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鼠小僧次郎吉は、“義賊”ではなかった・・・・・・。

2012年 10月 04日

10月4日は、旧暦の8月19日にあたる。天保3(1832)年の8月19日は、鼠小僧次郎吉が、鈴ヶ森で処刑された日だ。18日など他の日という説もあるが、誤差の範囲(?)と考えて本日取り上げることにする。

落語『しじみ売り』などにも登場するが、そのルーツは小説、そしてそれ以上に二代目松林伯円による白浪物(泥棒ネタ)の講談が元にあるようだ。
“白浪”伯円と言われた講釈師の創作から発展して、鼠小僧は、いわゆる“義賊”として伝わっているのだが、実態は相当違っていたらしい。

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加太こうじさんの『物語 江戸の事件史』(中公文庫)から引用。この本は初版は1988年に立風書房から単行本で出版され、2000年に中公文庫で再刊されたが、現在では古書店ルートしか入手できない。江戸を知る上で非常に興味深い数多くの“事件”を扱っており、重版を期待したい本である。

天保三年=1831年四月、盗賊ねずみ小僧次郎吉が逮捕された。実際のねずみ小僧は義賊ではない。盗みはしたが貧乏人にはめぐんでいない。ただ、盗みにはいった先が大名屋敷だったので、江戸の貧乏人に人気があった。本業は鳶の人足だった。足場を組んで高いところへあがるのが仕事の一つだから、塀を乗り越えたり、屋根から屋根へとんで逃走するのはなんでもないことだった。その身軽さも利用して、大名屋敷へはいって、五両、十両、三十両と盗みだしたわけである。
文化、文政から天保にかけての大名が、いかに財政窮乏したといっても、十両や二十両のカネには不自由しない。しかも、武術にすぐれた家臣が宿直しているから、戸じまりはあまり厳重ではない。そこが付け目でねずみ小僧は七十一個所、九十回にわたって大名屋敷荒らしをした。ただし、この回数は自白によるものだから、まだ、そのほかに何回あるかわからない。
自白によれば武州川越藩の江戸の屋敷に三回はいったという。しかし大名屋敷側をしらべてみると、一回もはいられていないと答える。これは、盗賊にはいられたというと武士の体面にかかわるから、はいられないことにしておいたらしい。従って、はいられても届けてこない件が相当あったと推察してもまちがいではなさそうである。

だから、鼠小僧による大名屋敷荒らしの正確な回数は不明だ。二、三百回という推定もある。ちなみに、立川志の輔は、「九十九軒に忍び込み、三千両盗んだ」と、『しじみ売り』で語っている。

盗んだカネは、ほとんど賭博と遊興に使っている。当人の自白にめぐんだということは一つもないし、恵まれたという人もいない。ねずみ小僧は江戸・庶民の子で建具屋の弟子になったが、賭博が好きで堅気の職人はつとまらず、なかばぐれたような鳶の者になった。そして賭博の元手に窮して盗賊になったのである。
処刑は逮捕された天保三年の八月、場所は鈴ヶ森の刑場だった。子伝馬町の牢屋から、馬に乗せられて刑場へいくとき、ねずみ小僧は薄化粧をしていたという。江戸の庶民は大名屋敷荒らしの怪盗を一目見ようと、道の両側を埋めつくしたともいわれている。
死刑になったあとで、すぐに実録小説として『鼠小僧実記』が上梓された。この小説でねずみ小僧は、生い立ちや、女性とのエピソードや義賊譚をでっちあげられた。それを元にして講談ができたり、芝居ができた。

“強者”である大名の屋敷ばかりを狙った盗賊の鼠小僧次郎吉は、徳川の権勢が弱まりつつある中で、まだ虚勢を張る“二本差し”への反感を持つ江戸庶民にとっては、喝采を送りたいヒーローに見えたのかもしれない。そういった庶民感情を察知した者が小説を書き、伯円は白浪講談で次郎吉をヒーローに仕立てたのだと思う。

加太さんは、この本で次のように語っている。

天保から嘉永、安政、万延、文久と、幕末にかけて世の中のゆきづまりは日に日にひどくなり、それを打開する方途を見いだすことができない庶民大衆は、末は三尺高い木の空で死刑になるような盗賊、ヤクザ、悪党が、せめては民衆のために働いていてくれてもいいだろうと空想した。それが当時の白浪物=盗賊物その他、悪人が主人公になっている物語の人気の原因だった。

だから、江戸庶民の心情を知る記録という意味では、「鼠小僧は義賊ではない」という事実は事実として、独立した芸能としての落語や芝居のフィクションは存在していてもよいのだろうと思う。
それは、国定忠治、そして忠臣蔵とも共通する、事実に希望を上乗せした庶民感情に基づくヒーロー願望からの創作物としての、日本的な伝統と言ってよいのかもしれない。

3月の「雪月花五たび」で、柳家小満んの『しじみ売り』を満喫した。
2012年3月28日のブログ
小満んは、志ん生の型を踏襲していると見えて、最後に自首するのは、次郎吉本人ではない設定。そして、この噺で定評があり生の高座も聴いている立川志の輔は、本人に自首させるという設定で演じている。

実話に近い悪人の盗賊像に近いイメージなら、本人が自首するのは違和感がある。しかし、あくまで創作“物語”として、“義賊”鼠小僧を設定するなら、志の輔の解釈も不思議はない。

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*鼠小僧次郎吉の墓。回向院のホームページより。回向院のホームページ

次郎吉の墓は、本所の回向院にある。今日では、任侠界(?)の人やギャンブル好きの人に限らず、受験生には“するりと入れる”ということでご利益があると言われ、削るための別な墓石とともに、墓石を削る小石まであるらしい。

そうか、総選挙になったら、候補者の中で次郎吉の墓を削りに行く人もいるのだろうか。その人が当選して、“税金ドロボウ”になられては、困るなぁ。

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。

by 小言幸兵衛

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