小さな教室からの挑戦 (original) (raw)

今さらながら一学期を振り返って、教室で授業で何を大切にしたのかをまとめてみる。

前回までのものは過去記事を是非とも参照してください。

⑤仲間の言葉や教師の言葉を聞く

授業の中で子どもたちはさまざまな活動を行う。話すや聞く、書く、読む、見る、考える等々。

ここに挙げたものはどれも大切な活動である。この中であえて順番づけをするならば、僕は聞くということを一番にする。なぜなら、聞くということは学ぶことの基本のキである、と思っているからだ。

学ぶということは今まで知らなかったことや気づいていなかったことを認識するということである。つまり、今まで自身になかった新しいことを知ることや気づくということである。よって、必然的に聞くということを行わなければならない。

もちろん話すことや書くこと、読むこと等で今まで知らなかったことや気づいていなかったことを認識することもある。

しかし、聞くということは一人ではできない。聞くことを行おうと思えば他者が必要になる。

コロナ禍を経てオンライン上でやり取りするということも当たり前になった。しかし現在でもなお、学校という場には同一年齢の子どもを大人数集めている。

一つの場に同一年齢の子どもを大人数集める価値や意味はさまざまあるだろう。

その内の一つに「他者との相互的なやり取り」ということを挙げられる、と考える。

オンライン上でも相互的なやり取りはもちろん可能であるが、大人数となるとなかなか簡単に相互的なやり取りを行うのは難しい。

だからこそ、「他者との相互的なやり取り」を大切にする。それが未だに学校へ集う意味なのだ、と思う。

コロナ禍は学校という一つの場に大人数の子どもを集める意味を考える機会にもなった。

以上のように考え、仲間の言葉や教師の言葉を「聞く」ということを大切にしている。

⑥注意ではなく支える

子どもたちは教室で関わり合いながら日々の学校生活を過ごしている。この関わり合いは、一つの教室に同地域の同年齢の子どもを集めていることの大きな意義であろう。

その関わり合いを見ていると、おしゃべり、励まし、慰めや注意することが見られる。それらが行き過ぎて指導しなければ、と思うこともある。しかし、それは関わり合っているからこそだと思うし、そう思いたい。

それでも注意して見ているのが、子どもたちが誰かを注意していないか、ということ。

例えば、教室で誰かがルールを守らない、ルールから逸脱をする。そうすると「○○してはダメだよ」と咎める言葉が起こる。それで終わればいいのだが、時にはヒートアップして揉め事につながってしまうこともある。

トラブルはチャンスでもあるので、大きく傷つく者が出ないのならそれなりに揉めればいいだろう、と個人的には思っている。

とは言え、子どもたちが注意し合うという関係は早いうちに終わらせたい。

注意することは教師の仕事であり、子どもたちがすることではない。よって、注意する姿を見ると「それは先生の仕事だよ、先生はそれで給料をもらってるから」と話す。そして、「そうではなく大丈夫と心配してあげて。○○してないけど大丈夫? ○○してないと先生に叱られるよ・・・、みたいに伝えてみてよ。」と話す。

子どもたちが注意し合う関係ではなく、子どもたちが支え合う関係へということだろうか。そんなことを意識している。

全員を聞く子どもにする教室の作り方

今週のお題「秋の味覚」

いよいよ秋めいてきた。「食欲の秋」と言えるような季節になってきた。

秋はよりお酒をおいしく呑むことのできるように思っている。個人的には日本酒がよろし、と思っている(笑)。

そんなことを過去記事でも書いている。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

日本酒に合う秋の味覚とは何だろうか、と秋刀魚以外で考えてみる。

秋なすはいいですね。キノコもいいですね。

寒くなってくるので鍋をつくることも増える。キノコ鍋なんていいではないだろうか。

と、妄想はつきない(笑)。

とにもかくにも楽しみな季節になってきているには間違いない。

とは言え、年々秋が短く感じるようになっているので、早めに楽しみたい。

今週のお題「ちょっとした夢」

ちょっとした夢はいつもと違うシチュエーションでお酒を呑むこと。

お酒を呑むとなるとたいがいが夜で自宅か店ということになる。これが日常的な呑みである。

一方非日常な呑みもある。BBQや花見をして外で呑む、昼間から呑む等である。

これらがいつもと違うシチュエーションでお酒を呑むということ。

そんないつもと違うシチュエーションでも夢なのは電車で呑むこと。

仕事柄、新幹線等の電車であちこちに出かけるということはない。プライベートでも新幹線を利用するのは年に数回あればいい程である。

だからこそちょっとした夢なのである。

新幹線に乗る前にお酒や地方の肴を買い、出発したらいそいそと呑む。そんなことしてみたいな、と思う。

これは「居酒屋新幹線」という作品に大きく影響を受けている。

「居酒屋新幹線」という作品を知らない方には恐縮であるが、あそこまで広げて呑み食いできる自信はない(笑)。しかし、憧れるシチュエーションには間違いない。

呑むために新幹線や電車に乗るということをやってみたいものである。

今さらながら一学期を振り返って、教室で授業で何を大切にしたのかをまとめてみる。

前回分は過去記事を是非とも参照してください。

③「やれば伸びる!」を意識

前回述べた子どもの「わからない」を「わかる」に変えるという話につながること。

燃える闘魂ことアントニオ猪木は「元気があれば何でもできる!」と言った。最近で言うと芸人・ティモンディの高岸宏行は「やればできる!」と言っている。

どちらの言葉も力強く、また発する本人の信念を感じることのできるものである。僕も好きな言葉の一つである。

しかし、少し立ち止まって考えてみる。

「何でもできる」は言い過ぎではないだろうか。「やればできる」とは言うもののやってもできないことはないだろうか。

斜に構えた物言いのように思われるかもしれないが、僕としては冷静に考えたつもりである。

「何でもできる」「やればできる!」という言葉の力強さ、そしてそう思う気概については共感できる。

しかし、常にこの二つの言葉が突きつけられるとなるとしんどいだろうな、と思う。特に、先程述べたような「わからない」をたくさん抱いている子どもにとっては。

また、教師として「何でもできる」「やればできる!」という言葉を傘にして、「もっとやればできる」という思いを押しつけてしまう可能性を否定できない。

もちろんどの子も力を持っている、という思いは持っている。とは言え、だからと言って「やればできる」は違うように思っている。

そんな考えより、「何でもできる」「やればできる!」よりは「やれば伸びる!」を意識したい、と思っている。

「やれば伸びる!」ということは「できた」「できない」にこだわらないということになる。それよりも、やったから「伸びた」、やったから「成長した」ということにフォーカスするということになる。

「できた」「できない」にこだわると0か100のように白黒思考に陥ってしまう。そうではなくプロセスやさまざまなことを認めようと思えば「やれば伸びる!」ということの方が適しているように思う。

この「やれば伸びる!」という考えはオリジナルではなく、俵原正仁先生の考えに大きく影響を受けている。

なぜかクラスがうまくいく教師のちょっとした習慣

④子どもたちの言葉を授業の推進力に

「よい授業はどんな授業だと思いますか?」

このように問われると、どのように答えるだろうか。さまざまな答えが考えられる。

僕としては、よい授業は子どもの声がよく聞こえること、そしてその声を子どもたちと教師で共有されていることが重要だ、と思っている。

簡単にまとめると「子どもたちの言葉を授業の推進力に」ということである。

では、教師の言葉は必要ないのかということが気になるかもしれない。教師の言葉は必要ないとは思っていないが、なるべく減らせるように意識しているところである。

教師は授業の目標を設定しているため、目標達成に向け一直線に進んでしまいがちである。しかし、そうすると子どもたちを置いてけぼりにしてしまいがちである。

だからこそ、子どもたちの言葉を授業の推進力にすることを意識する。

子どもたちの言葉を授業の推進力にしようとすれば、子どもたちの声を聞かないといけないし、子どもたちの声が聞こえるようにしないといけない。

そして、子どもたちの声はさまざまなものがあり、面白いところでもあれば大変なところでもある。とは言え、ここが教師としての腕の見せ所でもある。

大きなことを言っているが、毎日の授業で反省することは多い。僕としては子どもたちの言葉を聞くことを意識しているが、当の子どもたちはどう思っているだろうか。

かなりキレイにまとめているな、と個人的に思っている。 「子どもたちの言葉を授業の推進力に」ということを大切に授業を愚直に行っていきたい。

今回も途中で終わりです。また少しずつ書くこととしよう。

今週のお題「夏の思い出」

BBQに興味はあるが、片づけ等を考えるとおっくうになる。

そのようなことを過去記事にもしていた。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

そんな僕がこの夏はBBQをしました!

僕が主導というよりは誘ってもらえたのが多きいのだけども。

やってみるとやはり楽しかったです。

おいしいものを食べることができたし、外の開放的な所でお酒を呑むこともできた。

しかし、片づけはやはり面倒であった・・・。だけども、一人で片づけをするわけではないので文句も言ってられないな、と思った。

ぐちぐち言いながらもまたやってみてもいいかな、と思っている。

まあ誘ってもらわないとやっぱりしないだろうと思う(笑)。

今さらながら一学期の振り返りをしてみる。教室で授業で何を大切にしたいのか、ということを子どもたちと共有した。

共有したというのはポジティブ過ぎる表現な気がする。指導したという方が適当かもしれない。

とにかく、自分が意識して指導したことを振り返ってみる。

①「わからない」は良いもの

子どもたちにとって授業の中で「わからない」ことはどうしても出てくる。しかし、それを素直に「わからない」と言うのは抵抗が大きい様子も見られる。

子どもたちの中には先行学習に取り組んでいる子もいて、その子たちは学習内容を既にある程度理解している。よって、授業の中での発言も多くなる。そんな姿を目の当たりにして「わからない」と言うのは難しくなっていくのだろう、と推察している。

しかし、その「わからない」というのは当たり前にあるものでもある。子どもたちは毎日のように新しい学習内容を学習するからだ。よって「わからない」は当たり前なのである。

その「わからない」に対して肯定的な見方を意識したい。それは教師もそうであるし子どもたちもそうである。

というわけで「わからない」が出てきたら肯定的な言葉かけを意識した。「わからないはいいことだよ」「わからないと素直に言えることで成長のチャンス」のように。

蒔田晋治『教室はまちがうところだ』の絵本のように、「わからない」は当たり前ということをまずは強調して浸透させた。

②「わからない」を支える

先程述べた「わからない」というのは、教師や仲間がその「わからない」にどのような態度を取るかが大きく影響する。

「わからない」ことに対して否定的な見方をすると、当然「わからない」を出そうとしなくなる。

よって「わからない」ということを支えるように意識した。

先程述べたように「わからない」に対して肯定的な言葉かけをするのも一つである。

それだけでなく、子どもが出した「わからない」が授業を経て「わかる」ように変わることを意識している。もちろん、子ども自身が「わかる」と思ってもらわないとこれは達成できない。

野口芳宏先生は子どもの「向上的変容」が見られれば学力が形成されたことになる、ということを述べられている。教師として、子どもの「わからない」が「わかる」に変容することを目指さないといけない。

とは言え、必ず子どもが「わかる」ようになることを1時間では目指さない。必ずと思って教師が躍起になったところであまり良いことは起こらない。そのため単元で「わかる」を考え、何なら学年で「わかる」を考えている。もっと言えば、生涯で「わかる」を考えている。

しかし、そのことを盾にして子どもが「わからない」ままでもよい、とはしないように気をつけている。

閑話休題。「わからない」を支えるということに戻ろう。

授業で子どもが「わからない」を出して、授業を経て「わかる」となる。

そこで、「○○さん、わからないと言っていたけど、そのことで他の子から何か言われたり嫌なことされたかな?」と問う。

その子は首を振ったり、「いいえ」と簡単に答える。

そして、「わからないと言ったことをバカにする人はここにはいないよね、だから素直にわからないと言ってね」と全体を見渡しながら話す。

ちょっとくどいというか芝居がかっているように思うが、全体に「わからない」を支えるという共通理解を広げるために行った。

二つの項目だけでけっこうな量になってしまったが、まだまだある・・・。書き終わるのがいつになるか不安であるが、また少しずつ書くこととしよう。

教室はまちがうところだ

今週のお題「大人になってから克服したもの」

大人になってから克服したものを考えてみる・・・。

何でしょうね? 大人の前の記憶が薄れつつあるので、なかなか考えがまとまらない・・・。

そして、絞り出したのが「どんな人とも他愛のない話をできる」ようになったこと。

子どもの頃は、自分と似たような子や同じグループとしか付き合わなかった。

まあ、それでも特に困らなかったように思っている。もちろん、全く関わらないわけではないが、進んで関わると言うことはなかった。

さて、大人になった僕はどうだろうか?

なるべく誰とでも関われるように、関わるようには意識している。

そうなると他愛のない話もするし、協力して仕事に取組んだりする。

他愛のない話って簡単に思うが、以外と難しいと思っている。とは言え、肩肘張ってするものでもない。

説明は難しいが、他者の側にいるということを当たり前のように思うといった感覚であろうか。

克服とは違うように思うが、大人になって意識が変わってきたことを書いてみた。

今週のお題「好きな小説」

最近、ブログでは書評をアップすることができていませんが、本は読み続けています。

というか本を読むということは生活の一部になっているので、本を読まないという選択肢がないように感じています。

はてなブログだけでなく、読書メーターを使用しています。読書メーターの自己紹介では、「文学作品は、那須正幹辻村深月中村文則又吉直樹朝井リョウを読むことが多いです。」と書いています。

過去記事で那須正幹辻村深月朝井リョウの作品を取り上げている。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

kyousituchallenge.hatenablog.jp

kyousituchallenge.hatenablog.jp

せっかくなので、まだ記事にしていない中村文則の作品を取り上げることにする。

中村文則の作品をたくさん読んでいるので、どれを取り上げるかは悩む・・・。

少し考えて『何もかも憂鬱な夜に』(集英社文庫)を選んだ。

たぶん、中村文則の作品で初めて手にした一冊だと記憶している。ということで、僕としては意味のある一冊になる。

中村文則の作品の中では、読みやすい部類に入るだろう。会話文が多く使われていて、テンポよく読める。しかし、この作品も決して明るい話ではないので、読みにくさを感じる方もいるだろう。

僕としては「何もかも憂鬱な夜に」というタイトルに惹かれた。何もかも憂鬱な夜はある。それでも生きているし、生きていかないといけない。そんな勇気というか、諦めというかそんなことを考えさせてくれる一冊である。

文庫では解説をピースの又吉直樹が書かれている。又吉先生の解説も秀逸であるので最後まで楽しめる一冊となっている。

興味を持たれた方は一度手に取ってみてほしい。

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

今週のお題「お米買えた?」

お米買えませんね~。ようやく目にできるようになってきているように思うのですが少量です。

そして、こんなに高かったかな、と思うような値段がついています。

そんなこんなで手が出ない状況ではあります。

お米が好きということは突き抜け? お米を食べることは当たり前という感覚であった。

ということで、無くなって改めてお米の素晴らしさというか? あることのありがたさを感じている。

無くさないと気づけないもんなんですよね・・・、としみじみ思っている。

新米の時期になってくるので、そろそろ安定して供給されるのではないか、と希望的観測を持っている。どうなのでしょうか?

そろそろ少し無理してでもお米を手に入れないといけないかな、と悩んでいる。

今週のお題「まつり」

夏と言えば祭りの季節である。全国各地で祭りが開催され、多くの人が集まることになる。

そんな大きい規模の祭りだけでなく、地域の祭りも夏に多く行われている。

さて、祭りとなると出店がつきものである。

どんな出店が思い浮かぶだろうか?

焼きそば、リンゴ飴、フライドポテト、焼き鳥、わたがし等々。

改めて考えると、そんなに珍しい物が並ぶわけではない。しかし、祭りではとても魅力的なものに映る。

とは言え、祭り価格と言えるような値段設定がされていることが多い。昨今、さまざまな物の価格が高騰しているので仕方のないのかもしれない。

だから、結局手が出ず買い渋ることになる。

「高いよな・・・」「もったいないよな・・・」とついつい思ってしまう。

祭りに没頭できていないというか醒めているのである。

そんな自分が少し嫌になることもあるが、まあ仕方のないことかと諦めている(笑)。

今週のお題「この夏のプラン」

夏だから、夏休みだから特別に何かしようという思いはあまりない。

しかし、「この夏のプラン」というお題であるので、せっかくだから考えてみることにする。

時間があるので読書は意識的にしたい。

普段から読書は好きなのでしているつもりだが、忙殺されておざなりになることもある。夏休みは比較的余裕があるので、読書は意識的に行いたい。

あとはアウトプットを行いたい。1学期の授業を行って気づいたことや日々子どもたちとの関わりから気づいたこと、意識的に取り組んだこと等々。

文章でまとめるやスライドでまとめる等、さまざまな方法はあるが特に決めてはいない。それでも、何らかの形でまとめアウトプットができたらいいな、と思う。

とは言いながらもダラダラと過ごしてしまいそうには思う(笑)。まあ、それでもいいかなとも思っている(笑)。

今週のお題「夏野菜」

夏真っ盛りである。日々溶けるのではないか、と思いながら過ごしている(笑)。

そして、夏野菜のおいしい季節となっている。

わりと野菜は好きであり、お題に上がっている夏野菜はどれも好きである。

その中でも好きなのがとうもろこしときゅうりである。

とうもろこしは焼いて良し蒸して良しといった具合でどんな食べ方をしてもおいしい。特に夏に食べるとより甘く感じるのが好きである。

きゅうりは手に取りやすいものでよく食べる。個人的にはドレッシングをつけずにそのまま食べるのが好きである。そのまま食べるとメロンと似た味を感じることができる。

このことはあまり共感されないのだが、きゅうりとメロンは同じウリ科であるので僕の味覚は間違っていないように思っている。

とにかく夏野菜のおいしい季節である。旬の内に旬の味を楽しみたいと思う。

3年生「一万をこえる数」の授業。

数を10倍することについて理解することを目標に授業を行う。

教科書の問題を提示しながら立式させ「○×10」を導き出す。

10円玉の半具体物を提示し操作しつつ答えを丁寧に導く。

教科書では10倍することについてまとめていく流れとなっている。

しかし、問題を一問解いたからと言って10倍することについて気づく子は多くないように思う。

そこで○の数字を変えて何問も問題を解いていく。

だいたい3問、4問辺りになると10倍することについて気づく子が出てくる。

そこで10倍することについての考えを共有する。そうすることで10倍することについての考えが広がる。

ダメ押しで気づいたことは本当なのか確かめる意味でもう一問問題を解いてみる。

導入と言うよりは授業の流し方までになっている。

簡単にまとめて一般化しないということがポイントだろうか?

子どもたちの中で差はあるが、自分で数学的な考え方を獲得するということを大切にしたい。

今週のお題「捨てたい物」

捨てたい物ではないのだが、捨てられない物としては大量の資料がある。

教師になってからの資料は紙媒体のものやデータを問わずかなり手元にある。

もちろん個人情報は手元に置かないようにしているのではあるが、それでもなかなかの量になっている。

見返しているのか、と問われると心苦しい(笑)。

いつか見るときがあるのではないか、いつか活用するときが来るのではないかという淡い思いから資料をため込んでいる。

場所を取っているし年々乱雑になってきているように思うが、手放すということは考えていない。

人にとってはゴミとも思える物であるが、僕にとっては大切な物である。自身の教師としての歴史である。

まあ、大層なことを言ってため込んでいることを肯定しているだけである(笑)。

今週のお題「冷たい食べ物」

7月に入り夏本番といった様相となってきている・・・。

夏ってこんな感じでしたね、ということを思い出しているところです。

さて、暑くなってきたので冷たい食べ物がおいしく食べることができる季節となりました。

とは言え意外と冷たい食べ物を食べることはあまりないように思っているので、よく食べる冷たい食べ物を思い出してみる。

冷たい食べ物で思いつくのは、そうめん、ざるそば、ざるうどん、冷やし中華、冷や奴などなどだろうか。

どれも割と好きなのではあるが、そうめんが一番よく食べるように思う。

ざるそばは好きなのであるが、なかなか自宅でつくってもおいしくできない。しかし、そうめんはほとんど失敗がないので手っ取り早くつくることができる。

ということで暑くて何を食べようと思った時には、そうめん一択となっている。

そうめん一択なのではあるが、そうめんをめんつゆで食べていると飽きがくるので、めんつゆ以外のおすすめの食べ方を是非とも教えてほしいです。