていたのです*2
なんと、まったく覚えていなかった・・・。

【私が見つけた私の意見】

そこで、私はこんなふうに言っています。
給特法がなくなって残業代が創設されても、予算は無制限ではありませんから当然、管理者が仕事の取捨選択を行う――それによって仕事が整理され、減らされるから長時間労働が改善される、というのが残業代を要望する人たちの意見ですが、この問題は現場でどうこうできるものとはとても思えないのです。

教員たちの残業時間が予算の枠を越えはじめたとき、校長は現場で「資金が尽きそうだから、今学期から通知票は廃止しよう」と言ってくれるのでしょうか?
「キャリア・パスポートは廃止しましょう」
「準備のたいへんな小学校英語。本校ではもうできないな」
「修学旅行はやめよう」
「卒業式も内々で済ませよう」
と言えるかどうか――。
それが私の一貫した立場で、だから残業代の創設に反対し、調整額13%にとりあえず賛成したのです(とりあえずというのは13%が15%になったらすぐに乗り換えるつもりなので)。

【ああ、それでもできないわけじゃない】

ところがそうした私の立場に真っ向から冷や水を浴びせたのがSNS上に現れた、
「先生たち! 校長先生はたいへんな権限を持ってるよ。校長先生にしっかり働いてもらいましょう」
という書き込み。彼らは本気で、管理職がその気になれば修学旅行をやめたり卒業式を内々に済ませたりできると考えているようなのです。
昨日お話ししたようなやり方で、ありとあらゆる活動を見直し、廃止できるものは廃止し、廃止できないものについては縮小、あるいは運動会を校内マラソン大会に置き換えるような形でもっと簡便なものに変更する、残業代が無限に出せない以上、管理職は必ずそうするはずだ、残業代にこだわる人々にはそうした確信があるみたいなのです。
ほんとうにできると思っているのでしょうか?

それから改めて自分の記事を読み直し、そこに重大な発見をします。
(有志の会の)現役の高校教員 西村祐二さんが――
ああ、代表者は高校の先生だったのです。
高校の校長先生だったら通知票もやめられる、修学旅行も廃止できる――。

【私の高校は最初からなかった】

実際、私が50年以上も卒業した高校は、当時から今だに、修学旅行もなければ通知票もありません。先生に訊いたら、
「修学旅行なんかやった日にゃ、オマエら前後3か月はボーっとしていて受験勉強にならん」
とのことでした。分からないではありません。
それに高校生にやらせると修学旅行も卒業記念旅行みたいになってしまい、しっかり事前学習をするでもなく、小中学校と違ってさほど教育的効果も期待できません。したがって教師からすると、なくてもまったく困らない、なければむしろ楽でいいようなものです。受験を理由にすれば敢えて反対する保護者もいないでしょう。

通知票もまた、生徒はもちろん、保護者にとっても重要なものではありません。今さら性格や態度について言われても親の指導など届きませんし、とにかく希望の大学に入れるよう成績さえ上げてくれれば文句はないところです。
そんなわけで、私の高校の場合、学期末に出したのはテスト点数と順位を書いた一覧表だけでした。

同じ調子で、体育祭も文化祭も受験を理由に圧殺しようと思えば殺せるでしょう。修学旅行も体育祭も文化祭もない学校なんて嫌だという生徒は、最初から選ばなければいいのです。それが高校です。しかし小中学校はそういうわけにはいきません。俗な言い方をすれば、世間が黙っていてくれないからです。

昨日のブログの最初に出したクイズで、答えのふたつ目を「どれも廃止できない」としたのはそのためです。
(この稿、続く)

学校教育の要諦は教育基本法が定め、
学校教育法が背骨を通し、施行法が肉付けをする。
それだけでがんじがらめのようだが、
見方を変えれば、学校独自にできることは山ほどある。
という話。(写真:フォトAC)

【クイズ:どれがなくせる仕事かな?】

クイズです。
次の中で、校長先生が独断で廃止できるものはどれか、すべて挙げよ。

  1. 運動会
  2. 通知票
  3. 小学校英語
  4. 家庭訪問
  5. 総合的な学習の時間
  6. 中学校文化祭
  7. 音楽会
  8. 修学旅行
  9. 教員評価
  10. 卒業式

実は答えは2セット用意できます。
1セット目の答えは「廃止できないもの3・5・9、廃止できるもの1・2・4・6・7・8・10)というもの。
2セット目は「どれも廃止できない」。
まず、前者について説明します。

【廃止できないもの】

まずは廃止できないものは、「小学校英語」「総合的な学習の時間」「教員評価」。いずれも法的根拠があって代案がないので廃止できません。小学校英語と総合的な学習の時間については指導することが学習指導要領に明記されています。
さらに英語については「第4章外国語活動」という項目に書かれているのでフランス語や中国語でもよさそうな気がしますが、最後まで読むと「英語を取り扱うことを原則とすること」とあるので英語でなくてはならないのでしょう。また後者(総合的な学習の時間)については「よのなか科」など名称を変えて実施する学校もありますが、内容は指導要領にある通りでなくてはなりません。
9番の「教員評価」は学校教育法第42条、第43条、および学校教育施行法規則66条、67条で、学校が自ら評価を行ってその結果を公表することや、保護者や地域住民などの関係者による評価を行うことが求められています。ですから校長が独断でやめることはできません。
国学力学習状況調査も同じです(教育基本法第16条第2項が根拠)。

【単純に廃止できるもの】

「通知票」と「家庭訪問」はそれに代わるものを置かなくても単純に廃止することができますし、すでになくした学校もあります。

「通知票」はもともと児童生徒の学校での様子を報せるもので、多くの場合は学校に残す公簿である「指導要録」の内容に準拠するようにできています。指導要録というのはその子が学校に在籍した期間の全記録で、本人氏名や保護者氏名、入学前にいた場所や進学先について書かれた在籍の記録が20年、指導の内容(出欠日数、成績や活動など)の記録が卒業後5年間、学校に保管されることになっています。一般の目に触れるものではありませんが、自分に関する情報がどんなふうに書かれているか、本人が知らないというのはやはり問題ですから、その一端を通知票で知らせる、という形を取るわけです。
また、指導要録は高校に提出する調査書(内申書)とも同調しますから、通知票を通して「調査書の内容はこんなふうになりますよ」と、予め本人や保護者に覚悟を決めてもらうための道具とも言えます。
いずれにしろ手間をかける価値のあるものですが、公簿ではありませんからやめてもかまわないのです。

家庭訪問も同様です。元は就学援助との兼ね合いで、家庭の様子を知らないと書類も掛け合いので始められたものと承知しています。就学援助を受けたい家庭を見に行くというよりは、受けたがらない、あるいは制度自体を知らない家庭に勧めるために行くのが一般的でした。ただし家の中の様子を知ることによって、その子の成長の背景も分かるわけですから、重宝がる教師も少なくありません。特に4月に新たに受け持つことになった子について、本人から読み取れる以上のことが家の雰囲気から分かることがあって、私は好きでした。
けれど家庭の様子・雰囲気を知られるのが嫌な保護者たちが、プライバシーを盾に取ることで、この制度も廃って行きました。そのため指導の質は下がりましたが、保護者の強い希望であればしかたなかったのでしょう。

【代替を用意してやめることのできるもの】

「運動会」「文化祭」「音楽会」「修学旅行」「卒業式」、これらはいずれも代替を用意して廃止できるものです。
学校の行事のほとんどは学習指導要領の「特別活動」に根拠を持つもですが、例えば運動会については、「第6章特別活動」→「第2 各活動・学校行事の目標及び内容」→「〔学校行事〕」→「2 内容」→「(3)健康安全・体育的行事」に、
「心身の健全な発達や健康の保持増進,事件や事故,災害等から身を守る安全な行動や規律ある集団行動の体得,運動に親しむ態度の育成,責任感や連帯感の涵かん養,体力の向上などに資するようにすること」
とあるだけで運動会をやりなさいとは書いてありません。指導要領に定められた「学校行事」には違いありませんから、何かやらなくてはならないと思うのですが、運動会である必要はないのです。

学校で一番重要な行事である「卒業式」はどうでしょう?
卒業式の最重要な法的根拠は、学校教育法施行規則第五十八条の「校長は、小学校の全課程を修了したと認めた者には、卒業証書を授与しなければならない」です。しかし式を挙げろとは書いてありません。
学習指導要領にも「(4)儀式的行事 学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるようにすること」とあるだけで特に卒業証書授与式に関する記載はありません。
ただ、最後の方に「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」という記述がありますから「卒業式はやってもやらなくてもいが、やるなら国旗を掲揚し国歌を斉唱しなさい」と読み取ることもできます。証書の授与は必要ですがあれほど厳粛にやる必要はないのです。担任が教室で厳かに渡すだけでもいいのです。

文化祭や音楽会は「(2)文化的行事」、修学旅行は「(4)遠足・集団宿泊的行事」ですから、教室内で何か文化的なことをしたり歌合戦をしたりして、そのあと近くの児童公園に遠足したまま学校に戻ってお泊り会でもすれば、一応は全部やったことになります。

【校長は万能だ!】

SNSで、「先生たち! 校長先生はたいへんな権限を持ってるよ。校長先生にしっかり働いてもらいましょう」という一文を読んで思い迷い、最後にたどり着いた着地点がここです。
そうです、法的に回避できないものは別にして、校長の権限で学校行事などを片っぱし縮小ないしは廃止すれば、時間外労働などあっという間に半減どころか一割にさえ縮小できるかもしれないのです。
大げさな卒業式も入学式もなくし、家庭訪問も懇談会も通知票もなく、その上で職員の足並みをそろえるために学級通信も出させないようにする。運動会は校内マラソン大会に、音楽会は学年合唱に、修学旅行は近隣への遠足と学校宿泊体験で済ませる(それだって楽しそうですが)。もちろんその前に、地域移行ができようができまいが、部活動は廃止しておきます。
そうすれば職員が始業10分前までに出勤し、定時に気持ちよく退勤できる学校が生れる――ああ、校長って何でもできるのだなと、いまごろようやく気づいたわけです。
(この稿、続く)

授業中以外の教員の姿を想像することは難しい。
校長の仕事は、その教師たちの目からも隠されている。
何をしているのか分からない校長職だが、
それを万能のように考える人もいるのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【校長は巨大な権限を持っている】

「先生たち! 校長先生はたいへんな権限を持ってるよ。校長先生にしっかり働いてもらいましょう」
SNSの中にこの文章を見つけたとき、私は軽いめまいのようなものを感じました。ここまではっきりと異なる印象を突きつけられることはめったにないからです。
「犬は哺乳類ではない」とか「上杉謙信は女性だった」と言われるくらいの違和感があって、だからこそ捨て置けない、一応は考えてみようという気にさせます。ここまで言い切るからには何らかの根拠、あるいは思い込みがあるはずです。

ただし、その文章にさらに詳しい説明はなく、あとで対応しようと思っているうちに二度と見かけなくなってしまったのでそれ以上は分からずじまいに終わっています。あの人は何を考えていたのでしょう? 校長先生の姿に何を発見したのでしょう?

【私の見てきた校長たち】

私自身が児童・生徒だった時代、校長先生は全校朝会や入学式などで見かける以外、どこにいるのか分からない人でした。たまにすれ違うこともあったのかもしれませんが、記憶にありません。
その理由は教員になってから一部わかりました。時期によってですが、とにかく出張が多く、週の半分以上どこかに出かけているときがあります。ただし丸一日出ていることは稀で、たいていは午後だけ、午前中から出る場合も学校で一仕事してから出かけられるような時刻設定になっているみたいです。しかしそれでも年単位で通してみると、外出している時間より校内にいる時間の方が圧倒的に長いのですが、これが、ほとんどの時間を校長室に籠っているので何をしているのか分からないままです。
同じ管理職でも副校長先生(教頭先生)の方は職員室にデンと構えて仕事をしていて、その様子はもちろん、内容の一部ものぞけますから大まかに何をしているのかはわかります。しかし校長先生の方はナゾのままです。
ただ、どうやら時期によっては相当に暇らしく、私が教員になってから2校目の校長先生はしょっちゅう庭を回って生徒が窓から飛ばした紙飛行機を拾ったり、樹木の剪定が好きで大きなハシゴを持ち出しては高いところに登り、枝を払い落していたりしました。素人仕事なのにやりすぎるところのある方で、3年の在任中に4本の木を枯らしたことで記憶に残る先生となりました。
生徒も校長先生というのは紙飛行機を拾って木を切る人だと思っていた節があり、私に向かって「校長先生って暇なの?」と訊く子もいて困ったことがあります。
そんなこと、知りません。

【校内の季節労働者たち】

自分自身が校長になって分かったことですが、校長職というのは季節労働者みたいな面があって、校長会や教育委員会で自分の所属する内部組織が立ち上がる時期や人事の動く10月から翌年5月くらいまではとんでもなく忙しいのに、6月から9月くらいの間は呆れるほど暇な時もあるのです。その点で2月~5月、特に4月に大きな仕事が集中する養護教諭や事務職と似ています。で、それ以外の暇な時期は何をしているのかというと――。

平成に入ってからは「校長は職員の授業を観てきちんと指導の手を入れるように」という指示もあって授業中の教室に積極的に出入りするようになりましたが、昭和から平成も20年くらいまでの校長先生は、教室はもちろん職員室への出入も遠慮して、校長室で静かにしていたのです。「副校長(教頭)先生は職員室の担任」と言われたように、校長以外のすべての先生には持ち場があって、簡単には侵してはならないと思われていたのです。ですからおとなしく校長室に籠っているか、それができない校長先生は庭に出て木でも切るしかなかったのです。

【人事権も予算編成権もなく、挨拶をして責任を取るのが仕事】

校長の仕事なんてそんなものです。私は社会科の教師でしたが、政治の学習の最初には必ずこんな話をしました。
「政治的に人々を動かす力、それを権力といいますが、その権力の源は『人事権』と『予算編成権』です。《自分はこういう政治をしたい》と思うことがあったら、その分野に優秀な人を配置して、予算も多くつぎ込めばいいのです。暴力や脅しでやらせるのは、少なくとも“政治”ではありません」
その定義からすれば、人事権も予算編成権もない校長職は、あきらかに権力ではありません。やれることもごくごく限られています。

校長になり立てのころ、先輩校長から、
「校長の仕事はなあ、究極、挨拶をして責任を取ることだ」
と言われたことがありますが、とにかく挨拶は多い。
みんな聞きたいわけでもないのに、会を締めやすい(閉めやすい)というだけの理由で、児童生徒会など、どんな小さな会合でも必ず最後に「校長先生の話」を持ってきます。しかもほとんどの場合、児童生徒はあまり聞いていないのに、困ったことに先生たちの一部がメモを取りながらしっかり聞いていて、話がつまらないと平気で途中でノートを閉じたりするのです。本当に気が休まらない。
いい話ができるとやはり教師は教師、きちんと評価しといけないという本能が働くようで、あとで必ず誉めてくれます。嬉しいことは嬉しいのですが、それって調教されているも同じじゃないですか。

もうひとつの責任の方は、職員がUSB1本なくしただけでも首が飛ぶ話でこちらも気が休まらない。校長会や教育委員会には《不祥事があったら残りの勤務年数の長い職員よりも、定年間近の校長の方が辞めるべきだ》という空気があって、私もそのつもりでいましたが、やはり気分のいいものではありません。
大して役にも立たないのに修学旅行について行くのも、いざとなったら責任を取らせるためのお守りみたいなものなのです。

【もしかしたら校長は権力者に見えるのかもしれない】

話は元に戻ります。
そんな「人事権も予算編成権もなく、挨拶をして責任を取るだけの校長職」を、私が最近みたSNSのコメント作成者はどんな観点から、
「校長先生はたいへんな権限を持ってるよ」
と言い始めたのか、校長に何ができると考えているのか――。よくよく考えたら思い当たることがないわけではありません。
私はしませんでしたが、確かに、その気になれば振り回せる権力もあったのです。
(この稿、続く)