kyara-oの日記 (original) (raw)

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今回は、兵馬俑の続きと、華清池と西安事件ついて書く。

まず下の兵士を観ていただこう。

兵馬俑兵士坐像

兵馬俑の中で、お気に入りなのが、この像で、兵士が片膝をついて、半身に構えているリアルなイメージは、とても紀元前のものとは思えない。今にも動き出しそうなほど見事な造形である。

後者の〈華清池〉は

「温泉水滑らかにして凝脂を洗う」

なる『長恨歌』の詩文で有名な、世界三大美女の一人、楊貴妃が湯浴みをした温泉池である。

もう一つ〈西安事件〉は、日本であまり馴染みがない。かいつまんで言えば国民党の蒋介石が、関東軍に追われて逃げのびたところがここで、これは中国で何度もドラマになっているのだ。

西安といえばなんといっても兵馬俑だ。これは中国観光でも五本指に?数えられる観光地だ。そこへ行ってきた。

兵馬俑は西郊賓館の食堂の入り口にも、多分本物が置いてあった。ひょっとしたら江青女史も、入り口にそれを見ていただろうか。

それはさておき、会場の駐車場がとにかく広かった。以前に来た時の何倍にもなっていたようだった。

国慶節の休暇が終わったばかりだから、観光客は引いていて、少なかった。

ここでは何と言っても兵馬俑、中国観光の五代目玉の一つに数えられる観光地で、これを観ないわけにいかない。

ここへは二度目になるが、以前と比べてずいぶん広くなった。

発掘した兵馬俑の数が飛躍的に多くなっているようだ。

建屋がいくつも増えていた。

この出口の近くで、ランチにビャンビャン麺を食べた。お茶が一個二百四十元(日本円で一千円)もした。食事の値段に比べるととても高い。

ランチの後、城壁を歩いて、そこから西安碑林を見学する。

そのあと地下鉄に乗る。

同じホテルで宿泊。

25Apr04

空旅も目的地に近づいて、夕闇が迫るころ、空港に近づいた。

すると、眼下に煌めく都市の光が飛び込んできた。

中国大陸に飛行機が入ってから、見える大地はずっと単調だった。

どこまでも広がる、黄土高原といったらいいのか、禿山の黄色い大地が拡がるばかり。

時々うねる水の流れは黄河だろうか、それぐらいしか惹きつけられるものがなかった。

西安の上空へくると、景色は一変した。

煌びやかな街あかりが大地を浮き上がらせるように輝く。

飛行機は大きく拡がる街の明かりを楽しませてくれる。

ゆっくりと大きく、光る大地を眼下に旋回した。

空港で入国の手続きを済ますと、待っていた車に乗り込んだ。

光の筋になっている道路のヘッドライトは、大きな竜となっている。

数ある道路の一つを私たちは走り出した。

夥しい交通量とともに、車列は都市へと吸い込まれていく。

そのうちに長く続く城郭の石垣を左に見て走るようになった。

やがて角を曲がるとホテルに横付けされた。

あくる朝、西安のホテルを出たら、車で兵馬俑へ向かう。

ここへは二度目になるが、以前と比べてずいぶん広くなった。

発掘した兵馬俑の数が飛躍的に多くなっているようだ。

建屋がいくつも増えていた。

この出口の近くで、ランチにビャンビャン麺を食べた。お茶が一個二百四十元(日本円で一千円)もした。食事の値段に比べるととても高い。

ランチの後、城壁を歩いて、そこから西安碑林を見学する。

そのあと地下鉄に乗る。

同じホテルで宿泊。

25Apr2

各国通貨が怪しい。

通貨が値下がりしていく。例えば弗の値下がり。

通貨安時代ということが、広く深く進行するのではないか。

各国のナショナルバンクは、通貨の大量発行をして、通貨の値打ちがどんどん落ちていく。ドル安だけではなくて、円安、ユーロ安と広がっていく。他の国も推して知るべし。

これを深掘りすると、各国のナショナルバンクが国債を大量発行し、通貨を大量に刷る時代となって、各国通貨の値打ちがどんどん下がる。すると、どうなるのだろうか。

国が金本位性にしなくても、民間ベースでナショナルバンクの信用が下がり、相対的にコモディティーが高くなる。米や野菜では実証中だ。

インフレの進行である。

そこで民間金本位制と名付けたい事態が出現した。

コメ兵(名古屋で言えば)とか、それから質屋ベースの金取引が進む。とうとう彼ら(コメ兵などが)が、自ら質屋カードを発行して、いわゆる「金本位カード」と名付けるようなことが、進むことになる。

実質金本位制に、移行するというのだが、この予想は、どうだろうか。

25Apr01

究極には無意味に至る。

ある種の表現行為で、という限定付きだし、この場合絵を描くことにおいてだが。そういうこと、と、いうのかな。そんなことが実際にあるのか、…。

ともかく、それが、つげ義春の口から出ているような気がして、

「…、どんな芸術でも、最終的に意味を排除するのが目標だと、思っているんですよ。」(『芸術新潮』2014Jan))

といっている。

そして、「つげ義春マンガ表現の開拓者」という特集に、お遍路の絵があって、圧倒されて心は四国に飛んでいってしまったのだ。

お遍路の場面でも、何番札所なるお寺も捨象されて、空は異様にさくら色、草も緑が現実離れして、筆も異様だ。これはまさにお遍路の心象なのだ。リアルの涯に翔んでいっている。シュルレアリスムということはこういうことなのかもしれないが、芸術のことはよく分からないな。

この絵は著作権のことがあるので、掲げられないから、舌足らずになってしまう。

昔からつげ義春が好きで、竹中直人の作った映画『無能の人』も観た。とにかく大好きな作家で目が放せなくなっている。

25Mar221

ここは、夢に出てくるのでしょうか、だとすると、一瞬ですから傍から記憶の彼方へフライトゥーですね、絵筆かペンで取り戻したんですよね。

この絵は夢に出てくる景色でしょうか、だとすると、一瞬ですから傍から記憶の彼方へ飛びますね、絵筆とペンで取り戻したイメージだったのです。

アクアチント

台湾最南部の町である墾丁のホテルの、プライベートビーチから、青蛙という山が見えます。そこの想像上の「朝ボラ気」を描いたものです。

翌朝には「鵝欒鼻」という、台湾ではもっとも南の先端へ行きました。行くときに振り返ると、水彩画のような風に見えたのですかねぇ。

25Mar18

ジュアンミロはとても素敵で、大好きな画家の一人だ。

この間クレー展を観てきたが、今度はバルセロナの作家のジョアン・ミロだ。

かつて僕は「ホアン・ミロ」と呼んでいたが、マドリッドでの発音「ホアン」をやめて、バルセロナの発音「ジョアン」に変えるべきだと思う。なぜなら彼はたぶんカタルーニア人だからだ。かかる意味で、スペイン共和国に強い関心を持っていた。

だが故国はフランコの独裁となり、ヒットラーナチスのシンパ国となったスペイン。それは一体どんな思いだったろう。

How does it Feel

その後、「転がる石のように、…」とDylanは歌った。

だが、ミロはどんな思いで流離ったのだろうか。帰る故郷は、“もうない”と、決めていただろうに。苔も蒸さない転がる石。

カタルーニアに抵抗は残った。それが今では形を変えて、バルセロナとリアルの戦いに見ることができる。ミロは喜んでFCバルセロナの旗を作成している。これが戦いの象徴だからだ。

25Mar13

ミロのバルサ

ミロのバルサ