阿部詩選手の号泣に一言 (original) (raw)

道家の阿部詩さんが、怪我で十分な練習が出来なかったにもかかわらず、果敢にもオリンピックに出ました。しかしながら、コンディションの悪状況が災いしてか、2試合目で敗北に喫した。そのとき、詩さんが物凄い号泣をしたことが一時話題となりました。

批判的な意見もあったようで、泣くなら畳を降りてから、とか、相手に失礼、等とSNS界隈で言われているそうです。

確かにめちゃめちゃ泣いとる、と思いましたけど、なかんずく柔道をやってきた私にいわせると、まぁ、僕が阿部詩さんだったとしてもやっぱり号泣したと思います。

なんでかといいますと、オリンピックの柔道では金メダルを取って当たり前、と言った風潮と言いますか、イデオロギーと言いますか、そういうのがあると思うからです。これまでの柔道家がオリンピックで銀メダルを取り悔しがったり、申し訳ありません、なんていうのは、金が当たり前という謎の観念が柔道家たちの通奏低音になっていた証拠のように思います。

ですので、阿部詩選手は「泣いた」のは事実だけど「泣かされた」と思うんですよね。自分にかかる金メダル獲得の重圧に耐え、怪我で練習も十分できないまま出場したオリンピック。「金を取るどころか銅も取れなかった」っていう結果となった時、号泣するでしょうね。阿部詩さんを批判する前に、柔道家に過度なプレッシャーを与えている日本の風潮を問題視すべきであり、外国人有利なルールに変更されてきていることに悔しさを感じるべきでしょうね。

そろそろ、日本人は柔道で金を取って当たり前という風潮は風化していっていいのではないかと思います。オリンピックの柔道は、日本の本場の柔道とルールや判定が異なります。とにかく日本人が有利にならないように変更されてきているのです。格闘技はルールが全てです。ルールが異なると結果も当然変わってゆきます。オリンピックに出る柔道家への金メダル獲得という期待は、悪戯に柔道家を精神的に追い詰める結果となります。

今回の阿部詩選手の涙は、半分以上が日本人全体の期待にこたえられなかったという申し訳なさの表れでしょう。金メダル獲得という期待の重圧に潰されてしまったと思うんですね。その意味で、あの涙は「泣いた」というより「泣かされた」という方がふさわしい気がします。

柔道は 金を取って 然るべき

という風潮は、柔道のルールを変えて来られた現代においては、選手にとってただのプレッシャーにしかならないでしょう。必要以上にプレッシャーがかかっていると阿部詩さんの涙を見て思いました。

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