かつて日本の演出もゆるかったのか、テキトーだったのか (original) (raw)
物議を醸しているらしいパリオリンピック開会式
パリオリンピック開会式での演出が物議を醸しているらしい。
いわく、処刑された**マリー・アントワネット**の首がでて、血しぶきがあがり、それにのせてヘビメタが炸裂するのはいかがなものか、とか。
またキリスト教を侮辱したような表現は許せないとか。
それを聞いて、というか読んだ私は
「そう言われてみたらそうか、なるほど」
ぐらいにしか思わなかった。
いかにも考えの浅い人間と思われるかもしれないが、なにせフランスは「**表現の自由**」の国である。
これは水戸黄門の印籠のように強力なのだ。
だからこれまで幾度となくイスラム教の信者たちを怒らせてきたし、フクシマの原発事故の被害者のことを手が4本ある、とかジョークを平気で飛ばしたりする。
だからこの手のことで批判されても
「Ah, bon ?」(あ、そう?の意)
で済まされてしまうのではないか。
ちなみにこれは「アー、ボン?」と発音し、その発音具合がたまたまうまくいけば、フランス語ペラペラだと誤解されるので、気をつけないといけない。
それとも何か?
私たち日本人は礼節を重んじるあまり、表現することにおいて、制約でがんじがらめになっているのだろうか?
イントロ・エンディングが一番むずかしい
話は少々ぶっとぶが、きょうのジャズピアノレッスンのできごとである。
ゆっくり目の4ビートで、「**The Old Folks**」を弾いたのだが、テーマ+アドリブ部分は花丸というか二重丸だった。
「そやけど入口と出口がいまいちやなぁ」
と師は言う。
入口とはイントロ、出口はエンディングのことである。
いつも思うのだが、イントロ・エンディングが一番むずかしいなぁ。
まさに「最初が肝心」であり「終わりよければすべてよし」なのだ。
私がきょう弾いたイントロはテーマ・アドリブ部分に比して派手すぎ、エンディングはしつこすぎるとのことだった。
そこで師は特にエンディングの例を3つ、4つ
「こんなんもええなぁ。こんなんはどうや?」
と言いながら弾いてくれた。
そして急に、
「『**11PM**』って見たことある?」
と私に聞いた。
『11PM』のエンディング
「11PM」とはイレブン・ピーエムと読み、1965年から1990年まで放映されたお色気あり社会問題ありのバラエティー番組といっていいのか。
とにかく世間ではお色気が話題にのぼり、子どもに見せたくないワースト番組と言われていたように思う。
それが災いしたのかどうか覚えていないが、私はほとんど見たことがない。
たぶんウチではチャンネル権は母にあり、母がみていないものを子供たちである私たちが「見たい」ということが考えられなかったからだろう。
ところが師はこれを楽しみにして見ていたらしく、
「すごかった!」
と言う。
何が?お色気が・・・らしい。そして
「『11PM』のエンディングでもええで」
と言った。
つまりキーをFとすると、
レ ド ♭シ ラー (B♭ F C7 F)
となる。
↓の懐かしい動画では、0:13あたりの女声スキャットで
「ルルルルー」となる。
「時間ですよ」というホームドラマ
さらに師は
「『11PM』だけやないで。『時間ですよ』もすごかったで。もろ、見せてたもん」
と言う。
「時間ですよ」は1965年から1990年まで放映されたホームドラマであるが、これも私はほとんど見ていない。
いったい私たちは何を見ていたのだろう?
たしかにWikiでは
また、女湯シーンの女性エキストラ達のセミヌードが売り物の一つであった。
との記載があるので、師の言うことに間違いはないのだろう。
師はいまだにその映像が忘れられない、とニンマリしながら言う。
「昔のほうが制約は少なかったんですね」
と私が言うと、
「というか、テキトーやってん。」
ふーん。
では日本人は、テキトーさを時の流れのどこかに置いてきてしまったのか。