山崎雅弘著『未完の敗戦』より(10) (original) (raw)

山崎雅弘著『未完の敗戦』より(10)

2022年 08月 07日

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山崎雅弘著『未完の敗戦』

山崎雅弘の新刊『未完の敗戦』(集英社新書、2022年5月22日初版)の十回目。

目次。
□まえがき
□第一章 狂気の再発ー東京オリンピックに暴走した日本
□第二章 「特攻」を全否定できない日本人の情緒的思考
□第三章 なぜ日本の組織は人間を粗末に扱うのか
□第四章 敗戦時の日本は何をどう反省していたのか
□第五章 日本が「本物の民主主義国」となるために必要なこと
□あとがき
*主要参考文献

久しぶりの本書。

加えて、最終章に飛んでしばらく紹介していたので、久し振りの、第二章 「特攻」を全否定できない日本人の情緒的思考、から。

時間も空いたので、少し復習したい。

著者は、知覧などの特攻の記録を展示している施設を訪れていた。

本書に掲載されている、知覧特攻平和会館と万世特攻平和祈念館の写真。

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他に、鹿屋の航空基地史料館と小塚公園慰霊塔の写真も紹介されている。

それらの施設を訪れて、大いなる違和感を、著者は抱くことになった。

たとえば、万世の平和祈念館にある同館の設置に関する説明文には、次のように記されていた。

今日の日本の平和と繁栄は、散華された英霊の犠牲の上に築かれたものであり、平和は血と涙によってもたらされたものであることを正しく後世に伝えていくことは、残された私達の責務であると信じ、平和の祈りを新にしたいものです。

この文章からは、「特攻という行為のおかげ」で戦後の日本は平和になったかのような印象を与えるが、そんなことはない。

もし特攻を日本軍が行なっていなければ、大日本帝国の降伏は早まった可能性が高いと考えられます。「連合軍への無条件降伏」という結果が、もはや避けられないのであれば、軍人や市民の犠牲を少しでも減らすべく、一日も早く敗北を認めて降伏するという合理的な選択肢も、当時の指導部にはあったはずです。
しかし、戦争末期の大日本帝国の戦争指導部、具体的には陸軍と海軍の上層部はそのような選択肢を取らず、代わりに行ったのは、自分たちの敗北を一日でも先延ばしにするための、特攻という若者の命を賭けのチップに使うかのような「ギャンブル」でした。

では、そのような「ギャンブル」をしていた他の国もあったのかどうか。

《なぜ昭和の大日本帝国だけ特攻を繰り返したのか》

◆組織的な自殺行為を命令で繰り返したのは日本軍だけ
特攻という戦法は、実質的には当時の大日本帝国上層部が命令して始めさせたものですが、そこの至るまでには、いくつかの紆余曲折がありました。
飛行機による組織的な体当たり攻撃が、軍の命令で最初に実行されたのは、1944年10月25日でした。しかし、海軍の内部では、実はその八か月前の2月26日に体当たり兵器「マル六」の試作を決定しており、7月に試作を完了、8月1日に「回天」として正式に導入されていました。
この「回天」は、大型の魚雷に人間を乗せて体当たりさせる「水中特攻」の兵器で、初めて実戦に投じられたのは「航空特攻」から少し後の11月20日でした。
また、1944年8月16日には、敵への体当たりを目的とした「マル大」と呼ばれる人間爆弾の製造が、海軍の航空技術廠で始まりました。「桜花」と名付けられたこの兵器は、中型攻撃機に搭載されて上空で放たれ、ロケットエンジンで加速後、乗員が小さい翼で針路を修正しながら、敵に体当たりすることを想定していました。
これらの他にも、ベニヤ板で作った一人乗りボートに小型エンジンと爆薬を積み、敵艦に体当たりさせる「マル四」(震洋)など、いくつかの「特攻兵器」が同時進行的に開発され、既存の飛行機を使った体当たりの特攻が始まる前から、軍内部では「体当たり兵器の研究と開発」が行われていました。
日本軍の内部でこのような人命軽視の兵器開発が開始された背景には、もはや通常の戦い方ではアメリカ軍に対して有効な手を打てないという焦りと屈辱、そして日本軍の名誉や権威が国内で失墜することへの恐怖が存在していました。

本書にも「回天」の写真があるが、Wikipedia「特攻兵器」、同サイトからリンクしているWikipedia「震洋」、およびWikipedia「桜花」から、写真を拝借。
Wikipedia「特攻兵器」

「回天」。靖国神社境内遊就館に展示されている。

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「震洋」。

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「桜花」は、復元。これも、靖国神社境内遊就館展示のもの。

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なぜ、靖国神社は、こういった特攻兵器を展示しているのか。
もちろん、人命軽視の兵器開発をし何人もの国民の生命を奪った軍の上層部を批判するためではない。

引用を続ける。

日米開戦直後は、零式戦闘機(ゼロ戦)の性能やパイロットの練度などで米軍に対する優位を確保していましたが、戦争中のベテランパイロットの損耗や、米軍側で精力的に進められた兵器と戦術の向上により、1943年頃にはその優位が失われ、1944年に入ると明白な米軍の優位へと、戦局が傾いていました。
特攻は、こうした状況下で生まれた、破れかぶれの苦肉の策だったのです。
ところで、第二次世界大戦には大日本帝国以外にも、アメリカ、イギリス、ドイツ、ソ連、イタリア、中国(中華民国)など、多くの国が参戦しましたが、特攻のような、兵士の命を確実に失わせることを前提とする「体当たり攻撃」を、組織的かつ継続的に戦法として行った国は、他にあったのでしょうか?
答えは「ノー」です。

なぜ、日本だけに、命を確実に失わせる特攻兵器が存在したのかについては、次回。

大日本帝国の無謀な賭けのために、若い命を特攻で捧げた人々がいる。

77年前の夏の原爆で、命を失ったり、その後、後遺症に悩む人生を送った人々もいる。

そして、反社会的な宗教集団によって財産を奪われ家庭が崩壊した人々がいる。

共通することは、本来は、国民の安全を最優先すべき政治が機能しなかった、ということだ。

それどころか、あの戦争当時も、今も、政治が、国民の側にはいないということだ。

加えて、マスメディアが、政治の権力者側の横暴に加担している、ということだ。
ジャーナリズムは権力の監視が最重要課題であるべきで、沈黙も罪なのである。

NHKのニュースの最初にテロップで表示される「節電のため、照明を落しています」という言葉が、わざとらしくて嫌だ。

いっそ、「忖度のため、統一教会と自民党に関する報道は行いません」と替えてはどうか。

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。

by 小言幸兵衛

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