号外2024.11.09:もはや臨港ではない!!(その3) (original) (raw)
東高島駅周辺を探訪しましたが、再開発でぐちゃぐちゃになっており、かつての引込線の痕跡など探訪できる状況ではありませんでした。よって高島方面に向かいましたが、この辺りは高島線の線路に沿った道路がありません。さすがに線路を歩くことはできませんので、再開発地帯の北側を大きく迂回して横浜中央市場の方に出ました。
地図1.東高島駅周辺図(引用:国土地理院1/10000地形図「新子安」昭和60年発行)
ヤードの西側は再開発を免れた一帯?で、昔ながらの住宅街です。神奈川台場跡と言う文明開化前の鎖国時代の遺構もあり、この辺りは海辺だった様です。この住宅街を越えると既に再開発が完了した栄町、大野町の高層マンション街です。高島線は高層マンションを右手に直進して運河を渡って高島へ至ります。
地図2.高島線及び廃線跡撮影地点 (引用:国土地理院1/2500地形図 GSI Maps)
今回は地図2に示す⑨~⑬の状況をお伝えします。
今回お伝えする辺りは、現在では横浜中央市場以外には大きな工場もなく、昔から住宅街です。もともと引込線がない場所であり、引込線の廃線跡探訪から逸脱しますがご了承ください。
写真⑨
写真⑨はその住宅街に流れる滝の川の北側から高島線の橋梁を撮影したものですが、再開発エリアを抜けて、ホッとする佇まいです。
写真⑩
写真⑩は写真⑨の橋梁を南側から撮ったものです。橋梁の右側は東高島のヤードです。地図1にも記載がありますが、橋梁の右側は「神奈川台場跡」という史跡に指定されいます。実際に行ってみると、住宅地とヤードの境界に石積の護岸の様な高台が残っていました。この一帯も昔は海だった様です。
写真⑪
写真⑪は写真⑩の撮影場所のすぐ左側の中央市場通りをオバーパスする高島線の橋梁です。道路が後からできたのか、地平を走る高島線の下を掘り下げられていますが、すぐ左側には踏切もあります。
写真⑫
写真⑫は写真⑪の橋梁の左たもとにある踏切から高島線を東高島の方向に撮影したものです。この前方は東高島のヤードです。この部分の線路は4線になっていますが、使用されているのは右側の2本です。
写真⑬
写真⑬は写真⑫の撮影場所から振り向いて高島方向を撮影したものです。この先には運河を渡る橋梁があります。その橋梁も4線の線路スペースがありますが、現在の高島線は、左から2本目の線路に合流して、橋梁の手前から単線になります。写真の行く手には高層ビル街が見えますがその一帯が現在の新高島の街です。
つづく