『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』 (original) (raw)

フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリーにはずっと魅了され続けてきたのたけれど、今回のは今までの私のフレデリック・ワイズマン経験とはちょっと感覚が違っていた。
舞台がフランスってこともあるかもしれないが、それよりも「活け締め」なんて言葉が全くわからないフランス語の中に突然出てきたりする、その日本に近い感じに居心地が悪く感じてしまう。面映いというのか。
和食がユネスコ無形文化遺産なんかに登録された時も「またまた」っていうか、眉唾っていうか、政治的な何かでしょって思ってたけど、フレデリック・ワイズマンにまで出てくるとさすがにホントなんだなって思わざるえない。
ようやくかよって言われるかもしれない。思い返してみると、レストランに関する映画もかなり見てきている。たとえば『ノーマ東京 世界一のレストランが日本にやって来た』、『TSUKIJI WONDER LAND』、『シューマンズ・バー・ブック』など。
日本で公開された映画なんだからかもしれないが、世界のベストレストラン50のベスト1に4度も選出されたノーマが本店を一年閉店してまで東京に出店したり、バーテンダーのバイブルと言われる『シューマンズ・バー・ブック』を書いたチャールズ・シューマンが日本式のバーを開店したり、日本の食文化の流行は否定しようがない。
と、この調子で続けていると「日本すごいぞ」みたいな話になってしまうが、日本の食文化ってそれは近代以前の日本の文化であって、日本の食文化の再興はそのまま日本の近代の否定なのである。
しかし、日本の近代はそのまま日本の西欧化だったわけだから、世界的な日本の食文化の受容は、日本の近代の否定である以上に、世界全体での「近代の超克」への模索が続いているということになるだろう。
以前、中村光夫の「「近代」への疑惑」の一節を引用した。

これまで我国において「近代的」といふ言葉は、大体「西洋的」といふのと同じ意味に用ひられてきた。
そしてこの曖昧な社会通念が、なほ僕等の意識を根強く支配してゐるのは、それが大体次のような二つの事実を現実の根拠とするであらう。
そのひとつは我国においては「近代的」と見られる文化現象はすべて西洋からの移入品であつたといふことであり、いまひとつは僕等が「西洋」のうちにただ「近代」をしか見なかつたといふことである。

日本すごいぞ」派の人たちはその「俺が俺が」の発想自体がすでに日本的でないというパラドクスに気づくべきかと。そうでないと、王子様がシンデレラに向けている熱い視線を自分に向けられていると勘違いしたシンデレラのお姉さんたちみたいな、なんか恥ずかしい感じになる気がする。
そういうわけで、この映画を見ていると、小林秀雄たちの「近代の超克」を批判した加藤周一のようなヘンテコな気分に陥ってしまう。
フレデリック・ワイズマンの過去作『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』、『ニューヨーク公立図書館 エクス・リブリス Ex Libris: The New York Public Library』、『ボストン市庁舎』は、私たちがなかなか獲得できない「公共」の意識を教えてくれる。
まさにこういう部分をスキップした日本の近代をさして「近代の超克」を言う欺瞞を加藤周一は批判したわけだった。

『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』は、日本の食文化に学びながら、土地に根ざした農業や放牧の取り組みもまた描いている。
さっきの中村光夫とおなじころ、来日していたシャルロット・ペリアンが柳宗理

・・・もしヨーロッパでできたものをあなたがたがご覧になったとき、その内容をかえりみずに形だけをとったとしたらそれは根本的な誤りだと思います。
日本はどうしてヨーロッパの国々からその国の純粋さと簡明さを誇る美しい伝統をまったく失ったものばかり取り入れるのでしょうか。

と語っていたそうだ。

彼らは日本の真似をしているわけではなく、日本の食文化に学んで「その国の純粋さと簡明さを誇る美しい伝統」を取り戻そうとしているのだと思う。

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ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ(字幕版)

ボストン市庁舎(字幕版)

ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス(字幕版)

築地ワンダーランド