【観劇】モーツァルト! (original) (raw)

2024年9月

モーツァルト

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前々回から気にはなっていたモーツァルト

仕事や転勤等で機会がなく指をくわえて見ていたのですが、今回ようやく行くチャンスが巡って来ました!

しかし人気演目+主演は今をときめく古川雄大さんと京本大我さんのWキャスト。

ファンの数が多いことは分かっていましたがこれだけのためにFCに入るのもなんだか違うと思い、きっとチケットなんて取れないだろうと半分諦めていました。

お安い席でいいのでなんとか観たいと繋がらないナビザを叩いたり抽選に申し込むこと数回…

私はWキャストであれば両方観たいので1回ずつ取るつもりが当たりすぎてしまい合計3回(古川さん×1、京本さん×2)観劇しました。

主演のお二人以外にもヴァルトシュテッテン男爵夫人が涼風真世さんと香寿たつきさんのWキャストでアマデはトリプルキャスト。

どうせならヴァルトシュテッテン男爵夫人もそれぞれ観たいしアマデもそれぞれ観たいと色々考えた結果アマデの制覇はなりませんでしたがヴァルトシュテッテン男爵夫人は両方観ることができました。

あと、文学座の「アラビアンナイト」(2024)に出演されていた松井工さんが出演されるというのも密かに楽しみでした。

キャスト別感想はwの方+コンスタンツェについて。

思った印象をすぱっと書いているので文章に不整合がある可能性があります!

物語について

モーツァルトが亡くなる35歳までの人生を追った物語ですが、この作品のテーマが「才能が宿るのは肉体なのか?魂なのか?」

それを肉体(ヴォルフガング)と魂(アマデ)に分けて観客に見せるというのは凄いな…。どこの国でもこの演出なんですかね?

冒頭、アマデは箱を持っていてそれは生まれながらにアマデのものであるとヴァルトシュテッテン男爵夫人が言うのですが、箱=才能なのかと思いました。だからヴォルフガングも触れることが出来るし同じ神童とされていた姉のナンネールも触れることが出来る。でも触れられるのはこの二人だけなんですよね。父のレオポルトですら触れない。

箱は彼の生み出した作品だというのであれば漏れ出してくる光にもラストのナンネールの目を丸くした表情にも納得はいくとは思うんですが、ナンネールにも音楽の才能があったのに女だからという理由でその才能を伸ばすことができず、また父親にも理解して貰えなかったので少なからず(家の金を使い果たしたことも含め)弟を憎く思っていたのかなと思ったのです。そして彼が死んでようやく彼の"才能"という存在を直視できたのかなと。作品であれば誰でもあの箱は触れますしヴァルトシュテッテン男爵夫人が、アマデから箱を取り上げようとしたレオポルトに注意することもないのかと思って。

アマデ(魂)は音楽に関係ないことに本当に興味がないのか、ヴァルトシュテッテン男爵夫人の誘いやシカネーダーとのオペラの話だけには目を輝かせてヴォルフガング(肉体)を引っ張っていこうとする。

でもまぁヴォルフガングは目の前のことに夢中なので音楽に疎かになる時も多々あり…。

テーマの答えってどっちなのかなって考えてもこれって演者によって答えの見え方が違うのかもな~って思いました!

個人的に一幕では怠惰にしか見えないコンスタンツェが二幕のダンスはやめられないで「引っ込み思案目立つのが嫌いな少女」なんて歌うことに疑問を感じていたのですが、彼女の育ちの中で努力しても変わらないことが身に染みていて自分にずっと自信がなかった故の諦めのような怠け癖が彼女にとっては引っ込み思案…になったのかなぁなんて思いました。そんな中やっと相手のために生きると思えた相手に出会えたのに彼は自らのことばかり、何とかインスピレーションを与えなければと思い詰めて(+モーツァルトがあまりこちらを顧みないので)しまったのかもしれない。

私には、観てる最中や直後にこの作品が好き!!!となるような話ではなかったのですが、ふとした時に、あの時のあれはどういう意味なのだろうとじわじわ思い出すようなそういうスルメみたいな作品でした。

ただ意味が分からん!ところがあるとも思うので、合う合わないがはっきりしそう……

キャスト別感想

ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト

古川雄大さん

スタイルが良すぎて最初私の目がおかしいのかと思いました。何頭身ですか?

そして小さくて耽美なお顔立ちからのイメージからこんなに声が太い方とは思っておらず空気が震えるほどの声量に驚きました。今回が3回目ということでさすがの貫禄。ただ歌うだけでなくそこに乗せられた感情が伝わってくる。

芯はしっかりしているように見えるので矛盾やおかしなところの落差が目立つヴォルフガングで、なによりも父に愛されたいという想いが強かった印象でした。

ラスト、アマデを前に歌うとき、”僕こそ”…まで言わず、”僕”だけであとはほぼ声にならず、じっとアマデを観ていたところが印象的でした。その瞬間に、もうこれで終わりなんだというのが分かってしまう目と口元の演技が素晴らしかったです。

京本大我さん

以前「シェルブールの雨傘」(2023)でも拝見したことがありましたが、まとめあげる力がある方だなと感じました。

多分低音よりも高音が得意なようで、『影を逃れて』(M29、M65)の最後の高音が聞いていて気持ちがいい。京本さんのヴォルフガングは常にまとまっていてちょっと世間知らずで知らないことが多い分周囲との差が浮き彫りになるヴォルフガングだった印象。

肉体に才能が宿るのだと自らが持つ力を本当の最後の最後まで信じているような、信じていたかったようなそんな風に見えました。

コンスタンツェ

そして真彩さんコンスタンツェ。ヴォルフのことが気になっていることが彼がウェーバー家に来た時から目に見えてそわそわしているのがかわいかった!

1回目はお芝居も歌も上品すぎる&育ちが良さそうに見えるなと思っていたんですけど、2回目に聞いた時にはかなりやさぐれて心にしまいきれなかった思いを叫んで吐き出すようなお芝居だったと感じました。そして歌がうますぎる。でもやっぱり良いところのお嬢さん感が出てしまうのはご本人の出自の良さからなんでしょうか。

『ダンスはやめられない』(M38)はずっと双眼鏡で追ってしまいました。歌が、本当に上手い……

アマデ

お三方観れていないのでざっとですが…

私が観た時のアマデのお二人も違いがあって、若杉さんの方はヴォルフと一体で箱を取られた時も「返せ」って感じだったけど、白石さんの方は「返しなさい」と諭しているように感じて肉体と魂がきっちり分離しているように見えた。

なので若杉さんの方だと才能は肉体に宿るものなのかもと思ったけど、白石さんの方は魂に宿ります!魂が強いです!(若杉さんの方がまだヴォルフの意思を聞こうとするそぶりが見えて白石さんの方がヴォルフを引っ張る力が強く観えた)って感じました。

そもそもあんなにずっと羽ペンを動かし続けて舞台にも出ずっぱりなのに小学校4年生が3人で回しているだけでも凄いよ…

若杉さんは古川さん回でカーテンコールの時に古川さんのマイクを借りて「今日はありがとうございました!」って言ったんですけど、可愛すぎて会場中が親みたいな笑い声あげてました。そもそもアマデは本番中は一言もしゃべらないのでこういう声をしていたのかと…!

ヴァルトシュテッテン男爵夫人

香寿たつきさん

貞淑な身分の高い男爵夫人のようで見つけだした才能の背中を押して出してあげたいという気持ちが見えた。

香寿さんが出てくるだけでそこにパッとスポットライトが当たるようなオーラと『空から降る金』(M20)の歌声がすごく安定していて何度でも聞きたくなりました。

涼風真世さん

無邪気で俗世を知らないTHE貴族!な男爵夫人。ヴォルフの才能を見せるために腕を引いているような印象でした。

涼風さんが演じられるとどこか妖精のような雰囲気があってこうも二人で違うのかと面白かったです。

以上です!