生涯をかけて伝えたいことブログ (original) (raw)
今回は1つ前の投稿の続きを話していきます。
もし読んでいない方がいたらぜひ最後まで読んでからこの記事を読んでほしい。
早速、会社入社後から話をしていこう。
自己紹介⑤ ー 社会人1年目 ー
就活時はやりたいことしか考えていなく、給与や休暇などは全く考えずに入社してしまい、後悔したこともある。あの時の自分に言ってやりたい。ちゃんと考えろよって。
入社してギャップも感じたしね。
入社後1ヶ月間は研修期間ですごく辛かったのを覚えている。でも希望に満ち溢れていたからその時は辞めたいとは思わなかったな。逃げ出したいときは何回もあったけど。
研修期間から価値観を含め、たくさんのことを学ばさせてもらった。人としてもそうだし、社会の一員、会社の一員としても。そこで学んだことが今の自分の価値観と言ってもいいぐらいかもね。在り方を教わった。今思えば、あんな会社、他にもあるのって言うぐらい。他の会社に入ったことないから実際わかんないけど、特殊っちゃー特殊。
研修中から変わってるなーこの会社と思ってたけど、確かに変わっていると思う。でも社会人1年目でこんな経験できることは無いなって思うから、入ってよかったって今は思うよ。
結局1年で会社辞めたけど、いろんなこと経験できたからね。
研修期間の続きをちょっと話すけど、研修の最後にテストがあるんだけどそのテストに合格できないと店舗で働かせてもらえなかったのね。私はそのテスト1回落ちたんです。2回目で合格したんですよ。1回目落ちた時仲が良かった子はほぼ合格したんです。遅れを取ったなと。もっとこうしとけばよかったと悔しすぎて号泣しました。それがあり2回目で絶対合格してやると闘争心は燃えました。
そして合格し店舗デビューとなったんですが、全然お客さん来ないから、担当できないし、担当できてもリピーターにならないしでかなり落ち込んでいました。
そんな時に異動を伝えられたんです。あ、でも悪い意味ではないですよ。新店舗ができるとなって異動先の店舗で人が足りないとなって私が選ばれたからです。期待も込められて。店舗デビューして1ヶ月で異動ですよ。普通新卒1年目でないでしょ?そんな経験。ある意味良い経験でした。
もちろん最初は異動することに対して嫌だと思っていました。せっかく仕事にもある程度慣れてきて楽しかったわけですから。また覚えないといけないことが増えるし、うまくやっていけるか不安でしたからね。
異動先の店舗のみんなはとても良い方ばかりでした。仲良い同期がいたのが何よりも心強かった。異動してすぐに店長とMTGすることになったんです。私はそこで1つ夢を失うことになるとは思わずね。あまり詳しくは話せないので、これに関してはごめんなさい。言えません。
まぁしばらくして私の人生を変える出来事が起きるんです。
それはずっと付き合っていかないといけない怪我をしてしまったことです。手首の怪我なんですけど、私にとっては致命傷でした。そういえば前職の仕事を言ってなかったですよね?私はストレッチトレーナーをしていました。公に公表しているので、隠すつもりは全然なかったので許してください。笑
話を戻すと、そうですね怪我をしてしまったことで、将来を考えるようになってしまったんです。選手生命に関わるような感じです。
最初は違和感だったんですよ。まぁこんぐらいならまだいけるだろうと過信し、酷くなるまで我慢し続けていました。今でも後悔してます。もっと早くからちゃんと安静にして治療していればって。
怪我がきっかけに私はメンタルがズタボロにもなりました。一人になれば涙が出るし、家に帰れば泣き続けるし、夜はまともに寝れない日なんてもありました。でも私は周りに気づかれたくないと強がってたから、仕事中は何にもないかのように明るく振る舞っていました。
ところがある日、マネージャーに気づかれました。あの日は完全に態度に出てましたから。めちゃくちゃ怒られました。もうすでにメンタルボロボロなのに、さらに怒られ、私の感情は訳がわからない状態になってました。それが涙として出て、でもマネージャーはすごい寄り添ってくれて、ちゃんと話を聞いてくれました。初めてでした。その方は今でも感謝しています。後日、もう1人別のマネージャーともMTGをしたんですけど、その方にも同じ話をして聞いてもらって、アドバイスもらって、そこからはメンタルもいい方向に向かって回復していきました。
ところが今度はまた別の問題が出てきてしまったんですね。周りでは転職の話が出始めたんです。私も心の中に残っていたんですよ。怪我で完全に治すなら手術しかないって言われて、トレーナーの仕事を続けていくのは難しいなってことを。入社して半年後ぐらいかな。考え始めたのは。動きはじめたのは辞める3ヶ月前でしたけど。考えはじめた当初は会社勤めが選択肢にありました。でもねめんどくさいが勝って特に行動なんてしてませんよ。求人媒体とかは見てたけど、ちゃんと見てたわけでもないしね。だからしばらくして転職は頭の中にはあったけど、特に考えたりするようなことはなくなりました。その頃は怪我の状態も良く調子がめちゃめちゃ良かったのもあります。でも病院通う中で、一回ちゃんと治療してみても良いんじゃない?ということで、ある一定の期間だけ治療したんです。同時に私はこの治療でうまくいかなかったら退職しようとも考えていました。結果思うようにいかなかったんです。そこから会社に対しても不満が大きくなる一方で会社の方針と自分がやっていきたいことでズレがあるのに気づいて私は店長にMTGをお願いしました。そこで改めて確信したのがきっかけに退職の意思が強まりました。この会社にいる方が迷惑だなと思ったんです。
そんな時に思い出したのが、大学生時代に本当に自分がやりたいことでした。
それが今の仕事なんですけど、やっと実現させる時が来たって思ったんです。そこで退職の意が固まりました。
そこからいつ退職したいことを伝えるかの葛藤が始まりました。MTGをしたいとお願いしているのに、先延ばし、先延ばしにされて全然話ができず、私も呆れてしまいました。
やっと言えたと思ったら、今度は辞める日で揉めるというか、もうちょっといてほしいみたいなことも言われ、約1ヶ月間毎日のようにMTGして、毎回同じ話をして、苦痛でした。毎日なぜか泣いてましたからね。まぁ言ったのが直前すぎたっていうのもあるから私にも非はあります。そこは反省しています。
退職の日も決まって私はやっと解放されるって思って毎日楽しかったのを覚えています。
本当に辞めた今でも思うのは、この会社に出会えて良かったということです。本当に伝えきれないほどのたくさんの経験、学びをさせてもらったし、感謝しかないです。だからこそこの会社にはもっと大きく成長してほしいって思っているし、辞めた今でも何か貢献できることないかなって思うし。
正直後悔はある。戻れるなら戻りたい。スタッフのSNSも毎日のように確認しているしね。怖いか…。
ただ戻りはしないけどね。なんかプライドが許さないから。
社会人1年目ですでに濃い人生歩んでいるかも。わかんないけど。
このぐらいにしとこうかな。今回は。
次回は会社を辞めてから今現在の話をしようかな。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
何を書こうかなって思っていたけど、自己紹介してなかったら今日はひとまず自己紹介していきます。
自己紹介①
まずは私がどんな人物なのか書いていくのが良いと思ったので、話していこうと思います。
でもどんなことを話したらいいのかわからないのが実際。笑
公開できる範囲でお話ししますね。
今現在、私は23歳です。早生まれなので24歳の代です。
岐阜県に住んでいます。とても田舎です。
それまでは5年間名古屋に住んでいました。
やっぱ都会って良いですね。数分あれば何でも買いに行けちゃうからね。
仕事はフリーランスでやっているというのが一番伝わりやすいのかな。
ヘルスコーチをやっています。だんだん増えてきていますよね。とても嬉しいことです。
まあざっと今の自分についてです。
全然わからないですよね。笑
もっと細かく話してみようかな。
自己紹介② ー 出生~小学生 ー
幼い頃の記憶はあまりないので覚えている範囲でお話しします。
2001年、3人兄弟の末っ子として誕生しました。7個上の姉と5個上の兄がいます。
保育園入るまでの記憶は一切ないのでお話しできません。すみません。
皆さんは覚えていますか?
保育園に通ってた時の記憶も全然ないけど、お昼寝の時間が嫌いだったのは覚えている。一回もちゃんと寝た記憶がない。毎回寝たふりしてたな。
年長の記憶は意外と覚えているかも。夏の肝試しとか...
小学生の記憶は意外とあるし、しょうもないことだったりするから割愛させてもらいます。でも毎日兄と喧嘩していたことでほとんど埋め尽くされているかも…笑
いつも私が負け泣くという流れ。お母さんに泣きつくと「ちょっかいかけるからや」とか「喧嘩するなら一緒におるな」なんて言われることがほとんど。だから私はいつも父に泣きついていたな。何も言ってこなかったし、なぜか安心してた。お父さん大好きだったしね。今も好きだけど。
あとは学校から帰れば、すぐ遊びに行くって感じだったかな。夜6時になれば町内で放送が鳴るから、鳴ったら家に帰るっていう毎日だった。やんちゃで活発な子っていうイメージが合っているかな。一つだけ鮮明に覚えていることがある。近くに道の駅があるんだけどそこには親と一緒じゃないと行ってはいけないという謎のルールね。今じゃ笑える話。それで2回怒られたことを覚えている。一回は家に帰ってきてから、父に怒られて、2回目はその道の駅で母と遭遇してしまい怒られたこと。
日常で怒ることとか全然ない家庭だったけど、それだけはめちゃめちゃ叱られたよね。
でももし自分も親の立場だったら同じこと言っているかも。
楽しかったことでいえば、運動会の日と町内の夏祭りかな。運動会の内容の話をするときりがないので割愛します。運動会が終われば夕方にほんとにこじんまりした神社?みたいなところでお参りをするとお菓子がもらえる行事があったから行っていたこと、夜は近所の子たちでBBQをしていたことが楽しかった思い出かな。夜遅くに学校とか近くを歩いて肝試し的なこともして楽しんでいたな。夏祭りは準備から行ったりなんかしてさ楽しかったなって。あの頃に戻りたいとも思う。
ほんと一部にすぎないけど、ある意味世間を知らないから毎日が楽しかったな。あれやれこれやれって言われることもなかったしね。
小学生までの話はここらへんにしよう。
自己紹介③ ー 中学生~高校生 ー
中学生にあがると田舎だったから2つの小学校が一緒になるんだけどそれでも1クラスしかない人数が少ない学校だった。
自分の学年は男女比率が2(男):1(女)だったけど女子の方が圧倒的に強かった。
中学校ではいろんな問題事が起きていたな。ドアのガラスを割るわ、仲間外れみたいなことするわなんて。ほんと子どもだなって思う。
でも結局中学校時代に仲良かったメンバーが今でもご飯食べに行ったり定期的に集まる仲なんだよな。
中学生になれば部活に入らないといけないルールだったけど、数も少なかったからほぼ親が決めたって感じだったな。
平日の練習はやれることが限られていたからあまり楽しくなかったけど、土日は楽しかったな。なんだかんだ言って。
このときからなのかも。スポーツはすごい好きだけど、趣味程度が一番良いということを。試合とかガチのはあんま好きじゃない。だから高校では同じ部活をやるのは辞めたんだよね。
中学時代の恋愛はどうだろう。1年生の時は一途で終わってしまったけど、2年生3年生の時は付き合ったりもしたな。長くは続いていないけどね。大した青春は送っていないなと振り返る。だから話すようなこともないのが残念。悲しい…。
次は高校生の頃の話をしようかな。
私立の高校に行ったんだけど、理由は受験勉強をしたくなかったから。馬鹿げてるよね。
高校の時の記憶って部活がほとんど。部活が青春だった。全国大会も毎年出る強豪校だったから、毎日遅くまで練習して部活が主の3年間だった。めちゃきついし、辞めたいって何回思ったことか。でもなんだかんだ楽しかったし、いろんな経験もできた。
キャプテンやったことが一番でかかったかも。ぶっちゃけ仕事全然してなかったけど、みんなから好かれてた自覚はある。笑
このときに学んだことでいえば、自分が楽しまなかったら人を楽しませることもできないということ。だから私はとにかく楽しむことしか考えていなかった。みんなが楽しいと思うことはなんなのか?練習中でもいい雰囲気になるように自分が笑かしたりとか雰囲気作りはとにかくこだわった。
鮮明に覚えていることでいえば、3年生の全国大会出場をかけた大会とそれまでのことかな。負ければ11年連続全国大会出場という記録を途絶えさせる。自分はキャプテン。人一倍プレッシャーを感じていた。大会の数日前なのにこのままだと落ちると何回言われたか。悔しくて泣いたこともあった。
結果は全国大会出場することができたが、閉会式での発表時のことは今でも忘れない。笑みがこぼれた。その一部始終を顧問に見られていたけど。
全国大会では良い結果を残せなくてすごく悔しくて、親や部員のみんな応援してくれていた方にはすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、後悔は全くしていなかった。すべてやりきったから。
ちょっと特殊で部活は2月まで続いていたので、私の部活人生はまだ終わりではなかった。だから最後ぐらいは笑顔で終わりたかった。悔し涙でもうれし涙で終わりたくなかった。とにかくどう思われようが自分が楽しかったで終われれば良いと思っていて、結果自分も楽しく終われたし、みんなも楽しいで終われたからよかったのかな。見ている人も楽しませることができたと思うしね。
高校は部活の話で終わっちゃったな。でもそんな部活に入ったことで今の自分があると思うし、いいか。
最後は大学生時代から今の自分を話そうかな。
自己紹介④ ー 大学生 ー
大学は4年制大学でスポーツ科。スポーツしか興味なかったのとざっくりスポーツ系の仕事に就きたかったから選んだ。
大学生に入って自分を解放できたなって思う。一人暮らしを始めたから縛られることもなくなったからね。これまでもすきなことやりたいことをやらせてもらっていたけど、心の底からやりたいことをやれるようになったっていう感じ。
大学生の時はいつも自分含め5人で一緒にいたなっていう感じだったな。あとは部活が一緒だった子。その子たちは今も一緒に遊んだりご飯食べに行ったりするしね。
1年生の時は授業、バイトしか記憶にない。特別なんかあったわけでもないし。つまらなかった。
でもちょうど2年生の時にコロナが流行り始めた時だったから、大学の半分くらい制限されていたなって思う。でもそれをきっかけにいろんなこと考えることができたな。ビジネスとかこれからのこととか。いろんなことに触れ始めたのがちょうどその時期だった。アパレル始めたのもその時期だった。
自分を見つめ直せたと思っている。生活からね。ある意味ダイエット成功した感じ。特に何もしていなかったけど。
一番つらかったのは人に会えなかったということ。授業もオンライン、バイトも休業、一人暮らしで近くに友達もいなかった。そんな時に救われたのが、フットサルだった。これをきっかけにある友達と仲良くなれ、フットサルを通じていろんな人とつながりを持てるようになった。
3年生になって大きく生活が変わったことはフットサルを行う頻度が多くなったことかな。毎週のようにやっていた。ある時期なんて毎日のようにやっていた。でも怪我をきっかけに人生を変えることができたなって思う。これからの人生を考えるきっかけも持てたからだ。就職のことを考えるようになって自分が何をしたいのか、今まで漠然としか考えていなかったことが、はっきりとこれがしたいと思えるようになった。それが今の仕事に繋がっている。でも当時の自分はフリーでやる勇気は全くなかったから、一旦は就職すると決めていた。それが前職の仕事。
4年生になって生活はほとんど変わらず卒業して晴れて社会人になった。
長くなりそうなので一旦これで終わろうかな。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
続きは次の投稿で話そうかなと思います。
先日、こんな訃報が入った。
令和の虎の岩井社長が肺がんステージ4で亡くなった、と。
ご冥福をお祈り申し上げます。
岩井社長は体調悪いなーと感じてたら肺がんステージ4だった。8/1に発表し9/15で亡くなるという言じられないほどのスピード。
しかも65歳という若さで。
私は学ぶべきことが二つあるなと思った。
1つは、まじでやりたいことやろう。ってこと。
人間ほんといつ死ぬかなんてわからない。それが明日なのかも。明日も生きられるって当たり前じゃない。
こう思われたら嫌だなとか、恥ずかしいとか、私にはできないと思うとかそうじゃなくてさ。
まずやってみようよ。ということ。
行動しなければ、何も変えられない。成功も失敗もしない。何も得ることができないよ。
人生やり直しもきかないし、一回しかない。みんなやりたいことをすきにやりたいと思っている。
でもやらない。
なぜ?
それは周りの目を気にするから。人にどう思われようが関係ない。自分の人生なんだもん。
もちろんやるべきことはやらないといけないよ。でももっと自分を出してみなよ。そっちの方が100倍人生楽しいよ。
2つ目は、やっぱり予防しない?もっと健康に投資しない?ってこと。
人は起きてから気づく。失ってから気づく。そんなんじゃ本当に遅い。
投資って聞くとお金をかけることってなるかもしれないけど、本質はそうじゃない。もちろんお金はかかってくるが、お金がかかることって案外メリットも多い。ただ今の時代詐欺が多いからそこは注意⚠️だから誰にどんな情報を得るのかというのはとても大切なことになる。SNSの情報は大半が間違っている。つまり情報を受け取る側のスキルが必要だってこと。
例えばSNSで「これ食べてたら痩せた」とか「5kg痩せた」とか事実なんだろうけど、一体その人の体重ってそもそもどのくらいなの?どんな環境下でやっていたの?
SNSでこんな情報を出すわけがない。そんな情報が転がり込んでいる今、その情報だけを頼りにするのは危険すぎる。
絶対にパーソナルやアドバイザーなどに聞くのが1番良い。大体プロフィール見ればわかる。書いてあるから。
まずはその人に直接聞いてみようよ。
少しずつでいいんです。できることをやっていこうよ。完璧なんて無理。私だって完璧じゃない。炭酸飲料とかお菓子とか好きだし。風邪を引くこともある。
ただできることはある。今からでも遅くない。
そして大体の人が「俺の人生勝手に決めさせろ」とかいうが、確かにそれも一理ある。だが周りの人の気持ちも考えてということ。
自分が病気になって悲しむ人、落ち込む人、苦し人いるよ。
健康に投資しよう。
予防に投資しよう。
ということ。
数ある記事から私の記事をご覧いただきありがとうございます。
私は人生で初めてブログを書きます。下手くそですが、是非最後までご覧いただければ嬉しいです。
人生初のブログ作成記念で何を書こうかなと考えていたけど、私が伝えられることを思うがままにこれから書いていこうかなと思います。生い立ちなんかも含めて。
まず初めに伝えたいこと。それは、
「人生一度しかないということ」
私はまだ23歳。まだ23年しか生きていない自分でも思うこと。この先の日本、未来に対して不安でしかない。
人生全然経験していない奴が何を語ってるんだ?と思うでしょう。そういわれても仕方ないと思っている。就職して会社も1年で辞めて、今なんて実家に転がり込んでいるようなもん。フリーで仕事しているとはいえね。でもこれは私が望んでしていること。
「人生一度しかないから」
人にどう思われようが関係ない。自分の人生だから。
前職辞める時も言われた。「今なの?」って。「もう少し後でもいいんじゃない?」って。そりゃ言われるよね。社会人1年しか経験していない信頼も信用もないやつがゼロから違う仕事をフリーでやるから。会社に勤めていた方が収入は絶対に入るし、ある程度の信頼、信用も得られる。でも私は辞めることを選んだ。やりたいことがあったから。
私には叶えたい夢があります。それは、
「病院・薬に頼らない世の中」にすること。
つまり予防の大切さを広め、もっと健康に投資する世の中を作ること。
なぜこう思うようになったのかはまた別で話そうかなと思います。
この考えを広めたくて今フリーで活動しています。なかなか伝わらないけど...。難しいですね。国がやってくれるわけじゃないし、誰かに任せるということもできない。自分が根気強くやっていかないとなって思う。自分が伝えていかないとって思う。これからの時代は私たちが作っていく番。後世のためにも。
今私ができることをやっていこうと思う。
自分は本気で人生を変えたい。だからこそ同じような想いを抱いている人と一緒に世の中を変えていきたい。
一人ひとりに寄り添えることは自分の強みでもあると思っている。同じ思いをしてほしくないから。何か些細なことでも私はみなさんの救いにでもなってくれたらと思っています。
こんな私ですが、ブログで伝えたいことをこれからたくさんお話しできればと思います。