青山透子著『日航123便墜落事件 JAL裁判』より(10) (original) (raw)

青山透子著『日航123便墜落事件 JAL裁判』より(10)

2023年 05月 29日

昨日の叡王戦第四局は、千日手での指し直しが二度、という長期戦になった。

対局後、菅井八段が悔やんだように、最初の指し直しの106手目、☖7三銀ではなく、もし☖6一歩なら、後手菅井八段優勢になった可能性が高いが、なかなか打てる手ではない。

最終三局目、先手菅井八段の67手目☗1五歩に対して、藤井叡王の☖同角は、まさにAI超えの手。
解説陣も、まったく読めなかったようだ。

さて、老若男女520名と、お母さんのお腹にいた1名が犠牲となった日航123便墜落事件について。

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青山透子著『日航123便墜落事件 JAL裁判

青山透子著『日航123便墜落事件 JAL裁判』(河出書房新社、2022年11月30日初版)の十回目。

目次。

□訴状
□はじめに
□第一章 歴史的裁判開始
□第二章 法廷への道
□第三章 情報開示請求裁判ー東京地方裁判所706号法廷
□第四章 茨の道
□第五章 判決
□おわりに
【裁判資料】

今回は、「第二章 法廷への道」から。

冒頭から、ご紹介。

あの日から隠蔽がはじまった

ボイスレコーダーの分析は自衛隊が行った

1985年8月12日に墜落した日航123便のボイスレコーダーとフライトレコーダーは、8月14日に墜落現場の群馬県上野村御巣鷹の尾根山腹斜面下500メートルの沢で発見された。そしてその日の深夜、午前零時半に設置された運輸省(当時)事故調査委員会事務局で保管された。当日の記者会見において、再生装置や特殊電源が必要であるため、解析開始は16日以降になると発表された。ところが未解析であるにもかかわらず、『毎日新聞』(16日付)が後部圧力隔壁破壊説という飛ばし記事を出した。その直後にボーイング社はそれを否定し、日本航空も社内で独自にコンピュータによる解析を行った。その結果を受けて19日に河野宏明整備部長が科学的根拠に基づき、「何らかの外力で垂直尾翼が折れ、それに伴い隔壁が傷ついた可能性」を記者会見で発表した。この時すでに、後に発表された事故調査報告書の付録研究資料に書かれている「異常外力の着力点」の存在を日本航空が示唆していたことになる。
ところが、日本航空が外的要因の可能性を発表した翌日、運輸省の大島航空局技術部長が、圧力隔壁に重大な絡みがあると、何の根拠もないまま発言している。まだボイスレコーダーやフライトレコーダーが解析途中であり、この発言には政府側がもっていきたい方向性が表れている。しかしこれも次の日、現場で実際に出向いて調査を行っている事故調査委員の「隔壁に大きな穴はなかった」という発言で否定されている。いずれも各社新聞報道に明確に書かれている。
こういった混沌とした状況下において、操縦室用音声記録装置の音声分析を行った担当者は、航空自衛隊航空医学実験隊第一部視聴覚研究室長の藤原治氏である。その後を引き継いだのも同じく航空自衛隊航空医学実験隊第一部視聴覚研究室の宇津木成介氏である。いずれも自衛隊が、コクピット内の音声を分析したということになる。操縦室内の音響分析の担当をしたのは、早稲田大学理工学研究所音響工学研究室の山崎芳男氏である。これらの分析や解析に関する航空事故調査委員会での会議は、通常かかる時間をはるかに超えて、1986年5月29日まで32回ほど続いた。詳細は『圧力隔壁説をくつがえす』に一覧表を記したが、一体、オリジナルのデータを基に、何を作成し、何をいつまでも会議していたのだろうか。

青山さんの疑問は、当然だ。
いったい、事故から9カ月にわたり、32回もの会議で、何を話していたのだろうか。

そして、調査報告書には、いくつも不可解な点があった。

現物のボイスレコーダーに基づいて作成されたはずの事故調査報告書では、聴き取り不能という理由で意味不明の箇所が随所にあり、果たして聴き取りにくいほどの雑音が入っているのか、または航空自衛隊が分析と称して、後から加えた雑音なのではないだろうか、という疑念が存在する。なぜならばいくら損傷が激しいといっても、その心臓部にある録音テープは、耐熱や耐衝撃構造のカプセルに収納されており、1100度の温度で30分間、1000Gの衝撃に0.011秒耐え、海水、ジェット燃料の中に48時間おかれたとしても浸らないのである。従って、過去様々な航空機事故のボイスレコーダーは、日航123便よりも苛酷な状況下にあったものも多数あったが、それでも突然会話の途中に雑音が入ることはなく、日航123便のボイスレコーダーだけが雑音が多いというのはそもそも不自然である。操縦士たちの会話の背景音も一定のままずっと継続した音が録音されているのが通常だ。以上のことは私がイギリスのカーディフ大学にて学生たちに講演をした時にお会いした英国事故調査委員も語っていた。彼は国際民間航空機関(ICAD)の航空情報通達メンバーであり、詳細は『墜落の波紋』に記した。
特に、当該飛行機を操縦していた自衛隊出身の高浜機長の会話に、全体の流れから考えても不明な部分が多く見られる。不都合な部分を雑音で聴き取れないよう意図的に作成したものを公表して、世間に知られたくない会話を隠していると言われても仕方がない。

何度かご紹介しているが、国土交通省の運輸安全委員会のサイト「航空事故調査報告書」のページから、日航123便の報告書を確認できる。
運輸安全委員会サイトの該当ページ

五つ目にある「62-2-JA8119 日本航空(株)所属 ボーイング 747SR-100型 JA8119 群馬県多野郡上野村」の、11番目にある「別添5」311頁にあるボイスレコーダー(CVR)の記録を、何度も確認したい。

問題の18時24分台の部分。

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18時24分の19秒~34秒の16秒間、警報音を含め、音声記録がないのは、あまりにも不自然だ。

右側の記録で、言葉の前半が収録されていないが、STW(キャビンアテンダント)が、何らかのお客様の要望について、コックピットに了解を求めている記録がある。

察するに、収納から荷物を出したい、という要望かと思う。

操縦室からは、手早く、という指示が、繰り返されている。

結構、緊張感が伝わる会話であり、その理由は、周囲に何かが見えていたからではないだろうか。

そして、東京の管制(ACC)と他機との会話というのは、まったく関係のない話だったのだろうか。

それとも、123便の近くの飛行物体との会話なのだろうか。

とにかく、18時24分35秒に何らかの異常外力を受ける直前16秒間に、音声記録がないのはなぜなのか。

引用を続ける。

事件当時は現在ほど自衛隊への理解がなかったため、仮に不祥事があったとしたらその批判はとてつもなく大きなものになっていただろう。そのような中でボイスレコーダーの音源の編集は「異常外力の着力点」を知られたくない人たちの仕業だと考えれば辻褄があう。こういった疑問を払拭すべく、30年以上経過した今こそ、愛する人の命を奪われた遺族がJALに対して、現物を開示してほしいというのが今回の裁判である。JALは疚(やま)しさがなければ正々堂々と出し、身の潔白を世間にアピールできるはずである。

しかし、日航には、そして、国には疚しいことがあるのだ。

次回も同じ章から、日航の幹部候補生教育から見えてきたものについて。

31日と6月1日、名人戦の第五局は、長野県上高井郡高山村山田温泉の「緑霞山宿 藤井荘」。

その名も「藤井荘」なのである。

最年少名人、最年少七冠のために、将棋の神様が用意しためぐり合わせなのだろうか。

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。

by 小言幸兵衛

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