象徴派の周囲 (original) (raw)

象徴派にとってボードレールはどういう存在なのか、という疑問がある。デルヴァイユの象徴詩のアンソロジーボードレールから始まっているので、象徴派の鼻祖と見なすことも可能だ。象徴主義アメリカのエドガー・ポーに胚胎し、ボードレールを経由してフランスにもたらされた、というまことしやかな説もある。そしてなによりも、「交感」というすばらしい詩が、いかにも象徴主義の幕開けのごとく、「悪の華」を飾っているので、ますますもってボードレールを象徴派の始祖として祭り上げたくもなってくる。しかし、ほんとうにそういう位置づけでいいのか?

今回、「パリの憂愁」を通読してみて、じつに意外な詩人の一面を垣間見たような気がした。それは、「悪の華」の詩人と、「パリの憂愁」の詩人とでは、別物の観があるのだ。じっさいのところ、「パリの憂愁」という散文詩集は、もし作者がボードレールでなければ、とうの昔に忘れ去られて、こんにちだれも読むものなどいなかっただろう。それはもう驚くほど、常識的、小市民的、好々爺然とした短文が並んでいる。そして、これを読みながら、ボードレールが象徴よりもむしろ寓意に傾いた詩人であることを悟った。

象徴主義に必須のもの、それは高みと深みとを構造としてもつ垂直的な世界観だが、ボードレールには、少なくとも「パリの憂鬱」のボードレールにはそれがなく、ポエジーはひたすら水平方向に拡散するばかりなのだ。これではやっぱり物足らないと思うのだが、どうか。

デルヴァイユのアンソロジーには、この散文詩集から「群衆」が採られているが、これも後半はなんだかよく分らない感じで、もしかしたらボードレールはこのころには明晰な思考ができなくなっていたのではないか、と疑われる。私ならただ一篇といわれたら、何を選ぶだろうか? そう思って、ぱらぱらと全体を見返してみたが、やっぱりここから一篇だけを選び出すのは無理のようだ。

シャルル・ヴァン・レルベルグの第一詩集「アントルヴィジオン」は、いちおう全部訳してアップした。補遺が若干残っていて、なかには捨てがたい佳品もあるが、あまり需要もなさそうだし、いずれ気が向いたらでいいかと思っている。

それとはべつに、第二詩集の「イヴの歌」にそろそろ手をつけなければならない時期が来た。ぐずぐずしていると、どんどん先送りになってしまうので、ここらあたりで覚悟をきめて取りかかることにした。これまたあまり需要はなさそうだが、需要があってもなくても、自分のため、自分の楽しみのために、日本語に置き換えてみる。そうしてできあがったものが、原詩の趣をまったく伝えていないとしても、少なくとも自分にとっては価値のないものではない、というのを唯一の存在理由として。

もっとも、その前にやっておかねばならないこととして、「アントルヴィジオン」の目録作りがある。個別の詩篇がばらばらの状態で並んでいるだけでは、全体の構成が分かりづらいからだ。どんな詩集でも、その排列には作者の意図が働いている。そのとおりの順で読むかどうかはべつとしても、詩集というものは、詩人の分身であり、一個の有機体でもある、という観点から、目録だけは作っておきたいと思うのである。

一連の作業はこちらでやっているので、よろしければどうぞ。

https://ktr-1961.hatenadiary.jp

(9月16日 追記)
目録を作るつもりでざっと見直したところ、訳のあまりのまずさにわれながら唖然とした。
原作の味も香りもない、ばさばさに乾いた貧相なしろもの。
それだけならまだしも、日本語として体をなしていないものや、看過できない誤解や誤訳も多々ある。
目録どころではない、もう一度全体を見渡して、訂正すべきところは訂正する必要がある。
せっかく「イヴの歌」に取りかかるつもりだったのが、思わぬところで躓いてしまった。
まあ、この機会にもう一度語学力を鍛えなおして、きたるべき「イヴの歌」に備えることにしよう。

NHKの朗読の世界で、荷風の「ふらんす物語」をやっている。この番組の作品の選び方は、どうも必然性が感じられず、思いつきで選んでいるとしか思えないのだが、今回の荷風も「いったいどういう風の吹き回しで?」と首をひねってしまう。もしかしたら、パリのオリンピックが関係しているのだろうか。

まあそれはそれとして、この荷風という作家だが、いちおう耽美主義ということで、象徴派とは細い縁でつながっている。また彼には「珊瑚集」という訳詩集があって、これが「海潮音」に次ぐ地位を占めているという事実も、彼と象徴派との親近性を強めている。彼自身、己をどう規定していたかは不明だが、アンリ・ド・レニエなどを介して、日本における象徴派としての自覚も、ほんの少しはあったかもしれない。

とはいうものの、このラジオの朗読を聞きながら、荷風という作家はどうも写実派、印象派にとどまっていて、象徴派というにはほど遠いことを感じた。彼の描写はあまりにも表面的、情緒的で、そこに深さというものはない。知性とか理知ではなく、感覚だけで生きているような人間。もっとはっきりいえば、好き嫌いだけで生きているような人間で、とにもかくにも作品としての浅さはどうにもならないような気がする。

ところで、この「ふらんす物語」は昔岩波文庫で読んだことがある。ところが、今回のラジオを聴いても、まったく読んだ記憶が蘇らないのだ。つまり、読んだことをきれいさっぱり忘れているのである。この忘却というのは怖ろしい。なにしろ、前日に聴いた分さえ、翌日には記憶があやふやになっているのだから。

彼の「珊瑚集」については、以前に記事を書いたこともあるのに、今回確認のつもりで取り出して読んでみたら、その大半を忘失していて、ほとんど初読と変らなかった。荷風の著作のこの記憶に残らなさは異常だ。そういえば、代表作といわれる「濹東綺譚」すらまったく筋が思い出せない。

多くの著作と名を残しながら、人々のなかからその作品の記憶だけ消していっているという、なんとも奇妙な作家ではある。

動画サイトで「闇芝居」の全話をループライブ配信するらしい。なんたる快挙! なんたる椀飯振舞! これはぜひ見ねば。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001830.000002734.html

いつごろからか、この4分ほどのアニメの魅力に取りつかれて、たいていのものは見たような気がするが、もちろん忘れてしまったものもけっこうある。そういうものも含めて、全話を一挙に鑑賞できる機会なんてそうあるものではない。お盆にこういう企画をやるのも、タイムリーでいいと思う。

ところで、私がこの紙芝居仕立ての短篇アニメに惹かれる理由として、ずばりその象徴主義的手法をあげてもいいのだが、あまりくだくだしいことは書きたくないので、ここでは100年前の象徴派プロパーから、闇芝居テイストの作品をいくつか選び出して、感想めいたことを書いてみたい。

まず第一は、シャルル・ヴァン・レルベルグの「嗅ぎつける者」という芝居。短いもので、副題には「象徴」とある。登場人物は母娘ふたりと、姿の見えない男(3人?)の声のみ。嵐の晩、病身の母をもつ娘のあばら家に、三人の男が次々と現れて、入れてくれという。一人目は水をもってくる。二人目は経帷子をもってくる。三人目は棺桶をもってくる。娘は男を入れまいと必死で抵抗するが、鐘が真夜中を打つとともに扉が破れて砕け散るところで幕。

これとよく似たテイストのもので、同時期に発表されたのが、メーテルリンクの「闖入者」という芝居だ。これもまた何者かがうちの中に闖入してくるお話。盲目の老人にはその闖入者が感じられるけれども、他の家族にはそれがわからない。そして、時計が真夜中を告げるとともに、病身の妻が死ぬところで幕。

それから、イェーツの小さい芝居がある。松村みね子が訳した「カスリイン・ニ・フウリハン」「心のゆくところ」「鷹の井戸」など。これらには、愛と死と運命に翻弄される人々が描かれているけれども、それがたんなるリアリズムや教訓に終らず、伝説のような雰囲気のなかで展開されるのがじつにここちよい。リリカルな闇芝居といったところ。

まあだいたいこんなところが思いつくが、芝居のみならず短篇をも考慮に入れると、闇芝居的なテイストのものはそれこそ無数に見つかるだろう。なんといっても象徴派の時代(1890年代)はコントの黄金時代でもあるのだから。

そういうものに思いを馳せながら、お盆の四日間、ゆるゆると動画サイトで楽しもうと思っている。

いまNHKラジオの「朗読の世界」で菊池寛短篇集というのをやっていて、これが非常によい。檀ふみさんの朗読もすばらしく、当分続いてくれることを願う。

その菊池寛の学生時代の師が上田敏だ。この師弟くらいちぐはぐな組合せもないだろう。およそ水と油という感じで、人間的には菊池寛のほうがはるかにスケールが大きいが、はたして上田敏菊池寛のことをどう思っていたのか、興味がある。未来の大器として、それなりに遇したのか、どうか。

まあそれはそれとして、上田敏の全集についていた月報がまとめて一冊になっている小冊子があって、これがなかなかおもしろい。敏がもともと乙骨家の出身であったこと、敏という名前はビンジャミン・フランクリンにちなんでつけられたものであること、生前近親のものには「ビンビン」と呼ばれていたこと、など。

私は戯れに上田敏のことをヴェーダ・ビンビンと呼んでいて、ヴェーダは Ueda という名前がとかく外国人にはヴェーダと読まれることが多いからだが、まさかビンビンなどというふざけた呼び名がじっさいに使われていたとは思わず、これにはちょっと驚いた。

彼は英文学者で、英語をもっとも得意としたが、じつのところはフランスとフランス文学により多く惹かれていたかもしれない、というような記事もあって、やっぱりそうだろうな、と思う。彼が死ぬまぎわに目を通していたのはフローベールの「聖アントニウスの誘惑」だった。いっぽうドイツ語にはあまり好意をもっていなかったようで、「独逸語は駄目だ」ときめつけ、学生の第二外国語にはフランス語を勧めていたようだ。

この小冊子が編まれたのは今から40年ほど前で、当時は聖遺物でも扱うような感じで出版された上田敏全集も、いまでは古本屋のお荷物となって、当時の1/10くらいの値段で売られている。私はそういう安く出ているものから1セット買ってみたが、ほとんど読まれた形跡のない、すばらしい美本であった。こういうものが安く手に入るのは、貧乏人にはありがたいが、敏の存在そのものまで安く踏み倒されているようで、あまり手放しには喜べない。