高等小学国史新指導書 下巻p199 (original) (raw)

p199(三)議会開設の勅を下しなさる

こうしていっぱんの政治思想が進んだことにより、国会開設の準備は次第に急がれた。
すなわち明治十三年十二月元老院憲法草案を仕上げて天皇に奉呈した。しかしこれは多少英国流になり過ぎているというので、伊藤博文が極力排斥したので物にならなかった。
また十四年十月十一日には勅を下して、来る二十三年を期して国会を開くべき旨を宣言しなさった。今その勅を抄録しておく。

漸次基をはじめ、ついでにしたがって歩を進めるという道に由来しないことはない。
なんじ国民よまた朕の心をまこととしよう。

まさに明治二十三年を期し、議員を召し国会を開きそれによって朕の初志を実行しようとする。
これによって民論ははじめて定まり、板垣退助は明治十四年十月二十九日自由党を組織し、その盟約を次のように発表した。

第一章 わが党は自由を拡充し権利を保全し幸福を増進し社会の改良を図らなければならない。
第二章 わが党は善美な立憲政体を確立することに尽力しなければならない。
第三章 わが党は日本国においてわが党と主義を共にし目的を同じくする者と一致協同してもってわが党の目的を達成させなければならない。

ついで明治十五年三月十六日大隈重信は改進党を組織し、その綱領は次の通りであった。

一、王室の尊栄を保ち、人民の幸福を全うすること。
二、内治の改良を主とし、国権の拡充に及ぼすこと。
三、中央干渉の政略を省き地方自治の基礎を建てること。
四、社会進歩の度に従い、選挙権を浸潤すること。
五、外国に対しつとめて政略上の交渉を薄くし、通商の関係を厚くすること。
六、貨幣の制度は硬貨の主義を保持すること。

こうして国会開設に対する用意をしたのである。