living in color (original) (raw)

初めまして。こにぴーと申します。

ポケモンとディズニーが好きです。

人は誰しも多かれ少なかれ悩んだり、考えたりして生きていると思います。

ただ、悩み事が尽きない人生は大変ですから、人の脳というのは寝たら大概のことは忘れます。忘れられるようにできています。

しかし、せっかく少しでも考えたのなら、保存してもいいのではないでしょうか。

今の自分が過去の積み重ねであるように、未来の自分は今の自分の積み重ねです。

今を意識することは、すなわち未来を意識することになるのです。

そんな訳で、このブログを書いています。日記、映画や小説の感想文などを中心に、いろんなことを雑多に書いてます。

極力推敲せず、ありのままの自分の言葉を残したいと考えています。文章を書くこと自体とても苦手なので、ひどい文章ではありますが、少しでも目を通してくださると幸いです。

下に数個文章のリンクを貼っていますので、ぜひご一読ください。

感想文

「同志少女よ、敵を撃て」 - living in color (hatenablog.jp)

So long, partner. - living in color (hatenablog.jp)

日記

or - living in color (hatenablog.jp)

Happiness is here. - living in color (hatenablog.jp)

僕への優しさは愛じゃない。流石の鈍感でもわかる。

もっとイケメンで、もっと犬系で、もっとモノが大きくて、もっと喜ばせ方を知っている男は山ほどいる。

そうと分かった上で僕を選ぶのは、なんだか勿体無い。もっと尽くしたいと思える上物を狙うチャンスの時期だ。なんて気持ちがあったりして。

悔しいけど、僕が失敗してしまったのだから、君を引き留める権利などない。

中3、高1の僕が元カノと付き合っていた頃、君はこんな気持ちだったのかもしれない。

言葉が軽くて、自分の方を見てもらえているようで見てもらえない、2番目の女を受け入れていた時期が君にもあっただろう。

それでも1年間、君は僕に片想いし続けてくれた。めげずに、毎日のように電話してくれた。君の方へ心が揺れていたのを思い出す。

付き合った後、当時別の男と付き合っていたことを教えてくれた。それでもその男では忘れられなかったと言ってくれた。

嗚呼、これほど近くに先人がいたとは。僕の行く末は数年前の君だ。

きっと別の女性と付き合ってもどこか上の空で、相手に君の顔を、声を、愛を代入してしまう。君の亡霊を追い求めてしまう。

そんな失礼なことしていいはずがない。僕は別の女性と付き合ってはいけない。

つまりは、君が僕ではない誰かと誓いのキスをするその日まで、僕は君を諦められない。そういうことだ。

指摘された点を改善し、より良い人間になる。

そのための作戦会議をしようと思う。

ありとあらゆることで説教を受けたが、その多くの趣旨は

「口答えするな、誠意を見せろ、行動で示せ」

というものだった。

ということでこの点に関して、自分がどのような背景でこんな人間になり、どう意識を変えることで行動が変わるのかを考えていこうと思う。

その結果、僕は愛を受けるのに慣れ過ぎていたのだと考えた。

無償の愛は親が我が子に注ぐものである。親子関係以外の間に存在する愛は全て有償である。無償の愛はとても尊いものであり、それを当たり前だなどと勘違いする子はきっと大層出来の悪い親不孝なのであろう。

一人っ子は両親の愛を一身に受ける。僕は恵まれた環境で生きてきた。しかし親に感謝を伝え、自らも親に愛を送るなどということは恥ずかしい。

その結果、僕は前述した親不孝になったのだ。自身が当たり前に優先され、愛されるということに慣れてしまったのだ。

そしてあろうことか、この大馬鹿野郎は君との有償の愛さえも、無償であると錯覚してしまったのだ。

君がオシャレし、デートを計画し、プレゼントを用意してくれたことは全て有償である。自由時間を削ってバイトをし、稼いだお金で、僕への愛を形にしてくれた。

それに対してのレスポンスが対価に見合ってないと、当然不満が溜まる。

逆に僕がデートを計画し、エスコートしたことがあっただろうか。オシャレに目覚めただろうか。

疑問形の時点でお察しである。

ではどうすれば良いのか、こんな阿呆でも3つほど浮かんだ。

「してもらって嬉しいことは自分もする」、「相手が嫌なことはしない」、「相手が喜ぶことは継続して行う」

これらが僕の誠意であり、行動で示すということである。

本当にこれでいいのだろうか。これが変われば僕は成長できるだあろうか。君に「変わったね」と言ってもらえるのだろうか。

分からない。もしかしたら君はより高次元な変化を求めているのかもしれない。低レベル過ぎて反吐が出るかもしれない。だが今はこんなキホンのキさえもできていない人間なのだ。

角度を調整して、第1歩。

数度の差かもしれない。しかし遠くまで歩いた先では全く異なる景色を見る。

復縁したい。

そのためには、僕がダメな部分を見つめ、内側から真に変わる必要がある。

幸いにも、別れる間際に君は僕に説教をしてくれた。

メモに殴り書きしてあるのを解読しながら列挙する。

・私があなたに怒られた時、私は泣く。次の日にはあなたはそんなことなかったかのようにふるまうのが謎。

・全ての件で私から謝ったのに、今回はあなたから謝らないんや。

・謝罪に対して、「論点がずれてる」、などと言いがかりをつける。

・逆ギレして私に呆れたような態度をとる。そしてまた私だけが泣く。

・「○○って言動が嫌」に対して「そんなつもりで言ってない」「そんなん言ったっけ?」で返す→私のNOが届かない感

・節々から漂う舐められてる感

・私があなたを好きになったのは「誰よりも話しやすく、安心できるから」→今の君ではこれを満たしてない

・今まで私が依存してこの関係が成り立っていたこと

・この依存がかっこよくもないお前が優位に立っていると勘違いさせていたところ

・追う追われる=優位劣位ではないからな。彼氏彼女は対等だろ。

・自分から行動を起こさない所(謝らない、デートの場所決めない)

・都合よく脳内変換しすぎ

・お前よりかっこいい人無限におるからな

・何かを言っても変わる気がしない。呆れる。

・魔法は解けてる。

要するに、復縁したいなら「行動で示せ」

酷い有様だ。そりゃ嫌われて当然。

次の記事で僕自身をどう解釈・理解し、どう変化していくかを考えていきたい。

これが変わればもう1度…というのなら。

迷っている暇はない。

怒られたかった。

思いっきり、メンタルがボロボロになるまで、僕のことを否定してほしかった。

嘲笑してほしかった。

君の「別れよう」の一言で全身の力が入らなくなり、崩れ落ちる僕を見ても驚かない覚悟の決まった君の顔を脳裏に焼き付けたかった。

必死に袖をつかみ君を引き留める僕の無様な姿を見て、腕を振りほどいてほしかった。

手の届かないところに行ってほしかった。

僕の声など聞こえない所で、他の男に寝取られる君を見て絶望したかった。

そうでもしないと変われないのだ。

僕は、失ってからじゃないと気付けない。

なんて愚かな欠陥品なのだ。捨てられて当然だ。

彼女を幸せにするために生きていこうと誓った。

それは僕のせいで叶わなかった。

僕は生きる理由を失った。

さして死人と変わらない。

今日、僕は死んだ。

死んだなら、「生まれ変わるのみ」だ。

もう2度と失わないために、僕は変わる。

もう一度君に「愛してる」と言わせてみせる。

先日トイストーリー3が金曜ロードショーで放映された。同シリーズで最も感動的な話であり、多くのファンが最高傑作と呼ぶ。勿論僕もその1人。

自分の成長によって少しは言語化できるようになったため、記してみようかなと思う。

アンディは高校を卒業して大学生になる。1人暮らしを始めるため、自分の部屋を整理しなければならない。オモチャたちを大学に持っていくのか、屋根裏に置いておくのか、それとも捨てるのか、アンディの決断がこの映画の軸である。

やはり特筆すべきは映画のラスト。アンディがボニーにオモチャを渡した時のアンディとウッディの心情描写であろう。

いきなりそのシーンの説明、ではなくまずアンディの母(以下母)の行動によるウッディの心情変化を丁寧に見ていこうと思う。

自分の目の届かないところにアンディを1人で行かせるなんて、母は心配で胸がいっぱいであったはずだ。それでもアンディの成長のためにはあえて離れるという決断をしなければいけない。この決意と覚悟が親心というものであろう。

「ずっと一緒にいられたらいいのに」

涙を流してアンディを抱きしめる母をみて、オモチャたちの中で唯一引っ越し用の段ボールに入れられたウッディの中で何かが変わる。母は覚悟を決めた、俺はどうだ。アンディを愛しているからこそ、彼の進む道を尊重し、送り出してやるべきなのか。

アンディが幼い頃からずっと一緒に遊んできた。俺は子供部屋の中では彼の親なんだ。

そんな気持ちが湧いてきたのかもしれない。そこで何かを思いついたウッディは屋根裏行きのオモチャをボニーに渡すという新たな選択肢をアンディに与える。

結果、アンディはウッディ以外のオモチャをボニーに渡すことに決める。

オモチャを取り出しては説明し、どんな風に遊んだのかを回想する。思い出す様な間がなく、スラスラと話すアンディから、どれほどこのオモチャたちと遊んだのかがうかがえる。

全て渡したかに思えたが、段ボールにもうひとつオモチャが入っていた。そう、ウッディである。勿論ボニーは貰えるのだと思い手を伸ばす。しかしアンディは咄嗟にウッディを抱き寄せ、それを拒む。

悩みに悩んだアンディは、ウッディを渡すことに決める。

「ウッディの1番すごいところは、友達を見捨てないってところ。絶対に、何があってもそばにいてくれるんだ。」

アンディは彼の中でのウッディのキャラクターを最後まで貫いた。ウッディだけ大学に持っていくことを、きっとウッディは許してくれないだろう。そう感じたのかもしれない。

ボニーと共にオモチャたちと最後の遊びをする。スローモーションでオモチャ1つ1つにフォーカスしたシーンは、アンディがそれぞれに愛のこもった別れの挨拶をしているかに思える。

それを終え、アンディは引っ越し先に向かうため、車のエンジンをかける。

ウッディはアンディのオモチャとして最後の言葉を贈る。

「あばよ、相棒」

この言葉に込められた沢山の感情を記すには、まだ語彙と経験が足りない。そこで最も納得のいく説明を引用する。

ときがながれても

かわらないもの

それはおれたちのきずな

きみはともだち

いつもおれがいる

きみのそばに

━━主題歌「君はともだち」より

どれほど僕が成熟したとしても、これより優れた説明は一生出来ないだろう。

私も死ぬときは、病室で家族や医者が立ち会う中最期を迎えるだろう。その時、妻に「あばよ、相棒」と言って息を引き取りたい。

そう言えた時、誰にも伝えることはできないが、人生で1番上手にウッディの気持ちを説明できる気がする。

先日、彼女が兵庫からはるばる福岡に遊びに来た。そこでのことを記しておく。

まずは9/8、旅行1日目。

大宰府に行った。食べ歩きがメイン。明太茶漬け、ソフトクリーム、明太焼きおにぎり、梅ヶ枝餅を購入した。彼女は本当に美味しそうにごはんを食べる人だ。それを見ると僕も笑顔になる。とても素敵なところだと思っている。

17時頃に博多に戻り、ケーキを奢った。2019円。5年前は自分の彼女が今の子であるとは想像もしてなかったななどと思いながらルンルンの彼女と手を繋ぐ。

ホテルは毎回彼女が選ぶ。僕は泊まれればどこでもいい人間なので、彼女に決めてもらわないと最安値の狭いところになってしまう。今回も熟考していた。外観、内装はとてもシンプルだが、最寄が博多ではなく祇園だったこともあり、大学生金欠カップルにはちょうどいい部屋だった。ちなみに僕の一人暮らしの部屋よりデカい。

夜ご飯は博多駅構内のもつ鍋。何度食べても美味しい。もつを追加で注文するくらい2人とも大満足だった。今回の名言は「生きてて良かった。19年生きてきてこんなに美味しいものを食べていなかったなんて。」だった。ちなみに大阪で牛タンを食べたときの名言は「この口のまま寝たい。今日私歯磨きせえへんかも。」である。

ホテルに戻り誕生日を待つ。youtubeでディズニー音楽を流しながらベッドでだらだらする。一緒にお風呂に入る。マッサージをして20000歩近く歩いた足をほぐす。

そして輝く未来が流れる中、9/9 0:00を迎えた。誕生日おめでとうと言って19歳になった彼女の唇を奪う。2人でケーキを食べ、プレゼントを渡す。今年のプレゼントはペアリング。本当は来年に買おうと思っていたのだが、遠距離恋愛に苦しむ彼女のために、僕のことを少しでも近くに感じてほしいと思い、渡すのを早めた。泣いて喜んでくれた。

お盆以来、夜に限ると3月末以来。恥ずかしがりながらもパジャマのボタンを外されるのを受け入れ、僕の上に跨る彼女はとても妖艶だった。

行為後、服を着ず、指輪を手に付けたまま寝た。とても愛おしかった。

9/9、2日目。

3:00まで起きていたのもあり、9時に起きる。11時チェックアウトで10時半にチェックアウトする始末。ただ朝2人でだらだらしたことがなかったため、その時間も幸せだった。

昨日もつ鍋を食べに行くため博多駅まで歩く途中に見つけたパン屋で朝ごはんを食べる。明太フランスがとても美味しかった。バイト先の生徒に明太フランスが美味しいと聞いていたから朝にパン屋に行くという選択ができた。ありがとう。

そこから天神に移動して小腹が空くまでウィンドウショッピング。ディズニーストアを見つけてテンションが上がる19歳児2人。昨日渡したペアリングを僕は左手中指、彼女は右手中指に付けることで、手を繋いだときにペアリングが重なる。エスカレーターなどでそれを見てはニヤニヤする彼女。普段なら何ニヤついてんねんとからかうが、無理もないかと思い言わないでおいた。

天神は駅周辺のデパートで無限に時間を潰せるのだが、少し歩いてケバブを食べたり、熊がくまペチーノを作って手渡ししてくれるカフェに行ったりした。作ってる間飴ちゃんをくれたり、会話をしたりするのだが、その尺のつなぎ方があまりにも大阪のおばちゃんで笑いそうになった。多分手首に輪ゴムついてる。

いよいよ旅の〆、豚骨ラーメンである。駅構内のラーメン屋で豚骨ラーメンを啜る。彼女も本気モードで、髪の毛を後ろで結んでいた。ちなみに啜れてはいるが上手くはなかった。味はハズレ無しといった感じ。正直福岡で不味いラーメンは食べるのは不可能だ。独特の豚骨くささはきっと兵庫に着くまで鼻に残る。ラストを飾るには最高の福岡グルメだったと思う。

お土産で明太子を買い、別れの時。もちろん入場券を買い新幹線が去るまで見送る。15分前から号泣してて、流石につられそうになったが、ぐっと堪えた。最後の印象が泣き顔より笑顔のほうが良いというポリシーがあるのだ。

彼女は東に、僕は西に。1人になったのでいつも通り誰とも話さず帰る。地下鉄でカップルに遭遇。なぜかとても腹が立った。最寄り駅から自転車を漕ぐ。今までで1番速く漕いだ。時の流れがゆっくりに感じた。彼女が寝る準備を終え、電話がかかってくるまでの時間が永遠に感じた。

以上がレポート。ここからは指が動くままに書く。

遠距離恋愛とはとても辛いものである。会えない日々が続き、何も相手にしてあげられない無力感との戦いが続く。もちろん手を繋ぐことも、抱きしめることも、キスをすることもできない。それどころか、さりげなく車道側を歩くことも、重い荷物を持つことも、何かを奢ることもできない。

悔しい。この一言に尽きる。他のカップルの別れ話を聞くと反吐が出る。こっちは県が違うどころか島も違うのに。彼女がメンヘラだの、電話するのがだるいだの、会うのに1時間かかって大変だの、低レベル過ぎるだろ。それが嫌な奴と付き合うな。好きとか愛してるとか言うな。そんな気持ちでは相手に失礼だ。

自分は「重い」のだろうか。結婚したいと思っているのは変なのだろうか。毎日声を聞きたい、顔を合わせたいと思うのはおかしいのだろうか。付き合うなんてただの口約束なのだから、遊び感覚でいればいいのだろうか。どうせ別れると思って付き合うべきなのだろうか。

これ以上の議論は何も生まない。僕は愛する女性ただ1人を幸せにする。それだけでいい。恋愛は他人からの第三者的、相対的な評価は意味をもたない。当事者の、絶対的なものでいい。

長くなった。要点はこれだ。

愛してる。