■【社会】陰謀論について僕が知ってること (original) (raw)
今日は、「陰謀論」はなぜ一部の人達に熱狂的に受け入れられるのかについて、僕の知ってることを少し書いてみたいと思う。
なぜ僕が「陰謀論」についてちょっと知っているかと言うと、それははるか昔の20代の半ばに、僕も陰謀論にどっぷりとハマっていた時期があるからだ。その洗脳から抜け出すのには、3〜4年かかったかもしれない。しかも抜け出すためには、そのハマっていた「陰謀論」と同じぐらいインパクトのある、別の魅力的なロジックが必要だった。ただ、僕の場合はその陰謀論から抜け出せたのは、自分でその陰謀論を徹底的に検証し尽くし、「やはり間違ってるな、これ」と確信を得られたのが大きかった。僕はとにかくShe Loves Youを聴いてから「自分の頭でしっかり考えて自分で責任を持って結論を出す、それがいかに世間の常識とかけ離れていても」という思考方法を身につけたいと思って暮らしていたから、それが可能だったのだと思う。そういうことを考えずに受動的にネットの情報を信じてしまって陰謀論にハマってる人は、抜け出すのは相当難しいだろう。
僕がハマっていたのは、政治的な陰謀論ではなくて、競馬だ。いくらハマろうが、馬券で負けて自分の金が減っていくだけなので、まあ可愛いもんだ。その陰謀論は、「サイン馬券」という名で呼ばれていた。僕が20代の頃登場した革命的な馬券術で、それは「勝ち馬はあらかじめ決まっている、しかもJRAは出馬表を通して、どの馬が激走するかをサインとして伝えてきている」という、まったく奇想天外なものだった。それまでにそういうことを言った人はまったく皆無だったので、この陰謀論のインパクトは実に強烈だったし、センセーショナルだった。しかも悪いことに、当時競馬ビギナーだった僕は、この「サイン馬券」の通りに馬券を買って、当時としては破格の206倍という馬券をたったの2点買いで的中させてしまったのだ。たぶんそのとき、僕の脳内はドーパミンで溢れかえったんだと思う。
この的中の思い出が強烈すぎて、その後どんどん馬券は外れ続けるんだけど、その場合は常に「今回はサインを読み解けなかった」「あ、こっちが正しいサインだったか!」という、極めて虚しい循環にはまり込んでいった。でも悪いことには、「サイン馬券」を極めていけば極めていくほど、普通の予想ではとても買えない穴馬券を、「ごくまれに」的中してしまうのだ。だからますます、「サインを正しく読めたら、こうなる!」という成功イメージのみが、脳内に積み重なっていくことになる。そうこうするうちに、自分にとって「必殺」のサイン布陣みたいなものができてきて、その「必殺」の場合の的中率はなんと3割ぐらいにも上るのだった。たとえば、1番内側の1番枠と、いちばん大外の枠の馬の「父」が同じ馬の場合、人気薄のほうが激走する、という必殺パターンがあった。これは(あくまで限定的なある期間内において)、本当によく当たった。しかしもちろんこんなことは再現性に乏しくて、こんなものが競馬必勝法なのだったら、僕はとっくに巨万の富を得ているはずだ。そしてそうした再現性がまったくなくなってしまったときに、陰謀論者だった僕はどう思ったかというと「あ、JRAがサイン変えてきたな」と思うのだ。まったく救いがたい。
他に当時はやったのが、JRAがレースの2日前ぐらいに出す新聞広告のキャッチコピーの解析だった。当時は重賞レースの告知で、スポーツ新聞に半2段という小さいサイズの広告を金曜日に出していたのだけど、ある年の「毎日王冠」というレースのキャッチコピーが、「この道が、ゴールへの道だ。」みたいなキャッチコピーだったのだ。もちろん、一言一句正確な表現は覚えてないんだけど、「ゴールへの道」という部分だけは間違いない。なぜなら、この年の毎日王冠には「ゴールドウェイ」という馬が出ていて、キャッチコピーはあからさまにこの馬を示唆していると思われたからだ。そして結果、ゴールドウェイはなんと5番人気でキッチリと追い込み勝ちを決めてしまった。1985年のことだ。僕はこの広告を見て、まったく買う気のなかったゴールドウェイの単勝を買って大勝ちをしたからよく覚えている。
このくだりを読んで、陰謀論にハマりやすい人は、「それってやっぱりJRAがサイン出してたんじゃない?」と思いがちだ。しかしそんな、誰にもメリットのないことを、むしろリスクだらけのことを、JRAがやるはずなどないのだ。なにしろ、農林水産省が管轄してる組織なんだし。
陰謀論にハマりやすい人は、この件で言うと、「なぜJRAはそんな誰にもメリットのないことをあえてやるのか」についての解答を、絶対に持っていないのが特徴だ。冷静に考えれば、そもそも広告のキャッチコピーをJRAの職員が自ら書くわけがなく、さらに「あらかじめ決められた勝ち馬」がどれであるのかを知る立場の人間が(仮にいるとして)そんな半2段の広告の制作に関わってくるわけがない。せいぜい、競馬の好きなコピーライターが自分の予想を盛り込んでときどき遊んでいただけ、というところだろうし、もっと冷静に考えるとそれは「単なる偶然」だ。なにしろ「毎日王冠」というレースは「秋の天皇賞」の前哨戦として知られるレースで、秋の天皇賞を「ゴール」として捉えた場合、毎日王冠は「ゴールへの道」であってもなんら不思議ないのだ。そこにたまたま、ゴールドウェイという馬が、勝てる仕上がりで出走してきた、というだけの話。なぜそれを断言できるかと言うと、半2段の広告のキャッチコピー解析は、大抵の場合、呆れるほど当たらなかったからだ。
しかも広告の制作の仕事をするようになってよりハッキリ分かったが、レースの2日前に掲載する広告の原稿は、間違いなく、出走馬が確定する前に案が作られて、JRAの広報セクションのチェックを受けている。普通に仕事を進めていれば、その「案」は、どんなに遅くとも掲載の1週間前には提出されるのが通常だ。その時点で勝ち馬など分かるはずなど絶対にないのだ。出走馬の想定すらないのに。しかも当時はデジタルではないので、いちいち写植を打ってそれを版下にして、それをフィルム撮影してフィルムにして新聞社に送稿する、というスケジュールだから、金曜日掲載ならどんなに遅くても前日の木曜日に送稿しなくてはならない。出走馬が確定するのが木曜日の午後4時なので、「金曜日掲載の広告で勝ち馬を予告」することは、物理的に不可能なのだ。しかし陰謀論者は、そういう事実を前にしても、「いや、何かの方法があるはずだ」と考える。
陰謀論にハマっているとき、僕はどんな心境だったかよく覚えているので、いま一部で話題になっている陰謀論もどきにハマってる人の心境がよく分かる。その特徴は、
1.真実を知っているのは自分だけだ、と100%信じ込む。
2.自分に敵対する意見の人(つまり陰謀論ではない人)を、「何も知らないバカ」と憐れむ気分になる。
3.真実を知っているのは自分だけである、との思い込みが「動かしようのない事実」であるかのようになり、優越感の虜になって、陰謀論ではない人を見下す。
4.陰謀論ではない人がどんなにまともなことを言っても、「だからお前はダメなんだよ」という理屈で反応する。(つまり、どんどん他者に対して攻撃的になる)
5.なんなら、自分は革命家であるかのような陶酔感がある。
6.決して、自分では一次情報に当たることはなく、「誰かの言うこと」を妄信的に信じている。
7.したがって、「陰謀論」で誰がどういう利益を得るのかについて、明確な答えを持っていない。
8.逆に、証拠でも何でもない「兆候」を見つけては、「ほらやっぱり我々の言ってるどおりじゃないか」という理屈を吐く。(サヨクが攻撃してるから、やっぱりハメられてるんだ、とかね)
つまり、「お話しにならない」のだ。とくに、「真実を知っているのは自分だけだ」という思い込みによる高揚感が激しいので、彼らは決して目が覚めることはない。なぜなら、「自分の信じていたことは、陰謀論だった」と認めることは、「真実を知っているのは自分だけだったはずなのに、逆に自分は真実から遠ざかっていた」ということを認めることになるからだ。つまり、「バカは自分でした」ということを認める行為なのだ、これは。だから、彼らが自覚的に目を覚ますことは、たぶんない。
そんなわけで、個人的には、陰謀論の人と議論することには、まったく意味がないと思う。社会的には、もし陰謀論の人たちが優勢な社会になってしまったら、なんらかの自浄作用を待つしかない。社会全体で目が覚めるのは、「この陰謀論を信じたためにこんなに酷いことになってしまった」となるまで待つしかない。
陰謀論者が、まだまだマイノリティであると信じたいけどね。でも、陰謀論者の人たちが優勢になる前に、陰謀論には与しない人たちも、彼らと同じぐらいのエネルギーで運動をしないとならない。なかなかしんどい世の中だと思う。
ちなみに競馬で僕が陰謀論者だったときは、普通の競馬ファンは「お話しにならない」と思っていたので、競馬ファンとはほとんど話をしなかった。そうなのだ、現在の陰謀論者の方でも、僕たちのことを「お話しにならない」と思っているのだ! これはなかなかに、乗り越えられない壁だ。
だから、教育って本当に大切なんですよ。自分の頭でしっかりと考えて、物事の本質に迫っていける子たちを育てないと、国がどんどん腐っていくわけです。