itachi_nanoのブログ (original) (raw)
はじめに
和歌山県立図書館所属の「普通運賃表粁程表」より、1985年12月1日改定時点。
この資料の構成は以下の通り。
- 距離と運賃、運賃と定期運賃の関係
- 全路線の運賃表・粁程表
- 「ダイヤ改正による変更ヶ所」としていくつかの路線の変更点
- いくつかの路線の運賃表・粁程表
なお、3で示されている「ダイヤ改正」の時期は不明。また、明言されていないが2についてはダイヤ改正前のもの、4についてはダイヤ改正後のものと思われる(以降の記述もそれを前提とする)。
記号の意味は以下の通り。なお、ある系統で記載されている停留所が、別の系統では記載を省略していることがあるため注意。
- 「A~B~C」:Aを起点、Cを終点とし、Bを主な経由地とする。なお、主な経由地については、資料中には記載されておらず、筆者が選択したものである。
- 「A=B」:AとBが隣同士の停留所であることを示す。
参考:遡れる中で最古の和歌山バス路線図(2002年4月1日、Wayback Machine):https://web.archive.org/web/20030211024235/http://www.cypress.ne.jp/wabus/wakanavi/rosen.htm
和歌山市内線(1-3ページ)
- 国鉄和歌山駅~公園前~県庁前~競技場前~藤白浜
- 和歌山市駅前~公園前~県庁前~競技場前~藤白浜
- 和歌山市駅前~本町2丁目~国鉄和歌山駅
- 和歌山市駅前~公園前~県庁前~不老橋~新和歌浦
- 国鉄和歌山駅~公園前~県庁前~不老橋~新和歌浦
- 和歌山市駅前~公園前~県庁前~浜の宮~紀三井寺団地=室山口=室山団地=室山=智辯学園前
- 日限下~冷水
紀三井寺線(4)
市内雑賀崎循環線(5)
屋形線(6)
「ダイヤ改正による変更ヶ所」より、屋形町~新堀橋間のルートを変更(環状支線休止の代替と思われる)。
- 変更前:和歌山市駅前~ブラクリ丁~屋形町~新堀橋~塩屋~新和歌浦
- 変更後:和歌山市駅前~ブラクリ丁~屋形町=屋形町5丁目=島崎町2丁目=雄松町3丁目=汐見町=三沢町4丁目=白樫橋=新堀橋~塩屋~新和歌浦
- 和歌山市駅前~ブラクリ丁~屋形町=雑賀道=広瀬中の丁=雄松町3丁目=島崎町2丁目=屋形町5丁目=屋形町~ブラクリ丁~和歌山市駅前
西浜新和歌線(7)
「ダイヤ改正による変更ヶ所」より、東長町県庁前系統はダイヤ改正により休止路線に。
環状線(8)
「ダイヤ改正による変更ヶ所」より、舟津町~築地橋間が環状支線のルートに変更(環状支線休止の代替と思われる)。
- 変更前:和歌山市駅前~貝柄町~国鉄和歌山駅=美園町=田中4丁目=大橋=広瀬中の丁=雄松町3丁目~築地橋~和歌山市駅前
- 変更後:和歌山市駅前~貝柄町~国鉄和歌山駅=美園町=田中4丁目=大橋=広瀬中の丁=雄松町3丁目~花王工場前~築地橋~和歌山市駅前
環状支線(9)
「ダイヤ改正による変更ヶ所」より、ダイヤ改正により全線休止路線に。
- 変更前:和歌山市駅前~貝柄町~国鉄和歌山駅=美園町=田中4丁目=新留町=海草橋=汐見町=三沢町4丁目=白樫橋=新堀=堀止=小松原5丁目=東長町11丁目=商業高校前=砂山=土佐町3丁目~花王工場前~築地橋~和歌山市駅前
築港線(10)
岡崎線(11)
「ダイヤ改正による変更ヶ所」より、ダイヤ改正により岡崎団地方面と交通公園方面を分離。
- 国鉄和歌山駅=美園町=木広町=吹屋町=田中口=向陽高校前~東中学校前~岡崎~安原
- 変更前:和歌山市駅前~本町2丁目~国鉄和歌山駅=美園町=木広町=吹屋町=田中口=向陽高校前~井辺~岡崎団地~交通公園
- 変更後:和歌山市駅前~本町2丁目~国鉄和歌山駅=美園町=木広町=吹屋町=田中口=向陽高校前~井辺~岡崎~交通公園
- 変更後:和歌山市駅前~本町2丁目~国鉄和歌山駅=美園町=木広町=吹屋町=田中口=向陽高校前~井辺~岡崎団地
鳴神線(11)
和佐線(12)
木の本線(13)
延時線(13)
楠見線(13)
- 和歌山市駅前~北島~粟~鳴滝団地
島橋線(13)
六十谷線(14)
- 和歌山市駅前~梶取~鳴滝団地~川永団地
御膳松線(15)
- 和歌山市駅前~北島~住友正門前~御膳松
和歌山駅御膳松線(15)
紀三井寺御膳松線(16)
「ダイヤ改正による変更ヶ所」より、ダイヤ改正により全線休止路線に。
深山線(17)
- 和歌山市駅前~深山
冬野線(18)
亀川線(19)
「ダイヤ改正による変更ヶ所」より、ダイヤ改正により国鉄和歌山駅発着に。
- 変更前:和歌山市駅前~本町2丁目=京橋=公園前=岡山町=屋形町=雑賀道=大橋=田中4丁目=木広町=吹屋町=田中口=向陽高校前~亀川~横山~海南駅前~藤白浜
- 変更後:国鉄和歌山駅=美園町=木広町=吹屋町=田中口=向陽高校前~亀川~横山~海南駅前~藤白浜
塩津線(20)
- 加茂郷駅前~戸坂
仁義線(20)
- 加茂郷駅前~仁義
橋本線(21)
岩出御膳松線(22)
- 岩出団地=外野=消防組合前=岩出営業所前=大宮~北新橋~ブラクリ丁~御膳松
紀伊粉河線(23)
紀伊岩出線(24)
「ダイヤ改正による変更ヶ所」より、ダイヤ改正により和歌山市駅前~紀伊駅前間が休止路線に。
山口線(25)
川永線(26)
動木線(27)
黒川線(28)
「ダイヤ改正による変更ヶ所」より、ダイヤ改正により神田~黒川間が休止路線に。
四郷線(29)
「ダイヤ改正による変更ヶ所」より、ダイヤ改正により全線休止路線に。
- 変更前:那賀営業所前~那賀中学校前~名手下~北川~四郷
笠田線(29)
- 笠田駅前~北川~四郷~東谷
竜門線(30)
「ダイヤ改正による変更ヶ所」より、ダイヤ改正により全線休止路線に。
- 変更前:粉河駅前~竜門~遠方
川原線(30)
- 粉河駅前~秋葉前~川原
志賀線(30)
- 笠田駅前~上志賀
余談
終わりが分かりにくいので余談を挿入。和歌山県立図書館は私の知っている中で唯一南海時刻表が全部読める場所なんですよね。いい場所だと思います。
きっかけ
こちらは、以前の和歌山バス那賀のWikipedia記事である。
この、「廃止路線・系統」のうち「地域分割子会社化以前」の項に以下のように記載されていた。
・川原線:粉河駅前 - 川原
・1990年代前半の廃止。
一方、日経テレコン(大きめの図書館で見れる)を検索したところ、以下の記事があった。
1991/7/19 「和歌山バス、8路線を子会社に譲渡 -経営再建へ効率化。日経産業新聞」
その内容として、和歌山バスが、3月に分離した子会社の和歌山バス那賀に、橋本線など 8路線、約 130km を譲渡し、同年8/1より子会社での運行を開始すると記述されている。
……8路線? 当時あったと思われる路線を数えてみる。紀伊粉河線、紀伊岩出線、山口線、橋本線、笠田線、志賀線、粉河熊取線……1つ足りない。もしかしたら川原線は分社化後に廃止されたのではないか。そう思っていたところ、X(旧Twitter)で以下のような投稿が流れてきた。
https://x.com/nankai1201/status/1748276962056196135?t=B_wP3NzqzD2fLBRLxT7cQA&s=19
この写真の中に、「940401」という日付らしき数字が書かれていた。これが1994年4月1日の意味だとしたら、やはり川原線は分社化後まで残っていたのではないかと思い、調べることとした。
調べた資料
紀の国時刻表
和歌山県内の1997年7月時点での鉄道・バス・飛行機・フェリーの時刻表が記載されている書籍。特に路線バスの情報が貴重である。
以前図書館で読んだときに、和歌山バスの部分のページをコピーしていたのでそれを見返してみた。すると、「方向幕一覧表」があり、笠田線や志賀線は掲載されていたが、川原線は掲載されていなかった。そのため、1997年7月時点で廃止されていたのではないかと推測した。
粉河町史
第2巻以降はNDLにあり、自宅から閲覧できる。第1巻のみ図書館に出向いて読んだ。川原線の廃止時期についての情報はなかった。
町勢要覧こかわ
粉河町史で出典として用いられていたことから、和歌山県立図書館で閲覧したが、粉河町史に掲載されている以上の情報はなかった。
和歌山新報(現・わかやま新報)
和歌山市エリアを中心とする地方紙である。1994年4月〜12月分を読んだものの情報はなかった。1年分を読むのに4〜5時間はかかるため、1995年以降の調査は保留した。
粉河町議会会議録
インターネットで公開されていなかったため、合併後の紀の川市に連絡をとり閲覧する機会をいただいた。結果、以下の記述を見つけることができ、川原線の廃止時期が1994年であることが判明した。
川原線の廃止年度に関する記述
粉河町は川原線に対して「地方バス維持対策費補助金」を支出していたため、議会でも同補助金に関して質疑応答が行われていた。なお、地方バス路線運行維持対策補助については下記のリンク先が詳しい。
https://regional-transport.dev/archives/743
1993.12.16 平成5年度第262回粉河町議会定例会議事録(第2号) 日程第5議案第56号 平成 5 年度粉河町一般会計補正予算(第 4 号) P46-47
質疑:川原線は乗車密度が下がっており、中ノ才以下川原地区の関係者の陳情で維持している。橘橋(引用者注:西川原と東川原の間の川に架かる橋)ができたことにより東川原から野上へ抜けて名手へ抜けて営業所を一周する路線の提案もあったが、なかなか路線を変えるのは難しい。もう一つの見切りをつけて方法論を考えるべきではないか。
答弁:平均乗車密度は1.2人であり、第3種路線となっている。今後の予定について、「1年で廃止ということで、このまま行ったらもう廃止」と述べられている。
1994.12.15 平成6年度第267回粉河町議会定例会議事録(第2号) 日程第6 議案第67号 平成6年度粉河町一般会計補正予算(第3号)
質疑(P27):「地方バス補助金145万円と出ておりますが、これは恐らく川原線も廃止になったというのも聞いておりますし、(後略)」と述べられている。
答弁(P28):「(前略)、現在廃止になっている川原線についてのものでございます。あの路線につきまして、決算年度が今年の9月30日以前1年間、そういう決算年度になっておりまして、その欠損額が291万5,060円(後略)」と述べられており、欠損額について、県で半分、町で半分を支出すると述べられている。
あとがき
これにより、Wikipediaを編集し、川原線の項を「地域分割子会社化以降」に移行した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E3%83%90%E3%82%B9%E9%82%A3%E8%B3%80
なお現在、川原地区に向かうバスとして、紀の川市地域巡回バスの川原西脇コースが運行されている。
貝塚市議会令和6年第2回定例会の一般質問において、市側が航空写真により、建物が1981年6月以降の建築であることが確かめられるため、その建物は一定の耐震基準を満たしていると判断したことに対し、議員が反対した場面があった。この記事ではこのことに対して記述する。
建物の建築時には、建物が建築基準法に適合しているかの審査を行う必要がある。建物を建てる前に「確認申請」、建物を建てた後に「完了検査」を行う他、建物によっては「中間検査」も必要である。
今までに建築物の耐震基準にはいくつかの改定が行われている。特に1981年5月31日以前の確認申請では、いわゆる「新耐震基準」が適用されておらず、十分な耐震性が担保されていない(1981年6月1日以降に竣工した建物でも、確認申請が5月31日以前の場合は同様)。
しかし、1981年6月1日以降に確認申請を行った建築物でも、必ずしも耐震性が担保されているとは限らない。2000年ごろまでは完了検査が行われていない建築物も多く、手抜き工事などにより十分な耐震性が確保されていない可能性がある。また、新築時には十分な耐震性が確保されていたとしても、現在までに建物が劣化している可能性もある。
これらを踏まえると、建物が1981年6月以降の建築であっても、必ず耐震性が確保されているとはいえない。ただし、耐震性が確保されている可能性が高いのは事実であり、それらの建物の耐震性能の確認を行わず、より優先度の高い政策を行うという判断も理屈は通る。最終的には、各政策の優先度をどう考えるかという政治判断が関わることとなる。
参考リンク