はなくそモグモグ (original) (raw)

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東京都知事選2024を経て、思ったことを書く。

まず全体的な結果としては個人的には良い傾向に見えた。

一部の人間は「ポピュリズム」だの「雰囲気で選んでる〜」だの抜かしているが、それは心の解像度が低いからである。

党派性を差っ引いて俯瞰して投票行動を観察すれば自ずとその意味は見えてくる、今回はそれについて記していこう。

まず、今回の立候補者全体に言えることだが、

面接官「それウチじゃなくてよくない?」

である。

自民サーの姫こと小池百合子と活動家サーの姫こと蓮舫はさておき、

それ国政でいいじゃんの石丸伸二、田母神俊雄、内海聡、桜井誠。

オンブズマンか会計監査員でいいじゃんの暇空茜。

デジタル庁の顧問か行政官僚でいいじゃんの安野貴博

それぞれの活動や特技を活かせるようなポストが他にあるだろ。と言わんばかりの公約や前歴の数々である。

それを裏付けるのが、各々の公約である。

一応ネットで公開されている文書形式のものは斜め読みで目を通したが、どれも実行可能性に欠けるし、都知事である必要性もほとんどない。

また、東京という社会がどうあるべきかの理念に欠ける。

(「安野は?」と聞かれそうだからあらかじめ蓋をしておきますが、安野貴博の公約を含めてなおこの感想である。)

しかしながら、有権者の投票行動は比較的「順当にまともになっている」と感じた。

これは立候補者過去最多の56人という選択肢の多様化による影響もあるだろう(まぁ立候補者が多い実態はNHK党による立候補水増しによるものが大きいが)

具体的にどう「まともになっているのか」と反論のコメントを準備中の方もいるかもしれない

それについて詳しく説明する。

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生得的に知能指数が低い人間は、趣味の程度も低くなりますか?
あまり頭を使わずに済み、単純でプリミティブな刺激による精神の高揚をインスタントにもたらすようダミングダウンされた、インチキで陳腐な娯楽の類しか楽しむことができないのでしょうか。

一生それじゃあんまりなので「安くても楽しめるグルメ」「ジャンク品のすごい活用法」みたいなノリで「低IQでもできる知的生活の方法」というテーマの指南書があっても良いんではないかと思っています。

「境界知能をどう支援するか」みたいな本はすでにたくさんありますが、「社会になんとか適応させる」という専ら実利的かつ初歩的な視点に留まらず、彼らが知的にも精神的にもそれなりに豊かで尊厳ある生活を送れないだろうかということを話題の中心に据えた議論は寡聞にして十分になされていないと感じます。

知能指数が低い人間は、趣味の程度も低くなると思いますか?... | マシュマロ

回答が1000文字を超える予感がしたので記事にしています。

僕のファン?は長ったらしいマシュマロ回答もちゃんと読んでくれている傾向にあるので、さも当たり前かのように過去の回答を引用します

例えば「難しい」というワードを意識的に使わないようにしています。 なぜなら「複雑である」「処理が追いつかない」「前提知識が足りない」等に細分化できるからです。しかし、理解できないものを「難しい」で片付けてしまう人は多いです。 そこを深掘りして細分化する習慣の違いは体感しますね。 僕はこれを「心の解像度」と読んでます。

ざっくりとした質問で恐縮ですが、ぎ〜くさんの考察力はどのようにして培われたのでしょうか。 | マシュマロ

この考え方でいくとこの質問には不明瞭な変数が二つあると思います。

知能指数が低い

趣味の程度も低くなる

まず「趣味の程度」という変数、僕はなんとなく

「アウトプット型>インプット型(異性への性欲を伴うのが最底辺)」

と趣味に勝手に優劣をつけてますが、質問者さんとその価値観を共有しているとは限りません。

また世間一般では消費(インプット)型の趣味を持ってるのが多数派なので、「趣味に優劣なんてない!」というポジショントークの多数決が一般的かと思われます。

なので高尚な趣味は何か、低俗な趣味とは何を指すかが分かりませんでした。

ただ、その下の「プリミティブ(原始的)な刺激」という表現からテレビ(またはYoutube)やパチンコ、ポルノ的なものを想定しているのだろうと推察しました。

ただその反対概念、つまり何を高尚な趣味に置くかは読み取れませんでした。

次に「知能指数」ですが、これも曖昧性を多分に含む表現だと思います。

例えばアウトプット型、つまり創作系の趣味を僕は上に位置づけていますが、

IQ70の方が作曲、動画編集、サムネ作りに勤しんでいるケースもあるわけです。

ここだけをまとめると「知能指数が低くても趣味の程度は別に低くない」という結論に僕は至ってしまいますが、おそらく質問者さんの言いたいことではないかと思われます。

ここからは推察になってしまいますが、知能指数の指す実態は「理性」ではないでしょうか。

「インチキで陳腐な娯楽」の正体は、マインドハック(ソシャゲのログボ的な精神依存)と身体ハック(タバコのニコチン)で

それに負ける人間というのは「知能が低い」ではなく「理性を捨てている」ということではないでしょうか。

で、この「理性を捨てている」というのは知能指数と相関があるのでしょうか?僕はそうは思いません。

僕は頭を使うことが娯楽なタイプなので一日中「考える」という行為を楽しめますが、ボードゲームをやっていると「頭を使うのに疲れた」といってやめる相手がいたり、僕が薦めるゲーム等を「遊びにまで頭を使いたくない」と拒否する知人など、「考える」という行為を拒絶する人間はままいますが、僕より社会的地位が高かったりすることは全然あります。

これは別の論点で「思考(集中)の時間配分」という概念の話になってきますが、要は学業や仕事のような世俗接続行為に思考のリソースを割き、可処分時間はむしろ頭を溶かして過ごす。というメリハリを持っている人間は多い、というかそれが普通の感覚のような気がします。

僕は仕事は手抜いて、遊びはガチでやるものだと思っているので相容れない考えですが。

話が逸れた気がしましたが、ここまでで「趣味の程度が低い」ことは「知能指数が低い」ではなく「理性を捨てる」ということと関係していることを示しました。

そして「理性を捨てて」趣味と向き合うことは、知能指数とは関係がないことを示しました。

まぁ知能が低いと「理性を捨てた低俗な趣味」しか選択出来ないので、ある程度は相関があるかもしれませんが、知能が高いと「低俗な趣味」と「高尚な趣味」を選べ、前者を選択する人間はかなりいると推察されるため、やはり知能とはあまり関係がないと言えるでしょう。

もっと言えば「高尚な趣味」(それがなにかわかりませんが)を選択してなお、知能が低ければ魅力を最大限捉えることはできないでしょう。

また、知能(or技術)があれば「低俗な趣味」から知をマイニングすることも出来ます。

工口マンガ統計という同人誌は、工口同人誌という「低俗な趣味」を数千冊サンプリングしてガチの統計学的な手法を用いて考察されています。

つまり、知能が高ければ高尚な趣味だろうが低俗な趣味だろうがそこに《意味》を見出しますが、知能が低いと趣味の高低に関わらずファッショナブルな消費しか出来ないのではないでしょうか。

「低IQでもできる知的生活の方法」というものはNULLであり、知的生活ができるからnot低IQなのです。

僕はそう思いました。

どうも、最近新興宗教の教祖になりたい男、ぎ~くです。

マシュマロをTwitterに置いたら、フォロワーが100人程度しかいないにもかかわらずそこそこ質問が来るのでアウトプットのトレーニングになって助かってます。

日常的に思い浮かぶ諸問題について、わりと僕は結論を自分の中で出す方なので、同じテーマを聞かれたときには既に答えを用意してある。みたいなことがよくあったりします。

ですが教養のない教養主義者である私には当然全く知らないテーマ、考えたこともない議題はいくつもあります。それでも一応それっぽい答えを出して回答していますが、それを俯瞰して「こいつ口八丁で適当コいてんなぁ~~」と思いながら自分を見ています。

陰謀論見るの好きなので「芸術作品を汚す環境活動家達は石油会社に雇われたペイドアクター(やらせ)」だという説を45.45%くらい信じてるんですけどぎ〜くさんは彼らについてどう思いますか?

marshmallow-qa.com

今回頂いた質問がまさにそうです、いわゆる環境左翼(環境カルト)がどのような利害関係をもって行動しているか。については面白いテーマではありますが、自分は考えたこともありませんでした。

「芸術作品を汚す環境活動家達は石油会社に雇われたペイドアクター(やらせ)」か否かについては、質問者さんには申し訳ないですが、個人的には何ともおもいません、正直どっちでもいいです

ならばせっかくなので、僕が普段どのようにして答えを導いているのかに着目して、思考をトレースしていこうかなと思い立ちました。

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1994年に遺書を執筆してから約20年間今もなお老衰による自穀を試みている超人気某お笑い芸能人松本人志

最近では文春による性加害報道により耳目を集めている。

センテンススプリング考察系ブロガーとしてはこの件は取り上げなければならないという使命感から、当社独自の情報収集を織り交ぜた調査報告をここに書き記す。

※当記事では国家や国連が隠蔽していた寄生生物Xに関する情報を含むので、頭にアルミホイルを巻き付けてからの閲覧を推奨いたします。

※また、吉◯興業株式反、えー・・・株式会社様につきましては本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するこの記事事に対して取られる法的措置に関して、センテンススプリングの方を訴えることで溜飲を下げていただくようお願い申し上げます。

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尊属殺で処刑となったベアトリーチェ・チェンチ(1599)

発端はこれなんですよ

母という呪縛 娘という牢獄

滋賀医科大学生母親殺害事件で、娘→母の尊属殺人です。

教育虐待を受け、娘に超難関国立大医学部への進学を強要し、9年にわたる浪人生活をさせていた母を殺害したというもの。

犯行直後のTweetが有名です。

モンスターを倒した。
これで一安心だ。

— ぽん太のおかん (@okanofponta) 2018年1月19日

僕はこの件を調べてから、尊属殺(子供→親)、卑属殺人(親→子供)の量刑の差について疑問に思ったんですね。

で僕の結論は、1968年の栃木実父殺し事件以降死文化し、1995年に削除されたはずの刑法200条の尊属殺人の重罰規定の効力が何らかの間接的に作用しているのではないかという仮説です。

これを学術的に検証している文献を漁ってみたりしたのですが、それらしきものは見つからずじまいで、法学者の見解を伺って機を狙っていました。

つまり、センセーショナルな事件や判決が起きたニュースの引用リポストで着火させて議論を産み、専門家が発信したくなるような結果になれば良いと思ってただただ待つ日々です。

これは僕の最近の関心で、法学者にガチで研究して欲しいテーマなんやが(既にありそうだけど)
親殺しは懲役24年で、母の子殺しが執行猶予なのを見るに、量刑には尊属/卑属殺人の法理がまだ残ってるってことだと思うんよね
97年に尊属殺の加重規定が削除されたにも関わらず
ということは https://t.co/qwsbioGy1k

— ぎ~く (@kusonote) 2023年9月16日

ある法律Xに基づいて出した判決A(量刑)は、法律Xが効力となって決められていると
しかし法律Xを撤廃・廃止したとしても、判決Bが判例Aを参照して決められる以上、判例Aの根拠となる法律Xの効力の出汁が滲み出ることになる

理想は判例Aから法律X分の効力を引き算した判決Bを出すべきのはず

— ぎ~く (@kusonote) 2023年9月16日

つまり親殺し子殺しにも同じことが言えて、尊属殺の加重規定は条文から削除されたにも関わらず、過去の判例を参照して判決を出すという性質上、
結果的に親殺し>子殺しの判決が出てしまう

この廃止済みの法律から出た出汁をどう求めるのか、どう引き算するのかって
法律家の議題になってるんかね

— ぎ~く (@kusonote) 2023年9月16日

そういう経緯で、差し込めるタイミングが見つかったので投下してみましたと。

「ということは」を語尾につけて、続きををタップさせようとする小賢しい手を使いながら、なんとか目につくようにしようという浅ましさが見て取れます。

ただ、結果としては不満なんですよ。

法学生とか法学者の1人や2人釣れるかなと思って、リポスト(以下、RP)したアカウントのTLを監視しにいったりしてたんですが、その気配はなく。

RPしたアカウントのTLとかも監視してたんですが、それが出来ないくらい数が多くなってきたタイミングで引用RPも除いてみたら・・・

クソみたいなバカしかいなくて萎えてます😔

バカを相手にしてイライラしているホリエモンの気持ちとシンクロしてる

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フェミニストの本質とは、トランスティーンエイジである。

彼女らは建築をしない、エネルギー開発も革命闘争も漁業も林業もそのための科学、技術、工学、数学も学ぼうとしない、そもそも働いてもないかもしれない。

だが彼女らは言う「私を一人の人間として尊重しろ」と

これは衣食住が親の金でありながら「自分の意見を尊重しろ」とゴネる思春期の少年少女と同じである。

あとはこれを誰が言うか、ただそれだけの問題なのだ。

どうも、マンスプレイニングモンスター、ぎ~くです。

今回も元気に2万文字のマンスプを行っていきたいと思います。

映画、バービー観た。最初の方はお洒落だし可愛いし笑いながら観てたけど後半になるにつれてだんだん冷めていった。なんか強烈なフェミニズム映画だった。男性を必要としない自立した女性のための映画。こんなの大ヒットするアメリカ大丈夫なの? pic.twitter.com/hNqkOQy0By

— 奥 浩哉 (@hiroya_oku) 2023年8月11日

先日このような感想ツイートが炎上し「それの何が問題なんだよ、文句あっか?」と袋叩きに合っていた。

この映画はフェミニズム礼賛映画だと、女性を始めとして多くの映画評論家などもそのような感想を発信していたため、僕は興味がなかった。

漫画『テコンダー朴』原作者でもある人権派義士・白正男先生に、人権派映画『バービー』を観に行っていただくようお願いしました。

— 実話BUNKAタブー編集部 (@BUNKA_taboo) 2023年8月22日

しかしそこから評価は一転し、いや一転はしてないか、テコンダー朴とは卑劣なチョッパリから差別と暴力を受けている韓国人が人権を取り戻す政治バトル漫画であるが、どうやらバービーはこの高尚な作風と同じ方向性を持っているらしいということだ。

一方ではフェミニズム礼賛映画、もう一方ではテコンダー朴、

この量子的重ね合わせ状態は観測によって確定するしか無い。

そう思い、本作品を見ました。

えー、神映画です。

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頂いたマシュマロに回答しようと思ったのですが、1000文字を超えてしまったので記事にしました。
文字数制限とか伏せ字機能とかが鬱陶しいので、暇があれば今後何らかのQAシステムを自前で作って代わりに設置しようかと思います。

ぎ〜く兄貴は成人と未成年の恋愛(同意の“行為”を伴う)についてどう思われますか? 特にその未成年は諸々の知識に対して少なくとも無知ではなく、自ら成人の相手を求めている場合について見解をお聞きしたいです

https://marshmallow-qa.com/messages/bd2cde93-87da-4cf8-8858-b3a82bcabf24

欧米の人権意識では
「性的同意能力がないから強姦と同じ」
という論旨で未成年淫行も獣姦も意識で虐待とされるのですが
前提として個別事例では未成年も動物も合意能力があるケースは存在すると僕は思います

この「個別具体的には同意能力があるケース」と、それを全体として公平な法を適用するミクロマクロの合成の問題が一つあると思うんですね

したがって問題を切り分ける必要があります

①未熟な心をハックする性犯罪者を排除する問題
②未成年の自由意志の問題

まず「性交渉について未成年とは一律禁止」となっているのは、①のリスクを排除するためですよね。
なので社会学的、心理学的に合意形成ができているので不問とするといった例外を作ってしまうと、それをハックするやつが現れるので全ての穴を塞ぐと

ただこれは本来、判断能力が未熟な子供に変わって家族や近隣住民がその関係の是非を判断するという慣習が元々あり、

それが明文化する過程で「未成年でも結婚を前提としていれば16歳くらいとはセーフ」みたいなのがコモンロー的に残されていたり、その是非を親が被害届を出せるという点においても、地域社会が当人の将来性などを鑑みて判断をするという伝統が反映されています。

しかしながら法治社会が進む関係で地域社会の繋がりが空洞化したことや、またフェミニズムやネオリベラリズムにより、本人自体の主体性が家制度を超えて尊重されるべきという個人主義の拡大によって、本人の性体験や恋愛関係の変遷が家族や地域社会に共有されないということが起こります。

(田舎にすぐ噂が広まる的なのはこの逆と言えますね)

つまり、「性欲で近づいてきた大人」か「誠実に関係を育みたい大人」かを判断していた地域の繋がりの代わりに法がそれを統治するわけですが

法というものは個別具体例を解像度高く拾えるものではないので、一律に成人−未成人のセックスを一律に禁ずるという雑な処理になっていると

ではそもそも論、地域が判断を代行するほど未成年には性的なものを含めた合意形成能力が無いのかと

そこで②の問題ですが、未成年者の「中には」しっかりした、ちゃんとした合意形成能力がある人間もいます。僕がそうでした(確信)

ただそれを全体に拡張して良いものかという問題ですよね。

でこれを「自己決定権をある属性に認めるべきか」という人権や自由意志の問題として議論するために話がややこしくなっている気がするのですが

僕が思うのはそもそも先進国の法律が自由意志や自己決定権を尊重するように作られてるようには思えないんですよね。

つまりですよ、「未成年に自己決定権を認めるべきか?」の問いには「成人には自己決定権が十分に認められている」という前提が内包されていると思うのですが

成人に自己決定権が認められているなら一夫一婦制になってるのはおかしいじゃないですか。

人権思想を貫徹するならば、本人の自由意志と責任に基づいて婚姻契約は人数無制限に結べるようになってないと筋が通らない

これがキリスト教的な価値観由来であっても、日本で一夫一婦制にする理由はありません。

つまり法理としては当人の自己決定権の上位に何らかの国家の論理が規定されていると考えるのが自然です。

僕が思うに、これは強者オスによるメスの独占を防ぐためにあると思うんですよね。f:id:zaqmju7:20230815031021j:image

これはナンパ界隈で良く使われる図ですが、基本的に本能に規制をかけず無秩序な自由恋愛市場では、強者オスがメスを独占します。

これは他の動物を見ても概ねこの構造です。

つまり、個々人の恋愛関係やその判断には理性があるとみなしても、マクロではこの結果に収束してしまうということです。

フェミニズムはそのアンサーとして女性らしさの解体をすることで、男性が女性の性的魅力で恋愛対象を決めてしまうことを加害とし

「一人の人間として」というワードが良く使われますが、要するに↑図のような本能をメタ認知して理性的にパートナーを選ぼうとさせることで、上記のような性的資本格差を是正しようとします。

しかしながら「その逆」、女性の側が自分の本能をメタ認知し、男性をステータスに関わらず「一人の人間として」パートナーに選ぶことをしないので、

勘のいい男は「男も男らしさから開放されてもいいよ」という言説を本能的に疑っているという囚人のジレンマ状態になっています。

つまり西洋哲学的な超人思想(本能を完全に御する理性)によって、上のような寡占状態を是正できれば、それは理念のある社会による思想的解決になるわけですが

昨今の社会ではそのような強い人間を量産して社会を良くするという構造が作れないことが分かったので、現行の婚姻制度を強化するしかないわけです。

そのために必要なのは「多くのメスを独占しうるオスが恋愛市場から退場してもらうこと」で

これを達成するために一夫一婦制が個人の自己決定権を超えて法として規定されている。というのが僕の理解です。

一夫一婦制には他にも合理性があって、

他の動物は本能的なフェアネス精神か、何故かオスとタイマンで決闘して負けたら潔く退場するという物分りの良さを持っています。

しかし、本能を理性でハックできるサピエンスはある種バグのような挙動を行うことが出来ます。

つまり、タイマンで勝てない恋愛競争に負けたオス同士が団結して独占オスを闇討ちorリンチして倒すことで物理的に恋愛市場から退場させることが出来てしまいます。

原初的な社会では物理的な手段ですが、高度に発展した社会でも経済的、物質的にモテる男を無力化する事ができてしまいます。

その排除にリソースが使われてしまうと遺伝子的にも社会的にもロスが大きいので、一夫一婦制で溜飲を下げているのが現状でしょう。

話が逸れましたが、要するに恋愛関係や性的関係における自己決定権に関する法律には「モテ資源の格差是正」という法理が存在するのではないかというのが重要な論点だと僕は感じています。

その観点から行くとお見合い制度はモテ資源のベーシックインカムと言えますし、逆にマッチングアプリはそのようなモテ資源格差是正の法律をすり抜ける「税を補足出来ない仮想通貨」のような側面を持ちます。

そこで未成年−成人の恋愛関係の話に戻すと

これは結婚した男女の収入別の棒グラフですが(年収◯◯のXが年収✕✕のYと結婚した)

男性側には自身の年収による相手の年収の相関は認められず、女性側は明確に自分よりも収入が高い男性を選んでいます(年収1000万ならそれ以上の男を望む)

女性の本能としては恋愛対象となる男性への評価は相対化されるということがわかります。

つまり、未成年−成人の恋愛関係を肯定した場合に起きるのは、未成年同士の恋愛に生態系の破壊のような影響を与えうるということです。

皆さんも学生の頃に経験があるのではないでしょうか、「こいつどう見ても同年代同士だったらチー牛扱いだろ」みたいなメガネを掛けてのっぺりした髪の運動出来なさそうなヒョロガリ教師が常に数人くらいの女子を囲い込んでるみたいな状況を

または「同年代の男は子供っぽいから無理」とか言って教師に求愛し続ける女子を

つまり「女は格上を好む」という本能がある以上、未成年−成人の恋愛関係を認めてしまうと未成年間のモテ資源の価格破壊が起きてしまいます。

したがって未成年同士のモテ資源格差是正の法理をもって「未成年淫行」が規定されていると僕は推察します。

未成年に性的合意能力がないということだけが法理ならば、未成年同士の性交渉も制限されるべきですが、そうなっていないのは

やはり未成年同士の恋愛市場を公正化する法理があると考えるのが自然かと。

このように、個別具体的に未成年者が理性を持って相手を選び成人と恋愛関係になるケースはミクロでは存在しそこは否定しませんが

やはりマクロ視点でみた時は、未成年同士の恋愛市場で価格破壊が起きるため、それは全体として良い結果をもたらさないので

この未成年同士の恋愛に起こりうる悪影響をどう評価するかじゃないですかね

僕はその影響は問題があると思うので「社会的には」認めないという態度を取って成人を格上として認識しないような環境づくりは必要かなと思います。

表面上は道義上悪としてのブランディングは継続しつつ、裏でこっそり恋仲になるくらいがちょうどいいのではないでしょうか。