kyokoippoppoの日記 (original) (raw)

夢の話と、自分の子どものYou Tube動画貼り付けという、興ざめさせてしまいそうな内容です。
ご容赦下さいませ。
youtu.be
You Tube動画は長男Hによる編曲作品です。
思いがけないことに、前作から間をおかずアップされました。
原曲は前作と同じ『月が見ている』。
今回はピアノ連弾に仕立ててあります。

ポチッとして聴いていただけましたら嬉しいです。

で、続けて綴ってゆくのが夢の話。

地下へ降りる階段

夢の体験を語るのは難しいですね。
見た映像やイメージを的確に伝えるのは難しく、たとえそれを伝えられたにしても、所詮他者にとってはどうでも良い話。

でもね、それを言ってしまえば、私がここに綴ることの全てが、そのような…つまり他者にとってはどうでも良い話なのでしょうからね。
ならば割り切って、自分の備忘録のつもりで、書き残すことにいたします。

人それぞれに、見る夢のパターンがあると思います。

私であれば道に迷う、どこかへ向かう、とびきりの良い夢としては空を飛ぶ、などがあります。

さらには「家」の夢。
家の外観や間取りが印象として残る夢をたまに見ます。

今朝見たのは次のようなものでした。

家の右横に細い階段があり、下へと続いている。
反対側…つまり左側を覗いてみると、そこにも下へと続く階段が…。
ただそちらには、段の途中に荷物が散らばっており、降りてゆくことができない。
私は右側の階段を降りてゆく。
壁際にはお風呂場が見える。
それは、学童時代、毎年夏を過ごした千葉の田舎のお風呂を思い起こさせた。
(実際のお風呂は母屋から離れた庭先にありました。)
その家は千葉の田舎、「たか子さん」の家。
実際とは似ても似つかぬ家なのですがその想定で夢は続きます。
右側、左側の階段に挟まれた半地下のようなエリア。
そこは、年寄りの部屋なので開けてはならぬと思い、のぞきませんでした。
その上の部屋は、実際千葉の家で私たちを迎え入れてくれた「たか子さん」の住むところ。
さらに上の階があるのですが、そこを訪ねることはできませんでした。

さあてこんな夢。
素人判断の夢の解釈も、大抵信用できないのかもしれませんが、物で塞がれた左の階段は、私の左脳をあらわすのかもしれないな?
と思った次第。
ほら、そこには様々な、“頭が繰り広げるおしゃべり”が打ち捨てられているとうわけ。

無意識へと向かうなら、右側(右脳側)の階段を降りなければなりません。
そこへと降りたは良いけれど、そこから続く部屋には入れないのです。
ご先祖さまがいる気配。
私が知ることのできない無意識の部屋なのかしら。

「たか子さん」がいる部屋は地面の上に構えられており、通常の生活を送る部屋。
意識できる領域かな?
さらにその上は、一段階高いため訪ねることはできませんでした。

父のルーツ

千葉の田舎とは学童期、夏休みの度に遊びに行った親戚の家を指します。
小湊鉄道の駅「養老渓谷」からバスに乗ってたどり着く集落。
親戚とはいえ、「たか子さん」は父の従兄弟であるS夫さんの妻なので、私たちと血の繋がりはありません。
S夫さんは、若くして亡くなっており、その後寡婦として残された「たか子さん」は、その後長らく舅姑の世話をし、農作業などをしていたのでした。
その「たか子」さんを頼って毎夏一家で遊びに行きました。
良き夏の思い出です。
たか子さん宅の他にも父の血縁が数件残っており、それは私のルーツの一部といえましょう。

たか子さんは、既に他界しており、今その土地を訪ねても、思い出に繋がるものは何一つ残されていないようです。

それにしても何故、この夢から、「その土地」が連想されたのか?
不思議ですね。

私にも流れている父方のルーツを思い起こすこととなった夢の記事でした。

若くして亡くなったというS夫さん。
私の記憶に残るものは何もありませんが、生前生まれたばかりの私を見るために、川崎まで訪ねてくれたことを母から、聞いた記憶があります。
そんなことまで思いにのぼり、何だかしんみり、しみじみしています。

kyokoippoppo.hatenablog.com
こちらも夢の記事。父と養老渓谷の思い出が綴られています。

キュウキュウと鳴きながら空を行き来していた白鳥も、グワッグワッと鳴きながらV字飛行をしていたガンたちも、いつの間にやら姿を消してしまいました。
当地でしばし羽を休めた彼らたちも、とうとう、さらなる南下のためにこの地を去ったようです。
地上では、残された人間たちが迫りくる冬に備えて動いております。

と書いてはみましたが、ひと昔前に比べればその仕事量は大きく減っていると感じます。

すきま風が容赦なく入ってくる粗末な町営住宅に暮らしていた頃は、窓の外側にビニールを貼り付けるという仕事がありました。

この写真は、数年前に撮って残したもの。私が新婚生活をスタートさせたのはこの三軒長屋でした。
今や住む人も無く、打ち捨てられた状態のまま残されています

手前の玄関はかつての住人が、サッシ状のものに取り換えておりますね。
でも私たちが住んだのは一番奥・・・・板張りと薄いガラスの玄関でした。
南には味噌工場の壁が迫り、陽も差さぬ。本格的な冬到来前に防寒対策を施しました。窓ガラスの外側をビニールで覆うのです。
こんな感じです。↓

plaza.rakuten.co.jp

私が嫁いで来てすぐの頃、大人数で暮らしていた実家では、冬の蓄えとしての野菜を貯蔵し、冬中食べる漬物の仕込みも大掛かりに行っていました。
私はその量に驚いたものです。

その家も今や義母の一人暮らし。蓄え貯蔵する必要のあるものなど、ほとんどありません。
近くの店で都度都度買えば用が足りるのです。

冬タイヤの履き替えも、長い間自力で奮闘しましたが、今は整備工事に任せています。
タイヤ脱輪事故などのニュースなども時々耳にしますのでね、
ここ数年は、業者の手を頼る事にしています。

冬野菜の蓄えも不用になってきたと先に書きましたが、それでもこの時期は畑の収穫物がやりとりされることが多く、我が家にもやってまいりましたよ。

大きく立派な大根3本。
それと、これまた立派な白菜とキャベツ。

そのまま傷ましてはもったいないので、急遽我が家にあった糠を使い糠床をこしらえました。
キャベツと大根、そして大根菜を漬けこみました。

美味しく漬かるかな?

一玉丸々残るキャベツは、麹の入った漬物にしようかと考えています。

先日、写真に収めた西の空。
学園吹奏楽部の演奏会を楽しんだ帰り道、文化センター付近から撮りました。

台所の出窓においたシャコバサボテンの葉には、赤い蕾がつきました。

この花も、冬の訪れを知らせてくれます。

そう、いつの間にやら冬がやって来たのです。

我が家のパソコンと、はてなブログダッシュボードとの連携不具合に対しまして、コメントいただいた皆様方、本当にありがとうございました。

合間合間にいじってみたものの、まだ復旧には至りません。

次男が心配して、ラインにて連絡をくれました。
親切丁寧なやり取りにて、可能な対策を教示してくれましたが、それも不発に終わり、いつか帰省した際に改めて…というところでストップさせております。

まあ、このようにスマホでの記述ができますので、当分これで凌ぐことにします。

そう決めたわけですが、久しぶりに長男の編曲作品がアップされるというではありませんか!
今まで、You Tube動画の貼り付け(埋め込み)は、全てパソコンでの作業で行っていました。

これを、スマホでできるのか?
先日初の試みに挑戦しました。

ネット情報をたよりに、何とか貼り付け方を覚えましたよ。

ということでこちらを…。

youtu.be
以下You Tubeに添えられた説明の一部です。

「月を見ていた」は米津玄師作の美しい楽曲です。『FINAL FANTASY XVI』のテーマソングとしても有名です。アレンジではピアノと弦楽アンサンブルによる編曲となっています。4拍子の中に様々な息使いを意識して演奏すると面白いと思います。

編曲作品の投稿もコンスタントにできない日々が続く長男の状況ですが、久しぶりのアップに喜ぶ母kyokoであります。

で、私自身も久しぶりの投稿となりましたが、取り立てて語るほどの話題も無く…

ストックしていた空の写真を、見ていただくことにいたします。

職場北窓からの空。
工事現場では、旧校舎の跡地の片付けが続いています。
その上に大きく広がった美しい羽よ!

こちらは、帰宅途中で撮ったもの。
日が短くなり、帰宅途中で夕焼けになりつつある空を見ることも多くなりました。

同日、住宅の端まで足を伸ばしこちらも写真に収めました。
西とはいえ、太陽はかなり南に寄った地点に没してゆきます。

前回の記事で、パソコンからはてなブログへのログインができなくなってしまったことを書きました。
自分でできる範囲のことを試してみましたが、今だに解決しておりません。

スマホでの操作は問題なく、このように打ち込んでいるのですが、通常私は、下書きまでをスマホで行い、その後の微調整をパソコンで行った末に公開していました。

そのパソコンでの操作ができなくなったのです。
助っ人求むという気持ちも潜めながら書いておりますが、仮にそれに応えて下さる方かおられても、私の知識、活用がそれに追いつかず、ご好意を活かせない可能性も多々あります。
なので、今記事は、とりあえずの現状の報告という気持ちで書きますね。

パソコンから、はてなブログへのホームページ画面へはたどり着くのです。
しかし、そこから、私個人のページへの道が封鎖されてしまいました。

パソコンから、はてなのログイン画面にもつながりません。

re captchaとやらで、保護されている。

この事態が起きる数日前に、はてなブログへのログインを求められる表示に従ってスマホにて再ログインをしたのですが、その際のパスワードの打ち込みの際の不手際があり、それがきっかけになったのではないか?
と思っております。

はてなブログにログインできないの検索から、
「fire foxを利用しているときにログインできない」
をクリック。

はてなブログへの保護だけ外してみたりしましたが、それでもダメ!

試しにゲストとしてパソコンに入り込んでみましたが同じ結果でした。

試していないのが、別のグーグルアカウントで、試すというもの。
これをしても、無理かも?
これをしてさらなる混乱を招くかも?
という、消極的な気持ちからです。

スマホからの投稿でも、写真ははりつけられますし、リンクを貼ることも可能です。

不便ではありますが、解決できない時は、スマホからの投稿で凌ぐことになりそうです。

はじめに…パソコンからのはてなブログへのログインができなくなってしまいました。

スマホ下書きから直の公開です。
この困った出来事に対しては後に助っ人募集記事を書くかもしれません。

連休三連勤の後、いつもの職場で4連勤。
そしてやって来た週末はそのまま二連勤…のつもりでいましたが、2日目日曜日は、急遽休みとなりました。

今季一番の冷え込みが予想されており、実際に当地の朝の気温は2度でした。
湖もしけ気味とのこと。
更には小屋にストックされた牡蠣も、昨日の内に全て選別できたので小休止となったのです。
久々の休日です。

記事を書くとしましょうか。

まずはこちらを!

え?
牡蠣ですよねえ。
それで…?

と思われますかね。

ほらほらkyokoのやることだよ。
よおく見なされ。
お分かりか。

牡蠣を手に持ち、電動ドリルで表面をきれいにする仕事をしながら、私は
「おや?」
と思い手の内にあるものを眺めたのです。
龍の顔に見えないかね?
貝の先端のふたつの凹みが鼻に見え、その奥のふたつの溝が目に見えました。

『牡蠣小屋で見つけた龍さま』
記事のタイトルまで浮かび心のなかでほくそ笑む。
しかし、デロデロどろどろ汚れだらけの状態で直ちに写真に収めることは不可能です。
私はそれを自分用の秤の陰に隠し、10時の休憩時間を待ちました。
休憩と共に、作業台の簡単清掃が始まります。
外は冷たい雨が降っており先週のように外でおやつを食べることはできないからです。
それぞれが、籠を移動したり、水をまいたりと動き出す中
「ごめん!数分の勝手を許して!」
とお願いして、ゴム手と中手(綿の中手袋)を外しスマホでパチリ!

いかがでしょうか?
龍のお顔に見えますでしょうか?

龍の形の雲を見つけること、また今回のような龍の顔のような牡蠣貝の発見も私を喜ばせます。

実際にそれが、喜ばしいことなのか?
喜ばしいことにつながっているのか?
私の気持ちに作用するだけなのか?
そのあたりのことは、分かりません。証明のしようもありません。

夢の話

同じことが、夢見にも言えます。
ということでここから先は夢の話。
人と共有するのは難しいとは知りながら、私はここに書き残さずにはおられません。
これに目を留めておられる方々よ!
この先は自分のための備忘録です。読み飛ばして下さってかまいませんからね。

離陸
10月15日の夢。
飛行機に乗っている。
隣には小さな子ども。(私の中のチャイルドか?)
窓は大きく広く外が見渡せる。
飛行機は動き出す。
「今浮き上がるよ」と隣の子どもに声をかける。
フワリと機体が浮き上がる。
その瞬間を体感する。

空に浮くという夢は貴重なれど、最近はじんわり浮遊するところ止まりで、浮上の醍醐味をとんと味わってはおりません。

記事こそ書いておりませんが、私のスピリチュアル探訪は続いております。
小林正観氏は
「思い」を持たないことを勧めた方ですし、
エドガー・ケイシー
「自己を神の内に手放す」
という言葉を残しておられます。 光田秀氏は、その実践をすることで歓喜の国の住人となったとか。

いやいやいや…
「思い」を持たないなんて私には無理な話。
これは私に限らずでしょうがね。

私が「思い」を手放す時間があるとするなら夢の中位なのです。
その時間の中で、高次の存在とのとの交流はできないものか?と思う(との思いを持つ)私なのです。
そして空飛ぶ夢を見ることは、それに応えていただけたと受け取れるひとつのシチュエーションというわけ。
15日の夢は「離陸」の瞬間を味わうものとしてありがたく受け取りました。

10月19日
道を彷徨う途中で飛翔。
久しぶりに空に急上昇する感覚を伴うものでした。
私は手に持つスマホを手放しました。指からスマホの重みが無くなる瞬間もリアルに感じました。続けて財布の入ったトートバッグも手放しました。
夢の中では、私は「執着」を手放すことができるのです。
執着を手放した私。
もっともっと空高く!
と願ったとたん人工的な屋根が上を塞ぎました。

今朝方の夢10月20日
昨晩も就寝前に、良い夢に恵まれますようにと願いながら床につきました。
ふと目を覚まし、
もう朝か?
夢には恵まれなかったなあ、と思いながら時刻を確認したところまだ深夜の2時台。
もう一眠りできました。
そして見た夢。
空を飛ぶ夢は、道に迷うところから始まることが多いのです。
昨日もモノクロのもの寂しい駅の周辺で道に迷うところからの飛翔でした。
素晴らしい体験。
空を駆け巡りました。
風を感じ、自由を感じ、恵みを味わいました。

少しずつグレードアップした、夢の中の浮遊体験。

私は大切に心に抱きしめます。

生きてゆく力にします。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

タイトルの通り!
この三連休に仕事が入りました。
久しぶりの浜仕事です。
手が足りなくて困っているという知り合いの漁師さんの元へ出動することとなったのです。

私は町の会計年度職員として働く身、このようなアルバイトは可能なのか?
同僚の「OKよ!」の言葉を聞いてはおりますが、念のため調べたところ、パートタイマー職員は許されているようです。

ということで出動です。

丁寧(ていねい)という集落にある小さな港までGO!

この場所で働くのは初めてです。
7時半に到着。
美しい景色が迎えてくれました。

サロマ湖畔からの景色です。
この湖は汽水湖なので、塩分を含みます。なので、ホタテや牡蠣の養殖には最適なのです。

ここに、小さな牡蠣小屋があり、そこにて牡蠣をきれいにする仕事に従事しました。
やすりが回転する、電動機器を手に、ひとつひとつの牡蠣をきれいにしてゆきます。
水揚げされた牡蠣は、周りにたくさんの不用物を貼り付けています。

それらをこそげ取ってゆくのです。
そこいら中にカルシウム質の欠片が飛び散り、えらい汚れようとなります。
貝の表面には、たまにハリガネ虫と称される小さなミミズ状の生き物の巣があります。白くて、ごく細い筋状の線として見分けられます。
食害は無いのですが、こいつをしっかり取るように指導されます。
また、ミルフィーユのようにデリケートな貝の先端は、機械を当てて壊さないようにとの指導も受けます。
時々、点検されたりしてね。

漁師さんにとっては大切な商品の取り扱いとなりますから、そのあたりは慎重に作業しなければなりません。

たまに出荷できない一年牡蠣を割って、片貝の状態で差し出して下さる奥さん。
貝の欠片がいっぱい貼り付いたゴム手でそれを受け取り、ツルツルピカピカの剥き身を啜ります。
「うまああああい!」
ごっつおうさん!です。

10時で一服。
作業台は、汚れででろでろです。

幸い天候に恵まれたので、外の風に吹かれながら、お菓子と飲み物をいただきました。

この家族には、T君という我が家の娘と同級生だった息子がおり、その子がまあ、よく働く。
身体も動くし気働きもできる。清々しい思いで眺めることとなりました。

こちらの写真は、処理され重さごとに選別された牡蠣たちです。

お昼は作業台を一旦きれいにして、用意して下さったインスタント麺や、おにぎり、菓子パンなどをいただきます。

午後の作業は3時くらいまで。
座って行える作業ですが、同じ姿勢、同じ動きの繰り返しで、腰や背中が痛みだします。

そんな労働を3日間!
ああ!よく働いた。
来週末も出動するかもです。

写真は2日目の湖畔。
朝日の筋が斜めに降り注いでいます。

さらには、帰宅途中で見つけた雲。
龍神雲!

のつもり。

雲さんが、
「kyoko!お疲れ〜」
と言ってくれました。

のつもり。

本日一区切り。
お土産のこちら、今晩のおかずとなりました。
美味しかった。
ごちそうさま!

秋が深まり、今朝は首にストール、手には手袋装着で出勤しました。

カレンダーも持たぬ鳥たちが移動の時期を感知し、きれいなV字を作り空を渡ってゆきます。

その度に空を見上げる私です。

さて、とりたてて語ることはないのです。

ただね、空が美しかったのでご覧いただきたくなりまして…。

こちら、数日前の夕方です。
オレンジよりは、ピンクに近い空の色。

次は、本日の南西の空です。
薄い雲が長く長くたなびいていたものですから、つっかけ履いて外に出てみたのです。
日暮れの時間も日に日に早くなっていますね。
当地の日の入りの時間は、とうとう16時台になってしまいました。

今日も一日が無事に過ぎようとしています。
ありがとう。
ありがとう。
また明日。