その愛ちょっと待った!といいたい映画「チャイコフスキーの妻」 (original) (raw)
2022年ロシア・フランス合作映画「チャイコフスキーの妻」
映画「チャイコフキーの妻」はマイナーらしい
**チャイコフスキー**の伝記映画は昔むかし、映画館で見た記憶がある。
今思えばあれは1970年のソ連映画だったと思う。
封切りは鳴り物入りで、当時この映画が神戸で上映されたのは、のちに震災で倒壊した**神戸新聞会館大劇場**であった。
あの時代、収益が見込まれる大きな映画は必ずそこで上映したものである。
映画の内容はどうだったか?
チャイコフスキーがゲイであったことは描かれていたか?(たぶんまったくなかったか、匂わせ程度だったと思う)。
それに反して、きょうみた2022年の露仏合作映画「チャイコフキーの妻」はどうか?
神戸での上映は「シネ・リーブル神戸」というマイナーな映画館で、上映回数は週3-4日の1日1回のみ!
おまけにきょう映画館へ行ったら広告はまったく出ておらず、私は日を間違えたのかと思った!
こんなにいい映画なのに!(好みがわかれるかもしれないが)。
なぜチャイコフスキーは結婚を決めたのか
まず、映画「チャイコフスキーの妻」の予告編からどうぞ。
アントニーナという若い女性から一目惚れされた上、熱烈ラブレターを贈られたチャイコフスキーの反応は冷淡なものだった。
「私は気の短い、欠点の多い人間だ」
これに対し、アントニーナは「あなたのすべてを受け入れます」と言う。
またチャイコフスキーは、
「私は女性を愛したことはない」
と言う。
このとき、言外に「男性は別として」という意味があったのをアントニーナは気づいていたのだろうか?
たぶん気づいていなかったと思う。
「兄は自分の母親以外の女性は愛せない」
と言われたのが最初だったと思う。
ともかく同性愛が市民権を得ていなかった時代のこと、チャイコフスキー自身も
「これではいかんなぁ」
という気持ちがあったのだろう。
「兄と妹のような静かな愛なら」といういわば条件つきでアントニーナの求愛を受け入れたのだった。
ところがこれがすべての間違いだった。
チャイコフスキー結婚生活の破綻
結婚はしたものの、チャイコフスキーはアントニーナのすべてが気に入らない。
彼女の赤いドレスもサンゴの首飾りも、物理的にそばへ寄ってこられるだけで逃げ腰になってしまう。
彼女といるときのバツの悪そうな顔と比べて、若い男性たちに囲まれているときのチャイコフスキーのこぼれそうな笑顔といったら!
そしてついに
「仕事でペテルブルクへ発つ」
と言い残したまま、チャイコフスキーはアントニーナの前から姿を消してしまい、あとで知らされたのは弟を通じての離婚願いだった。
ところがアントニーナは頑として離婚に応じない。
「私はチャイコフスキーの妻よ!」
ここでなぜか私は最近、メディアを賑わせている兵庫県知事のことが思われてならなかった。
彼も形勢絶対不利にもかかわらず、「兵庫県知事だ!」と言い張って辞任しない。
この岩のような信念はいったいどこからくるのだろう?
政治の世界のことは別として、アントニーナが離婚に応じなかった理由を考えてみると、
- 愛は常に正義だと思っていた。
- 天才作曲家の妻という地位にこだわっていた。
- 「いつの日かあなたに愛される愛の奇跡(注:ヒデとロザンナのヒット曲)」が起こると信じていた。
えーと!ほかに何かある?
まったくその愛、もうちょっとなんとかならなかったものか?
アントニーナとチャイコフスキーに言いたいこと
史実かどうかはちょっとわからないのだが、アントニーナは音楽に理解がなかったわけではない。
チャイコフスキーの作品を愛し、映画中ではピアノ曲「四季」から「1月 炉端で」を弾いて「彼の作品なのよ!」と嬉しそうに自分の家族に自慢していた。
あ~ ファンだけにしておけばよかったのになぁ、と思う。
そしてチャイコフスキーには
「そもそも女性と結婚したのが悪い! ゲイ(芸)の道一直線であるべき!」
と言いたい。
きっと本人もわかっているだろうけど。
1877年のチャイコフスキー夫妻