本殿 宇治上神社 (original) (raw)
毎年10月、浄土宗京都教区の事業として、それぞれの寺院を大公開している。普段はなかなか入ることが出来ない地域のお寺さんを気軽に訪問できる機会となっている。浄土宗開宗850年の記念の年でもあり、多くのお寺が参加していた。その中で宇治地域のお寺を散策した道中で宇治上神社に寄った。
宇治上神社の祭神は真ん中に応神天皇、右に応神天皇の皇子にして次の天皇である仁徳天皇、左に応神天皇の子供にして仁徳天皇の異母兄弟である菟道稚郎子を祀っている。近くにある宇治神社は菟道稚郎子の宮居跡とされている。悲劇の主人公である菟道稚郎子の鎮魂の神社となっている。
応神天皇は年下である菟道稚郎子を皇嗣に指名し、年上の大鷦鷯命(のちの仁徳天皇)を太子の輔導にあてて他界した。王仁(わに)によって儒教的な長子相続の見解が示されていたため、兄弟で譲位を3年に渡り譲り合うこととなり、菟道稚郎子が命を絶ったことで決着した。宇治上神社では親兄弟水入らず、宇治神社は当人を祀る場所となった。菅原道真もそうだが優れた人物は神にされがちであるが、由緒を知って神社にお参りすると見る目が変わっていくことが出来る。
さて、菟道という名前は地名由来であることを知った。もともと宇治の漢字は菟道であり、平安の仮名文化から近代化する過程で簡単な当て字の漢字を使うようになったそうだ。なので、明治初期の地図では菟道が使われ、学校の名称などに残っている。
宇治は天皇の皇嗣が住まうぐらい交通の要所であり、京都と奈良・大坂を結ぶ物流の中心である。宇治と言えばお茶。この辺りには茶葉を育てる茶師が代々住んでいて茶づくりに精を出している。少し南下した木津辺りには製茶工場があり、川を使って消費地である都市へと運んでいた。茶が伝来する以前の山城は地名の木津などに見られる木材の運搬・供給地だったようだ。
宇治神社や宇治上神社は川よりも高台にあり、川の氾濫を受けなかった建物たちが文化財となっている。宇治上神社の本殿は国宝となっているが、平安時代後期に造られた一間社流造の社殿が3社並んでいる。あまり見たことのない造りだが、観光客が結構多いのでじっくり見ていると邪魔になるのが残念。平安貴族も見たであろう社殿を堪能できた。