kotono in midnight (original) (raw)
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こんばんは。今日は、都知事選で街宣(プラカード持って選挙いく呼び掛けをすること、私はほとんど立つだけにした)をした中で、印象的だったというか、インターネットという空間にも刻んでおきたい出来事があったので、それを書き記しておくことにする。
おっちゃんのプライバシー侵害してしまっているが、個人が特定できないように気をつける。
高円寺、7月6日。友達の友達(初対面)と、いつも社会問題などなんでも話す友達と3人でお昼に街宣をした。
最初は初対面の友達と2人で。男性だから隣にいてくれると本当に安心した。
ほどなくして、1人のおっちゃんに話しかけられる。私たちが選挙に行くことを呼びかけているのが気に食わないのか、私たちに対する目線から否定的だと感じた。選挙に行っても変わらないとか色々言われて、でも友達がまともで誠実な受け答えしてくれていたから私は黙っておけば良いかと思ったけど、上の世代が選挙に否定的なことにどうしても腹が立つ。
そして「(あなたは)選挙にいかないんですか?」と思わず聞いた。「行くったって選挙権がないもん。そこ(高架下)で寝てんだから。」
私は正直、びっくりした。
そうだ。路上生活をする人には投票権がない。(厳密に言えばある場合もあるだろうが…)
自分の視野の狭さにショックを受けた。お手本のような特権仕草。
私は自分の感じた気持ちが伝わらないように、同情していないとわかるように、私ができる1番フェアな態度を心がけて、それでも投票権がある人は投票に行くべきだということや、トップが変われば組織は変わることを必死に話した。
遅れてきた友達も途中で合流して、4人で話して、それが3対1の意見の対立じゃなくて、意見交換という空気になってきて、おっちゃんは最終的に私たちを応援してくれたり、つっかかってくる別のおっちゃんから守ってくれたりした。
SNSでの社会運動では絶対にたどり着けなかった。おっちゃんと笑顔を交わすまで話せるのは、私と友達が高円寺で立っていたから。
「選挙では変わらない」とおっちゃんに言わせる社会。どれほど絶望しているかは私にはわからない。どんな経験をしてきたかも。
今の東京都は、お金に困っている人に対して非常に厳しい。野宿生活をする人々のことは、なにかと理由をつけて強引に排除する。容赦ない。このままほっておけば、加速してしまう予感しかない。
選挙結果に、憤りを感じる。差別をしない、お金に困っている人を助ける、そんな姿勢が都政から弾き飛ばされているようだ。受け入れられない。
7日に一緒にいた友達は、受け入れなくていいよ、NOって言ったんだからって言ってくれた。
受け入れられない。
私はいつも排除ベンチを見て、この街はなんて貧しいんだと、慣れることなく悲しんでいる。
幡ヶ谷のバス停で殺されてしまった大林さんを想ったり、自分と重ねて正直怖くなったりする。
でも、私はすぐに壁を作りたがっている。そのおっちゃんが路上生活をしているかどうか想像しなかったことに、正直安堵した。自分に偏見があるかの答え合わせみたいだと思った。失礼だ。それを悟らせないように必死だった。見抜かれただろうか。
自分は違うと思いたい、路上生活はしないと。いつ自分がそうなるかわからない、と覚悟して生きられるほど強くない。
私は、私なりに必死に生きるしかない。
おっちゃんと私は、大林さんと私は、別の人間で、別の人生で、だから、重ね合わせる必要なんかない。
でも、話をすることはできて、同じ社会で生きている。こういう機会を大切にすることしか私にはできないけれど、また、別のおっちゃんでも誰でも、話が出来たらいいなと思う。
こんばんは、Kotono in midnightです。
4月12日から公開中の映画「プリシラ」感想レビュー書きます!
ソフィア・コッポラ監督の最新作。そして、最高傑作。非常にお熱なこの作品、好き勝手に言い放題させてもらいますゎょ。
人のことを決めつけたり、ストーリーを自己解釈したりがあるし、物語の結末やセリフに触れます。誰のことも配慮せず、突っ走りたいと思います。
情報知りたい方はこちらからサイトどうぞ↓
まずプリシラ登場のファーストカットが良い。
「この人はもう出会ったが最後、説明しようのない魅力に溢れている」と思わせる稀有な少女を撮らせたら、ソフィア監督の右に出る者はいない。
何故ならソフィア監督自体が、かつてそういう少女だったから。
そして今回プリシラに必要だったのは、エルヴィスの母に似ていること。エルヴィスとプリシラは歳の差が10歳。試写の上映後トークで「エルヴィスはプリシラと話が合うから惹かれたんじゃないか」という話があった。私は全く同意しない。人と話す姿勢が合う。寄せては返す呼吸が、まるで音楽のように声が、聴こえる。内容はたいして重要じゃない。どういう波長か、和音か。そしてその視線をどう求めるか。それだけ。
でも、本当はそれすら、どうでもよかった。
プリシラは、エルヴィスの母の面影を纏っていた。
エルヴィスがプリシラに惹かれた理由。私はこれしか考えられない。2人が急接近した日、エルヴィスはプリシラに母を亡くしたことを打ち明け、「母がすべてだった」とこぼす。母のために建てた家に早く帰りたいと嘆く。
なんと弱い男だろう。14歳の少女にとって、その弱さは甘い蜜でしかない。
母のために建てた家で、母に似たプリシラを囲う。
なんと弱い男だろう。それでもそんな男に支配される幸せは、確かにあった。
プリシラ。長いまつ毛にアイライン。
彼にどれほど自分を塗りつぶされても、あなたは真実を見たでしょう。
プリシラ。彼が選んだ洋服とヘアスタイル。
どう着飾ろうが、あなたはあなたを見つけたでしょう。
愛する人に支配されても、あなたは自分で選んだベルボトムのデニムを履いて、旅立つことができる。
ソフィア監督は、ある意味この世のリアルを非常に誠実に描いているのではないかと思う。何を隠そう、セレブのリアルを。
セレブに囲まれて生きてきた監督の眼差しは、いつも驚くほど静かだ。そして誰のことも滑稽には描かない。哀れな男のことも、間違いだらけの女のことも。
いつもいつも、監督は静かだ。それでもいつも、真ん中にいる。ジェーン・カンピオンが「ソフィア・コッポラを侮ってはいけない」と世間に対して鋭く指摘した。ソフィア監督は、主人公や登場人物を俯瞰で見る。しかし、演者も監督も、強烈に監督を意識する。彼女のことを、知りたくなる。人を惹きつけて、自由にさせる。私が憧れるセレブそのもの。
セレブを知った気になる。胸の奥に、少しの興奮。
ひとたび監督を意識すれば、ストレンジャーではいられなくなる。気づけばレンズを向けられているような、遠くから手を振られているような気持ちになる。注意深く、穏やかに。
監督を知った気になる。高揚感が、シャッター音に呼応する。
華やかな世界を優美に魅せる天才。そこに私は虚しさを感じない。それでもそもそも美学を持って生きた人間の人生は、どうしたって虚しさがつきまとうのだ。
逃れられない虚しさはスクリーンに横たわり、それが美となり音となる。
本作は、静かに燃える青い炎のような情熱に満ちていながら、本質は白い薔薇の花言葉にある。結婚式を白い薔薇で埋め尽くしたのも、エルヴィスの願いが込められているから。
だけどプリシラ、あなたはそれを枯らすことなく、自分の車で発車したのよね。
いびつな愛の形だなんて、私は絶対に言わない。ソフィア監督の眼差しは、プリシラに真っ直ぐ向いていたから。
私はきっと、これからもソフィア・コッポラに憧れて、愛して、近づけない。
こんばんは、Kotono in midnightです。
メモ的に、取り急ぎ今日観た映画「美と殺戮のすべて」で社会運動・デモのアイデアやヒントを得たので考えたこと記録しておく。
主役の写真家・ナン・ゴールディンは、2010年代前半に受けた手術を機に、当時処方されたオキシコンチン(鎮痛剤)中毒となり、なんとか治療して回復したサバイバーです。このようなオピオイド系の中毒性の非常に高い鎮痛剤が、利益のためにその中毒性を隠ぺいして広く処方されています。
オピオイド危機、日本ではあまり馴染みがないですが、オピオイド系鎮痛剤によって麻薬中毒者が激増し、50万人以上の死者がでている深刻な社会問題です。それまで麻薬に縁がなく、ケガや病気などの手術で処方されることがキッカケで中毒になる人が大半です。アメリカでは1990年代から(病院に)売り出されるようになり、販売元のパーデュー・ファーマ社は高い中毒性を知りながら際限なく普及させます。その会社を経営していたのがサックラー家で、この一族がえぐい。
表向きは慈善活動や美術館などへの支援をはたらきながら、裏ではオピオイド危機を操っていたわけです。世界中の名だたる美術館に寄付、寄贈し、莫大なお金を使っている。サックラー家の名前が世界中の美術館に刻まれていました。美しい美術館が、不可逆的に麻薬中毒になった被害者たちの苦悩および死によって支えられて良いはずがない。
ナンは、オピオイド危機に立ち向かうため「PAIN」という団体を創設し、
・サックラー家からの寄付金を美術館が拒否すること
・サックラー家の名前を美術館が消すこと
上記2点を主な目的として仲間を募り活動(アーティストとして太く筋の通った目的であることにまず感銘を受けました)
2018年からデモもするようになり、その内容が非常に効果的で考え抜かれたものでした。
ナンをはじめ、PAINのメンバーはエイズ危機に立ち向かった「ACT UP」のデモを参考に、どのように注目を集めるか工夫を凝らしました。(ACT UPについてももっと触れなければならないですが今回は割愛…)
重要なのは、注目を集めること。権力に抗うため、強烈なノイズになること。
PAINは、ナンの作品が展示されていて、かつサックラー家の寄付を受けている美術館でデモをする。
・大量のピルの空き容器を館内の目立つ場所や噴水でばら撒き、その場で「サックラー家は嘘つきだ!」などとコールをしてダイ・イン(寝転んでその場を占拠するデモの方法)。
・大量の処方箋(デモ用に制作、表面は処方箋で裏面は簡潔なメッセージ)をばら撒き、その場でコールをしてダイ・イン。
象徴的なのはこの上記の方法。あとアイテムとしては血まみれのような偽札をばら撒くなども。
大きな動きがあったときは、大半がその場で賛同した通りすがりの人々も参加したからとのこと。
映画では、結果的にメトロポリタンなど世界中の多くの美術館で、PAINの目的が果たされていることも映像として記録されており、ナンの喜びに満ちた表情も伺えました。
ものすごい成功体験ですよね。
では、この成功体験の要因はなんだったのかを紐解くことで、日本でのデモ活動にも有益なヒントが見つかるのではと思い、私の見解を記します。
まず、目的が明確であること、伝達しやすいことが成功の大きな要因だったと思います。そしてその目的は、私利私欲に基づくものではなく、社会的正義に基づくものであったこと。コールはいつも同じ、少ないパターンを繰り返す。アイテムですぐに「オピオイド危機のデモだ」と誰もがわかる。
次に、見栄えすること。語弊を恐れずに言うと、PAINのデモはかっこよかったし、アートが密接でパフォーマンスのようでした。動画に撮っている人も多く、拡散もしやすかったはずです。
そして人々の情に訴えることも惜しまなかった。差別や偏見があってはならない、金のために被害者が見殺しにされていいはずがない。"サイレント・マジョリティ"が共感しやすいメッセージも効果的に打ち出されていました。立ち向かう人こそ少ないですが、実際に被害にあった人がたくさんいたことで賛同者も多かったはず。
成功体験の要因をこうして紐解くと、他の問題にも当てはめることができるとわかります。
動くためには、団体として活動できる、同じ目的・志をもった仲間が必要であることが大前提なのも確か。
最近あまりデモに行かなくなりましたが、ナンの背中を追い、自分もデモを企てるための仲間を集めたいと強烈に思うのですが………。
まずはすべての活動が政治的である、この先の自分に繋がると信じ、目の前の出来ることから真摯に取り組みます。
「結婚の自由をすべての人に」訴訟、
東京訴訟と札幌訴訟でそれぞれ
札幌訴訟、さすがに嬉しかった!!!ちゃんと人権問題として扱っていることが伝わる。私はほんと記録しかしないので、詳細は松岡さんの記事をぜひ。
「婚姻の自由」同性カップルにも保障。シンプルで画期的な札幌高裁判決を傍聴(松岡宗嗣) - エキスパート - Yahoo!ニュース
東京はこれかな…。
【判決要旨全文】東京地裁が「違憲状態」と判断した理由は? (結婚の平等裁判) | ハフポスト NEWS
とにもかくにも、原告のみなさま、弁護団のみなさま、本当に感謝です。
同性婚ができるようになっても、それが原因で誰も死んだりしないし、むしろ生きていける人が増える、幸せになる人が増えるだけ。同性婚は、異性婚と同じ権利を得るに充分であることを、ちゃんと立法されることで証明できる社会が良い。
国はもう、憲法から、民意から、逃げるな。
同性婚に向けて、みんなで追い風を起こしまくりたいね。
先陣切って日々活動してらっしゃるみなさまに心からの敬意を表します。
「PERFECT DAYS」の感想としては筋違いなのかもしれない。でも、東京都、大企業、小池百合子、黙っちゃいられないって。
何も知らずムビチケ買ってたので渋々映画館で。
美しいですね東東京は。静かですね、人も街も。家がひしめき合って車が行き交っても、奥ゆかしい街だ。夕日が綺麗で泣いちゃうね。東京のトイレは綺麗だね。デザインも凝っているし。さすが日本だね。
役所広司は仕事を全うする。いい演技だ。さすがカンヌ主演男優賞受賞。それには納得だ。
東京都、関わった大企業、それでお前らは満足か?
いい仕事できた?
美しくて、腹が立つよ。腹が立つ人間で、心底良かったと思うよ。
もしこの国のリアルを観せる気があるなら、役所広司を世界的俳優として讃えるなら、せめて西川美和監督の「すばらしき世界」あれこそ世界に観せてよ。
ずっと頭に浮かんでた。三上の姿が。
こじつけかと思うぐらいこの映画の大切なシーンが頭に浮かぶロケーションばっかりだ。銭湯、畳、作業着。居酒屋。
やめてくれ。三上を三上のままでいさせて。
悔しくて泣いてしまった。
この国の朝日に泣いてたまるかよ。
なんで、こんな汚れて腐ってる国を、訳知り顔で美しいと世界にアピールできるわけ。
クソみたいなベンチうつせよ。銭湯を引き合いにどんな差別が横行してるか話せ。ビニールシートで覆い隠す暮らしを映せって。缶コーヒーすら買えない人のことないことにすんなよ。公園から追い出す人たちが今どこにいるか説明しろよ。お前らが排除した存在について話せよ。
この映画自体に怒るのは筋違いなのかもしれない。でも、話せって。
社会の歯車から弾かれた人がどこに行くのか、見ろって。東京都。大企業。
世界はぜんぶ繋がってんの。地続きなの。お前らが得た名声の裏で、声が奪われてるんだよ。
向き合えよ。東京に。本当の意味で、向き合ってみろって。
こんばんは、Kotono in midnightです。
今日、2月5日はすごい日だ。雪が積もって、伊藤忠の100%子会社である伊藤忠アビシエーションとエルビット・システムズの契約覚え書が2月中を目処に破棄されるニュースが報じられた。
すごい。
すごいのは間違いなく、なんの後ろ盾もなく虐殺に加担するなと署名運動やデモを率先してやってくれた方々。
虐殺に加担するなと声を上げて監視した市民に敬意を払わず、やるべき仕事をやってこなかったメディア、目が覚めたか?今からでも報じるべき、絶対。
市井の人々が大企業を動かしたということ。誰も声をあげなかったら、しれっと続いていたはずだよ。国際的批判がどうこうよりもまず、声を上げて動いた人がいることを報道することが、この国でどれだけ大事か考えて。
本当はちゃんと戦ってくれた人たちよりも前に立っていなきゃいけないんだ、メディアは。でもそうできなかったなら、誠心誠意、この社会に何を伝えるべきか考えて的確な報道をして欲しい。
今回、成功体験が手に入って良かった、、。長期戦でボロボロになりながらパレスチナの解放を求め続けてくれてる人たちに、本当にお疲れ様ですと言いたい。どうしても後に続く形で動くことにはなるし、できることは微々たる行動ばかりだけど、"仲間"のひとりではありたいと思う。
引き続きボイコットや署名、デモなどを続けていこう。
こんばんは、Kotono in midnightです。
お久(´・ω・`)
Twitterぼーと見てたらこのルックが出てきて、キマイラほんとはこれ着たい気持ちやなとか思いました。香港出身デザイナーのロバート・ワンというブランドらしい。さすが香港出身とあって政治性を表現することに妥協がない。
パレスチナで麻酔なく治療する人々の血、身体がバラバラに吹っ飛んだ人々の血。血は避けられない。何も無視できない。
こんな社会で、私はただ純白の美しい花嫁になどなれない。
何も見慣れない。血の滲んだ目。見たことのないような眼差し。そこにまだ心があることを祈るだけ。
兵士と命懸けで闘う子ども。罪のない人々が泣き叫ぶ。あらゆる方法で耳を傾ける。見て、記録する。
毎日死者数が更新されていくことに慣れるわけがない。そこにまだ心があることを祈るだけ。
静かに涙する数だけ、命が助かれば良いのに。でも「みんなと一緒に死にたかった」そんな人に、生きてと言えるだろうか。大切な人が奪われた人にこの世界はどう見えるのだろうか。
この世界ができることは、パレスチナを離さないこと。「なぜ私たちなの?」その問いを絶対にかき消さないこと。
世界の一員であろう。ひとりひとりは本当に弱い。しかし、その弱さを自覚するとき、私たちは強くあれる。