きとろの徒然日記 (original) (raw)
2024年9月
前々回から気にはなっていたモーツァルト!
仕事や転勤等で機会がなく指をくわえて見ていたのですが、今回ようやく行くチャンスが巡って来ました!
しかし人気演目+主演は今をときめく古川雄大さんと京本大我さんのWキャスト。
ファンの数が多いことは分かっていましたがこれだけのためにFCに入るのもなんだか違うと思い、きっとチケットなんて取れないだろうと半分諦めていました。
お安い席でいいのでなんとか観たいと繋がらないナビザを叩いたり抽選に申し込むこと数回…
私はWキャストであれば両方観たいので1回ずつ取るつもりが当たりすぎてしまい合計3回(古川さん×1、京本さん×2)観劇しました。
主演のお二人以外にもヴァルトシュテッテン男爵夫人が涼風真世さんと香寿たつきさんのWキャストでアマデはトリプルキャスト。
どうせならヴァルトシュテッテン男爵夫人もそれぞれ観たいしアマデもそれぞれ観たいと色々考えた結果アマデの制覇はなりませんでしたがヴァルトシュテッテン男爵夫人は両方観ることができました。
あと、文学座の「アラビアンナイト」(2024)に出演されていた松井工さんが出演されるというのも密かに楽しみでした。
キャスト別感想はwの方+コンスタンツェについて。
思った印象をすぱっと書いているので文章に不整合がある可能性があります!
物語について
モーツァルトが亡くなる35歳までの人生を追った物語ですが、この作品のテーマが「才能が宿るのは肉体なのか?魂なのか?」
それを肉体(ヴォルフガング)と魂(アマデ)に分けて観客に見せるというのは凄いな…。どこの国でもこの演出なんですかね?
冒頭、アマデは箱を持っていてそれは生まれながらにアマデのものであるとヴァルトシュテッテン男爵夫人が言うのですが、箱=才能なのかと思いました。だからヴォルフガングも触れることが出来るし同じ神童とされていた姉のナンネールも触れることが出来る。でも触れられるのはこの二人だけなんですよね。父のレオポルトですら触れない。
箱は彼の生み出した作品だというのであれば漏れ出してくる光にもラストのナンネールの目を丸くした表情にも納得はいくとは思うんですが、ナンネールにも音楽の才能があったのに女だからという理由でその才能を伸ばすことができず、また父親にも理解して貰えなかったので少なからず(家の金を使い果たしたことも含め)弟を憎く思っていたのかなと思ったのです。そして彼が死んでようやく彼の"才能"という存在を直視できたのかなと。作品であれば誰でもあの箱は触れますしヴァルトシュテッテン男爵夫人が、アマデから箱を取り上げようとしたレオポルトに注意することもないのかと思って。
アマデ(魂)は音楽に関係ないことに本当に興味がないのか、ヴァルトシュテッテン男爵夫人の誘いやシカネーダーとのオペラの話だけには目を輝かせてヴォルフガング(肉体)を引っ張っていこうとする。
でもまぁヴォルフガングは目の前のことに夢中なので音楽に疎かになる時も多々あり…。
テーマの答えってどっちなのかなって考えてもこれって演者によって答えの見え方が違うのかもな~って思いました!
個人的に一幕では怠惰にしか見えないコンスタンツェが二幕のダンスはやめられないで「引っ込み思案目立つのが嫌いな少女」なんて歌うことに疑問を感じていたのですが、彼女の育ちの中で努力しても変わらないことが身に染みていて自分にずっと自信がなかった故の諦めのような怠け癖が彼女にとっては引っ込み思案…になったのかなぁなんて思いました。そんな中やっと相手のために生きると思えた相手に出会えたのに彼は自らのことばかり、何とかインスピレーションを与えなければと思い詰めて(+モーツァルトがあまりこちらを顧みないので)しまったのかもしれない。
私には、観てる最中や直後にこの作品が好き!!!となるような話ではなかったのですが、ふとした時に、あの時のあれはどういう意味なのだろうとじわじわ思い出すようなそういうスルメみたいな作品でした。
ただ意味が分からん!ところがあるとも思うので、合う合わないがはっきりしそう……
キャスト別感想
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
古川雄大さん
スタイルが良すぎて最初私の目がおかしいのかと思いました。何頭身ですか?
そして小さくて耽美なお顔立ちからのイメージからこんなに声が太い方とは思っておらず空気が震えるほどの声量に驚きました。今回が3回目ということでさすがの貫禄。ただ歌うだけでなくそこに乗せられた感情が伝わってくる。
芯はしっかりしているように見えるので矛盾やおかしなところの落差が目立つヴォルフガングで、なによりも父に愛されたいという想いが強かった印象でした。
ラスト、アマデを前に歌うとき、”僕こそ”…まで言わず、”僕”だけであとはほぼ声にならず、じっとアマデを観ていたところが印象的でした。その瞬間に、もうこれで終わりなんだというのが分かってしまう目と口元の演技が素晴らしかったです。
京本大我さん
以前「シェルブールの雨傘」(2023)でも拝見したことがありましたが、まとめあげる力がある方だなと感じました。
多分低音よりも高音が得意なようで、『影を逃れて』(M29、M65)の最後の高音が聞いていて気持ちがいい。京本さんのヴォルフガングは常にまとまっていてちょっと世間知らずで知らないことが多い分周囲との差が浮き彫りになるヴォルフガングだった印象。
肉体に才能が宿るのだと自らが持つ力を本当の最後の最後まで信じているような、信じていたかったようなそんな風に見えました。
コンスタンツェ
そして真彩さんコンスタンツェ。ヴォルフのことが気になっていることが彼がウェーバー家に来た時から目に見えてそわそわしているのがかわいかった!
1回目はお芝居も歌も上品すぎる&育ちが良さそうに見えるなと思っていたんですけど、2回目に聞いた時にはかなりやさぐれて心にしまいきれなかった思いを叫んで吐き出すようなお芝居だったと感じました。そして歌がうますぎる。でもやっぱり良いところのお嬢さん感が出てしまうのはご本人の出自の良さからなんでしょうか。
『ダンスはやめられない』(M38)はずっと双眼鏡で追ってしまいました。歌が、本当に上手い……
アマデ
お三方観れていないのでざっとですが…
私が観た時のアマデのお二人も違いがあって、若杉さんの方はヴォルフと一体で箱を取られた時も「返せ」って感じだったけど、白石さんの方は「返しなさい」と諭しているように感じて肉体と魂がきっちり分離しているように見えた。
なので若杉さんの方だと才能は肉体に宿るものなのかもと思ったけど、白石さんの方は魂に宿ります!魂が強いです!(若杉さんの方がまだヴォルフの意思を聞こうとするそぶりが見えて白石さんの方がヴォルフを引っ張る力が強く観えた)って感じました。
そもそもあんなにずっと羽ペンを動かし続けて舞台にも出ずっぱりなのに小学校4年生が3人で回しているだけでも凄いよ…
若杉さんは古川さん回でカーテンコールの時に古川さんのマイクを借りて「今日はありがとうございました!」って言ったんですけど、可愛すぎて会場中が親みたいな笑い声あげてました。そもそもアマデは本番中は一言もしゃべらないのでこういう声をしていたのかと…!
ヴァルトシュテッテン男爵夫人
香寿たつきさん
貞淑な身分の高い男爵夫人のようで見つけだした才能の背中を押して出してあげたいという気持ちが見えた。
香寿さんが出てくるだけでそこにパッとスポットライトが当たるようなオーラと『空から降る金』(M20)の歌声がすごく安定していて何度でも聞きたくなりました。
涼風真世さん
無邪気で俗世を知らないTHE貴族!な男爵夫人。ヴォルフの才能を見せるために腕を引いているような印象でした。
涼風さんが演じられるとどこか妖精のような雰囲気があってこうも二人で違うのかと面白かったです。
以上です!
2024年9月14日(Sat)@世田谷パブリックシアター
What If If Only-もしも もしせめて/A Number-数
最初にこの演目のニュースを聞いた時はよく理解ができず、何度か読み直した結果、つまり1回の観劇で2作品観れるってコト!?超お得では!?なんて思っていました。
What If If Onlyは日本初演だそうですね。
A Numberの方は以前、益岡徹さんと戸次重幸さんで上演されていた覚えがあります。
世田谷パブリックシアターはショー・マスト・ゴー・オン以来?
公立だからか上演される演目は割と固いものが多いイメージがあります。
上演時間がWhat If If Onlyが25分で20分の休憩を挟んでA Numberが65分の合計110分だったのですが、1本目と2本目を別作品として切り離して観させるための時間だったのでしょうか間の20分の休憩が長くて…!
舞台の真ん中には大きな箱があり、周りには大小のキューブが吊り下げられている。
大きな箱が持ち上がると一室が現れるというのは二作品の共通のようでした。
・What If If Only
愛する人を失い、某氏は苦しみの中にいる。
もしせめてあのとき、ああしていたら。
もしせめてあのとき、ああしていなかったら。
願わくば、愛する人とまた話がしたい。
ただただ、愛する人に会いたい。
果てしなく続く自分への問いかけと叶わぬ願いを抱えるなか、
某氏の前に、起きなかった“未来”が現れる。
そして、起きえたかもしれない、たくさんの“未来たち”も。
混乱する某氏に声をかけるのは、“現在”だ。
良いことも悪いことも、何が起きても起きなくても、
未来へ向かっていまを生きていくしかない。
やがて来るべき幼き未来が姿を現すだろう。
どうやら妻を自殺で失った男が妻(大東駿介)に会いたいと願うと未来の妻(という人間)(浅野和之)が現れる何か起こせばこれが現実になるのだと唆される。
男が蠢く引き出しを引けば何通りものもしも もしせめてが光の塊となって部屋中を駆け巡っていく。その中に妻と思われる光もある。
過去の妻(この日はポピエルマレック健太朗)という子どももこれからについては何も語ってはくれない。
現実には もしも もしせめて なんてなくて、妻を取り戻すチャンスなんてない。それでも未来はやって来る。このやって来るっていう台詞が良かったなぁ。進もうとしなくても未来はやってきてWhat If If Onlyなんて並行世界以外ではありえない話なんだと突きつけられるような。
短い分終わりがちょっと拍子抜けな感じがしましたがこれは面白かったです。
・A Number
バーナードは、ある日ショッキングな事実を知る。
どうやら自分には“コピー”、つまりクローンがいるらしい。
しかもそれは少なくない“数”が存在するようだ。
自分は数多くいるクローンの一つなのか、あるいは自分こそがオリジナルなのか。
父親ソルターは懸命に説明をしようとする、
「自分は何も知らない、病院が勝手にバーナードの細胞を盗んで違法な“コピー”をつくったに違いない」と。
事情を知らないわけがないとバーナードがさらに問い詰めると、
ついにソルターは重い口を開くが、そこで語られた“事実”は果たして“真実”なのか。
そしてまた別の日、ソルターの前にもう一人の“息子”バーナードが現れて──。
父親役を堤真一さんが、息子(クローン含む)を瀬戸康史さんが演じられました。
何を勘違いしていたのか私は父親であるソルターのコピーを息子として育てていると誤認したまま観終わったので、ずっと???と思っていたのですが全然違いました笑
本当の息子(しかも心臓病があるらしい)を上手く育てられなかったからもう一人息子のコピーを作って今度は上手く育てたつもりだったのに、病院はもっと多くの数の息子が作っていて…
父親から事実を聞いた本当の息子は本当の息子から逃げようとしていた上手く育てられたコピーを殺し、自殺する。
3人目に会ったクローンは自分のクローンがあるという状況を全く怖がることもなく、むしろ面白いと思っているらしい。彼には彼の人格や人生があり、クローンであることが何かの影響を及ぼすわけではないと理解しているから。
父親も本当の息子にはネグレクトを行った挙句、大人になれば上辺だけの関心や慰めを向けて、真剣に真実を問いただすクローンの息子にもお前がオリジナルだと嘘をつき、挙げ句の果てにクローンたちも一緒くたでどこか物のように思っているような発言を繰り返している。
父親が軽く感じたのはなんとなく今まで現実から目を逸らし続けて来たから。そういう心の定まりがないからかなと感じた。
3人目のコピーの内面には触れることができず、「幸せですよ、残念ながら」と、父親がどこか期待していた答えをくれはせず、結局彼はコピーたちを別々の人格として扱うことができなかったことに本当の息子も、うまく行ったコピーの息子も死んで、すべての20人のクローンの”息子”を観た時にようやく現実に直面したということだと思いました。
未来にもしクローン(すでに羊は成功していましたよね)が存在すればこういうことも往々としてあるのだろうなぁ。命とそれを見つめる人間の価値の軽減が起こりうるのは火を見るよりも明らかだとは思いますがそんな未来が永遠に、命を数と数えることのない世界であるように祈らずはいられないようなそんな作品でした。
一つの命に思いをはせるWhat If If Onlyと一つの命から逃れて数を見せつけられるA Numberを二作品続けて観劇することができてよかったです。
食べることが大好き!というわけで2024年上半期に食べて美味しかったものをザッと並べてみました。
【東京】
すずき
東京駅に行く用事があればまず選択肢に上がるすずき。
肉厚なエビとサクサクのロースカツ定食が好きで次は別のものにしようと決めていてもいつもこれを頼んじゃう。
味噌汁が赤出汁なことも好きポイント。
みはし
あんみつって積極的に食べたいとはならなかったんですが(黒蜜があんまり得意でない)、ちびまるこちゃん経由で知ったみはしのあんみつを食べて以来好きになりました。
絶対にフルーツクリームあんみつを頼みます!
そこに写真のように季節のフルーツ(これはいちごの時)をのせるのが好き。
あったかいお茶もすぐに入れてくれるので食べている途中に震えることもない。
東京駅の地下でもおやつどきに行くとまぁまぁな確率で並ぶので午前中に行くが吉。
根室花まる寿司
KITTEの中にある着席の方はめちゃくちゃ混むのでいつも八重洲バスタの立ち食いの方へ。
後でデザートも食べよう!とか意気込んで行っても寿司が好きなのでいつも調子に乗ってお腹いっぱい食べてしまう。懲りない。
大人は大丈夫でしょうが、お年を召した方や子どもさんがいるなら着席の方がいいと思う。ものすごく待ちますが…
マダム・トキ
予約必須なレストラン。
コースが2種類で、いつもノンアルコールペアリングと一緒に頼むのだけれど、美味しいしゆったり過ごせる。
都度都度サーブしてくれるパンと最後のデザートを毎回全種類制覇することはそろそろやめたい(多分無理)
青山 川上庵
サクサクなのに中はじゅんわりな天ぷらとシャッキリとしたお蕎麦が最高に美味しい!
青山の通りを一本入る感じなので場所の割には意外と閑静。
かなり並ぶので朝一飛び込むのがいいと思う。
エリックサウス
ミールス大好き!
色々かけて混ぜるのが楽しい。
スパイスカレーだとおなかいっぱい食べても身体にいい事をしたような気がする(?)
東京駅の地下にもありますが、永田町の方のお店は休日に行けばちょっとゆとりのある感じ。
【大阪】
はり重
子どものころから大好きな精肉店が営む洋食屋。近くにすき焼きやステーキを展開するお高い方のお店もありますが、そちらではなく御堂筋通り沿いにある方のお店。
いつもビーフカツカレーを注文します。コールビーフ丼も好(ハオ)。あまり難波で観劇することはないですが、近くに行けばいつも立ち寄るお店。
【京都】
うり
ここも予約は必須。
本当にここにあるの?っていうような小道にあるので最初は少し迷うかも。
丁寧な和食の小さなお店で、一品一品丁寧かつ居心地がかなりいいです。
以上です!
下半期も美味しいものを食べて元気に乗り切りたいと思います!
2024年8月18日(日)マチネ@明治座
バサラオ
昨年の天號星で見たかった劇団☆新感線を観たので今回もかなり期待していました。
生田斗真39公演と銘打たれた本公演。
予想はしていたのですが生田斗真ワンマンショーでした!
あらすじ
幕府と帝が相争う、混乱そして裏切りの時代。
島国「ヒノモト」に生きる男が二人。
幕府の密偵を足抜けし、逃亡していたカイリ(中村倫也)は、〝狂い桜〟の下、麗しき顔で女たちを従えたヒュウガ(生田斗真)が催す〝バサラ〟の宴に出くわす。
そこにやってくる幕府の役人たち。ヒュウガに惹かれ家を出た女たちを連れ戻そうとするが、女たちは嬉々として役人に斬りかかり、散っていく。それを平然と眺めるヒュウガ。
「俺のために死ぬのは最高の至福。それを邪魔する幕府はつぶせばいい」。
その言葉に驚き、惹きつけられたカイリはヒュウガの軍師になることを決意。二人は咲き乱れる〝狂い桜〟の下で手を結ぶ。
一方、鎌倉では執権・キタタカ(粟根まこと)に、女大名・サキド(りょう)がヒュウガの成敗を申し出ていた。 京都守護への道中、サキドはヒュウガを斬ろうとするが、彼の瞳に魅了されて隙を見せてしまう。
そして流刑のゴノミカド(古田新太)の首を取るともちかけられ、京でミカドの首を待つと告げる。
流刑の地・沖の島にゴノミカドを訪ねるヒュウガ。ミカドを手中に収めようとした刹那、ゴノミカドの守護役・戦女のアキノ(西野七瀬)がヒュウガに矢を放つ。だが、ゴノミカドもヒュウガの瞳に魅惑され、再び倒幕の御印となることを決意。京の都に向けて進撃を開始する。
新たに始まるゴノミカドの政。その陰で蠢くそれぞれの思惑、謀りの連鎖。
「バサラの宴は続く。この俺の光がある限り」
眩しい光に飲み込まれ、美の輪廻に堕ちた者の群れ。
たどり着くのは地獄か、それとも極楽か?
〝バサラ〟の宴が今、幕を開ける――。
歌い踊りも派手に、常にライトはヒュウガの元に集まるのでとにかく美しさはめっぽう目立つのですが、特に流し目が色っぽくて前方席だったこともあり思わず見とれてしまう美しさでした。
ちょっとコロッといってしまいそうな自信に満ち溢れた色気に目がつい追ってしまう。これが真ん中に立つ人間の華…!
ヒュウガやカイリ、それに周りの人々も散々裏切り裏切られがあり人間の軽薄さというか心の澱みが見え隠れするのは見ていて飽きなかったです。
ですが、物語としては確かにヒュウガの美しさという筋があるものの、なぜヒュウガが美しさに固執するのかに焦点が当てられないので何がここまで(しかも外見の美しさは一時だろうに)彼を駆り立てるのかが分からず、ラストのカイリの行動もここまで命を賭したやりとりをする理由としては浅い感じがして小さな村出身の二人にここまでの確執があるようにも私には見えませんでした。
新感線劇団の皆さんは相変わらず素敵で、村木よし子さんが特にかっこよかったです。山賊の親分なのですがついていきたくなるような気風のよさ。
グッと目を開いて感情を抑えようとするお芝居がかっこいい!
生田斗真さんも中村倫也さんも殺陣がお上手で、中村倫也さんは飄々とした役がお似合いでした。そしてこんなに歌が上手いとは知らなかった!またミュージカルに出られないですかね…ぜひ行きたい。
初めて拝見する西野七瀬さんはもう顔がこれ(手をグーにする)でしたし、ちっちゃい顔に大きな目でケタケタ笑う様子が際立っていました。
全体的に天號星に比べると物語や殺陣にやや物足りなさがありますが、半分ショーだと思えば十分楽しかったです。
次回の新感線は髑髏城かな??
……見えました!斗真天魔王!!!
違いますかね?笑
追加:幕間に バサラ好みの絢爛御膳をいただきました!
どれも満遍なく美味しかったですが、私は30分では少し時間が足りませんでした!
座席が前の方で出るのに時間がかかったということもあるかもしれませんが、とかく詰め込むことしかできず…
温かいお茶といただけるのも嬉しかったですね。
こういうコラボ(?)メニューがあるのはテンションがあがりますね。
2024年7月10日(Wed) ソワレ@草月ホール
死の笛
一度ちゃんと安田顕さんのお芝居が観たいと思いチケットをGET。
途中ローチケの販売ミスにも巻き込まれましたが……(本当にローチケしっかりして)
安田さんのお芝居はTEAM NACS本公演の『マスターピース(2022)』以来。
それ以前に『ボーイズ・イン・ザ・バンド(2020)』も当選していたのですがコロナ禍の再抽選で外れてしまい。
発表時に草月ホール??と少し驚いたのですよ。以前『ドロシー(2022)』で行ったことはあるのですが、キャパシティが小さいので…。
大阪の会場であるTTホールにしても小さな劇場ですし、札幌のかでるホールも大きくはなさそう。
この舞台自体は安田さんが所属されているTEAM NACSのソロプロジェクトの一つで私は先に戸次さんの『幾つの大罪(2023)』を観劇しています。
なので同規模くらいあるかなと思っていたのですけれど東京大阪札幌を通しても10,000人も観ることができないくらいの規模&上演期間でした。
2人芝居とはいえもう少し大きなところでもよいのではと思っていましたが、観劇後の今となってはあのスケールの会場でよかったのだとわかります。
脚本は坂元裕二さん。
私は西遊記くらいでしか存じ上げなかったのですが、安田さんと林さんは坂元さんが脚本を務められた『初恋の悪魔』というドラマで共演され、それきっかけで今回の舞台の話へと繋がったそうです。
事前情報は一切なし。上演時間すら公開されない徹底ぶりで、いかにネタバレしてほしくないかということが伝わってきていました。
ポスタービジュアルのピンクのネクタイに銃を持ったスーツ姿のお二人の姿以外何にも分からず、当日はドキドキしながら草月ホールへ。
全体的に年齢層が高めで圧倒的に女性の方が多かったです。
そして肝心の話としては、ちょっと複雑な話なのですが…(以下ネタバレ)
舞台の真ん中でフェンス等に区切られた調理場。戦争するにも食料は必要で、井戸があるからという理由で、地下鉄をめぐって戦争中の二つの国の緩衝地となったこの場所で出会う二人の男。
男A(安田顕)は娘を殺した人間を探すために犯人が置いていった靴を右足に履いて戦争に料理番として参加している。一方、要領が悪いがどこか憎めない同じく料理番として働く男B(林遣都)はリップルさんという何かの研究をしている女性に夢中。敵国同士だった二人は会話を交わすうちに仲良くなるが、偶然男Aが男Bの調理場で笛を見つける。
慌てる男B曰く、それは死の笛でありその笛が鳴ってしまった場合は死ぬという。信じない男Aはその笛を吹くと笛は鳴り、死んだはずの娘から電話が来て死んでしまう。
男Bは死んでしまった友を想って嘆くが次の日になると何事もなかったかのように前日の記憶を無くした男Aがやってきて…。
喋るする、お腹痛いした、というような特徴的な喋り方に最初は戸惑ったものの、それは方言と同じで聞いているうちに慣れるだろうなと思えたのでさほど気になりませんでした。案の定すぐに慣れましたし。
私はこういう特定の役者のファンが圧倒的に観客を占めている中でその役者可愛さに笑うところに引いてしまうので、全く笑いどころではないところであがる笑い声にちょっと白けたりしたのですけれども……
ただ物語としては面白かった!
二人は本当はとっくに死んでいて、持続型再生可能兵士として動く死体でした。
戦争において効率的に任務を遂行させるために目的を持たせた方がいいということに気づいた研究者たちにそれぞれ、
殺された娘の犯人に復讐するため
リップルさんという好きな人がいるから
という目的を持たせた。実際には殺された娘なんていないし、リップルさんはこの持続型再生可能兵士の研究をしていた研究者の名前。
SF調というか近未来ものというか、少し星新一のショートショートを感じるようであり、近い未来に起こりうることなのかもしれないと考えさせられるような物語でした。
ロボットよりも死んだ人間を再利用する方が戦争においてはコスパが良いと考えつくエグさと、じゃあ研究者のことが好きという設定にしてしまおう!と考える無邪気な残酷さ。
終戦後に手術を受けて人間として生きられるはずなのに受ける差別や僅かに残った「実際にはないはず」の記憶に苦しめられる二人が死の笛を何度も吹く、なんともいえない舌にざらりと残る終わり方。
少し説明が丁寧すぎるような気もしましたが、端々に意味があるのではないかと勘ぐってしまうような余白がとても好きでした。
二人は毎晩首に自己注射をするのですが、あれは何度も再利用している体の修復のためなのかとか、会場は地下鉄の近くで、かつそれほど大きくない場所を探したのかなとか(東京だと都心の大体の劇場の近くに地下鉄はありますが、大阪や札幌ではそうはいかないのでは)実はあの舞台の時間軸は凄いスピードで進んでいたんじゃないか等色々考察できたところも楽しかったです。
企画者の安田さんはもちろん声の調子から一挙手一投足まで素敵でしたが、『友達(2021)』以来となる林遣都さんも、ふとした表情や視線の動かし方に何かあるのではと考えさせるような力があってつい目で追ってしまいました。また舞台でお見掛けできればなと思います。
最後に、難しいなぁと思ったことは宣伝方法で、まったく稽古の様子などもアップされなかったことより、ネタバレなく公開したいという気持ちがあったのだろうと思いますが、諸々隠しすぎた故に、お互いのファン層しか取り込めなかったのが惜しいように感じました。もっと多くの方に観てもらいたい感想を吸込みたい!と思いましたがどうも円盤や配信は無さそう。
私としては配信や再演をしてもらいたいなと思いましたがそれはきっと安田さんの今回の企画の趣旨違うのかなと思ったり。
観れて良かったです。また安田さんのお芝居を拝見出来たらなと思いました。
2024年7月6日(Sat)マチネ@東京芸術劇場シアターウエスト
神話、夜の果ての
この舞台の題材(宗教二世)に興味を持ち劇団一般発売でチケットを取りました。
信仰について深く考えたことはなく、彼らは彼らの枠組みの中でいるのであれば他人に危害を与えるのでなければ共存が可能だと考えていた自分の浅はかさに気づかされた気がしました。
そのような国に生まれたことを幸福だとすら思っていたことにも観劇が終わった今となっては恐ろしく感じます。
ちょっと内容が内容なのであらすじも感想も書けないのですが…
朝は夜の果てじゃない、夜の果てもまた夜なんだ。という言葉が胸に残りました。
どれだけ辛い目にあっても、あの場所に戻りたいと思う自分がいる。
染められた服は薄くなっても一生白くなることはないのだと思いました。
信仰は誰かにとっては救いで、誰かにとっては畏怖や無関心、増悪の対象だと、それらは併存しないものだと思っていましたが、違うのですね。
宗教とは、カルトとはというものに着眼するのかと思っていたので少しこのお話の組み立て方は意外でした。
そしてちょっと私には重かったです。
2024年6月19日(Wed)マチネ@Parco劇場(H列)
ウーマン・イン・ブラック
この日は有給をつかって渋谷へ。
本当は夜公演を取るつもりだったのですが、間違って昼公演を取ってしまい…笑
でも昼公演でも客席はほぼ埋まっていたのが凄い。
再演を重ねているだけあってリピーターの方も多いのかも。
2人芝居と聞いていたのでそんなに長くないかと思っていましたが休憩を挟んで2時間10分でした。
ホラーということは知っていたのでどれくらいのものなのだろうかと思っていたんですが、蓋を開けてみればそんなに怖い話でもないのかな?と。
過去の忌まわしい体験を劇場で家族に打ち明けたいと若い俳優に手助けを頼む弁護士キップス。
しかし彼はどうにも上手く説明することができず、俳優はキップスに芝居のように上演するのはどうかと提案し、俳優は若い頃のキップスを演じ、キップスはその他の人間を演じながら物語は進んでいく。
しかし、キップスの記憶が再現されるにつれて劇場でも奇妙な変化が現れるのだった。
↑これがざっくりとしたあらすじ。
劇場で劇場を舞台にするのは上手いなと。なので演者は客席から現れたりする。
紗幕に、ろうそくの明かりが消えないように風よけとして覆う手の大きな影が揺らめくところや演者の現れ方が凄く上手く活かされていてこういうところの全体像を俯瞰で見られることが演劇の良いところですよね…!
一方で話の中身はというと、怖いというより女性の悲鳴や爆音で驚かされることが多く、1幕については立ち上がりがゆっくりだったこともあって眠りかけていた観客も驚いて起きていました。
かくいう私も何度か意識が飛びかけ…
キップスの忌まわしき体験とは若いころに関わった無くなった女性の身辺整理に伴う恐怖体験で、事実近くの町の人間は彼女の話をしたがらない。
その女性が問題ではなく、その女性の妹の息子が事故で死んでしまったことに伴う妹の呪い。その呪いとは妹の幽霊を見ると子どもが死ぬというもの。
結論として、話し、演じることでこの呪いから解放されようとしたキップスと演じたことにより呪いの輪廻に入れられてしまった俳優の不幸な話だとは思うのですが、キップスはこれで呪いは終わりなんですかね?
一度彼女に、というよりこのお話に関わった以上抜け出せないのではないかと思います。そして家族に話すことにより彼の家族にもこの呪いが広がるのでは?
しかしあまりにも幽霊が身勝手で…笑
いくら何をしても彼女の子どもが生き返ることもないのに別に直接殺したわけではない姉に粘着そ、周りの子どもを殺しやりたい放題。
そして彼女を見たものは子どもが死ぬという呪いは、例外なく何年経とうと襲い掛かり、それは俳優も例外ではなく…顔を覆って体を折り曲げて絶望へ崩れ落ちていく中、照明は落ちる。
正直このオチは読めてしまったので一番怖かったのはイール・マーシュの館の子供部屋が一変したところ!
関節人形がぐったりと逆さに横たわっていたり、激しく揺れるロッキングチェアにはゾッとしました。なので正直大きな音なんかより微妙な視覚的な変化や光の調節のようなところで観客の想像力を働かせるほうが怖さが増すのでは?と思いました。
面白かったですけど、夜に観たかったな!なんて思いました。そうすればもっと怖さを感じつつ気帰ることが出来たかも?
チケットを買うときは慎重に…